何となく信長ゆかりの地に行きたくなって行って来ました。久しぶりの登城です。織田信長生誕の城で、永正年中(1504~1521)織田弾正忠信定(信長の祖父)によって築かれたと伝えられています。二重の堀に囲まれた館城でしたが、遺構はありません。石碑が日光川沿いに2カ所にあり織田弾正忠平朝臣信定古城蹟、勝幡城址とそれぞれ刻まれています。勝幡城祉の石碑の近くの説明板は新しくなっていました。また、この地は元々「塩畑(しおばた)」と呼ばれていました。縁起が悪いという理由で織田信定もしくは信秀が「勝ち旗」の意で「勝幡」と改名したといわれています。
近くにある津島は伊勢と尾張をつなぐ湊として、また津島神社(津島牛頭天王社)の門前町として繁栄し「尾張の金銀はすべて津島を通る」と言われていました。織田氏はこの地を支配するようになり経済力をつけ、後に津島は「信長の台所」ともいわれるようになります。その後、地形も変わり今は湊としての機能はありませんが、説明板などで当時を知ることができます。津島神社は約1450年もの長い歴史を誇り、人々から疫病や厄除けの神様として親しまれてきました。「西の八坂神社、東の津島神社」と並び称され、全国に3000余あるといわれる天王社の総本社です。戦国時代には織田氏は当社を氏神と仰いで経済的援助を行い、豊臣氏も織田氏に続いて社領を寄進したりしていました。現在の重要文化財指定の楼門は天正19年(1591年)豊臣秀吉公が寄進したもので、また南門は慶長3年(1598年)秀吉の病気平癒を祈願して秀頼より寄進されたものです。現在の御本殿は慶長10年(1605年)清洲城主であった松平忠吉公(家康の四男)の病弱を憂えた妻女政子の方が寄進しました。
津島という商業都市が近くあったことが、織田信長の経済感覚を育てたのだと思います。
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