続日本100名城

ちらんじょう

知覧城

鹿児島県南九州市


旧国名 : 薩摩

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知覧城
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ヒロケン

シラス地形を代表する城跡 (2025/08/12 訪問)

知覧城は南九州の直立した崖をなすシラス地形を利用して築城された城で、なかでも最も保存が良く、規模も南北800m、東西900mと大きく南九州のシラス地形を利用して築城された、城としては代表格の城郭です。
知覧城は標高170mの台地上を刻む侵食谷を利用して約40mの切り立った崖の上に、本丸、蔵ノ城、今城、弓場城の4つの独立した郭で画されており、その4つの画された郭の周囲を約30m~70mの大空濠(蔵ノ城と式部殿城の間は自然谷)で囲み、更にその大空堀の周囲を栫(かこい)と呼ばれる9つの郭で囲まれています。
知覧城跡はシラス地形特有の直立した崖によって各郭が守られており、その険しさは来る者を圧倒しています。

今回、空路で鹿児島初上陸。今までの城巡りは全て車での移動でしたが、今回時間の都合と体力的な都合で、中部国際空港セントレアから鹿児島空港まで空路、鹿児島空港からレンタカーを利用させてもらいました。良かった点は時間の短縮が出来予定していた城・観光地巡りが出来た事(*^▽^*) 悪かった点はコストと人吉城への再訪が出来なかった事(>_<)ですね。

知覧城に立ち寄る前に、知覧ミュージアムに立ち寄り続100名城のスタンプ頂き、その横にある以前から興味を持っていた知覧特攻平和会館に寄り会館を見学、特攻される方の遺書や手紙、遺品、語り部のビデオなどを見聞きし、目頭が熱くなりました。自分がその時代に生まれ同じ境遇であれば、愛する者の為、家族の為、国の為に自分の命を犠牲に出来るだろうか(・・?考えさせられる旅となりました。

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トク

知覧城(3/3):周辺観光 (2025/02/23 訪問)

知覧城の続き(3/3)です。スタンプを押すために、知覧城からさらに西へ20分歩き「ミュージアム知覧」に着きました(写真①)。ここには、知覧城の模型や佐多氏の武具なども展示されていました(写真②③)。

しかしここまで来たら、やはり隣接する「知覧特攻平和会館」に立ち寄らないわけにはいきません。ここにはかつて、陸軍太刀洗飛行場の分校として知覧飛行場があり、昭和20年(1945年)4月~6月にかけて、439人の若者が特攻隊員として、ここから沖縄へ向けて飛び立ち還らぬ人となりました。この平和会館にはその全員の遺影と遺書などが展示されています。大変多くの方々が見学に訪れていました(写真④⑤⑥)。今年(2025年)は、これらの方々が飛び立ってからちょうど80年目の節目にあたります。これまで日本に80年間続いた平和が、これからも永遠に続く事を祈りたいものです。

帰りはここから鹿児島市内へ戻るバスには乗らず、反対方向の喜入行きのバスに乗り、そこからJR普通に乗り換えて指宿へ行き(写真⑦)、指宿から乗ってみたかった特急「指宿のたまて箱」号に乗って鹿児島中央駅へ戻りました(写真⑧)。この列車はちょっと変わっていて、座席がすべて東を向いています。つまり全席から錦江湾と桜島の景色が見えるようにしているそうです。何と気が利くアイデアですね!(写真⑨⑩)。
 

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トク

知覧城(2/3):本丸・蔵之城・弓場城・今城 (2025/02/23 訪問)

知覧城の続き(2/3)です。武家屋敷群を抜けて県道232号の緩やかな坂を30分程歩いて登ると、知覧城に到着です(写真①)。知覧城は主に本丸・蔵之城・今城・弓場城の4つの曲輪からできていました(写真③)。曲輪にもこのように城の名前をつけるのは島津の特徴です。またそれぞれが大きな堀切で遮断されていて、その大きさには圧倒されてしまいます(写真②)。発掘調査では本丸の堀切は7mあったそうです。しかもV(薬研堀)でなくほぼ垂直凹で深く掘られているのが分かると思います。このような掘り方も島津の特徴です。これでは敵は絶対に登れませんよね。さらにこの土はシラス(火山灰)でできているので、とてもよく滑ります。よごれてもいい靴で来られる事をオススメします。特に雨の日に来たら見事に滑りこけ、服も汚れますので御注意を!(笑)

本丸の階段を登ると、虎口は折れ曲がっていました(写真⑤⑥⑦)。本丸には顕彰碑が立っていて、回りは土塁で囲まれていました(写真⑧)。他の曲輪も同様に、全て折れ曲がった虎口で作られていました。

蔵之城は階段を登ると敵を欺く「行止まり虎口」になっていました(写真⑨)。つまり登ってきた敵はここで行き場を失い、そこで一網打尽! よくまあここまで考えつくものです。また大きな建物が建っていたようで礎石跡がありました(写真⑩)。その名の通り蔵があったのでしょうか? 発掘調査でここからは青磁器なども出土したようです。

次は(3/3)に続きます。スタンプ場所はここでは無いので、さらにそのスタンプ場所まで歩きます。
 

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トク

知覧城(1/3):武家屋敷 (2025/02/23 訪問)

ちょうど私の少し前に、偶然にのまるさんも訪れられていたようで、少しダブった投稿になってしまい申し訳ありません。私は逆で、武家屋敷の方から入り知覧城を通ってミュージアムの方へ抜けて行くルートを選びました。

知覧城は、島津氏庶流「佐多氏」(=知覧島津氏)の居城で、113ある外城の中では規模も大きくまた保存状態もよいので、島津の城造りの特徴が大変よく分かる城だと思います。

バスを降りて脇道へ入ると武家屋敷群があります。身分の高い武士(佐多一族)は普段ここで暮らしていたようで、ここは伝統的建築物保存地区となっています。石積に高い垣根でわざと敵から家の中が見えないようにし、入口も喰い違い虎口にして敵の進入を防ぐなど、様々な防備がなされていました。いざという時には、家も砦として使えるようになっていたという事ですね。徳川幕府とはいつ一戦交える事になるかわからない、そういった危機感が薩摩藩には常にあったと思います。よって表向きの鹿児島城は天守のない平城にして幕府に恭順の意を示すふりをし、裏では幕府にばれぬよう113の外城を作り、その外城では藩士や家族にまでも危機意識が共有されていた。これらの家を見るとその事がよく分かります。

次はここからは県道の坂を登り、知覧城の本丸を目指そうと思います(2/3へ続く)。
 

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城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 平安時代後期
築城者 知覧忠信
主要城主 知覧氏、島津氏、伊集院氏、佐多氏
文化財史跡区分 国史跡(知覧城跡)
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀
住所 鹿児島県南九州市知覧町永里知覧城内
問い合わせ先 南九州市教育委員会事務局教育部文化財課
問い合わせ先電話番号 0993-83-4433