2021/04/19
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第9回】凸岩崎城 前編~信長を撃退した尾張の城~
お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、小牧・長久手の戦いなど数々の戦と関わりがあり、歴史的重要性の高い岩崎城(愛知県日進市)の前編。うっかり搦手(からめて)から着陣した慶次が天守閣麓で出会った見事な石垣などの見どころを、岩崎城の歴史を交えながらご紹介します。
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。
前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十二年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸岩崎城 ~前編~信長を撃退した尾張の城~
第九回は岩崎城!
先ずは、城郭の魅力度を数値化致した。
遺構が多く残り堀と土塁が特に見所である!
建築物は残っておるものが殆どなく、再建された天守閣(模擬天守)が岩崎城の目印となっておる!
交通の便としては数多ある交通機関いずれでも登城することができるが、乗り換えが付き物。
電車バス双方使いこなすのが一番分かり易いぞ!
歴史的重要性は高いと考える。
織田家が支城とした時代を経て小牧・長久手の戦いの折には
城主丹羽氏次は徳川軍として参陣し羽柴軍の行軍を阻止した。
また、古墳の遺構も残す。つまり古の時代から権力者が多かったという歴史的に熱い城である!
【基本情報】
城郭構造:平山城
主な築城者:織田信秀?(現:最古の記録)
築城年:室町時代末期
廃城:1600年
指定文化財:無
【歴史】
築城年代は正確には分かっておらぬが、
勝幡城城主織田信秀の支城であった!
・家康の祖父が活躍
1529年、岩崎城の戦い。松平清康(徳川家康の祖父)が尾張国に進出する為に、岩崎城を攻め落とした。
・丹羽家が占拠
1535年、丹羽氏清が岩崎城を占拠したことにより、以後丹羽家の居城となる!
・信長が負けた
1551年、横山の戦い。信長が攻撃を仕掛けてきた所、丹羽軍は待ち伏せして撃退した!
・小牧・長久手の戦い
1584年、城主丹羽氏次は徳川軍の一角として羽柴軍の行軍を岩崎城と共に阻止する!
・廃城
1600年、関ヶ原の戦いを経て丹羽家は徳川家康に認められ1万石の大名に出世。領土も三河国に転封となり岩崎城は廃城となった。
・模擬天守築城
1987年、3重4階構造の模擬天守が築城され岩崎城址公園として整備される。
尾張、三河間を往来する街道の要衝地であり、交易の場として栄えた。
現在も「市場」という地名を残す程である。
では、岩崎城へいざ出陣!
おうーーーーーーーーー!!!!
【名古屋駅から出陣】
尾張の玄関口名古屋駅から始まる我が連載。
いつも思うが名古屋駅が一番大きな相当層塔型天守閣で、あるな。
【残金69053円】
※我が連載は己の金子で巡る。即ち費用は幾らかかるのか。
民にとって物見遊山は手軽なものではない故に、我が連載を費用の目安に致せ!
【名古屋駅→星ヶ丘駅へ】
地下鉄なるものを利用して岩崎城へ参る。
名古屋駅東山線から星ヶ丘駅まで宿駅を移動に候。約20分鉄籠に揺られる。
何と「270円」というお手軽な金子!!
穴蔵(地下)で移動とは武田軍の金山衆の戦法のようじゃ。
【星ヶ丘駅→岩崎御岳口へ】
星ヶ丘駅に着陣!ここから更にバスなる鉄籠で移動である!
武士の儂にはこの乗り換えなるものが難儀に感じる…。
然し乍ら、駅からバス停は目の前である故に、迷うことはない!
『岩崎御岳口』行きに乗り込む!
鉄籠が赤備え(赤色の衣で身を包む)で士気が上がる儂!!!
【城めぐりの醍醐味】
道中を楽しむのも一興。
儂はバスなるものを普段利用致さん故に、時には慣れぬ乗り物で行くのも良いのではなかろうか?
20分とちぃとの移動時間。金子は340円! 安い!!!
【岩崎御岳口から岩崎城は見える?】
鉄籠に揺られて辿り着いた岩崎御岳口。
降りて地図にて東西南北を確認し、岩崎城に向かって行軍開始。
さすれば、岩崎城の天守閣?と思わしき建築物を見つけ申した!
突き進むのみじゃ!
