2021/02/08
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第7回】凸彦根城 後編~顔面国宝の天守閣~
お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、徳川譜代大名の筆頭である井伊家が拠点とした彦根城(滋賀県彦根市)の後編。現存12天守の一つに数えられる天守閣や圧巻の高石垣、さらに名勝・玄宮園や城下町まで足を延ばし、見どころや豆知識をたっぷりご案内します。
「前田慶次の自腹でお城めぐり」
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にするが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十一年を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸彦根城 ~でら有名ロケ地!井伊家が誇る名城~
第七回は彦根城!
先ずは、城郭の魅力度を数値化致した。

ほぼ満点に近しき点数!!
近江国を代表とする城であり、天下普請で築かれた徳川四天王の一角、井伊家が誇る名城。
築城期間も長く、戦に対する備えも万全! 井伊家らしく魅せる城というのも忘れておらぬ。
建築物や石垣は中世と近世の良いとこ取り。それが彦根城である!
駅からの距離も遠くもなく、城下町を楽しみながら歩めばあっという間に着陣するし、観光にも誂え向き!
慶次の勧めは秋。紅葉が見事に綺麗なようで思わず見惚れてしまうであろう。
【基本情報】
城郭構造:平山城
主な築城者:井伊直継
築城年:1622年(工事完了)
指定文化財
【国宝】天守閣、付櫓及び多聞櫓
【重要文化財】天秤櫓、太鼓門及び続櫓(1棟)
西の丸三重櫓及び続櫓(1棟)、二の丸佐和口多聞櫓、馬屋
【歴史】
1600年、井伊直政(徳川四天王の一人)は佐和山城を廃し、磯山に新規築城を計画したが1602年に病没。
1603年、息子の直継が彦根城築城開始! 工事は天下普請で引き継がれた。彦根城築城に関わった大名は15人!
後も工事は続けられ1622年全ての工事が完了。
明治維新後、天守を見学した大隈重信が、天皇に保存を奉上。これが認められ保存が決定。
数少ない現存天守閣を持つ人気の城の一角である!
1952年、天守閣と付櫓及び多聞櫓が国宝指定。
平成に入ってから世界遺産登録を目指して精力的に活動。
江戸時代に突入してから築城された彦根城。徳川譜代大名の筆頭である井伊家が拠点とした城郭にはどんな見所があるのか。
また、現世においても多くの者達を魅了する人気の城郭。
世界遺産登録に向けて活動的であるのも魅力的である。
では、いざ彦根城へ出陣!
おうーーーーーーーーー!!!!
【前回のあらすじ】
遂に彦根城へと入城し全国的にも珍しい石垣に心躍らせ、
彦根から全国で活躍する「ひこにゃん」にも出会い幸先良い取材の前田慶次。
登り石垣、腰巻石垣、表御殿。どれももそっと見ていたいが、彦根城の見所は多い!
天守閣を目指して石段を登り始める。その先に待ち構える城郭の魅力とは…?
天守閣・櫓門・高石垣・庭園・城下町と永久保存必須!?
【表門券売所から続く石段の先は】
表門券売所から入城し石段を登り切ると櫓らしき建築物と其れを支える壮大な石垣が目の前に。
この景観は…儂も見覚えがある。もそっと近こう寄ってみようぞ。
(儂も地図を片手に巡る。城郭は地図があった方が何倍も楽しく巡れるぞ! 入口で入手せよ)
【天秤櫓を支える築城当時の石垣】
見よ!!! この壮大な石垣をば!!
江戸時代初期に多く用いられた牛蒡(ごぼう)積みの石垣である!
ご覧の高さは江戸期に入ってからの技術でいつ築城されたかは石垣が指標となり易いぞ!
天秤櫓は彦根城最大の見所でもある!
坂道に面している部分は多聞櫓の角を二重櫓にして固い守りにしておる。
名前の由来も面白い櫓である。後ほど伝える!

