かのうじょう

加納城

岐阜県岐阜市

別名 : (沓井城)
旧国名 : 美濃

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本丸東側の石垣 たんぽぽが咲いている
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しんちゃん

石垣をみてぶつぶつ‥ 本丸枡形、移築門 (2024/04/14 訪問)

加納城は文安2年(1445)に守護館である川手城を守るために土岐氏家老の斎藤利永によって築かれた沓井城が前身となるようです。関ヶ原合戦の後、岐阜城は破却され、慶長7年(1602)7月から短期のうちに工事がなされ、9月には徳川家康の娘・亀姫を妻に持つ奥平信昌が入っています。本丸を中心に二の丸や厩曲輪・大藪曲輪などを配しており本丸と石垣部分が残っています。
本丸の東側には本丸枡形があり、ここから二の丸に通じていたようです。ぱっと見た感じ石垣にはチャートと堅そうな砂岩が多く使われています。チェブさんの投稿によると破却された岐阜城の石垣が使われているようなので、チャートの部分は岐阜城からお越しいただいた物かもしれません。ご苦労様でした。
この堅そうな砂岩は、産地が近いことから、河戸石かな?名古屋城の二の丸の外側にも多く使われています。ジュラ紀に生成されているので砂岩なのに瓦のように隅部が欠けています。崩れてこないんですね。
本丸部分は公園になっているんですが、広いうえに遮るものがないので帽子や日傘が無いと熱中症になってしまいます。城門がいくつか移築されているようで、元しらかわ代官屋敷の結婚式場には二の丸門が移築されて新婚さんたちの門出に趣を与えています。いい仕事してますね。

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チェブ

もと岐阜城、もと川手城。 (2024/01/04 訪問)

関ヶ原の合戦後の1601年、天下普請で築かれた「加納城」。1602年に家康さんの娘婿、奥平 信昌さんが入り居城しました。
築城開始から入城までが早いです。
「加納城」は関ヶ原後、建材や石垣を、廃城した「岐阜城」の物を用いたんだそうです。
前に投稿した「川手城」からも土砂を運びました。

駐車場から石垣が圧巻です。中に入ると、土塁が圧巻です。これらが、当時の「岐阜城」から運ばれたとは、驚きました。
加納公園案内マップがあり、本丸は外桝形つきで "ひょっとこ"みたいな形です。
石垣の箇所は、石垣の絵で示してありました。
加納城主から、開園時間の高札(?)。
本丸は、広場のようになっていて散歩している方がちらほら。

「加納城」は、「岐阜城」と「川手城」の素晴らしさも伝えてくれているようです。

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とばつびしゃもん

水に浮かぶ城だった城 (2023/12/31 訪問)

川手城から車数分で到着。本丸南側の加納公園臨時駐車場に駐車し登城開始。
本丸は石垣で囲われた広々とした空間。北側入口の案内板には、当時は5つの曲輪が堀と川に囲まれた「水に浮かぶ城」という景観だったと記されている。その面影は本丸北面の堀ぐらいか。本丸と二の丸の当時の出入口にあたる東側の桝形を見るとその大きさを感じる。現状出入口はない。
30分弱攻城後撤収し長良川温泉で宿営。近くのお寺で除夜の鐘をつかせてもらったのち、金華山頂上に浮かぶ岐阜城を見上げ年を越す。

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姫街道

巨大な本丸桝形に驚いた!! (2024/01/07 訪問)

岐阜城のインパクトが強すぎて、正直見落としていた。大きな方形土塁に石垣積みが残っており当然に国指定。よくこれだけ石垣も土塁も残存していてくれた。特に本丸桝形!どの角度から見ても素晴らしいの一言。しかも正面に岐阜城が見える点も素晴らしい。家康が対豊臣のために改築したとあり、色々な事を考えさせられる縄張り。感激しました!

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 独立式層塔型御三階櫓[3重4階/1602年築/焼失(落雷)]
築城主 奥平信昌
築城年 慶長7年(1602)
主な城主 奥平氏、戸田氏、安藤氏、永井氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、横堀
指定文化財 国史跡(加納城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県岐阜市加納丸の内
問い合わせ先 岐阜市社会教育課
問い合わせ先電話番号 058-265-4141