前田慶次の自腹でお城めぐり 【第4回】凸小牧山城(前編)~石垣が残る城~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次様が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、織田信長が美濃攻めの拠点として築城した「小牧山城」(愛知県小牧市)の前編。広大な曲輪や土塁など、天下人たちが関わったお城にふさわしいスケールをたっぷりご紹介します。



皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

前田慶次齢四七七歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にするが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十周年を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。


凸小牧山城 ~石垣が残る山城~

第四回は小牧山城!
先ずは、城郭の魅力度を数値化致した。
 
小牧山城、数値

尾張国は愛知県を代表とする山城にして天下人(織田・豊臣・徳川)が関わる城。
美濃攻めの拠点として築城された小牧山城は、先駆けて石を用いた城郭として全国的にも有名。

また、「小牧長久手の戦い」の舞台ともなり歴史的に外せぬ点は、戦国時代の後江戸時代においても尾張徳川家が保護し一般の入山を禁ずるという特別待遇! 「石垣・土塁・堀」「歴史的重要性」が高い結果となり申した。

注目される小牧山城について余すことなく伝えるぞ!!最後迄ご覧あれ。


小牧山城

【基本情報】

城郭構造:平山城
主な築城者:織田信長様
築城年:一五六三年
指定文化財:国の史跡

【歴史】

小牧山城築城以前は、寺院(間々観音)が建立していたそうじゃ。
一五六〇年桶狭間の戦いにて織田信長様が今川義元様を打ち破る。後の徳川家康様と清州同盟を結び、東側の守りを固め美濃国への侵攻を進める。
美濃攻略の拠点として築城したのが小牧山城である

清州から地の利を得た小牧山へ拠点を移し、美濃を攻略する。
そして、信長様は岐阜城へ移り住んだ故に小牧山城は廃城となり申す。
美濃攻略までの約四年使用したと言われる。
されど、小牧長久手の戦いで再び歴史の表舞台に小牧山城は出現し徳川の勝利を担った。
此の時の活躍に「家康公の天下を取るは大坂に非ずして関ケ原にあり。関ケ原に非ずして小牧にあり」と称された。

江戸時代となり、尾張徳川家が領地を拝領し一般の者の入山が禁じられた
小牧の町は整備され立派な城下町を築き上げ、一九二七年(昭和二年)国の史跡に指定される。
二〇一七年には続日本100名城(149番)に選定。

信長様が美濃攻略の足掛かりにし天下人徳川様の勝利の決め手となった重要な拠点
小牧山城へいざ、出陣!!
おうーーーーーーーーー!!!!


【先ず大切な報せ】残金3370円である。
 
小牧山城、前田慶次

この金子で何処まで何ができるかご期待あれ…。
 
名古屋駅

【名古屋駅】

我が連載は名古屋の玄関口である名古屋駅を出発地点として始まる。皆も参考に致せ!
 
小牧山城、前田慶次

地下鉄名古屋駅→名鉄小牧駅(570円)。約三十分ばかしの道中。
鉄籠(電車)に揺られるのも城びとならでは。電車と言うものは座り心地が良いな!
 
小牧山城、前田慶次

【名鉄小牧駅】

無事に着陣し申した。
して、此処で皆に伝令!!此度の取材戦において強力な援軍を呼び申した。
出でよ、踊舞!!
 
前田慶次、踊舞

【陣笠隊 踊(とう)舞(ま)】

名古屋おもてなし武将隊足軽陣笠隊踊舞である。実は此奴、小牧出自の足軽なんじゃ。
此度は踊舞に地元小牧の魅力を教わり乍(なが)ら、小牧山城を巡って参るぞ!!

【踊舞紹介】

大道芸を生業としいたが、優美な舞踊が信長様の目に留まり、信長様に召し抱えられる。
その時「踊舞」という名を拝命。
気は優しく力持ち。ダイナミックに舞い踊る姿は、見る者の心を奪う。
生年月日:一五六〇年(永禄三年)
出身地:尾張小牧
普段の生業:大道芸人

小牧山城、名古屋コーチン

【名古屋コーチン】

駅前には名古屋コーチンの像がある。
名古屋名物の一角、名古屋コーチンは小牧が発祥なんじゃ。
元尾張藩士である海部(かいふ)壮平(そうへい)等が中国のバフコーチンと岐阜地鶏を交配して産まれた鶏から作り出しのが『名古屋コーチン』である。肉質、産卵能力の長所から尾張だけでなく、全国で人気を博す。

儂、前田慶次の勧めは【親子丼】
名古屋コーチンの味の高さを余す事無く堪能できる故に観光に参った際にでも如何であろうか?

