2019/12/16
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第2回】凸犬山城(前編)~尾張を支える国宝~
お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、東海圏で唯一の国宝天守閣を誇る「犬山城」の前編。天守閣までの道のりを歩みながら、総構えの構造を誇る犬山城の城郭と城下町の見どころを余すところなく解説します。
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。
前田慶次齢四七七歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にするが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
本年で結成十周年を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸三英傑が奪い合った城 ~犬山城~
第二回は犬山城!
先ずは、城郭の魅力度を数値化致した。
天守閣を筆頭に歴史背景を結びつけ天下人が関わりし城郭と頷ける結果!
特に東海圏では唯一の国宝天守閣であるし、老若男女楽しめる犬山城下町も魅力的である。
流行りものに目が無い前田慶次も、はしゃぐ程楽しんだ犬山城!
犬山城は城下町も堀と土塁で囲む【総構え】の構造。
城郭と城下町について余すこと無く語るぞ!! 最後迄ご覧あれ。
(画像提供:犬山市役所観光交流課)
【基本情報】
城郭構造:平山城
築城者:織田信康様
築城年:一五三七年
指定文化財:国の史跡、国宝(天守閣)
【歴史】
時は室町時代。築城は一五三七年に織田家が改修築城した城郭(現在の原型)。
尾張国の重要な拠点として利用され、小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦いと言った戦国史に名を残す大戦でも重要な拠点として活躍した。
後に成瀬家(徳川家家臣)が増改築し現在の姿に!
織田家亡き後は、豊臣家が入城。後に徳川家の重臣成瀬家が入城し
全国唯一の個人所有の城郭として保存されて参った。(天晴!!)
現世においても国宝指定天守閣の中では最も古いとされておる。
年間登城者数は六〇万人を超える。
天下人が奪い合った犬山城へ。いざ、出陣!! おうーーーーーーーーー!!!!
【名鉄名古屋駅】
名古屋の玄関口名古屋駅から出陣する我が企画。
現在の所持金壱万円。
果たして此度の犬山城で幾ら使うのか…注目!
名鉄名古屋駅から犬山行きに乗車。
名古屋→犬山五七〇円
電車に揺られる事約三十分ばかしで着陣!
駅の西出口へ向かい犬山城に行軍!
道なりに行軍すると本町通りが見える。
そこまで参ると
此の立て看板が御座る。
犬山城まであと七五〇メートルとやら。
凡そ駅から犬山城までは一キロと少し。
歩行(かち)でも苦しくない距離であるし、思いを馳せながら歩めばあっという間である。
また、本町通りから真っ直ぐ進むと犬山城へ辿り着く。
此処は城下町となっており、道幅も当時のままで狭い!
我にとっては馴染みのある道で四〇〇年の時を感じる。
見てもらうと分かる通り
昔から本町通りが中心であった故に、現在の犬山祭の様な賑わいを想像できる!
城下町から天守閣に向かって歩むと交差点なる場所に辿り着く。
此処は嘗て外堀があり城郭への虎口(こぐち)である大手門があった場所である。
如何であろうか?
その当時の姿は目にすること叶わぬが、戦を繰り広げた犬山の地を考えれば
此処こそが戦の要となった場所。
※城郭用語
虎口(こぐち)とは城郭の曲輪(くるわ)の出入口を指す。大体門が造られ守りの要となる場所。昔は小口と書いてこぐちと呼んだ。
傾き所 枡形門造りになっておる。大手とは正面を指す。城郭の正面玄関である大手門は最も難い守りにするのが必定!
ここは犬山城下町の中にある「城とまちミュージアム 犬山市文化史料館」。
多くの史料と美術品も展示してある故に訪れると良い! 嘗ての城下町も模型として置いてある!
※城郭用語
枡形門(ますがたもん)とは方形の空間を石垣で囲み二つの門をつけたものである。この形は門の防衛策として完成形とも言われ、最強の防御施設の一つである。
見逃すなかれ! 天守閣に向かって歩む途中に犬山城前観光案内所があり申す。
犬山城の御城印は此方で入手する! 入場券を購入する場所ではない!