【ここは聖地】
現世では絵巻(映画、ドラマ)作品に使用されたロケ地という場所は聖地と呼ばれる。
正しく彦根城の此の景観こそ、「あ!見たことある!」と声を漏らした者も少なくないはず。
儂の知る限りでこの画角であると
『映画 信長協奏曲』にて信長様が京へ出立する折に池田恒興殿が見送る場面に候。
うむ。熱い! 熱い場面である! 思わず儂も浮かれた。
廊下橋は戦の時に落とせるようになっておる。
敵軍の侵入を防ぐためである!

【男前田と石垣】
聖地巡礼も兼ねて城巡りするのも現世の楽しみ方!
して、聖地だけでないのが此の彦根城の魅力ぞ!
この天秤櫓を支える石垣は打込み接ぎだけでなく、違う石の種類と積み方が御座る。

【天秤櫓の石垣】
先程の打込み接ぎとは形状が違う石垣であろう?
此れは「落とし積み」という石垣である。
江戸時代後期に改修した折にこの石垣に変えたのじゃ。
故に上部とも違うであろう?
上部が打込み接ぎで中断から下段が落とし積み!

【天秤櫓の由来】
先程記述した多聞櫓の角を二重櫓にしておるが、
此れが左右非対称となっておる為「天秤」と命名された。是非刮目してもらいたい!!

【最も早く完成した曲輪】
こちらは鐘の丸と呼ばれる曲輪(区画)である。
元々鐘楼(しょうろう)と申す鐘を鳴らす施設があった為鐘の丸と呼ぶ。
此処には「大広間」や「御守殿」が建ち藩主を始め政の中心と言える場所であったが、
江戸時代1753年に解体。江戸へ移設され彦根藩江戸屋敷の広間に使用された!
時代と共に建築物の解体はよくある話。
江戸時代になると移築先が江戸にある屋敷にしたのは、
徳川譜代家臣としての家格を見せつけるような意味合いがありそうじゃ!!

【天秤櫓を抜けて本丸を目指す】
大手(正面)から見た天秤櫓は多聞櫓故に壮大な景観となっておる!
この橋も映画やドラマでよく登場する故に思わず写し絵を撮りたくなるであろう?

【絵になる前田慶次】
うむ。ご覧の通りじゃ! 皆も一枚収めるが良い!
見え方によっては天守に感じなくもない。見事!

【太鼓丸】
天秤櫓を通り抜けると太鼓丸(曲輪)に突入!
見よ。この石段に隅々まで拘りを見せる石垣をば!
「不揃いな石段」は進行してくる敵の視線を足元に向ける為である。
緊張感ある戦であると視線を散漫させる事で籠城側が有利に事を運べる。
足元に気を取られている間に上空から攻撃を仕掛ける! 雨の中であると転倒もしやすい。
地味であるが「効果的な守り」である!

【前田慶次は転ばない!!】
とは申せ、儂ほどになればこの手の策は見切っておる!
基本は櫓等の窓に注意しながら行軍するのじゃ!
石段は勘で登る!!!

然りながら!
ご覧の通り登るので此の疲れよう!
此れが彦根城の地獄の石段!! 敵の体力を消耗させる。此度は着物であるが甲冑と思うと…。
戦となれば戦い乍ら登るとなると、主等に此の城郭を攻め落とすだけの体力はあろうか?
して。まだ本丸に辿り着かない城郭の広さに前田慶次戦意喪失…。
目の前の茶屋で一休みしようとしたのは此処だけの話。
が。目の前に見えるのは!

