2021/08/23
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第11回】凸岡崎城 前編~徳川様の聖地~
お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、徳川家康の生誕地としても知られる岡崎城(愛知県岡崎市)の前編。最寄駅から岡崎城を目指す慶次が、家康ゆかりの菅生神社やスケール満点の大手門などの見どころを、詳しい知識と合わせて徹底的に紹介します。
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。
前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十二年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸岡崎城 城郭の魅力度を数値化
時代の変化を示す石垣が特に見所である!
規模は日ノ本最大級の城郭!
天下人が誕生せし城郭!
【基本情報】
城郭構造:平山城
主な築城者:松平清康(徳川家康の祖父)
築城年:1531年(※龍燈山城は1452年)
廃城:1873年(明治6年廃城令の流れ)
指定文化財:岡崎城跡(岡崎市指定)
【歴史】
■龍燈山城時代
1452年または1455年、三河国守護仁木家の守護代西郷家が築城。龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と呼ばれた!
■家康の祖父が岡崎城を築城!
1531年、松平清康(家康の祖父)が城主となり城郭を整備拡大をして岡崎城が誕生。
■家康時代の岡崎城
1542年、竹千代(後の家康)が誕生。当時の岡崎城は櫓や門の屋根も茅葺で、石垣もなく土の城であった。その後今川家の支城となる。
1560年、桶狭間の戦いで松平元康(家康)は岡崎城を今川家から取り戻し独立する!
1570年には息子の松平信康が入城。以後は重臣が城代を務める。
■田中吉政が岡崎大改修!原型を造る!
1590年、家康関東転封となり、豊臣家臣の田中吉政が入城。石垣、城壁を用いて近世城郭に大改修! また、城下町も整備も行い現在の岡崎の原型を造った!
■徳川譜代大名時代!天守閣完成!
1602年、徳川の治世となり重臣・本多家が入城。以降、譜代大名が歴代の城主を務める。
1617年、3重の天守閣が完成!
■廃城から復興へ
1873年、廃城令によって廃城。
1959年、鉄筋コンクリート造で復興天守閣が再建。
■近代の活動
2006年、日本100名城に選定!
2007年、発掘調査により国内規模最大級の城郭であった事が分かる!
2010年、東隅櫓が再建される!
日ノ本最大級の規模を誇った岡崎城を皆は知っておったか?
天下人出生の地という事で、運気も高そうで御座ろう。
此度も楽しんで参ろう! いざ出陣!
おうーーーーーーーーー!!!!
【名古屋駅出陣】
我が連載は名古屋駅から出陣致す。参考にされたし!
して、我が残金は62282円。自費の金子を用いて城を巡って参るぞ!
【名鉄名古屋駅から東岡崎へ】
名古屋から30分ばかしである! 名古屋で楽しんだ後にも行ける距離感故に観光する際の目安にすると良い。
尾張三河に跨って城巡りをするならば早朝から開始することを勧めるぞ!
【東岡崎駅は徳川様と背比べ!】
駅構内には岡崎市観光案内所が設けられておる故に、先ずは此処を訪れると良かろう。
瓦版(リーフレット)も多く備わっており、観光の手助けとなろう。
して、案内所の目の前には岡崎で誕生した「徳川家康様と背比べ」が出迎える!
徳川様の背丈は159㎝。
儂前田慶次は現世で六尺182㎝。
皆も背比べしてみよ。意外と天下人が小さい事に驚くであろう!
【岡崎名物東海オンエア軍】
駅構内から外へ出てみると!!
「東海オンエア」なる岡崎を拠点に活躍するYouTuberが武士の格好を致して出迎えるではないか!
東海オンエアとは
「子供がやりたくてもやれないことを代わりにやる」を題目に数多くの動画を届け
若人達から絶大な人気を誇るYouTuberで御座る! 何とチャンネル登録者数は598万人!
YouTube界の五大老とも言える存在に候。
岡崎観光伝道師にも任命され岡崎周知にも尽力してくれる若人なれど力強い者達である。
※2021年7月現在の情報
因みに儂のYouTubeは5000人を突破致した!
皆登録視聴ありがとさんじゃ!
東海オンエアの聖地巡礼としても近年は人気の岡崎。
戦国の聖地でもあるが、現世でも徳川様の如く名を轟かせる集団について巡っても楽しいであろう!
然し乍(なが)ら、我が本懐は岡崎城である!
岡崎城はここから西へ1.2km! 無論、此の前田慶次徒歩で参るぞ!!
西へ歩み北を向くと殿橋が御座る。此処を歩むが広大な川に驚く!!
【岡崎城の川について】
城にとって川というのは交通の要所として機能し生活する上でも欠かせぬ重要な存在。
この乙川(おとがわ)には船着き場があり、現在も娯楽の一つとして楽しめるようじゃ!
■岡崎城下舟あそびオフィシャルサイト
岡崎城は、乙川と矢作川(やはぎがわ)の合流地点に建っており、
『岡崎五万石』という江戸小唄の歌詞でも「お城下まで船が着く」と歌われておる。
ほいで、矢作川には当時日本最長の矢作橋が架けられ、交通の要所として栄えた。
現在の矢作橋上には何と国道1号線が通ってる!
今も尚(なお)街道の要として機能しておるという事じゃ!
殿橋を渡り更に西へ(間もなく岡崎城!)。
【菅生(すごう)神社には寄るべし】
岡崎城、岡崎公園の隣にこちらの菅生神社が御座る。
岡崎最古の神社にしてヤマトタケルノミコトにも所縁がある事を知っておったか?
徳川様も祀っておる故に徳川家の由緒正しい神社である!
