かのうじょう

加納城

岐阜県岐阜市

別名 : (沓井城)
旧国名 : 美濃

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にのまる

関ケ原陣跡制覇ウォーキングのあとで① (2026/09/27 訪問)

岐阜駅から徒歩で行けそうだったので宿泊先(東横イン岐阜)にチェックインする前に行きました。
最初に見かけたのが「加納城南大手門跡」の標柱です。住宅街の中にありました。
そしてほどなく長大な石垣と広場が見えてきました。

かつての本丸がまるごと整備され公開されている加納公園。(夜間は閉鎖されます。)
土塁に囲まれた芝生広場に、昔のままの石垣。街なかでこれほどの野面の石垣が見られるとはさすが美濃国。
浮城の面影を探すのは知識も土地鑑もなく困難でしたが、落城した岐阜城の石が運ばれたという伝聞があるとの解説に、目の前にあるのは豊臣から徳川へ、時代を繋ぐ石垣なのだと深く感じ入りました。
一部ぎりぎり住宅に接しながらもかつての姿を留めている大手の出枡形もとても印象に残りました。

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ボン

加納城:2023年2月25日:その他城-43 (2023/02/25 訪問)

別名:後期加納城、叶城
公園になっていて中に無料駐車場あり。堀や塁などよく残っている。

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シャンシャン

岐阜~滋賀の城探訪① (2025/06/28 訪問)

岐阜といえばもちろん岐阜城が筆頭に挙げられるが、駅の南側にあるこの加納城も国の指定史跡となっており見どころが多い。
かつての堀の多くは埋められてしまっているが、本丸周囲は武骨な野面積みの石垣が多くが残っている。
本丸内は公園として整備されており、訪問時はシニアの方々はゲートボール、子供たちは虫取りを楽しんでいた。街中に市民の憩いの場となる城跡があるのは羨ましい。

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奥平信昌 (2025/01/23 訪問)

 1600年関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が娘婿奥平信昌を加納藩主10万石に据え、加納城築城を命じました。当時の目的は西国大名への抑えでした。岐阜城の石や建物を移したとされ、東北隅櫓は岐阜城の天守を移したと伝わっています。二の丸にあたる岐阜地方気象台に石垣が残っていました。それ以前にも城はあり文永2年(1445年)、守護代斎藤利永によって築かれたのが最初のようです。城主は斎藤妙椿、妙椿養子の妙純と続きます。斎藤妙純の失脚により一度城はその機能を失いました。発掘により本丸周囲は障子掘であった可能性が高いようです。
 本丸の形状が四角形ではなく凸型になっていて、これは出枡形を本丸の正門に設けたものです。この形は初期の徳川の城に見られる特徴のようで加納城がその初現ということで「加納城型」ともいわれています。本丸周辺は石垣がよく残っています。
 
 今までは夏にしか来たことがなく石垣も草に隠されたところがあり、一度冬に登城したいと思っていました。岐阜市に所用があり、JR岐阜駅からも徒歩約15分で登城できるので、空き時間を利用してぶらりと行って来ました。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 独立式層塔型御三階櫓[3重4階/1602年築/焼失(落雷)]
築城主 奥平信昌
築城年 慶長7年(1602)
主な城主 奥平氏、戸田氏、安藤氏、永井氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、横堀
指定文化財 国史跡(加納城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県岐阜市加納丸の内
問い合わせ先 岐阜市社会教育課
問い合わせ先電話番号 058-265-4141