前田慶次の自腹でお城めぐり 【第3回】凸岐阜城(前編)~岐阜公園も見所満載~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、織田信長が天下布武への足かがりとした「岐阜城」の前編。信長の居館跡をはじめ、岐阜公園内に点在する古の史跡を余すところなく紹介します。



皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

前田慶次齢四七七歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にするが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
本年で結成十周年を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。


凸岐阜城 ~美濃国は岐阜県~

第三回は岐阜城
先ずは、城郭の魅力度を数値化致した。
天守閣を筆頭に歴史背景を結びつけ天下人が関わりし城郭と頷ける結果!
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

美濃国岐阜県を代表とする岐阜城。
昔ながらの山城で規模も大きく登山道が多く登山者が楽しめるのも魅力的である。
初の山城登城に前田慶次も余すこと無く楽しんだ岐阜城は、歴史的重要性が高く斎藤家と織田家の至極の城とも言える。史跡としても多くの魅力を残し、大河ドラマ「麒麟がくる」なる絵巻の舞台となることで将来性も期待大!!

此度の見所は【斎藤家時代と織田家時代の違い】
城郭と食、土産について余すこと無く伝えるぞ!! 最後迄ご覧あれ。


前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【基本情報】

城郭構造:山城
主な築城者:斎藤道三様、織田信長様
築城年:一二〇一年
指定文化財:国の史跡

【歴史】

時は鎌倉時代。築城は源頼朝公執事二階堂氏が金華山頂上に砦を築いたところから始まる。
戦国時代に突入し斎藤道三様の居城とし改修を経て城郭は大きくなり稲葉山城として名を馳せる。
織田信長様の進攻により、落城。斎藤家から織田家へと主人を変えた。
信長様がこの時に【岐阜】と命名。名を岐阜城と改めた!
天下布武もこの時から用いられ、天下統一の本拠地として岐阜城を改修。
かの有名な「楽市楽座」も令を発し、城下町の活性化を担ったのじゃ。

信長様亡き後、攻城戦でも岐阜城は戦の舞台となり、関ヶ原の戦いでは落城し、
徳川家康様の命により天守閣、櫓、石垣等は加納城に移築された。
現在は昭和三一年(1956)に復興されたもので、
最上階の望楼の間は展望台となり多くの者に親しまれておる。
金華山一帯が岐阜城跡として国の史跡に指定(平成二三年)。

信長様が天下統一の本拠地とした岐阜城へいざ、出陣!!
おうーーーーーーーーー!!!!

(此度強力な援軍が出陣するぞ)
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城
 

【JR名古屋駅】

名古屋の玄関口名古屋駅から出陣する我が企画。
現在の所持金六九一〇円

果たして此度の岐阜城で幾ら使うのか…注目!
名鉄名古屋駅から犬山行きに乗車。

名古屋→岐阜四七〇円

電車に揺られる事約三十分ばかしで着陣!
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【JR岐阜駅】

JR岐阜駅前には織田信長様の金色像が皆を出迎える!
やって参ったぞ岐阜!
目の前が鉄籠(バス)乗場故に、ここから鉄籠に乗って長良橋まで参る。
岐阜駅→長良橋 二二〇円
※岐阜公園歴史博物館前でも距離は殆ど変わらん!
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【長良橋】

着陣! あっという間であった。
分かりづらいが、信じられない程の得意顔(バスへの乗車が初めて四七七歳)
此処より歩行で一分! 【岐阜公園】となる現世の岐阜城の入口と言ってよいじゃろう。
岐阜公園は「日本の歴史公園100選」、公園前は「都市景観100選」にも指定される。

前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

門の目の前には…
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【岐阜公園】

若き日の信長様の像が皆を出迎える!信長様に一礼。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【岐阜公園総合案内所】

武家屋敷風に造られており、休憩所も兼ねておる。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

中に入ると瓦版も多く置いてある故に
先ずは、此処を訪ねて岐阜城の歴史を抑えて巡るとより楽しめるぞ!
儂も瓦版で知識を得て回ろうと公園を歩く!

そして。
此度は難攻不落の岐阜城。
此処での戦は厳しくなると予想した故に儂は援軍を呼び申した!
プォープォー(法螺貝)

前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城
 

【岐阜城盛り上げ隊】

岐阜城盛り上げ隊より
斎藤道三様、明智光秀様が援軍にお出で下さった。
慶次感激に候。

傾き所 岐阜城盛り上げ隊

【岐阜城盛り上げ隊情報】
面々は
斎藤道三様、斎藤義龍様、明智光秀様、稲葉一鉄様、長井道利殿
第一・三(隔週)日曜日に岐阜城に出陣しおもてなし(写真撮影等)をし演武を披露する。
岐阜城を盛り上げ岐阜県を元気にすべく戦働きされておる。

天守閣に向かう前に、此の岐阜公園こそが史跡として多くの歴史を語る。と
何と、公園は信長様の居館があった場所らしく道三様が教えてくださった。
公園の史跡を巡る!

