知覧城の続き(3/3)です。スタンプを押すために、知覧城からさらに西へ20分歩き「ミュージアム知覧」に着きました(写真①)。ここには、知覧城の模型や佐多氏の武具なども展示されていました(写真②③)。
しかしここまで来たら、やはり隣接する「知覧特攻平和会館」に立ち寄らないわけにはいきません。ここにはかつて、陸軍太刀洗飛行場の分校として知覧飛行場があり、昭和20年(1945年)4月~6月にかけて、439人の若者が特攻隊員として、ここから沖縄へ向けて飛び立ち還らぬ人となりました。この平和会館にはその全員の遺影と遺書などが展示されています。大変多くの方々が見学に訪れていました(写真④⑤⑥)。今年(2025年)は、これらの方々が飛び立ってからちょうど80年目の節目にあたります。これまで日本に80年間続いた平和が、これからも永遠に続く事を祈りたいものです。
帰りはここから鹿児島市内へ戻るバスには乗らず、反対方向の喜入行きのバスに乗り、そこからJR普通に乗り換えて指宿へ行き(写真⑦)、指宿から乗ってみたかった特急「指宿のたまて箱」号に乗って鹿児島中央駅へ戻りました(写真⑧)。この列車はちょっと変わっていて、座席がすべて東を向いています。つまり全席から錦江湾と桜島の景色が見えるようにしているそうです。何と気が利くアイデアですね!(写真⑨⑩)。
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