萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第16回 63年ぶりの国宝! 松江城天守の独創的な構造とは

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。16回目の今回は、日本100名城に選定されている島根県にある松江城。巨大な天守を支える、驚きの特殊構造について解説します。



松江城天守
5つめの国宝天守となった、松江城天守。四重五階地下一階で附櫓が付属する

巨大な天守を支える、驚きの特殊構造

平成27(2015)年7月、松江城の天守が国宝に指定されました。国宝天守の誕生は、実に63年ぶりのこと。姫路城、松本城、彦根城、犬山城の天守に加え、5つめです。独自の建築技法が明らかになったこと、その築造年が証明されたことが、国宝に指定された大きな決め手となりました。

松江城天守の構造は、とても独創的。地階と1階、1階と2階、2階と3階、3階と4階、というように、2階ごとに「通し柱」で貫いて天守を一体化しています。たとえば姫路城天守は地階から6階の床までを2本の通し柱が貫通して支えていますが、松江城天守は2階ずつを通し柱で支え、均一に荷重をかけているのです。姫路城の通し柱ほどの大木が調達できなかったからと考えられますが、なんとも見事な対応策です。

天守地階の通し柱に打ちつけられていた、慶長16年(1611)の天守完成を示す祈祷札2枚が再発見されたことも、大きな要因となりました。これにより秀逸な構法が慶長16年に完成していたことが証明されたのです。天守地階に入ると井戸の両脇の柱にレプリカが展示してありますから、チェックしてみてください。

包板、松江城
柱に板を包み帯鉄や鎹で留めた「包板」も、松江城天守だけに現存するもの

天守から附櫓内を狙い打つ、戦闘仕様の設計にも注目

松江城は、関ヶ原合戦後に出雲富田を拝領した堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)によって築城が計画されました。しかし、城地選定中に忠氏が早世。後を継いだ忠晴は幼少だったため、その祖父にあたる吉晴が後見人となり築城に心血を注ぎ松江の礎を築きました。

吉晴は、豊臣秀吉の政権下では要職に就いて手腕を震った実力者。さすがは秀吉のもとで戦い抜いて来た、実戦経験が豊富な名将が建てた城と唸らせられる軍事的工夫にも注目です。見逃せないのは、天守から入口に付属する附櫓内に向かって設けられた狭間。本来であれば、狭間は建物の外に向けて設置されるもので、建物内にはありません。そう、この狭間は附櫓の内部まで侵攻されてしまったとき、その敵に向けて攻撃するための装置なのです。最後まで戦い抜こうとする気迫が感じられます。

松江城を訪れたなら、堀川めぐりもおすすめです。遊覧船に乗ってのんびりと、外堀から松江城を見上げられます。城下町の風情が残る塩見縄手沿いの武家屋敷を歩いたり、神社をめぐったりと、立ち寄りスポットが多いのも松江の魅力です。出雲そばに舌鼓を打つのも忘れずに。江戸時代に松本城主から松江城主となった松平直政がそば職人を連れてきたのがはじまりといわれています。

松江城、鉄砲狭間、天守
天守から付櫓に向かって設けられた鉄砲狭間


▶「萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜」その他の記事はこちら


alt
執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

関連書籍・商品など