かのうじょう

加納城

岐阜県岐阜市

別名 : (沓井城)
旧国名 : 美濃

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チェブ

もと岐阜城、もと川手城。 (2024/01/04 訪問)

関ヶ原の合戦後の1601年、天下普請で築かれた「加納城」。1602年に家康さんの娘婿、奥平 信昌さんが入り居城しました。
築城開始から入城までが早いです。
「加納城」は関ヶ原後、建材や石垣を、廃城した「岐阜城」の物を用いたんだそうです。
前に投稿した「川手城」からも土砂を運びました。

駐車場から石垣が圧巻です。中に入ると、土塁が圧巻です。これらが、当時の「岐阜城」から運ばれたとは、驚きました。
加納公園案内マップがあり、本丸は外桝形つきで "ひょっとこ"みたいな形です。
石垣の箇所は、石垣の絵で示してありました。
加納城主から、開園時間の高札(?)。
本丸は、広場のようになっていて散歩している方がちらほら。

「加納城」は、「岐阜城」と「川手城」の素晴らしさも伝えてくれているようです。

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とばつびしゃもん

水に浮かぶ城だった城 (2023/12/31 訪問)

川手城から車数分で到着。本丸南側の加納公園臨時駐車場に駐車し登城開始。
本丸は石垣で囲われた広々とした空間。北側入口の案内板には、当時は5つの曲輪が堀と川に囲まれた「水に浮かぶ城」という景観だったと記されている。その面影は本丸北面の堀ぐらいか。本丸と二の丸の当時の出入口にあたる東側の桝形を見るとその大きさを感じる。現状出入口はない。
30分弱攻城後撤収し長良川温泉で宿営。近くのお寺で除夜の鐘をつかせてもらったのち、金華山頂上に浮かぶ岐阜城を見上げ年を越す。

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姫街道

巨大な本丸桝形に驚いた!! (2024/01/07 訪問)

岐阜城のインパクトが強すぎて、正直見落としていた。大きな方形土塁に石垣積みが残っており当然に国指定。よくこれだけ石垣も土塁も残存していてくれた。特に本丸桝形!どの角度から見ても素晴らしいの一言。しかも正面に岐阜城が見える点も素晴らしい。家康が対豊臣のために改築したとあり、色々な事を考えさせられる縄張り。感激しました!

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カズサン

10年振りチョイ寄り再登城 (2023/10/21 訪問)

 西美濃未踏の城廻Ⅴの川手城を終えて北西約300m程の加納城を10年振りにチョイ寄りし2度目の登城で近世築城石垣を観てみたいと暗くなる前に探訪しました。

 駐車場:加納城南側東の堀跡駐車場を利用
 参考資料:グーグルマップに依る。

 駐車場から本丸南側の南東角石垣観察、東に張り出した出枡形の南面石垣観察するが草に覆われている、南側の堀跡と道路の間に低い土塁が復元されてる。
 南口より本丸内部に進入、本丸内部、外枡形の内部に入るが草が茂り過ぎている、本丸の北西角の土塁上は天守台跡と言われてるが草が茂り過ぎ、本丸内部は夕刻に成っていますが犬を連れての散歩、付近の方の散歩などで活用されている。
 北口より出て案内板の確認、立派な石垣が有る北面東側は草に覆われて石垣の存在が失われている、残念が状態です、北面西も同じく、北西角、南西角は何とか石垣が外から見る事が出来る。
 折角遺った貴重な石垣をもう少し景観整備保存に力を入れて頂きたい、岐阜城だけでなく加納城も大切な文化財遺構です。
 発掘調査は継続されているようですので最終結果などで成果としての加納城跡を見てみたいものです。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 独立式層塔型御三階櫓[3重4階/1602年築/焼失(落雷)]
築城主 奥平信昌
築城年 慶長7年(1602)
主な城主 奥平氏、戸田氏、安藤氏、永井氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、横堀
指定文化財 国史跡(加納城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県岐阜市加納丸の内
問い合わせ先 岐阜市社会教育課
問い合わせ先電話番号 058-265-4141