日本100名城

たかまつじょう

高松城

香川県高松市

別名 : 玉藻城
旧国名 : 讃岐

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高松城
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todo94

桜御門 (2023/10/28 訪問)

造田城の後、献血ルームオリーブでの献血前の攻城です。目的は再建相成った桜御門。中にも入れたし、パンフレットも手に入って言うことありません。献血の予約時刻までたっぷりと時間があったので和船玉藻丸の城舟体験も狙ってみましたが、生憎、すべての枠が埋まってしまっていました。桜御門に時間をかけすぎた所為かもしれません。城舟体験はまたの機会の楽しみに取っておきたいと思います。

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tp.etsu

お堀にかかる橋… (2023/06/23 訪問)

お仕事の間に散策。
有料公園の中にあるので、とても綺麗に整備されてました!

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にのまる

雨の公園散策 (2023/05/29 訪問)

屋島城からはJRではなく琴電を乗り継いで高松に戻り、“高松築港駅のホームから鞘橋を見てみたい”という5年前の自分の願いをかなえてあげました。
ホームすれすれにある石垣にはがっちりネットが張られ、内堀の説明板もありました。
18時近かったので玉藻公園は翌日まわしのつもりでいたのですが、なんとなく西門に向かうとまだ開いている!!
日の出~日没が開園時間らしく、西門の開門時間は年間8パターン。(東門は2パターン)
この日の閉門は18:30で、まだ40分近くあったのでそのまま入園しました。
【平日・閉園時間間近・雨】というお城独占の好条件が揃った40分。
青天下とはまた違った趣のある石垣をゆっくりと味わいました。
そして念願の桜御門。
2階展示室は曜日も時間も限られており入れませんでしたが、堂々と構える姿はドキドキするくらいかっこよかったです。
国宝(当時の国宝保存法に基づく)指定内定の翌年に空襲により焼失してしまったという悲運の門はそれを支える石垣にも焼け焦げた跡が残ります。門の復元にあたって割れ・ヒビを接着して再利用したり、割れた石を加工したり、また新しい石材と交換したりなどして、石垣の修理だけでも6年の歳月が費やされているそうです。
ここのほかにも空襲の跡の残る石垣が随所に見られます。かつての建造物が復元され新たな歴史を刻み始めたお城の歩みを平和な世の中でずっと見られたらいいなと思いました。
入園チケットのデザインも移築現存の艮櫓の写真から天守台~桜御門~月見櫓まで見渡せるものに変わっていました。
月見櫓は改修工事中。大手にあたる東門が閉門時間を過ぎていたため旭橋をわたれなかったなどもありました。また、公園内を歩いただけでは理解しきれない部分も多いですが、堀で泳ぐ魚に心を奪われていた前回よりは考えながら見られたのではないかと思います。

赤い城さん
国替えお疲れさまでした。
置き土産のように関東のすべての登録城に足跡を残してくださったので今後の登城に役立たせていただきます。ありがとうございました。
四国には今後も行くことがあると思いますので情報をお願いいたします。

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はたけ

玉藻公園 (2023/07/06 訪問)

天守閣が再現されるといいですね

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概要

豊臣家臣の生駒親正が海城の基礎を固め、後に松平頼重・頼常父子が近世城郭へと改修。城の北側は海に面し、東西2カ所から海水を引き込んだ三重の堀が曲輪を囲んでいる。舟入を2カ所備え、舟の出入りを監視する月見櫓(着見櫓)や、海の大手門にあたる水手御門など、海城ならではの造りが見られる。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 天正18年(1590)
築城者 生駒親正
主要城主 生駒氏、松平氏
文化財史跡区分 国重要文化財(北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓、旧東の丸艮櫓)、国史跡(高松城跡)
近年の主な復元・整備 松平頼重、松平頼常
天守の現況・形態 独立式層塔型[3重4階地下1階/1669年築・1671年改/破却]
主な関連施設 御殿、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、門、櫓、渡櫓、石垣、横堀(水堀)
住所 香川県高松市玉藻町2-1
問い合わせ先 高松市教育部文化財課
問い合わせ先電話番号 087-839-2660