続日本100名城

ちらんじょう

知覧城

鹿児島県南九州市


旧国名 : 薩摩

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知覧城
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しんしんちゃん

シラス台地に築かれた独特の構造の城。兵は各城を死守するべし。 (2023/01/05 訪問)

知覧城は平安時代末期の郡司、知覧忠信によって築かれたと伝わります。
室町時代、足利尊氏の指示で島津氏三男、佐多忠光が城主となります。
城は11代当主の時代に謎の出火で焼け落ち、城としての機能を失っていたようです。
佐多氏は江戸時代に入ってからも、そのまま知覧を治め16代の時に島津性の使用を認められます。
知覧麓には国指定名所の武家屋敷庭園が多数あります。
佐多氏の私領であるはずですが代官所である知覧麓仮屋があります。
そのあたりの経緯も知りたいですね。
知覧城はシラス台地が雨による浸食で削られ各郭が完全に独立した構造になっています。
城域に入ってすぐに大堀切が通路の役割をしていて
本丸の西に蔵の城、本丸の南に今城、その西に弓場城と城の各郭がほぼ
完全に独立しています。本丸から蔵之城へ行くことはできるのですが
各郭同志の連携はほぼ不可能です。
城を構成する郭に城の名がついているのは薩摩の国の特徴ですが
援軍を期待せず、ここを死守しろという意味合いにも取れます。
死ぬまでここを守れということでしょうか。
薩摩藩各地に存在した麓の城は本城を守るために時間を稼ぐのが、
お役目だったのかもしれないですね。
さて、ここまできたら知覧特攻記念館に行かない手はありません。
私は登城前に訪問しました。
時間があったら国指定名勝の知覧麓もぜひ訪れてください。



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前ちゃん

春旅2にちめ (2023/03/13 訪問)

天文館バス停〜特攻観音へ。ミュージアムでスタンプを押し、特攻平和開会見学後、知覧城へ(徒歩)

道中自販機でペットボトルの水を購入。もう一本とDAKARAを購入したが、古い自販機なのかお金だけ吸い込んで、商品が出てこないアクシデントに見舞われ「水以外欲してスミマセンでした」と天に謝る。
知覧城を見学後、武家屋敷群まで歩き、再びバスで天文館へ帰還

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るるパパ

見たことない形で感激です。 (2022/10/24 訪問)

城が4つ、それぞれ独立してあり、深い堀に囲まれています。高低差30メートル以上あると思います。段を重ねて上から防御するのが普通なのに、1つ1つが独立(孤立?)することに、どういう意味があるのか、興味深いです。色んな城があるなあと興奮しました。ちょっと小幡城的個性を感じました。

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カズサン

知覧麓武家屋敷庭園廻り (2009/04/18 訪問)

 知覧城の認識も数拾年前からシラス台地を掘り刻んだ群郭式城郭と認識して居ましたが、出張などで鹿児島を訪れても、知覧航空隊基地、知覧武家屋敷群を見学するだけで知覧城に辿り着けませんでした。
 
 今回定年退職月に鹿児島工場、協力企業、特約店の挨拶回りに鹿児島出張、13年前の平成21年4月中旬時間の余裕も有り知覧城の攻城をレンタカーで試みましたが、良く分からず知覧航空隊基地と知覧役場を往復するだけ、今回も知覧麓の武家屋敷群、国の重要伝統的建物群保存地区に成って居ますので、屋敷群の雰囲気も良く名勝庭園を廻まり写真を撮りました。
 
 知覧麓ですが知覧城で投稿致します。又映画ホタルで有名に成った特攻の母、富屋食堂の建屋も写真に撮りましたので掲載します。

 尚、平成28年10月知覧城登城出来、令和2年1月に城びとに投稿させて頂きました。

 

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城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 平安時代後期
築城者 知覧忠信
主要城主 知覧氏、島津氏、伊集院氏、佐多氏
文化財史跡区分 国史跡(知覧城跡)
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀
住所 鹿児島県南九州市知覧町永里知覧城内
問い合わせ先 南九州市教育委員会事務局教育部文化財課
問い合わせ先電話番号 0993-83-4433