おぎゅうじょう

大給城

愛知県豊田市


旧国名 : 三河

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本丸石垣
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POYO58

水の手曲輪を忘れるな! (2024/06/01 訪問)

ということでめっちゃくちゃ久しぶりの投稿となってしまいました💦
みなさんお久しぶりです。POYO58です。
ということで2ヶ月前に行った大給城を紹介したいと思います。
大給城は長坂新左衛門が1460年ごろに築いたのが始まりですが、その後は松平信光をはじめ、松平家が支配することとなりました。なのでかなり古いお城ではありますが、国指定史跡となっています。
古いお城といっても遺構はなかなか見応えがありました。
三郭に行く手前には大きな堀切があり、石垣が少しありました。三郭の入り口には虎口が設けられており、サイドに石垣と櫓台が残っています。なんとこの時代から石垣があり、さらにはサイドの櫓で敵を阻む防御が素晴らしい👍
三郭には土塁が残り、郭を囲んでいます。二郭に行くと高ーい石垣と低石垣があり、その横を通っていくと本丸に辿り着きます。石垣があるせいで道が少し狭くなってます。本丸にも石垣が残っておりなかなか見応えのあるお城でした。
ただものすごく残念なのが水の手曲輪を見忘れてしまったことです。このお城には今でいうダムの役割をする水の手曲輪があるのですが、それを見れませんでした。まあ理由は暑かったのと虫と蛇にビビってたことですね。その前に鳥羽城に行ったときや、宇陀松山城で大きな蛇に遭遇しているのですごく怖くなってしまい… 今は道けばよかったなと反省してます。行けたら冬に再攻城しようと思っていますが、受験が近づいてるので行けないかな…
まあこんな感じですね!ぜひ行ってみてください!
評価★★★☆☆

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T-Shionoya

大給城で謎の石垣巡り (2024/03/01 訪問)

翌週の千田先生の講演に備え訪れた愛知県豊田市の大給城。

三河の山間部の巨岩が露出した標高204mの山に築かれた城。
西側を流れる巴川沿いの九久平は、小さな平地ながら足助街道と新城街道が交差するポイント。

1470年頃に長坂新左衛門の城を松平信光が攻略し、その孫と伝わる乗元から大給松平氏6代が居城とした城。
1584年頃に細川へ移住した以降は記録がないが、今見られる石垣はそれ以後に築かれたと考えられるとのこと。

現在は松平氏遺跡の1つとして整備された国の史跡。
実際に訪れてみると、乗元の墓を経て案内板の"現在地"に到着。そこは城の東門で、土橋状部分の北面にも石垣が存在。その虎口に入らず北へ進むと、石垣を擁した堀。
戻って東門から曲輪2の南を通り、館跡と推定される曲輪3へ向かうと、この北側にも隠れた石垣が点在。
土塁に囲まれた曲輪2から北へ下ると、大給城最大級の石垣であり謎でもある2段の水手曲輪DとE。
最後に頂上の曲輪へ上がると、北側虎口は枡形タイプ。また石塁で東と西に仕切られており、その石塁は南側で西側主郭の虎口も形成。

期待以上の城跡で、滞在時間は3時間。
見どころ満載の石垣の山城が、私の城郭巡りの176城目となりました。

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ぴーかる

大好き要素盛り沢山の城跡 (2024/01/27 訪問)

【大給城】
<駐車場他>大給城址駐車場
<交通手段>車

<見所>堀切・巨岩・石垣・虎口跡・水手曲輪・主郭
<感想>日帰り松平郷の旅1城目。サブタイトルはトヨタ車以外でトヨタ市の城跡攻めたるぞ!旅。
 第11回 日本100名城、続日本100名城に負けない名城の大給城にいきました。
 夜明け前に到着し、持参した兵糧(朝食)を食して明るくなった7:00過ぎから登城しました。松平乗元墓所に参詣し墓所の東奥にある巨石に乗って暫し楽しむ。反対方向の城跡に進んで城跡の東側から入ります。城跡はおおまかに東西に伸びる尾根を削平して尾根上に主郭・副郭・腰曲輪を置いて、尾根の南北に帯曲輪、北斜面に水手曲輪を配置し、南斜面に居館曲輪を置いています。城の東と西端を巨大堀切で城を仕切っています。水手曲輪2基は特集の記事でダムのような石垣とありましたが、これはもうダムといってもいいスケールの見応えで圧巻です。古代山城の城門跡(大野城跡)の石垣遺構のようにも似ています。
 主郭は記事通り東西に広く、仕切り石垣で東西を仕切っていますが北虎口と繋がっている感じです。南虎口には方形の石垣の櫓跡があります。主郭北側壁は全面石垣ですがかなり土を被って見えづらい。算木積み未発達の隅角石積み見応えありです。
 巨岩は水手曲輪の西側と主郭の西側から多く点在しています。主郭の西下段に巨石に囲まれた削平地があり巨岩壁に囲まれ圧倒されそうです。
 特集では東端を区切る堀切が城内一大きいとありましたが、実際見て、主郭に西側を区切る堀切の方が巨大と感じました。大堀切へは南の居館跡の北西隅の通路から入れます。主郭西側の巨岩群がそのまま堀切まであって、城跡側の堀面全体が巨岩壁になっています。マイベスト堀切でした。
 何故続百名城に入れなかったのだろう。私的にはごめんなさい、愛知県続百名城の古宮城より断然に見応えがありました。

<満足度>◆◆◆

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くうくう

特異な水ノ手がある大給松平氏の居城

長坂新左衛門が館城として築いたものを松平信光が奪い、忠親の次男乗元に与えた。乗元とその子乗正が永正7年(1510)頃までに大改修した。乗元は大給松平の祖として祀られ城の東に墓がある。天正18年(1590)家康関東移封に伴い廃城した。
天然の巨石を利用した主郭を中心とした素朴な山城の縄張りを持ちながら、大規模な城域、東西北にそれぞれ大きな堀切、谷筋には石積でつくられた堤防のある水ノ手曲輪、主郭副郭を区切る石塁など目を見張る遺構もある。とても永正時につくられたものとは思われず、また松平氏の城郭では突出した石積みがあるなど、謎が多い。また大給松平氏そのものも不明点がある。松平3代信光4代忠親と整理され、後に大給松平氏が4家の大名家を排出したことなどで、ゆがめられた歴史もあるのかな、と思う。今後の遺構の評価、詳細な歴史の解明が期待される。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 長坂新左衛門
築城年 15世紀後期
主な城主 大給松平氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、石垣、堀切、櫓台
指定文化財 国史跡(松平氏遺跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県豊田市大内町城下
問い合わせ先 松平観光協会
問い合わせ先電話番号 0565-77-8089