2020/02/17
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第3回】凸岐阜城(後編)〜最古の高層天守?城の歴史が変わる?〜
お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、織田信長が天下布武への足かがりとした「岐阜城」のいよいよ後編。山頂にそびえ建つ天守閣はもちろんのこと、その道中で見られる馬場跡や堀切など細かい見どころまで解説します。
「前田慶次の自腹でお城めぐり」
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次齢四七七歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にするが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
本年で結成十周年を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸岐阜城 ~美濃国は岐阜県~
第三回は岐阜城!
先ずは、城郭の魅力度を数値化致した。
天守閣を筆頭に歴史背景を結びつけ天下人が関わりし城郭と頷ける結果!

美濃国岐阜県を代表とする岐阜城。
昔ながらの山城で規模も大きく登山道が多く登山者が楽しめるのも魅力的である。
初の山城登城に前田慶次も余すこと無く楽しんだ岐阜城は、歴史的重要性が高く斎藤家と織田家の至極の城とも言える。史跡としても多くの魅力を残し、大河ドラマ「麒麟がくる」なる絵巻の舞台となることで将来性も期待大!!
此度の見所は【斎藤家時代と織田家時代の違い】
城郭と食、土産について余すこと無く伝えるぞ!! 最後迄ご覧あれ。
【基本情報】
城郭構造:山城
主な築城者:斎藤道三様、織田信長様
築城年:一二〇一年
指定文化財:国の史跡
【歴史】
時は鎌倉時代。築城は源頼朝公執事二階堂氏が金華山頂上に砦を築いたところから始まる。
戦国時代に突入し斎藤道三様の居城とし改修を経て城郭は大きくなり稲葉山城として名を馳せる。
織田信長様の進攻により、落城。斎藤家から織田家へと主人を変えた。
信長様がこの時に【岐阜】と命名。名を岐阜城と改めた!
天下布武もこの時から用いられ、天下統一の本拠地として岐阜城を改修。
かの有名な「楽市楽座」も令を発し、城下町の活性化を担ったのじゃ。
信長様亡き後、攻城戦でも岐阜城は戦の舞台となり、関ヶ原の戦いでは落城し、
徳川家康様の命により天守閣、櫓、石垣等は加納城に移築された。
現在は昭和三一年(1956)に復興されたもので、
最上階の望楼の間は展望台となり多くの者に親しまれておる。
金華山一帯が岐阜城跡として国の史跡に指定(平成二三年)。
信長様が天下統一の本拠地とした岐阜城へいざ、出陣!!
おうーーーーーーーーー!!!!
前回のあらすじ
岐阜城攻めの為麓は岐阜公園に着陣。援軍「岐阜城盛り上げ隊」の方と合流し史跡巡り。信長様の宮殿について学び得た慶次。今回の旅はどうなることか。
宮殿跡の周りには突出した石が御座る。
ここで突然であるが、斎藤道三様から問答が出題され申した。
リス村を後にし天守閣へ向かう我等。
【岐阜城マップ】
ロープウェイ乗場すぐ近くに山頂の案内板もあり興味深い文字も見られる。
日本遺産第一号!!
岐阜城跡、岐阜城復興天守閣が此れに指定される。
期待も高まる岐阜城巡り。
地図を確と見ると、「井戸、堀切、切岸」等々の遺構や嘗ての姿を写しておる。
頭に入れて見て回る事でより歴史を感じられる故に参考に良い!
【天下第一の門】
天守閣を目指し道なりに歩めば「冠木門」が見える。
城郭用語
冠木門=門柱に屋根が無く、冠木を通しておる門。
此れは嘗て存在したものではなく、現世で築城された門である。
信長様の天下布武の志を讃えて建てたそうじゃ。
気が引き締まる思いになるのぅ。
道三様指揮のもと門を潜り整備された石段を一段ずつ登る。
岐阜城盛り上げ隊の方々の御旗が並び斎藤家の居城であることを伝える。
見惚れておると…。
【岐阜城一のパワースポットは歴史が深すぎる】
一の門を越えてすぐ近くに剥き出しの岩石がある。
知らぬと通り過ぎしてしまうであろうな。
此の岩石は実に歴史が深く、古生代~中生代の地層らしく約2億年以上も前のものである!
非常に硬いために侵食されず平野にそびえ立つ山として残ったそうじゃ。
戦国時代が可愛く見えてしまう程に歴史を刻み、難攻不落の城の基盤を築いた。
皆も手に触れて縁起を担いでみては如何であろうか?
天守閣へ向かい歩みを進める。整備されながらも道幅の狭さが嘗ての情景を映し出す。
して、斯様な道にも意味がある。
【馬場】
伝 馬場跡が御座る。
城郭用語
馬場=主に馬術の練習場所。広場。
江戸時代に尾張藩士御畳奉行朝日文左衛門が此処に馬場があったこと記して残しておる。
また、大下馬として、降りた馬を此処に繋いだ場所としても利用された。
馬術も武士としての教養である!
傾き所 山城の頂上に馬場とは珍しい!
【松尾芭蕉が訪れた!?】
歌人松尾芭蕉が岐阜城に訪れて一句歌ったそうじゃ。証として石碑が此処に在る。
内容としては、旅人である松尾芭蕉自身が孤独な旅の中での境地を託した句である。
今では登山する者達に勇気を与える心の一句と云える。
【山城の防御策と申せば堀切!!】
皆は堀切とは何かわかるか?
山城において重要な防御策と言える。
城郭用語
堀切=敵の侵入を防ぐために、尾根(山道)の通路を遮断するために掘られた堀。
つまり山城ならではの堀である。
普段は木橋が架かっており、戦の時には橋を落として防御を高める!
橋が無いと渡れぬ故に、攻城戦の定石であった。
馬出、枡形門と言った近世城郭の防御策と違い自然の中に立つ山城だからこその備えである。
傾き所 岐阜城では堀切が残っておるぞ!