【彦根に響く鐘の音】
元々鐘の丸にあったが、岩盤に反響して鐘の音が割れることが多かった故に
城下一帯に響き渡たらせる為に2代藩主井伊直孝の長男・直滋(なおしげ)が
彦根城内と城下に伝令を告げる手段として此の時報鐘を此処に移した!
因みに直滋は徳川将軍秀忠・家光父子に寵愛を受けて育っており、
家光は直滋であれば100万石やってもいいと口にしていたとか。
また、現在現存する此の鐘は12代藩主井伊直亮(なおあき)が
惜しみなく小判を流し込んで作った為に通常の鐘よりも音色が美しいそうじゃ!
此度は聴くことが叶わなんだが、定時に鐘を鳴らしておるそうじゃ。

太鼓丸側

謎が多い?【太鼓門櫓及び続櫓】本丸側
こちら国の重要文化財に指定される。太鼓丸から本丸の虎口(出入口)が此の門!
つまり重要な守りである!
城内合図の太鼓を置いたところから太鼓門櫓と命名。城郭として珍しい造りとなっておる。
本丸側の背面は解放され「高欄付きの廊下」となっておる(高欄=手すり)。
廊下となっておるのも非常に珍しい造りであって、
一説には太鼓の響きを良くする為とも言われておる。
此の櫓門は今尚謎と言われておる事がある。
櫓門は移築されてきたもので、どこからやってきのか謎であるそうじゃ。
解体修理等で調べても分からず。どこかの城門を移築したものらしい。
縁起担ぎで有名な城郭から引っ越してきたのか?
分かる日が楽しみであるし、それが分かれば新たな関係性も見えてくるやもしれん。
櫓門前で大興奮の儂であるが
気付けば本丸に突入!!!
ちゅうことは!!!

【国宝天守閣】
ようやく彦根城天守閣に着陣に候。
本丸の曲輪にはかつて天守閣以外の建築物が建っていた。
藩主の御殿である「御広間=表御殿の前身」や
「着見櫓=兵の着陣を見る櫓」が連ねており今とは景観も違った。
より詳しく案内する前に…
ここで恒例の天守閣男前田度(イケメン度)を発表!
彦根城天守閣男前田度は…

97点!!!
三重三階の天守閣は天下に其の名を轟かせた江戸、大坂、名古屋に比べれば小ぶりであるが、
顔面国宝とも言える外観が見所!
先ずは屋根「切妻破風(はふ)」「入母屋破風」「唐破風」を多様に備え付ける。
現世で申すところの小物使いが巧!
此れは数多くとも見事に収まっており、お洒落上級者コーディネートと言えよう。
また、2階3階には「花頭窓」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせ徹底的に外観に力を入れて、
ビジュアル先行な容姿は現世のアイドルに匹敵する天守閣!
また斯様な天守閣は僅か3年程で完成しておる。
建築には多くの一流の人間が関わっていたことが分かる。
面白き点は、江戸期の城乍らも望楼型という古き形式を取っておったり、
高欄を付けたりと独自の拘りが見られ傾いた城である!
城郭界の顔面国宝アイドル級彦根城は97点と言う高得点! 彦根城男前田!!
※天守閣は元々5階4重の旧天守閣を移築したものであるとも言われる。
彦根城の天守閣が大津城の天守閣を移築した可能性があるそうじゃ。この先解明されれば夢の100点か?
では中にも突入じゃ!!

【黒鉄門】
天守閣の中には黒鉄(くろがね)でできた強固な門が御座る。徹底抗戦の意気込みが見られる。
【現存の醍醐味】
階段と言えよう。
現世の者は斯様な急勾配な階段は中々登る機会がないようじゃからな、現存天守閣で体感致せ!
儂はいつもの如く3秒で上り下りをするぞ! ワッハハハハハ

【窓からの景観】
天守閣は守りの要。多くある窓や狭間(さま。鉄砲・弓を放つ穴)からの景観を見ることは必定。
隠れ場所はないか? 何処からでも狙撃できるのか?
守り手の気持ちで見下ろしてみよ。

此れ何か分かるか?
【破風の中】
実は破風の中で御座って人がこの中に入って狙撃をするわけじゃ!
また隠し部屋でもある故に敵を待ち構えたりと用途は一つに限らぬ。4.5人は入る!
装飾の意味もある破風であるが、見惚れておると攻撃を食らうぞ!?

