桶狭間古戦場に来たらここは外せないということで,やって来ました。それまで比較的臆病だった松平元康が,大高城の兵糧入れをキメたことで,精神的に自立していくターニングポイントとなった場所だと思っております。
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2025/07/07 18:59
2025/06/15 21:08
住宅地に浮かぶ大高城 (2025/04/12 訪問)
無意識ながら気付けば桶狭間つながり。
沓掛城の翌週に訪れたのは愛知県名古屋市の大高城。
伊勢湾に面した知多半島西岸のつけ根、大高川河口部の標高約20mの高台に築かれた城。
歴史的には桶狭間の戦いに大きく関与した城砦の1つ。
城主は、1500年代初期が花井備中守、続いて水野氏の一族が入るが、桶狭間前に今川方の手に落ちて義元が鵜殿長照を配置。
桶狭間の後は廃城となるが、江戸期は尾張藩家老の志水氏が三之丸に居住したとのこと。
現在は大高城跡公園となり、堀や土塁の損失はあるものの、本丸から三之丸までおおよそのかたちを残す土の城跡。
訪問時は北側から入城し、約1時間半滞在。
二之丸は眺望があり、住宅地の先には大高城攻めの砦が築かれた丘。
本丸南下には現在曲輪が広がるが、近年の調査で幅15mの堀が確認され、その埋没した堀の西端には薄っすら土橋らしきものが存在。
そして正真正銘の土橋が架かる三之丸北東の堀は、1560年に廃城とするには惜しい規模に感じられた、私の城郭巡りの202城目でした。
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2024/04/05 19:26
昨日の友は今日の敵。戦国あるある (2024/03/30 訪問)
大高城は丘陵上に築かれた東西約106m、南北約32mの平山城で、永正年間(1504~21)に花井備中守によって築かれたと案内板に記してあります。桶狭間の合戦の際には今川方の鵜殿長照が守将を務めており、織田方に包囲されますが松平元康が兵糧の運び入れに成功しています。元康は桶狭間の合戦で今川義元が討たれると今川から離反し、上之郷城に籠る鵜殿長照を攻めます。長照にすれば、かつての恩人に討ち取られてしまったわけですが、この時に松平の人質になった兄弟二人は紆余曲折を経て、家康の家臣になりますが、弟の氏次は関ヶ原の合戦の前哨戦の伏見城の戦いで討死を遂げています。兄の氏長は1700石の旗本となり養子の氏信が家督を継いでいます。
大高城は本丸が二層構造になっているようで、一段高い場所に城山八幡社が祀られており社の土盛りが土塁を連想させます。南西の二の丸との間には大きな空堀があり土橋がかかっています。二の丸の北西側にも同規模の郭があり、今頃は桜がいい感じに咲いているだろうと思います。そのまま城址の北側をヘリを歩きながら東に進むと元の登城道に戻ってきます。
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2024/02/25 11:01
3「大」3つ目の城 (2024/02/11 訪問)
名古屋市で開催された千田先生による大学連続講座。その3回目「家康の城の特色」の抽選に当選し聴講。千田先生は馬出の効果と名古屋城築城時の馬出を、佐賀大学宮武先生は石垣の積み方と進化を解説。興味深いお話しを聞くことができて満足の講座でした。
JR熱田駅から大高城へ、そこから歩いて10数分ほどで石碑のある城址入口へ到達。入口までの道は細く車の駐車場はなさそう。
城内ではいくつかの曲輪と思われる区域や空堀らしき設備が見られたが、遺構を示す案内板が見当たらない。おそらく城山八幡社のあるところが本丸か?もやもや感を残したまま下城。
気がつけば、昨日から尾張のこの地域の「大」で始まる3城を攻略。
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分類・構造 | 平山城 |
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築城主 | 花井備中守 |
築城年 | 永正年間(1504〜1521) |
主な城主 | 花井備中守、水野氏、今川氏、織田氏 |
遺構 | 土塁、横堀跡、曲輪 |
指定文化財 | 国史跡(大高城跡 附丸根砦跡、鷲津砦跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 愛知県名古屋市緑区大高町字城山他 |
問い合わせ先 | 名古屋市緑区役所まちづくり推進室 |
問い合わせ先電話番号 | 052-625-3876 |