【伝 二ノ門・下台所跡】
登り進めていくと二ノ門まで辿り着き申した。
土塀に挟間(さま)もあり城郭の雰囲気と景観がぐっと増して参ったのう。
ほいで、此処の最大の見所は

【現存する巨石】
麓でも多くの現存する石垣を目にして参ったが、山頂にも残っており
門の両脇には巨石が残る。山城山頂にある巨石は城郭初心者も思わず
飛び上がるのではないか?

二ノ門を潜ると目の前に!

【木造福閻魔大王】※道三様が閻魔大王ではないぞ!
土岐家の時代より
鬼門除け・美濃の繁栄を祈願して堂を建て閻魔大王を安置したそうじゃ。
今は岐阜市重要文化財に指定される。
屋根は金閣寺を模し、華頭窓を備えており格式の高さが伺える。
笑みを浮かべる閻魔大王とは、信長様と道三様が居城にされた城に相応しいのう。

【下台所】
傾き所 下台所はルイス・フロイスが来られた折、信長様の若い衆が100人程おったそうじゃ。
その中には若き蒲生氏郷もおり、歳はまだ13歳になったばかりの時。
人質として織田家に来た時より信長様に愛されておった氏郷であるが、
此処で稲葉一鉄様に武士としての才覚を認められ出世の階段を登り始めた!
信長様、岐阜城城主の時分に優秀な家臣が集まり始め、天下布武の御旗を掲げては全国に其の名を轟かす始まりの土地とも云える。

【山頂井戸跡】
傾き所 山頂にある井戸跡であるが、昭和の世では温泉が沸いたとか。
やはり、天下人の城!何か不思議な力を持っておるようじゃな。

【岐阜城天守】
遂に天守閣へと着陣!!
こちらの復興天守は1956年に再建された鉄筋コンクリート造りのもの。
望楼型三層四階である。
戦国の世では、関ヶ原の戦いの折
東軍福島正則、池田輝政に包囲され攻め落とされる。
翌年徳川家康によって廃城とされ天守や櫓等は加納城へと移された。
傾き所 1910年に再建された折は長良橋の古材を利用!
現在の復興天守は加納城御三階櫓を参考に設計!
建築にあたり石垣に大掛かりな補強が行われた為、遺構が失われた。
故にか?設計されたものと大きく異なるものが築城されたそうじゃ。
では、ここで恒例の天守男前田度を発表!
岐阜城天守男前田度は…