間違えぬように。
特徴としては日付を己が記帳する事。
観光案内所から犬山城天守閣までは主に三つの進路がある。
此度は初心者向け【スタンダードコース】なるもので行軍致す 。
(マップ画像提供:犬山市役所観光交流課)
① スタンダードコースにて
いざ、出陣! おうーーーーーーーーーー!!!!
整備された大手道は歩み易い。
周りの草木を見て分かる通り、行き届いた手入れは多くの物見遊山者がおる事を示す。
石段が見え、此れを登り申す。
傾き所 石段は平山城に多く見られ、視覚的に見栄えをさせる為に整えてあることが多い! 要素の一つ一つが城主や国の権威を表す。
また、土砂流れを防ぐ効果もある。坂であると防ぐものが無いからのう。
未だまだある。
障害としての効果!
攻め手が櫓等の上からの攻撃に備えておると足元が疎かになる。躓いたりするわけじゃ。
一人が転べば、後列に多大な影響を与える! 陣形が乱れる!!
城郭の守りとして石段は地味であるが、実戦でその重要性は発揮される。
儂も数多の戦にて経験済みよ。
因みに膝が痛いものは坂の方が負担無いぞ。(優しい慶次)
此処も紅葉が見頃を迎えると絶景であろうな。
石段を登り申す途中で…
門跡である礎石を発見した。
すぐ近くに立て看板も御座った!
【黒門】
櫓門は道具櫓が載っておったそうじゃ。大手、即ち正面であるが為守りの堅い櫓門造のようじゃ。
なぬっ!!!!?????
一八七六年に二三円で徳林寺(とくりんじ)に移築されたとか。山門が黒門らしい。
見てみたいものじゃが。
二三円じゃと???
城郭が無用の長物となった時代があったと聞くが、信じられん。
※徳林寺(丹羽郡大口町にある寺院)
思わず儂の筆も走る! 知識を得ることの喜び!
天守閣へ向かって此の長き石段を登り申す。
体力作りにも良いかもな?
石垣と申すと高さ!に目が行きがちであるが
鏡石(かがみいし)も見逃せん! 権力の象徴として使用する。
犬山城石垣は再築されたもの以外基本的に野面積み。
野面積みの姿を留めるものも多い。算木積みが偶に見られるが、地震で崩れた部分を修復したそうじゃ。
うむ。儂ほどになると石垣を見ただけで大体年代が分かり申す!
と色々見て楽しんでおったらば犬山城入城口まで辿り着いた。
入城券を購入! 五五〇円! うむ。
いざ! 天守閣へ。
入城する門は、鉄門(くろがねもん)。
嘗て櫓門であったとか。
本丸最後の砦となる門だけに、鉄でありながら櫓も備える厳重さ。
此れは攻めるのが難儀致すな…。
現在犬山城は耐震補強と修復工事を行っており斯様な幕に包まれておる。
天守閣前には大木が!?
此方大杉様と申して樹齢六五〇年という神木である。
傾き所 犬山城天守閣よりも高かったとも言われる大杉様は、落雷から天守閣の身代わりとなり守ったとされる。
一九六五年に枯れてしまったが、今も尚犬山の地を見守る存在に候。
織田家の方々も此の神木に祈願したのであろう。
儂も城びとがより盛り上がることを願って手を合わせて参った。
戦勝祈願を致し
いざ、天守閣へ!!
と言った所で今回の記事は此処まで。
次回:国宝犬山城天守閣頂きにて前田慶次が吠える! 城下町で舌鼓!!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
犬山城の基本情報
<住所>
愛知県犬山市犬山北古券65-2
<開園時間>
9:00~17:00(入場は16:30まで)
<休園日>
12月29日~12月31日
<アクセス>
■名鉄
犬山線 「犬山」 下車 徒歩20分
凸伝令
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)