前田慶次の自腹でお城めぐり 【第5回】凸大高城と鷲津砦と丸根砦【桶狭間の要】

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、今川義元と織田信長が雌雄を決した「桶狭間の戦い」の前哨戦が繰り広げられた「大高城」「鷲津砦」「丸根砦」(愛知県名古屋市)。建築物が現存しない城跡をめぐるときのポイントを踏まえながら、その歴史的価値と見どころをご紹介します。



皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

前田慶次齢四七八歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にするが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十周年を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。


凸大高城と鷲津砦と丸根砦の能力値

第五回は大高城(おおだかじょう)と鷲津(わしづ)砦(とりで)と丸根(まるね)砦(とりで)!
まさかの三城を一気に取り上げ申す!

何れも天守閣を持たぬ城郭。故に遺構と歴史を中心に案内致す。
先ずは、城郭の魅力度を数値化致した。
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、能力値

■傾奇所
これまで巡って参った城郭と比べ建築物が残る城郭でない点!
戦に対する備えである堀等の遺構が残っておる故に歴史としての価値から国の史跡にも指定されておる。
また、建築物ある城郭と比べ三城は無銭で見て楽しむ事ができ申す。

今川と織田の激戦となった桶狭間の戦いの拠点が、どんな城、砦造りであったのか?
まだ天守閣と呼ばれる建築物が登場していない時代の城郭に強みとは?
跡地となる城郭の見方を皆に伝えてまいるぞ!

【歴史的重要性/石垣・土塁・堀】この項目に注目してもらおう!

大高城、鷲津砦、丸根砦


【基本情報】大高城(鷲津砦・丸根砦)

城郭構造:平山城(平山城
主な築城者:花井備中守(織田信長)
築城年:1504年~1521年の間(1559年)
指定文化財:国の史跡(国の史跡)

【歴史】

「大高城、鷲津砦、丸根砦」此の三城は【桶狭間の戦い】の鍵ともなった重要な城郭である。
1558年(永禄元年)織田信長様は尾張国の大半を手中に収めた頃、織田方の支城「大高城」は敵対している今川の手に落ちる。
そこで信長様は大高城を封鎖する為に翌永禄二年(1559)に「丸根砦」「鷲津砦」を築城する。
織田の「対今川」に対する最前線砦であり、最重要拠点である!

【開戦】
さらに翌永禄三年(1560)桶狭間の戦いが開戦。織田対今川が名古屋市緑区は桶狭間の地で遂に激突!
「大高城」に今川軍として従軍していた松平元康(徳川家康)が兵糧入れを成功させる。
この時松平元康19歳
松平元康は「鷲津砦」「丸根砦」を包囲し落城。形勢は今川に見えたが、織田信長様の奇襲により大将今川義元様討死。
戦国史でも稀にみる大将討死は奇跡の大逆転劇で幕を閉じた。

【その後】
三城は戦の後に廃城となるが
大高城は尾張藩家臣志水家(重臣)が屋敷を設けて住むようになった。

日本史においても有名な桶狭間の戦いの重要拠点となった大高城と鷲津砦と丸根砦へ
いざ、出陣!!
おうーーーーーーーーー!!!!


【先ず大切な報せ】残金701円である。
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、残金

この金子で何処まで何ができるかご期待あれ…。
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、名古屋駅

【名古屋駅】

城めぐりは名古屋の玄関口である名古屋駅から始まる。
皆も参考にしやすいように、武士が鉄籠(電車)に乗馬して登城するのじゃ。 
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、名古屋駅

【運賃】

大高城までは240円也。
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、大高駅

【大高駅】

乗馬時間15分! あっという間に大高駅に着陣。
戦国時代にこの速さで着陣できたらば
桶狭間の戦いにおいては今川は退却ができたかもしれん。
織田も雨風など頼りにせず奇襲を行えたであろうな。

名古屋に観光に参った際は歴史の聖地を巡礼する際に誂え向きでもある。
駅前には此の大高城を始め、巡る際に目安になる案内看板があるぞ!
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、大高駅

【緑区史跡散策路】

丁寧に巡り方を赤線で敷いておる。また寺社も多く寄り道するのも良き哉。
然りながら此度は大高城と鷲津砦と丸根砦のみ巡るぞ!
皆は他にも多くある寺社も巡ってみてちょ。早速駅から歩みを進める!

 大高城、鷲津砦、丸根砦、辻

【辻の秋葉社】

看板に従い大高城を目指す。さすれば、辻の看板を発見!!
「辻」とは何か知っておるか?

