勝幡城は織田信定が永正元年に築城したと伝えられています。東西約100m、南北約140mの平城で二重に堀を巡らし、さらにその外側四方に総構の堀があったそうです。信定の子、信秀(信長の父)は清洲城の三奉行の一家「織田弾正忠家」として勇名をはせ、尾張に勢力を伸ばし、西三河にまで進出していきました。織田氏はここから商業地・津島を治め経済力を蓄えており、近年では織田信長の生誕地と考えられているようです。
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2024/04/04 19:06
織田信長生誕の地という説もあり (2024/03/10 訪問)
勝幡城は織田信定が永正元年に築城したと伝えられています。東西約100m、南北約140mの平城で二重に堀を巡らし、さらにその外側四方に総構の堀があったそうです。信定の子、信秀(信長の父)は清洲城の三奉行の一家「織田弾正忠家」として勇名をはせ、尾張に勢力を伸ばし、西三河にまで進出していきました。織田氏はここから商業地・津島を治め経済力を蓄えており、近年では織田信長の生誕地と考えられているようです。
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2023/11/25 08:29
2023/09/11 19:09
勝幡城 (2023/07/22 訪問)
【勝幡城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾15城目。勝幡城の築城は永正年間(1504~1521年)に織田信定(信長の祖父)によって築城されたとされます。織田信長はここで生誕し父織田信秀が今川氏の那古屋城を奪ったのちは父と共に那古屋城に移ったされるのが有力な説になっています。信秀はここに家臣の城代を置いていましたが拠点が清洲城に移った頃から城は次第に衰退していったようです。
現在遺構は残っておらず城跡碑が「勝幡城址」と「勝幡城跡織田弾正忠平朝臣信定古城蹟」の2か所あります。御城印の販売している稲沢市観光協会に行ったら土日お休みで、もう1か所5月に行った小木江城跡近くの愛沢市観光協会に行って購入⇒2か所の城跡碑⇒名鉄勝幡駅前の勝幡城模型・銅像を撮影した。
<満足度>◆◇◇
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 織田信定 |
築城年 | 永正年間(1504〜1521) |
主な城主 | 織田氏、武藤氏 |
廃城年 | 天文7年(1538)? |
遺構 | 消滅 |
指定文化財 | 市史跡(勝幡城址) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 愛知県稲沢市平和町六輪字城之内(地図は石碑の場所を示す) |
問い合わせ先 | 稲沢市役所生涯学習課 |
問い合わせ先電話番号 | 0587-32-1111 |