岐阜城からの景色
七十五点!!!!
再建とは申せど金鯱に廻縁とは御洒落であるな。千鳥破風もあり装飾性は高い!
独立式の望楼型と言った他にもよく見られるシンプルな作りとなっておる復興天守であるが、完成するまでの歴史が熱い!!
岐阜城金華山の大部分を国が管轄する国有林が為、木を伐採し資材を運ぶべく道路を作りたいが叶わず。工事が難航する。
麓から山頂までをケーブルで結び輸送する難工事が長らく続く。
翌年、念願の鉄筋コンクリート三層四階の天守閣が完成する。此れが現在の天守。
男前田とは、見た目の面だけでなく、中身も重要である。多くの血と汗で民の願いを叶えた岐阜城天守閣は誠に男前田である!!
また、近年の発掘調査にて天守台石垣が発見された。
石垣は三段式となっており、日ノ本最古の高層天守閣と指定される日も遠くないやもしれぬ…。
此れが確約されれば得点は更に上る!将来性高い岐阜城天守一度訪れてみよ。
世の男必見!!因みにではあるが、夜景が美しくデートにもってこいぞ。

【天守台石垣】
発掘された天守台石垣は僅かな公開となってしまったが、この先再び公開されることもあろう。
大河ドラマ『麒麟がくる』放送にかけて発見される辺り運命を感じるのう。

【天守内部】
内部は撮影が叶わず写真にて届けることができなんだ。
一階武具の間 武具の展示
二階城主の間 歴史物の展示
三階信長の間 信長様に関連するものが展示
四階頂上 岐阜の町を一望できる
今は大河ドラマ『麒麟がくる』の放送に伴い改めてある。最近足を運んでおらぬ者も此れを機に如何であるか?
【下城】
天守を堪能し遂に下城する時がやって参った。
斎藤道三様、明智光秀様はロープウェイで下城されると仰る。
「お待ち下され!!」
此の前田慶次、城びと連載人として伝える義が御座います故に
己の足で下山致しまする!

【百曲口登山道】
傾き所 斎藤道三様がお造りになられた道。
稲葉山城の戦いでは、時の木下藤吉郎秀吉様が攻め上がった道でもある。
距離は約1100メートル。
此こから下山!!
写真にて険しさを届けるぞ。

これぞ山城!


常に此のような凹凸のある道を進み申した。
皆も戦国時代に戻ったとして、城攻めを自分がすると考えて登山してみると良い。
心折れるぞ!?ワッハハッハハハハハ
前田慶次、無事下山に成功!
さぁ此度皆に伝えた岐阜城の歴史魅力は一部。
大河ドラマ『麒麟がくる』にかけて新たな展示であったり、発掘調査も日々進み進化をする岐阜城。
迷うならば一度足を運び見聞せよ。百見は一考にしかず!!
此れを参考に巡れば、間違い無い!故に何度も読み返せ!
以上
【他所道日記】
城巡りの醍醐味は観光である。
我が寄り道も参考にするに良い!

【ロープウェイ乗場】
土産処となっており岐阜の名物土産を手にすることができる!
信長様に関連する食から品まで幅広く備えてある。
儂は城びとで使用する財布として「天下布武」の銘が入った此方を購入した!

御城印も此方で購入できるぞ!!忘れるなよ!!

【太鼓櫓跡 レストランポンシェル】
山頂にあるレストランポンシェルでは岐阜名物を食せる。
こちらは「信長どて丼」780円
B級グルメフェスティバルにてグランプリを受賞!!
どての味が米に染み込んで実に美味であった。

【岐阜城盛り上げ隊】
援軍して頂いた岐阜城の皆様からタオルを頂戴仕った!!
誠に忝のう御座った。
武将隊が守る城というのは、確実に見所がある!皆も一度会いに行くが良い!

【残金】
さて。この企画の醍醐味である自腹でめぐるであるが。
残り3370円となった。
果たして此の金子でどこまで行けるのか…。
乞うご期待!!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
岐阜城の基本情報
<住所>
岐阜県岐阜市金華山天守閣18 金華山頂
<開館時間>
3月16日~5月11日 9:30~17:30
5月12日~10月16日 8:30~17:30
10月17日~3月15日 9:30~17:30
※開館時間は変更になる場合がありますので、事前にご確認ください。
<休館日>
年中無休
<入場料(岐阜城資料館と共通)>
大人(16歳以上)200円 小人(4歳以上16歳未満)100円
<アクセス>
JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から岐阜バス「N80」高富行きなど長良橋方面行きまたは「市内ループ線左回り」で片道15分。
「岐阜公園・歴史博物館前」バス停下車、徒歩3分の岐阜公園内から金華山ロープウェー3分、金華山ロープウェー山頂駅から徒歩8分。
凸伝令
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)











