【日本100名城・丸亀城編】日本一の高さの石垣の城!讃岐の京極家ゆかりの丸亀城

讃岐うどんの国である香川県には、日本一の高さの石垣がある丸亀城があります。「石垣の城」とも呼ばれ、400年の歴史を誇るお城です。スマートフォンのARアプリで楽しむこともでき、敷地内の丸亀市立資料館には、丸亀藩の京極家自慢の刀剣・ニッカリ青江なども所蔵されています。今回は、現存12天守の内の一つでもある、丸亀城についてご紹介します!



丸亀城の「日本一」とは?見どころはどこ?

丸亀城、天守、現存
現存12天守の貴重なお城・丸亀城

丸亀城は、江戸時代までに建てられ、修復されながら現在まで残っている現存12天守」の内の一つで、「石垣の城」として全国的に有名な平山城です。「日本100名城」にも選ばれ、天守、大手一の門、大手二の門が国の重要文化財に指定されています。東西約540m、南北約460mのうち、堀の内側の20万4756㎡が史跡になっています。

生駒氏が丸亀城を築き、山﨑氏が石垣の大半を造り、京極氏が江戸時代の万治3年(1660)に、天守や一の門などを造って完成させました。亀山という山の上にあるので、亀山城、蓬莱城という別名もあります。

丸亀城には3つの「日本一」があり、1つ目は日本一高い石垣です。あわせて60m以上になる四段の高石垣は、一番の見どころと言えるでしょう。美しい曲線の高石垣は「扇の勾配」と呼ばれ、江戸時代初期の最も技術が発達した頃に造られました。石垣の積み方には、算木積み、野面積みなどがあり、打ち込みハギや切り込みハギなど、さまざまな技術が見られます。使われた石は、大阪城など各地から集めたと言われ、「田」「左」などの文字や家紋が刻印されており、見つけるのも楽しいですよ。

丸亀城、三重の櫓、天守
三重の櫓による白くて美しい天守

2つ目は日本一小さい現存の三重三階の天守です。立派な石垣のため、下から眺めると荘厳なお城に見えますが、高さは約15mで、実際に入ってみると非常にコンパクトです。「御三階櫓」という三重の櫓になっています。天守には望楼型と層塔型という2つのタイプがありますが、丸亀城の天守は一階から最上階まで規則的に積み上げていく層塔型になります。

外見は白漆喰が美しく、一部分のみが黒い下見板張りです。1階北側には石落しや狭間(さま)があり、天守の屋根には唐破風と千鳥破風が見られます。天守の他に、大手一の門・二の門、玄関先御門、本丸、二の丸、三の丸、山下曲輪、石段、堀などの遺構もあります。

大手門は桝形になっており、大手一の門は、かつて太鼓があって時間を知らせていたので、太鼓門とも呼ばれています。山崎氏の時代にはこちらの北側が搦手門でしたが、京極氏の時代に逆側に造り変えられ、大手門になりました。藩主の居館の門である玄関先御門は、薬医門になっています。薬医門は鏡柱(主柱)と控柱を切妻造の屋根で覆った格式の高い門となります。

三の丸への坂には、傾斜が急で立ち止まって振り返りたくなる「見返り坂」、三の丸広場には、月見にふさわしいので名付けられた「月見櫓跡」があり、讃岐富士と呼ばれる飯野山も眺められます。

3つ目は日本一深い井戸です。二の丸の井戸の深さは絵図によると三十六間(約65m)もあり、次のようなちょっと怖い逸話も。

大手一の門、櫓門、高麗門、丸亀城
大手一の門は櫓門、二の門は髙麗門になっている

二の丸の井戸にはこわ〜い幽霊伝説が!

