日本100名城

こもろじょう

小諸城

長野県小諸市

別名 : 酔月城、白鶴城

投稿する
小諸城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

yoda 1253

唯一の穴城 (2019/04/13 訪問)

天守はないが低い窪地にあったことから穴城と呼ばれています。大手門と三の門は現存です。

+ 続きを読む

火砕流堆積台地を千曲川と小支流が刻む (2015/12/23 訪問)

上田城と同じく浅間山の火砕流堆積台地が侵食された地形。千曲川ははるか下方に見えるが、元は台地と同じ高さを流れていたのでしょうなぁ。火砕流は加工しやすく丈夫でもあり、城には最適。
千曲川側の横堀は土だけだが規模大きくよい感じ。

+ 続きを読む

あるじ

小諸城 (2019/01/13 訪問)

懐古園も広いし神社もあった。

+ 続きを読む

夏の雪だるま

城下町より低い穴城 (2016/06/18 訪問)

長野県小諸市の百名城の一つ小諸城です。城の起源は平安時代この地を支配していた木曽義仲の家臣小室氏が建てた館が始まりとされ、南北朝時代に小室氏が衰退すると大井氏の領地となり1487年大井氏が築城。この地は関東と信州を結ぶ交通の要衝であり、戦国時代に入る北信濃攻略を狙う武田信玄が大井氏を攻略、小諸城の原型となる連郭式の平山城を完成させています。1582年武田氏が滅亡すると織田信長の家臣滝川一益の領地となり家臣道家氏が城主となりますが、本能寺の変で滝川氏は伊勢へ退去後、旧武田領をめぐり北条氏政と徳川家康が争い、小諸城は徳川氏のものとなりますが、豊臣秀吉の小田原征伐後、仙石秀久が5万石で入封、近世城郭に大改修し現在の城となっています。関ヶ原の戦いでは、徳川氏が上田城の真田氏攻め徳川軍3万8千の本陣として使用したとされます。その後、城主はめまぐしく替わり、1702年牧野氏が城主となり明治維新まで続いています。城は千曲川に面した断崖の上に南北150mの幅で本丸・二の丸・三の丸が700m程の長さで連なり、本丸が一番低く三の丸が一番高い珍しい構造で、城下町より城が低く穴城とも呼ばれたとされます。また、島崎藤村の詩(小諸なる古城のほとり)でも有名な小諸城です。現在本丸・二の丸が市営公園懐古園となって天守台や石垣が残り入口に三の門が現存しています。三の門が訪問時修繕中で、覆いがかけられていました。また、しなの鉄道の線路を越えた所にある大手門公園に大手門が現存しています。

+ 続きを読む

概要

大井氏が築いた鍋蓋城と支城の乙女城が前身。これらを領有した武田信玄が縄張を拡充し、さらに仙石秀久・忠政父子が三重の天守などを築いて近世城郭へと改修した。現存する大手門や三の門から当時の様子が伺える。城下町、三の丸、二の丸、本丸の順に場所が低くなっていることから「穴城」とも呼ばれている。

城郭情報

城地種類 平山城(穴城)
築城年代 天文23年(1554)、慶長末期(1614~15)
築城者 武田信玄、仙石秀久
主要城主 武田氏、仙石氏、徳川氏、松平(久松)氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、石川氏、牧野氏
文化財史跡区分 国重要文化財(大手門、三の門)
近年の主な復元・整備 平成16年から大手門の解体修理を実施、平成20年修復完了
天守の現況・形態 天守台のみ残る
主な関連施設 徴古館
主な遺構 大手門、三の門、天守台、石垣
住所 長野県小諸市丁311(懐古園)
問い合わせ先 小諸市懐古園事務所
問い合わせ先電話番号 0267-22-0296