【レポート】駿府城跡天守台発掘調査現場見学会

2019年2月23日(土)に、駿府城(静岡県静岡市)で駿府城跡天守台発掘調査現場見学会が開催されました。駿府城は、昨年、金箔瓦と豊臣方の天守台の石垣の発見が発表されて話題のお城です。発掘調査現場には見学ゾーンが設けられていて、年末年始を除き一般公開されていますが、今回の見学会では特別に普段は立ち入り禁止のエリアも公開し、しかも発掘に携わっている発掘調査員の方のお話も伺えるという貴重な機会。城びと編集部は今回、この見学会に参加。熱気あふれる見学会の様子をお届けします!



駿府城跡天守台発掘調査現場見学会とは?

全国各地のお城で開催されている現場見学会。「現場見学会」という存在は知っていても行ったことがあるという方はあまり多くはないかもしれません。

今回の「駿府城跡天守台発掘調査現場見学会」では、平成30年度の1年間の天守台発掘調査の成果を報告。いつもは立ち入り禁止の天守台北東の堀底に下りて見学でき、さらに発掘調査員の方からの詳しい解説も聞ける貴重な機会です。特に今回は2018年10月に金箔瓦と豊臣方の天守台の石垣の発見が発表され、全国的に話題になったこともあり、説明1回目の開場前から行列ができるなど、大勢のお城ファン・歴史ファンの方々がつめかけていました。見学会の来場者数は、全体で1,800人だったそうです。

駿府城跡天守台発掘調査現場見学会

発掘調査で分かった5つのこと

駿府城跡天守台の発掘は4か年計画で、今年度が3年目。今年度は大御所家康の天守台の全容を明らかにする調査のほか、発見された豊臣方の天守台の調査を行っているとのこと。ちなみに、来年度は中世今川期の遺構有無確認の発掘作業などを進めるそうです。

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今回、見学に訪れた人には、見学会用の資料が配られました。資料では今年度の発掘調査でわかったことのうち、5つのことが解説されていました。

①2人の天下人(家康・秀吉)が関わった天守台が同じ場所に現存
2018年8月までに、大御所家康の天守台の内側から、家康の天守台とは形状の異なる石垣が発見。また、発見された石垣の近くから金箔瓦も見つかり、石垣の形状や瓦の特徴などから、見つかった石垣は、豊臣秀吉が家臣の中村一氏に命じて築かせた城であると考えられる。

②豊臣方の天守台の特徴
豊臣方の天守台の石垣は自然石を積み上げたもので、大きな石と石の隙間には、丸みのある川原石を詰めていた。大御所家康の天守台と比べると傾斜は緩やか。石垣の裏側には、裏込石(栗石)が敷き詰められていた。

③大御所家康の天守台基礎の確認
大御所家康の天守台の北辺で、石垣の最下部にあたる石が見つかった。不規則に並べられ、石の下には川原石が敷き詰められていた。この天守台では、基礎として大きな石や川原石が使われていた。

④二ノ丸から本丸への出入口(天守下門周辺)の確認
家康の天守台東側の二ノ丸側から天守台がある本丸側に入る出入口があった場所の発掘調査を行った。江戸時代に、ここには本丸堀にかかる木橋と門(天守下門)があり、門を入ると石垣に囲まれた枡形虎口になっていた。調査により、枡形内部の石垣の一部や門や枡形の基礎として敷き詰められたと考えられる川原石を発見。

⑤出土品
金箔瓦330点は、豊臣方の天守台の南西部から発見。この場所は、大御所家康が駿府城の大改修を行った際に、もともと存在した豊臣方の天守を解体して、瓦を大量に廃棄した場所だと考えられる。

今回しかこの堀底には降りられない!? 新発見の石垣を間近で見ながらの説明会

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天守台、石垣、駿府城

「(大御所家康の)天守台の石垣の一番下の石が堀側に出っ張っています。これが石垣の基礎構造と考えられます。(天守台の最下部の大きな石を指さしながら)一般的に石垣の石がばらばらに沈んでバランスが崩れないように石垣の基礎には「胴木(地盤を安定させるために石垣の下に敷かれる木)」が使用されます。多くのお城では松の木を使って、その上に石を置いているという構造ですが、駿府城天守台では「胴木」が確認されておらず、かわりに大きな石が使用されていたと考えられます。巨大な構造物ということで、「胴木」では支えられないため、大きな石を使ったのかもしれません。このような巨石を下に置いて、天守を据えたのかと考えているところです」(発掘調査員増山さん)

堀底から天守台の石垣を見ると、その大きさや角度に圧倒されますが、発掘調査員の増山さんによると、その勾配の角度はだいたい70度とのこと。ちなみに、石垣は色が下から3つ目の辺りで色が変わっており、昔はそこまで水位があったそう。

駿府城、石垣

他にも、石垣に掘り込まれた2つの柱穴の跡が見つかっていて、どのような柱なのかはまだ検証の段階とのことでした。このように発掘に携わっている方ならではの生の声と現状を説明していただき、堀底での説明が終了。ぐるっと堀底内を回って上に移動します。

豊臣と徳川。異なる二つの時代の天守台を同時に見ながらの説明

駿府城、天守台

次は、豊臣方の天守台と、大御所家康の天守台の二つの時期の天守台が同時に見える位置に移動。大御所家康の天守台東側の枡型虎口(出入口)があったあたりに立つ発掘調査員の松井さんによる説明が始まります。

「絵図でみますとだいたいこのあたりに高麗門(天守下門)があったんじゃないかといわれてます。この門から二ノ丸側に約30mの木橋がありました」と、まずは大御所家康の天守台についてパネルを用いての説明を開始。

駿府城、天守下門
配布資料より転載

門を入ると石垣に囲まれた空間が。大御所家康の天守台の東側は枡形虎口になっており、3回折れないと天守台方面に入れない構造になっており、「何度も折れないとお城の中に入れないという敵の侵入を防ぐための工夫がされています」(発掘調査員松井さん)

説明会後は調査員の方に質問も

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説明会後は、見学に来られた方と発掘調査員の増山さんと松井さんや発掘作業員(緑のビブスと黒のヘルメットをつけている方)がお話をしている姿が多々見受けられました。間近で発掘現場を見て、発掘調査員や発掘作業員の方から説明を聞き、質問ができる…お城好きにはたまりません。
もしかしたらみなさんの身近なお城でも、見学会が行われているかも。自治体のホームページなどを確認し、ぜひ参加してみては?

金箔瓦、豊臣方の天守台についてもっと知りたい方は、加藤理文先生のこの記事もチェック!


執筆・写真/城びと編集部

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