丸亀城には、実は築城当初から、幽霊が出るという伝説があるのです。丸亀城の見事な石垣は、羽坂重三郎という石工が造ったのですが、お殿様から「見事な石垣だ、これを越えられるのは鳥ぐらいだろう」とほめられて、「いえ、私なら鉄の棒一本で登ってみせます」と言い、軽々と登ってしまいました。羽坂重三郎が敵に寝返るのを恐れたお殿様は、井戸を調べるよう命じ、上から石を落とし葬ってしまいました。このお殿様は、山崎家治とも生駒親正とも言われています。それ以来、井戸の回りには幽霊がでるという噂が広まったとか。また、石垣を積む際に上手くいかず、雨の日に近くを通りかかった豆腐売りを捕まえて人柱にしたと言われており、雨の日に豆腐売りの声が聞こえるという逸話もあります。そんな心霊スポットがあるとは、いわくつきで何とも雰囲気がありますね。

丸亀城、一の門内部、井戸、天守
一の門内部や天守、井戸など、城のほとんどが見学可能

江戸時代の丸亀城を見学!ARアプリによる楽しみ方

丸亀城では、最新技術のARアプリを使った楽しみ方もできるんですよ。スマートフォンやタブレットで「よみがえる丸亀城~丸亀歴史体感アプリ~」をダウンロードし、端末をかざして城内を眺めると、CGで復元した江戸時代の丸亀城を見ることができるんです。かつて建っていた12の櫓(やぐら)を見たり、丸亀城の解説も楽しめますよ。

天守からの絶景が美しく、瀬戸内海や遠くに瀬戸大橋も眺めることができます。「丸亀城桜まつり」「丸亀お城まつり」などのイベントもあり、桜の名所なので、旅行ならお花見シーズンもおすすめです。周辺にある金刀比羅宮なども、合わせて立ち寄りたいですね。

丸亀城、瀬戸内海
急勾配を登ると、眼下に瀬戸内海の景色が広がる

丸亀城を造ったのはどんな武将で、どんな歴史があるの?

室町時代初期に奈良元安が亀山に砦を築いたのが、丸亀城の歴史の始まりと考えられています。四国では長曽我部元親が勢力を伸ばしていましたが、慶長2年(1597)に、豊臣秀吉の家臣・生駒親正が丸亀城を築きます。生駒親正は高松城を本城に、丸亀城は支城にして息子の生駒一正を住まわせました。元和元年(1615)には、一国一城令で丸亀城は廃城となります。寛永20年(1643)に、山崎家治が再びお城を築き、石垣などの縄張を手がけましたが、山崎氏は跡継ぎがいないため途絶えます。明暦4年(1658)に、京極高和が6万石で丸亀藩主になり、現在の天守などを築き、明治維新まで丸亀藩は続きました。

讃岐京極家には「京極に過ぎたるものが3つある にっかり茶壺に多賀越中」という狂歌(和歌)が残っています。にっかりとは京極家に伝わる名刀・ニッカリ青江で、現在所蔵は丸亀市立資料館です。茶壺とは野々村仁清作の茶壺、多賀越中とは佐々木京極氏が近江にいた頃からの重臣を指しており、多くの名物があったようです。

2018年7月の西日本の豪雨により、丸亀城は南西の一部石垣が約30mにわたって崩れてしまいました。見学自体は可能ですが、早い修復が望まれますね。

香川県丸亀市のふるさと納税では、丸亀城グッズを始め、讃岐うどんや瀬戸内の海の幸などの返礼品が用意されています。「丸亀城を守り後世に残す事業」に寄附すると、「丸亀城主証」が送られ、「丸亀城天守」「中津万象園」「猪熊弦一郎現代美術館」が1年間無料で利用できます。ぜひ寄付して丸亀城の修復に一役買ってみてはいかがでしょうか?

丸亀城、桜、お花見
600本以上の桜があり、お花見が楽しめる

所在地 :香川県丸亀市一番丁
アクセス:JR「丸亀駅」から徒歩約10分

執筆/yotusiro(よつしろ)
北海道出身。北海道のグルメと観光に詳しく、幕末と刀剣が好きな歴女。戦国武将や城郭を巡る旅行が趣味。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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