翌週の千田先生の講演に備え訪れた愛知県豊田市の大給城。
三河の山間部の巨岩が露出した標高204mの山に築かれた城。
西側を流れる巴川沿いの九久平は、小さな平地ながら足助街道と新城街道が交差するポイント。
1470年頃に長坂新左衛門の城を松平信光が攻略し、その孫と伝わる乗元から大給松平氏6代が居城とした城。
1584年頃に細川へ移住した以降は記録がないが、今見られる石垣はそれ以後に築かれたと考えられるとのこと。
現在は松平氏遺跡の1つとして整備された国の史跡。
実際に訪れてみると、乗元の墓を経て案内板の"現在地"に到着。そこは城の東門で、土橋状部分の北面にも石垣が存在。その虎口に入らず北へ進むと、石垣を擁した堀。
戻って東門から曲輪2の南を通り、館跡と推定される曲輪3へ向かうと、この北側にも隠れた石垣が点在。
土塁に囲まれた曲輪2から北へ下ると、大給城最大級の石垣であり謎でもある2段の水手曲輪DとE。
最後に頂上の曲輪へ上がると、北側虎口は枡形タイプ。また石塁で東と西に仕切られており、その石塁は南側で西側主郭の虎口も形成。
期待以上の城跡で、滞在時間は3時間。
見どころ満載の石垣の山城が、私の城郭巡りの176城目となりました。
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