徳川推し、女子力高めたい者必見の場所であるぞ!
■菅生神社
【肌が綺麗になる!?美肌効果?】
こちらの絵馬は「ルネガール絵馬」と申して最近女子達から人気を集めておる!
美肌になれるという縁起担ぎができるそうじゃ!
近年は絵に拘った絵馬も良く見かける故に、神社好きには目新しく楽しめると思うぞ!
開運効果絶大と聞く! 徳川様のお力を頂戴しこの連載も勝戦にして参る。
1566年に徳川家康様が社殿を再建(1945年の空襲によって焼失。その後再建されたものが今の社殿である)。
【岡崎城天守が見えるぞ】
菅生神社で参拝祈願を致して、岡崎城へ向かう。
神社を出て西へ。隣の宿屋(ホテル)を越えてちぃと進むと岡崎城天守が見えた!
岡崎城は公園と成しておるが為に随分と整備されておる印象。
辺りも道路で綺麗にされており景観も良い。
慶次「儂がおるのは恐らく搦手(裏手)な気が致すが、兎に角天守に近う寄ってみるか」
【搦手に進軍してしまう】
案の定儂が進んでおったのは搦手であった。
城巡りの王道は大手(正面)から進軍し楽しむものである!
案内板の縄張り図を見て大手に回ることに。
慶次「誠に岡崎城を攻めておるようじゃ。大きく旋回して大手へ参るぞ」
城巡りの醍醐味は迷子でもある!
※城は迷路のような造りにしておる。
【巨大な櫓門(大手門)!】
岡崎城公園の大手に辿り着いたぞ!!
着陣して驚いたが…大手門デカい!
【岡崎城大手門】
1993年に再建。本来の大手門の位置とは別の場所である。
本来の岡崎城大手門は、現在の浄瑠璃寺の南(北東約200m)
三の丸にあったわけじゃが、現在三の丸は街として改修されておる故に姿は残しておらぬ。
高さ11m、幅16.4mという巨大な櫓門。
石垣の石は地元の石を使用したとのこと。
玄関にふさわしい壮大さ! 流石は徳川様の生誕地!
大手門には岡崎城の歴史も記されておる!
小田原征伐(1590年)を経て豊臣秀吉様の家臣田中吉政が岡崎城に入城し、大規模な城郭の整備拡張を行った!
1592年には、城の東・北・西に総延長4.7kmに及ぶ堀を築き上げる。
1617年、本多康紀のときには、三層三階地下一階で、東に井戸櫓、南に付櫓をもつ複合天守閣が再建された!
故に岡崎城は此の公園としての区画以上にかなり大きな城郭であるという事じゃ!
【生誕450周年記念電話望楼型天守】
入城すると斯様(かよう)な愛い電話ボックスなるものが御座る!
望楼型天守を配しており、初めて見もうした。
他の城でも斯様な物があろうか!?
天守へ向かう前に土塀が見える故に土塀に沿って行軍して参る!
【本多家立ち葵紋】
軒先丸瓦紋は巴紋でない!?
岡崎城故に徳川様の三つ葉の葵紋が数多く見受けられるが、
本多家の家紋である立ち葵紋も見られる!
田中家の後に入城したのが本多家である。本多家と申せば徳川様の重臣。
関ヶ原の戦いを経て本多康重(ほんだやすしげ)が入城し三河岡崎藩初代藩主となる。
徳川家と本多家の組み合わせは徳川推しにはたまらんじゃろ!?
この土塀の先にあるのはいったい何があるのか!?
【総工費は!?】
土塀の先にあるのは「東隅櫓」である。
こちらは2010年に再建されたもので望楼型となっており、岡崎城の守りの要となっておる。
最近再建されたばかし、白漆喰も実に綺麗じゃ。
皆が気になる総工費は1億円。
誠に天晴な櫓を再建された!
見本として松山城の野原櫓を参考に再建したそうじゃ。これは見比べてみたいものじゃ。
因みに松山城の野原櫓は四国で最古の櫓と言われておる!
小ぶりながらも存在感を放つ櫓の存在は城にとって重要である。
さぁ此度はここまでじゃ!
次回は岡崎城の石垣等に迫っていくぞ!!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
凸伝令
その他の連載もお楽しみください!
▶「【第1回】凸名古屋城」前編(https://shirobito.jp/article/944)・後編(https://shirobito.jp/article/946)
▶「【第2回】凸犬山城」前編(https://shirobito.jp/article/966)・後編(https://shirobito.jp/article/982)
▶「【第3回】凸岐阜城」前編(https://shirobito.jp/article/996)・中編(https://shirobito.jp/article/997)・後編(https://shirobito.jp/article/1009)
▶「【第4回】凸小牧山城」前編(https://shirobito.jp/article/1040)・中編(https://shirobito.jp/article/1054)・後編(https://shirobito.jp/article/1059)
▶「【第5回】凸大高城と鷲津砦と丸根砦【桶狭間の要】」(https://shirobito.jp/article/1095)
▶「【第7回】凸彦根城」前編(https://shirobito.jp/article/1194)・中編(https://shirobito.jp/article/1214)・後編(https://shirobito.jp/article/1275)
▶「【第8回】凸清洲城」前編(https://shirobito.jp/article/1286)・後編(https://shirobito.jp/article/1301)
▶「【第9回】凸岩崎城」前編(https://shirobito.jp/article/1312)・後編(https://shirobito.jp/article/1335)
▶「【第10回】凸大垣城 前編(https://shirobito.jp/article//1335)・中編(https://shirobito.jp/article//1349)・後編(https://shirobito.jp/article//1359)
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)