加納城は文安2年(1445)に守護館である川手城を守るために土岐氏家老の斎藤利永によって築かれた沓井城が前身となるようです。関ヶ原合戦の後、岐阜城は破却され、慶長7年(1602)7月から短期のうちに工事がなされ、9月には徳川家康の娘・亀姫を妻に持つ奥平信昌が入っています。本丸を中心に二の丸や厩曲輪・大藪曲輪などを配しており本丸と石垣部分が残っています。
本丸の東側には本丸枡形があり、ここから二の丸に通じていたようです。ぱっと見た感じ石垣にはチャートと堅そうな砂岩が多く使われています。チェブさんの投稿によると破却された岐阜城の石垣が使われているようなので、チャートの部分は岐阜城からお越しいただいた物かもしれません。ご苦労様でした。
この堅そうな砂岩は、産地が近いことから、河戸石かな?名古屋城の二の丸の外側にも多く使われています。ジュラ紀に生成されているので砂岩なのに瓦のように隅部が欠けています。崩れてこないんですね。
本丸部分は公園になっているんですが、広いうえに遮るものがないので帽子や日傘が無いと熱中症になってしまいます。城門がいくつか移築されているようで、元しらかわ代官屋敷の結婚式場には二の丸門が移築されて新婚さんたちの門出に趣を与えています。いい仕事してますね。
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