小牧山城、信長公 夢チャレンジ街道
 

【信長公 夢チャレンジ街道】

駅前に大きく掲げられる。
小牧山城までの道中は信長様の人生年表図を見ながら歩むことができる楽し気な策がある故
皆も地図通りに進むとより楽しめ申す。
 
小牧山城、信長公 夢チャレンジ街道

小牧山城、信長公 夢チャレンジ街道

こんな具合に学びながら歩んでおると、いつの間にか小牧山城に着陣するという天晴な策である。
 
小牧山城、小牧宿

【小牧城下町 小牧宿】

城下町は小牧宿と呼ばれ寺社仏閣・史跡を地図に表記し道中の寄り道に良き哉(かな)。

小牧の町は居城移転と共に信長様が引っ越しさせ、栄えた。
江戸時代となり尾張徳川家が街道整備を施し、上街道にあった宿場を移設し生まれた小牧宿
城下町には人が集まる。宿を形成した土地は嘗て、賑わいを見せた証である。

城巡りの楽しみ方の一つは城下町を見る。
『総構え』の城であればより、城郭としても見所が深くなる故に
斯様な地図を見つけるのは定石である!
 
小牧山城、小牧山城麓

【小牧山城麓】
着陣。
合瀬川が流れており、城郭として川が流れておるのは心強いな。
材木を始めとした運搬か何かにも使ったであろうな。

信長様(織田)の居城あるあるであるが、交通の要所を大切になさる。
小牧山城も美濃攻略の拠点ではあったが、尾張国を豊かにすべく川は外すことができぬ点と言えよう。
 
小牧山城、曲輪

【広大な曲輪】

信長様築城時代には武家屋敷が広がっており、多くの武士が小牧山城麓に居住しておったのじゃ。
無論、信長様もその一人。

小牧山城、堀
 

【堀】

薬研堀=断面がV字。
区分けするように曲輪の間に築かれておる。
一定間隔で堀は掘られており、此れも信長様の時代に築き上げたものじゃ。
区分けとして利用されておる為、戦用ではない。故に深さもない!
 
小牧山城、土塁

【土塁】

石垣を築城する時代ではない故に土を盛って土塁を築いて防御壁とした。
小牧山城の土塁は堀を挟んで二重の土塁であったそうじゃが、
現在は写真の通り内側のみ残っておる。
堤防のような形をした土塁とは
四方八方守りを固め攻め手を苦戦させる要であったろうな。

土塁は信長様が築城したものではなく
小牧長久手の戦いの時に徳川家康様が短期間で仕上げたものと聞く。
幅10メートル 高さ3メートル(堀含めると5メートル) 

小牧山城、全体図

【全体図と案内板】

広大な曲輪を歩きながら踊舞の案内を受けておるとこんなものがある!!
当時の小牧山城全体図と城郭用語の説明と発掘調査で発見された事が表記される。 

小牧山城、全体図

入城してきた場所から現在地までをなぞる…。
いい歳して戯れて楽しんでおる齢400歳超えの爺達じゃ。
 
小牧山城、土塁

【城内一の土塁】

頂上に向かう為大手道に向かう途中に巨大な土塁発見!!
写真では分かりにくいが、相当高いぞ!!
 
小牧山城、大手道前

【大手道前】

現在はここから(東側)階段を利用して入城するが、当時は南側から入城する。
大手道から頂上までは約220メートル近くあるそうじゃ。

真っ直ぐ上る途中で蛇の如くうねうねした道になると書いてある。
山城の防御策の定石の一つであるな。険しい道作りの一つはうねらせる道。

然し乍ら、此の前田慶次は前回【岐阜城(山城)】を攻略しておる。

前田慶次、岐阜城
 
小牧山城が如何なものか見定めて進ぜよう。因みに此度は地下足袋で参っておる故に敵無しよ!

前田慶次、登山
 

【踊舞問答】

早速登山開始。と思うたら踊舞から奇襲問答!!

踊舞『此の大手道が築城されたのは【信長様時代?家康様時代?どっち】』

慶次『至極簡単よ!信長様!!』

信長様の城の特徴は、大手道が真っ直ぐな点。魅せる為に敢えて真っ直ぐ築城される!
此れほど真っ直ぐには徳川家康という男は作らない!

踊舞『正解で御座います!』

慶次『ドヤっ( ゚Д゚)』

儂が考えた通りだったようじゃ。
徳川家康様時代(小牧長久手の戦いの時代)は戦で使用する為に、
真っ直ぐではならぬ!と曲げて再構築したそうじゃ。
 
小牧山城、大手道

【大手道】

頂上に向かっていざ、出陣!!
と今回の記事はここまで!
最後まで皆の衆大義であった。次回も楽しみに致せ!

次回:前田慶次、小牧山城の石垣に大興奮!!

以上

名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益


小牧山城の基本情報
<住所>
愛知県小牧市堀の内一丁目1番地
<開館時間>
散策自由。小牧市歴史館(模擬天守閣)は9:00~16:30(入館は16:15まで)
<休館日>
年中無休。小牧市歴史館は第3木曜日・年末年始(12月29日~1月3日)休館
<入場料(小牧市歴史館)>
大人100円 中学生以下無料
<アクセス>
名鉄小牧駅から徒歩20分。または名鉄バス「岩倉駅行(小牧市役所前経由)」などで「小牧市役所前」下車すぐ

凸伝令


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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)