日本100名城

こもろじょう

小諸城

長野県小諸市

別名 : 酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城
旧国名 : 信濃

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小諸城
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カズサン

現存移築門廻り編 (2026/09/23 訪問)

 小諸城の現存してる移築門は小諸市内に二ヶ所に在ります。小諸城大手門櫓部の資料室掲示「小諸城の門」小諸城縄張図に城門を示し各城門の説明文とイラストを記した解説図に、黒門と足柄門がお寺に移築現存と示されて居り、早速スマホのグーグルマップで調べて小諸城16年振りの登城翌日訪ねました。
 
 足柄門・・荒町の光岳寺山門として現存(小諸市荒町1丁目3-4)
 駐車場は近くの小諸市役所地下駐車場を利用、徒歩350m程です。
 足柄門は二の丸と三の丸間の堀切の三の門北に位置し、小諸藩士の通用門、背の高い高麗門形式板葺でしたが、現在は瓦葺きに成っています。
 山門は当日秋の彼岸に当たり国旗掲揚、楼門を潜り本殿参拝。敷地の広い立派なお寺です。

 黒門・・八満の正眼院山門として現存(小諸市八満624)
 駐車場は正眼院の山門と本殿の間の駐車場を利用。
 黒門は本丸を護る紅葉谷橋の西付根、本丸の格調高い医薬門で一の門とも呼ばれた、大手門と黒門のみ瓦葺きでした。
 雨が降ってきた中、山門を見学、山門内側には白象が左右に並び本殿は石段を登った上段に有り、下段寄り参拝。敷地が広い丘陵地に在りますが通用路は狭い道で通行注意。

 小諸城現存城門2件見学出来て感謝です。
 
 帰路国道141号線を南下し龍岡城へ向かいました。
   

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カズサン

大手門初登閣と現存城門編 (2026/09/22 訪問)

 三の丸に在る大手門は瓦門、四の門とも呼ばれており平成20年には明治に成って払い下げられていた料亭などから寄贈されて元の三の丸大手門跡に修復保全一部復原で江戸期の大手門に甦ったものです。16年前の復元されて2年目の平成22年9月に初対面見学しました。
 今回は旗日祝日と言う事で大手門の櫓部分が公開されて居り、初登閣する事が出来ました、入場料は無料、二階部の部屋は「居館式」と呼ばれる形態で二室で天井が有り書院風です、床板には手斧の削り痕がしっかりと残って居り歴史を感じます。(小諸城大手門リフレットを入手)
 何時も見ている渡櫓の櫓部とは違っていました。
 部屋には資料が展示されて居り特に「小諸城の門」なる縄張図に各門が示されて、門の形態がイラストと写真で示されて各コメントが有り、江戸期の門の形態姿を確認する事が出来ました。又黒門と足柄門は移築されて現存してる情報が有り、スマホで調べて翌日訪ねる事としました。大変ラッキーな情報でした。
 大手門の在る三の丸大手門公園には駐車場が併設されております。当日探訪時間には満車でした。

 二の丸に在る三の門は扁額に懐古園と刻まれて居り、小諸城のシンボル写真の扱いを受けて居ります。渡櫓門形式で江戸期からの現存建物です、今回16年振りに見学体験しましたが、南側の渡櫓支えの石垣と登り虎口石垣が新しく修復されていたように思われます。

 大手門櫓資料室に掲示されていた小諸城の門には7門の紹介有りました。
 不明門(あかずのもん)、黒門、中仕切門、二の門、足柄門、三の門、大手門のコメント、イラスト及び写真付きです。(写真添付)
 移築門として足柄門(荒町の光岳寺)、黒門(八満の正眼院)がコメント欄に有りグーグルマップで確認しました。

 現存移築門廻り編に続く。
   

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カズサン

二の門辺り~地獄谷編 (2026/09/22 訪問)

 三の門から登城すると二の丸の巨大石垣塁が続きドント二の門枡形石垣虎口が構えてる、資料イラストでは櫓門であった、二の門跡を入ると二の丸登石垣虎口が西に在る、中仕切門跡石垣で三階の櫓門、北側に北の丸と石垣虎口、南側に南の丸登石垣虎口が構えて、黒門紅葉橋、紅葉橋に下は唯一の人工堀切紅葉堀切、橋を渡って黒門跡本丸を護る重要な門跡で瓦屋根の医薬門で格調が高かった。
 本丸、天守台を過ぎて北側に天然の大堀切地獄谷がある、架橋されていて橋より地獄谷の大堀切と垂直な崖を観察する事が出来、圧巻です、逆光で水の手展望台が写しにくい素晴らしい大崖です。

 大手門初登閣と現存城門編に続く。
 

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カズサン

水の手不明御門と藤村碑編 (2026/09/22 訪問)

 本丸、天守台石垣と三層櫓が聳えていた事を想い、苔むした石垣にも歴史の流れ、風情を感じる。西側へ移動すると北西角千曲川に面し天然の大堀切地獄谷にそそり立つ水の手不明御門跡、現在は展望台東屋が建ち手前より架橋で楽に移動できるようになっている。
 遠望する千曲川の流れは蛇行し、西浦ダムから落ち込む爆流の轟が一帯を、島崎藤村の世界に、素晴らしい景観です、中学時代に国語で教わった千曲川旅情のうた「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・ 暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛・・」が頭をよぎる。
 架橋の手前に藤村碑石柱、丸い自然石に刻まれた千曲川旅情のうたが刻まれているが黒ずんで読みずらいが頭だけは何とか読み込んでいけた。

 水の手不明御門跡は展望台架橋で分かりずらいが、門跡石垣と説明板が有り、架橋脇から少しは見る事が出来る。
 
 二の門辺り~地獄谷編に続く。
 

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概要

大井氏が築いた鍋蓋城と支城の乙女城が前身。これらを領有した武田信玄が縄張を拡充し、さらに仙石秀久・忠政父子が三重の天守などを築いて近世城郭へと改修した。現存する大手門や三の門から当時の様子が伺える。城下町、三の丸、二の丸、本丸の順に場所が低くなっていることから「穴城」とも呼ばれている。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 天文23年(1554)
築城者 武田信玄
主要城主 武田氏、仙石氏、牧野氏
文化財史跡区分 国重要文化財(大手門、三之門)
近年の主な復元・整備 仙石秀久
天守の現況・形態 型式不明[3重/1590年頃/焼失(落雷)]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、大手門、三之門、天守台、石垣、横堀(空堀)
住所 長野県小諸市丁311
問い合わせ先 小諸市懐古園事務所
問い合わせ先電話番号 0267-22-0296