【玄宮楽々園へ】
天守閣を後にし搦手(裏側)から下城を始める。
まだまだ見所が御座り庭園である玄宮園(げんきゅうえん)を目指す。

【井戸曲輪から降りる】
天守閣搦手(裏側)に井戸曲輪がありここから下城。
見ての通り壮大な景観と共に石垣の強固さを見ると、
やはり【天下普請】の名の下で築城された城というのが頷ける。
【井戸曲輪は籠城戦の要?】
鐘の丸→太鼓丸→本丸も見所が多くあったが、井戸曲輪からの眺めも見事である。
斯様に石垣の見せ方が工夫されており、より高く見えるように段差を利用して築いておる!
また、井戸曲輪は黒門から本丸に向かう途中にある小さな曲輪に候。
塩櫓があったり、雨水を浄化して貯水する井戸があった。
籠城戦において必要不可欠な備えがこの曲輪にあったが為に、もし戦があらば兵の数も多く割いたであろうな。
石垣が見所の井戸曲輪。石垣好きには堪らぬ高石垣を目にすることができる。
やはり、城内で最も高い石垣も気になる。
彦根陣営(彦根城スタッフ)に聞けばこの先にあるらしい。
主等にも見せてやろうぞ。

此処じゃ!
儂が手を指す高石垣が彦根城で最も高いらしい。
読者「凄い! でも慶次様遠いですよ。」
慶次「もそっと近くで見たいであろう?」
此度は取材戦と言うことで、入れぬ空域に特別に入らせてもらった。
それがこちら!!

【高石垣】
彦根城井戸曲輪の石垣は10メートルを超える高石垣が連ねる中で
下方の此の高石垣は何と19.4メートルだそうじゃ!!
六尺(182センチ)の儂と比べても此の高さ。驚きの技術である!
石垣好きならば井戸曲輪から中々抜け出せぬやもしれんぞ?
丘から降りて参って我は玄宮園へ。

丁寧に案内看板が玄宮園の道を教えてくれる!

【名勝 玄宮楽々園・槻御殿】彦根城の大名庭園
玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭(けやきのおにわ)」と呼ばれた。
隣接する楽々園が槻御殿と呼ばれ、1951年に国の「名勝」に指定。
庭園部分を玄宮園、御殿部分を楽々園と呼び申す。
因みに玄宮園の由来は、古代中国の宮廷の名によって命名されたと言われておる!
見事な回遊式庭園である。
当時園内には4つの茶屋で御座って、茶会を度々開催して武家の交流の場となっておった!
四季の景観を巡るのが此処は良さげじゃ。
見所は秋の紅葉!

【槻御殿=楽々園】
現在は楽々園と呼ばれる槻御殿であるが、彦根城の二の丸御殿である。
当時は下屋敷としての利用と同時に「隠居場所」として使用された!
11代藩主井伊直中の隠居時に大改築を行い、現在の建物の10倍の大きさを誇った。
慶次「倹約の時代に大胆な事をしたのものじゃ。金銭の余裕が無ければできぬこと故に、彦根藩は潤っていたのであろう?」
槻御殿は平成17年から保存修理を進めておる。

中も覗くことが叶う!
見ると不思議に思うことが御座った。
慶次「井伊家の御殿にしては格式が低くなかろうかと」
御殿等の格式は【天井・壁画・欄間】等々が石高や地位を考えると低目に築城されておる。
下屋敷の表書院が奥向きの御殿ということで「くつろぐ場所」であったことを示す。
庭を愛でる為であろうな。