道が十字形に交差している道を指すが。江戸時代では辻番所と申して
現世で申すところの警備隊のような奉行が詰め所を置いた。
また、人々の行き交う場所だで、町の中心地として栄える事が殆どであった!

大高城城下町の辻は、市が開かれ賑わいを見せたそうじゃ。
行き交う人も多かった為、幕府からの命令を知らせる高札場も設けた。
今で申すところの電光掲示板?なるものか。
当時の人間は此処で情報を入手しておったのじゃな。

明治時代になると学校、役場、郵便局が開設。
賑わいは後世にも引き継がれておるわけじゃ!
また、此処は火事が多かったようで火伏せの神として信仰される社が創建されておる。

城郭に向かうまでは城下町について学ぶのも地理を見ると頷ける事が多々あるぞ!

大高城、鷲津砦、丸根砦、丘

進めてまいると大高城の丘が見えて参った。

大高城、鷲津砦、丸根砦、丘
 

【大高城】

大高城に着陣し申した。
見ての通り大高城史跡の碑が御座る。

大高城は城跡公園として整備されており昭和13年(1938)に国の史跡に指定。
地元の民達の憩いの場としても利用されておる。

大高城規模
【東西約106メートル、南北32メートル、四方に二重の堀】

では、城内を歩くぞ!!
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、本丸跡

【本丸跡】

広大な本丸跡。周りを見渡せば「鷲津砦と丸根砦」も目にすることができる。
城郭の中心となる本丸であるが、後に尾張家臣である志水家が屋敷を構えたのが此処本丸であったとも言われる。
本丸を歩んでおると 

大高城、鷲津砦、丸根砦、鳥居

鳥居を発見! ん?
段が高くなっており此処は何じゃ?
曲輪(区画)の中で一番高い場所というのは殿様(城主)が構えるのが定石。
廃城した大高城に今備わっているのは何であろうか…。

大高城、鷲津砦、丸根砦、参拝
 

【武士のみ参拝?】

尾張藩志水家が屋敷を設けるまで此処は武士のみが参拝できる聖地であった!
桶狭間の大逆転劇から御利益を願っての事であろう。
正に今の信長攻路と呼ばれる名古屋市の政策と同じである。

大高城、鷲津砦、丸根砦、参拝

後に志水家が石灯篭等を寄進して今の形になったそうじゃ。
儂も城びとの繁栄を願って参拝に候。
他曲輪も巡るべく移動。
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、土橋

【土橋から覗く】

本丸と二の丸の間に土橋があるのじゃが、其処から空堀を見ることが叶う。

傾奇所

大高城の一番の見所にして遺構。見ての通りかなり広い堀となっておる。
平城で見られる堀とは違い、丘としての高さを活かして開削された堀は登りづらく敵からの侵攻を妨げる。

 大高城、鷲津砦、丸根砦、空堀

空堀を歩みたかったが進入禁止の札が立っておった為、上から見下ろす儂。
何とも侘しい背中であり…寂しい背中…。

見てもらうと分かるが高低差が平山城とは言えども高い!
曲輪間も多少の高低差があり戦の備えは今でも見て取れるぞ!
その辺りを注目してもらいたい。
高低差を付ける事で大軍の侵攻を阻む効果があるのじゃ! 城郭の基礎と言える。

下城してすぐ近くの丸根砦へ向かう。

大高城、鷲津砦、丸根砦、案内看板
 

【丸根砦道中】

大高城から徒歩で10分と少し程か。案内看板を発見!

丸根砦規模
【東西36メートル、南北28メートル、周囲は3.6メートルの外堀】

桶狭間の戦いの折には織田家臣佐久間盛重殿が丸根砦を守っていたが、
松平元康が最新兵器「鉄砲」を用いて攻めた。織田軍は全滅。

【戦力】
織田軍700対今川軍2000。数では圧倒されておった。
佐久間殿は織田軍の中でも猛将に数えられる武士であったが、三河武士の攻撃にひとたまりもなかったと聞く。
弱冠19歳の松平元康の戦略家としての才覚を世に知らしめた戦が此処で起きたのじゃ。
それを想像しながら丸根砦を巡って参ろうか。
鉄砲と申すと長篠の戦いの印象が強いと思うが、既に鉄砲は武器として確立させておる軍団もおり、
経済が豊かな国ほど鉄砲を重宝しておったのう
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、石段

大高城同様に平山城故に石段を登る。
整備されており登りやすいぞ。登るにあたって足腰を酷使するような丘ではない!
斯様な登りやすい石段を一段踏む事に
現世の行き届いた整備は城郭への愛を感じるのう。
然し乍ら
虫がいつ何時横槍を入れてくるか分らぬ故に油断は禁物じゃ!