【この地は焼き物の聖地!?】
岩崎の地は広く日進市と呼ばれる。
嘗(かつ)てこの地が、窯業が発展した土地というのを皆知っておったか?
此の地の一帯は、粘土層(陶土)と燃料資源(森林の存在)に恵まれた土地であった。
【900年の窯業の歴史】
5世紀~14世紀が最盛期と言われており、瀬戸焼・常滑焼よりも先んじて盛り上げていた。
この地で作られた製品が平安京・平城京跡からも発見された。
故に当時の窯業が全国区であったことを示す。
【住宅街に馴染んでおる】
岩崎城天守閣を頼りに徒歩で近づく。
数分でここまで近づいた。あとちぃとばかし!
【岩崎城着陣】
岩崎城へ着陣し申した!
儂としたことが、天守閣に向かって行軍したが為に辿り着いたのは『搦手』。
まさかの裏から侵入!!
大手は正面突破をしたかったが、気付かず。
天守閣があまりにも目の前にある故に驚き申した。
複合式望楼型天守閣、故に天守閣横に櫓が続いておる。
この櫓が搦手櫓門の役割も果たしており珍しい造りであるな。
【日進市観光ルート案内図】
搦手側には日進市観光ルート案内図なる看板が御座る。
岩崎城だけでなく日進市にある建築物を中心に観光ポイントをまとめてくれておる。
皆は岩崎城以外にも足を運んでみてちょ。
【岩崎城近くの見所】
妙仙寺の臥龍の松
妙仙寺には立派な山門が備わっており市が指定する文化財に指定。
更に!!!
寺の中には巨大な黒松がある!
黒松の中では市内で唯一の巨木であり、天然記念物に指定。
【天守閣を要確認する】
天守台の石垣も此処で良く見る。
ご覧の通り随分大きな石垣である。
後に地域の者が模擬天守閣を昭和の時代に築城したという事で戦国期の石垣でないことが分かる。
大きくは『加工具合、高さ、大きさ』等々で判断できるぞ。
望楼型天守閣の1重目は下見板張り仕様である。
漆塗りではない故に、高級さよりも耐久性等に特化させたように感じる。
岩崎城天守閣はどこの天守閣を見本として築城したのか気になる…。
慶次「見事すぎる!!」
築城当時を考えれば天守閣も無い城であったが、
現世では天守閣=城という印象が強い為に、昭和の時代に天守閣を築城する流行(ブーム)があったと聞くが。
岩崎城の天守台石垣が誠に美しく見事な武者返しに感服致した。
小牧・長久手の戦いでも丹羽家が居城とした岩崎城は活躍したが、
この天守閣を備えておったらば廃城されることも無かったであろうな。
【この家紋は!?】
天守閣石垣の中に秘密の家紋を発見した!
この家紋の意味は…次回の記事で発表致そう!
さぁ此度の記事はここまでじゃ!
次回も楽しみに致せ
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
<住所>
愛知県日進市岩崎町市場67
<アクセス>
地下鉄「星ヶ丘駅」から名鉄バス「トヨタ博物館前」「五色園」行き約20分。「岩崎御岳口」下車徒歩5分
凸伝令
前田慶次Twitter https://twitter.com/keiji_bushotai?lang=ja
公式ホームページ https://busho-tai.jp/
その他の連載もお楽しみください!
▶「【第1回】凸名古屋城」前編(https://shirobito.jp/article/944)・後編(https://shirobito.jp/article/946)
▶「【第2回】凸犬山城」前編(https://shirobito.jp/article/966)・後編(https://shirobito.jp/article/982)
▶「【第3回】凸岐阜城」前編(https://shirobito.jp/article/996)・中編(https://shirobito.jp/article/997)・後編(https://shirobito.jp/article/1009)
▶「【第4回】凸小牧山城」前編(https://shirobito.jp/article/1040)・中編(https://shirobito.jp/article/1054)・後編(https://shirobito.jp/article/1059)
▶「【第5回】凸大高城と鷲津砦と丸根砦【桶狭間の要】」(https://shirobito.jp/article/1095)
▶「【第7回】凸彦根城」前編(https://shirobito.jp/article/1194)・中編(https://shirobito.jp/article/1214)・後編(https://shirobito.jp/article/1275)
▶「【第8回】凸清洲城 前編~土塀が大事?~」前編(https://shirobito.jp/article/1286)・後編(https://shirobito.jp/article/1301)
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)