因みに、此の前田慶次。信長様が岐阜城を居城とされた頃合いに荒子(名古屋)を追放された。
身分も中級程度故に参ることも無かった。
多くの発見に心躍る岐阜城!

前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【井戸】
井戸? 城に井戸は常設。こちらは発掘調査で発見した井戸で復元したものである。
城に井戸は付き物。飲水としての利用は無論であるが。
敢えて毒を混ぜ込み、戦時中には敵軍が間違えて毒水を飲んで戦力を削ぐ。
立派な武器としても利用できるのじゃ。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【山内夫婦】

山内一豊。知っておるか? 千代姫(奥さん)の内助の功で高級馬を買い、
その馬で信長様の馬揃えに参加し認められ、出世した土佐大名である。
この山内夫婦が此処で出会い愛を誓ったのではないか?という事実が最近持ち上がり
斯様に石碑が御座る。
良縁結ばれそうじゃ。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【信長様の庭】

山内夫婦の石碑、井戸の目の前には美しき庭園が広がる。
此れ信長様の庭を想像して造られたもの。
「剛」「静」「雅」三つの題目からなる庭園。
おぉー。流石信長様。傾奇者らしい庭園で御座いまする。
長良川の石を一〇〇〇トン使用しておるとか…季節によって顔を変える。
儂が参った時は紅葉が美しかったぞ。雪化粧された庭園も観物であろうな。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【冠木門】

ん? 急に冠木門が。更に隣には。

城郭用語
冠木門…左右の門柱の上を横木で貫いた門のこと。武家文化の門の一つ。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【信長様居館跡】

石碑が! 此処が信長様の居館があった場所。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

公園内に歴史的に重要なものが!!
信長様の居館発掘調査は昭和五九年(1984)から始まり、今も尚続く。

異国の宣教師ルイス・フロイスをが此処で謁見を待ち。信長様御自ら門まで迎えてきたとか!
かぁーーーー。信じられん
前田慶次級の武将であれば、此処までお目通り叶うこともない。
儂も拳を自然と握っておった。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

と申しておきながら道三様がいらっしゃる故にズカズカと上がり申した。
石段は現世の石段。綺麗に整えられておる。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【岐阜城案内板と発掘調査について】

示した一際目立つ看板がある。ここに濃姫様の殿舎があったとか。
門から入って直ぐに正室の濃姫様とは。
因みに、信長様を始め御子息、他女子は頂上に住んでおったらしい。

んー。濃姫様だけ違う場所。
此れについては後程…。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

【山城の特徴は山の麓に居館を築く!】

天守閣を始め戦となると頂上に登り敵軍が登ってくる所を反撃するのが定石。
故に戦の戦火に巻き込まれぬように麓にあるのじゃ。

信長様は城郭に独自の拘りがある御方である。
戦の為の城郭しか築かれていなかった時分に「見せる城」を築き上げる。
天守閣、高石垣、豪華な御殿等。上の写し絵(写真)を見て分かる通り金箔瓦が使用される。
近世城郭の姿を岐阜城にも見ることができる。
やはり、信長様は誰も考えつかない傾奇者じゃ!!

【信長様の宮殿】

傾き所
見学したルイス・フロイスによると
一階は一五~二〇の座敷、五、六の庭。二階は奥方と侍女の部屋。三階は茶席。
四階は楼閣故に町が一望できたとか。
余りの豪華さに地上の楽園と称されルイス・フロイスは「宮殿」と呼んだ。
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

儂も一目見てみたかったのう。

何と此処で皆に吉左右(良い知らせ)。
此の宮殿もこの先再建、復元されるやもしれん。
ルイス・フロイスが詳細に此の宮殿について書き留めておったらしく、その資料が異国にあるとか。
これを日ノ本に輸入すれば、それを元に再建、復元が叶うかもしれない。
という話じゃ。

夢が膨らむのう。
さぁ長生きしようか!!
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

此の案内看板で岐阜城の歴史と現状を知り歩みをば進めて参ろう!

次回:岐阜城斎藤時代、織田時代。慶次見分けられるか。 

前田慶次の自腹でお城めぐり、岐阜城

以上

名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益

岐阜城の基本情報
<住所>
岐阜県岐阜市金華山天守閣18 金華山頂
<開館時間>
3月16日~5月11日  9:30~17:30
5月12日~10月16日 8:30~17:30
10月17日~3月15日 9:30~17:30
※開館時間は変更になる場合がありますので、事前にご確認ください。
<休館日>
年中無休
<入場料(岐阜城資料館と共通)>
大人(16歳以上)200円 小人(4歳以上16歳未満)100円
<アクセス>
JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から岐阜バス「N80」高富行きなど長良橋方面行きまたは「市内ループ線左回り」で片道15分。
「岐阜公園・歴史博物館前」バス停下車、徒歩3分の岐阜公園内から金華山ロープウェー3分、金華山ロープウェー山頂駅から徒歩8分。

凸伝令


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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

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