日本100名城

こもろじょう

小諸城

長野県小諸市

別名 : 酔月城、白鶴城

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小諸城
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小諸城~穴城の紅葉~ (2019/11/19 訪問)

小諸城の起源は鎌倉時代末期にまで遡ります。戦国時代、武田信玄が山本勘助、馬場民部少輔信房(後の美濃守信春)に命じて築城したのが現在の小諸城と言われています。武田家滅亡後の天正18年(1590)仙石秀久が城主となり主要な城郭を整備し、子の忠政の代で現在の小諸城が完成しました。以後城主は徳川氏、松平(久松)氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、石川(松平〔大給〕)氏と変遷し、元禄15年(1702)に牧野周防守康重が越後与板から赴任、この後明治維新まで牧野氏10代の治世となりました。

現存遺構は大手門、三の門、天守台、石垣など。特に大手門は、長野県内の現存例としては貴重な慶長期の建築物で、国指定の重要文化財に指定されています。三の門は、寛保二年(1742)の水害で流失しましたが明和2年(1765)に再建されこちらも重要文化財に指定されています。門に掲げられている「懐古園」の書は、徳川宗家第16代当主、徳川家達によるものです。

小諸城は、大手門側からしなの鉄道の線路を挟んで反対側の三の門の方が低くなっているため、別名「穴城」とも言われています。しかし、不開門のあった水の手展望台から見下ろすと分かりますが、千曲川を眼下に望む崖の上に築かれているため、その難攻不落さが見て取れます。

戦国~江戸時代を経て大正15年(1926)近代的な公園「懐古園」として生まれ変わり、春は桜、秋は紅葉の名所として訪れる人の目を楽しませてくれます。特に秋の紅葉は、京都の庭園を思わせるような趣を醸し出し、その彩の豊かさは天下一品の芸術品と称賛できると思います。

11月からは従来の懐古神社の御朱印とは別に、小諸城址の「御城印」が新たに販売されるようになりました。

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赤い城

紅葉も綺麗、お蕎麦も美味しい (2019/11/04 訪問)

小諸駅から徒歩で5分。もちろん駐車場もあります。
戦国時代には山本勘助が整備したと言われ、本丸跡に立つ懐古神社には鏡石もあります。
ちょうど紅葉シーズン、石垣に映えていました。
千曲川沿いの断崖に築かれていて堀も深く素敵でした。
門前にある有名お蕎麦屋さんでくるみそばをいただきました。おいしかったです!

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響ちゃん

晴れ (2019/11/11 訪問)

今日はポッキーの日ぽい

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トーダイ

百名城再訪52城目 (2018/11/16 訪問)

管理事務所でスタンプをゲット、紅葉に彩られた城址が美しかったです。

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概要

大井氏が築いた鍋蓋城と支城の乙女城が前身。これらを領有した武田信玄が縄張を拡充し、さらに仙石秀久・忠政父子が三重の天守などを築いて近世城郭へと改修した。現存する大手門や三の門から当時の様子が伺える。城下町、三の丸、二の丸、本丸の順に場所が低くなっていることから「穴城」とも呼ばれている。

城郭情報

城地種類 平山城(穴城)
築城年代 天文23年(1554)、慶長末期(1614~15)
築城者 武田信玄、仙石秀久
主要城主 武田氏、仙石氏、徳川氏、松平(久松)氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、石川氏、牧野氏
文化財史跡区分 国重要文化財(大手門、三の門)
近年の主な復元・整備 平成16年から大手門の解体修理を実施、平成20年修復完了
天守の現況・形態 天守台のみ残る
主な関連施設 徴古館
主な遺構 大手門、三の門、天守台、石垣
住所 長野県小諸市丁311(懐古園)
問い合わせ先 小諸市懐古園事務所
問い合わせ先電話番号 0267-22-0296