大高城、鷲津砦、丸根砦、本丸跡
 

【丸根砦本丸跡】

着陣。
登りきり本丸に着陣すると、丸根砦の石碑が待ち構える!
天守閣を構える城郭と比べ、ナヌッ?もう着いたのか?と思う程あっという間であるぞ。

国の史跡の碑もあり申す。
織田軍が此処で援軍を待ちながら抵抗し続けたわけじゃ。
砦の此処に注目してもらう。
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、曲輪

【数段の曲輪】

傾奇所

大高城側に向かって数段の曲輪が築かれており
対大高城の備えが見て取れる。

此れを防御壁として機能したと思われるが、
大高城に比べて小ぶりなのが規模の数字からも分かる通り戦は随分苦戦。
戦に際して城郭の機能性が雌雄を決する事を証明すると言っても過言ではない!

主であれば鉄砲を持つ松平軍に対してどの様な戦法を見せたか?
この砦で持ちこたえるのは無理があると儂は思うがな。
城主佐久間殿は織田家の家督問題で、信長様を支持せず弟信勝様を支持した御方。
立場を回復する為自ら?この難儀な戦を突き付けられた?かと思うと。心中お察し致す。

下城して
次に向かうは鷲津砦
 
大高城、鷲津砦、丸根砦、道中

【鷲津砦道中】

現世の民家が集う道を歩む。民家の流れの中に鷲津砦があるそうじゃ。
戦国時代であれば考えられない配置…。
長屋の中に城郭…。
攻められるとすれば、先ず長屋が燃やされるのう。

大高城、鷲津砦、丸根砦、公園

【鷲津砦】

着陣!
現在は鷲津砦公園となっておる。

今川方の大高城に対峙し、丸根砦と共に侵攻に備えて築城。
桶狭間の戦いの折、先程の丸根砦が落城し、
少し遅れて鷲津砦も今川勢の先鋒・朝比奈泰能らの猛攻に落城。
この報せを聞いて喜んだ今川義元は「松平元康に大高城を与える!」と言ったとか?

実際、松平元康は大高城に入城して休息を取っていた。
今川勢は丸根鷲津砦を落城したことで油断に繋がり、桶狭間で大将今川義元が討たれた要因と聞く。
戦は最後の最後まで何が起きるか分からぬ。
現世の戦も同じ。皆気を緩めず戦は最後迄走り切るのじゃ! 肝に銘じようぞ。

大高城、鷲津砦、丸根砦、本丸跡

【鷲津砦本丸跡】

丸根砦同様に本丸に碑が立っておる。
城郭巡りの醍醐味の一つは「石碑」と写し絵を撮る
御城印の如く石碑集めもしてみては如何かのう?

大高城、鷲津砦、丸根砦、竹林
 

【竹林の鷲津砦】

城内を練り歩くと竹林が目立つ。
柵も建てられておるが踏み場がちと不安定やもしれぬ。儂が気になったはこれぞ!

大高城、鷲津砦、丸根砦、竹林

【どこに儂がおるか分かるか?】

同系色で同化しておるが真ん中におるぞ!
見ての通り堀?とも思えるこの溝。
嘗てが竹林を備えていたとは思えぬが、足場も不安定故に大軍で押し寄せるのは難儀な造りとなっておる。

大高城、鷲津砦、丸根砦、堀

【鷲津砦の堀】

此れも見ての通り奥深く険しき堀となっておる。
堀は戦国期いつの時代を切り取っても城郭において要とも言える防御壁!
鷲津砦の堀は入り込んだら抜け出すのが難儀する特徴的な堀であるな。

さぁ皆の衆如何であったか?
此度は天守閣を備えた城郭でなかったが為に
天守閣男前田度(イケメン)を測る事が叶わずであるが、一度に三城を巡った。

此れは皆が名古屋に遊びに参った折や、何か時を見つけた時にでも同じように巡る際の参考にしてちょうよ。
ええ運動にもなり申すぞ!?
桶狭間の戦いの歴史を感じてみては如何かのう?

大高城、鷲津砦、丸根砦、残金
 

【残金】

して、大事な残金であるが221円
次回は名古屋駅からどうやって城郭に行くのか。
企画としての面白味が次回出ると思うぞ。

此度も最後迄読んでくれてありがとさんじゃ!
他の城郭についても記しておる故参考にせよ!
では、また会おう!

以上

名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益


大高城の基本情報
<住所>
愛知県名古屋市緑区大高町城山
<アクセス>
JR東海道線大高駅から徒歩約10分

凸伝令


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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

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