【復元水田】大名庭園に水田?
玄宮園には水田が御座って江戸期の絵図にもよくよく残っておる!
江戸時代の水田に戻すべく復元作業が平成の世から進められておる。
慶次「実は大名庭園に水田が意外とあったりするのじゃ」
水田=神事である。
五穀豊穣を願って藩主自ら田植えを仕切ったりすることで、
うちの殿様は国の事を第一に考えておられる…と見せた!
庭園には茶屋等の趣味を楽しむ空間でありながら、
家臣達の前で藩主が皆の事を考えておるぞ!というパフォーマンスの一部でもあるのじゃ!
さぁちゅうことで彦根城の見所を余すことなく紹介して参った。
城巡りは此れで終わらぬぞ?
旅の付き物は飯である!
此の彦根城城下町で人気の店を巡って参るぞ!

【夢京橋キャッスルロード】彦根城京橋からすぐ!
彦根城城下町で有名なこの地は白壁に黒格子の和装建築が立ち並び城下町の雰囲気を大切にする。
食べ歩きや工芸品様々な店が皆の心を躍らせる!
多くの店がある中で、儂が巡って参るのは…

【創業宝暦6年(1709年)】
政所園は日本茶老舗の店で江戸期から続く名店に候。
茶を活かした甘味が民の舌を唸らしておると聞き、舌の肥えた武将前田慶次がいざ、実食也!
店の中は白壁が美しく清潔感溢れる店内。
(ひこにゃんは皆から愛される)
自慢の茶を使った甘味が出てくるのが待ち遠しい。

【かき氷】
見よ! 此れが政所園の大人気甘味かき氷である!
傾奇者の儂に相応しい大きさと共に茶人心をくすぐる艶やかな抹茶色は食欲を掻き立てる。
茶×小豆の組み合わせは、前田慶次×主槍に匹敵する!
ちべたい甘味故に夏に誂え向きであるのは無論のこと、季節問わず食べたくなる!
癖になる美味さが此処にある!
【抹茶のソフトクリーム】
更にソフトクリームなる甘味もある!
此れは抹茶の濃厚な味を堪能することができる!
双方食したが、儂の勧めは。両方である!
皆も両方食べると良い! 食べ歩きもできる故に、食べながら城下町を散策するのも楽しかろう。

【茶の土産】
店内には茶の土産も多く揃えておる。
旅に参ったらば、国に帰り友や家族に土産を渡すのも一興。茶は健康食品である。
様々な茶がある故に好みの茶が見つかるであろう。
して。まだ腹が減る儂は彦根と申せば。あれであろう?
求めて突撃!!

【近江や】将軍御用達の近江牛?
ドドン! こちらは近江牛を気軽に楽しめる「近江や」である!
「近江牛たたき丼御膳」近江牛たたき丼にサラダ、味噌汁、漬物のついた御膳である!
愛らしくひこにゃんが装飾されておる!
何やら近江牛とやらは、江戸時代において将軍家に献上する程の名肉であったそうじゃ。
故に今もそれが続き、人気のご当地名産品となっておる。
ローストビーフなるものは初めて食したが、誠に美味であった。
ご覧の通り肉は赤見色を残し井伊家の赤備えを想像させる色合い。
さぁ此度の連載「彦根城」は如何であったか?
尾張国からも電車なる鉄籠を利用すれば日帰りで参れる。
城下町も魅力的で御座って友や恋人とも楽しめる!
何より城郭としての見所が多く一日楽しめる城郭である。
一生のうちに訪れるべき城郭として前田慶次勧め。
中世と近世の魅力を併せ持つ彦根城へ、いざ参れ!
【残金】
自腹で巡る我が連載の残金は70253円となる。
次回はどこの城郭に参るか楽しみに待っておれ!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
<住所>
滋賀県彦根市金亀町1-1
<アクセス>
JR東海道本線「彦根駅」から徒歩約10分
凸伝令

前田慶次Twitter https://twitter.com/keiji_bushotai?lang=ja
公式ホームページ https://busho-tai.jp/
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)











