2021/06/21
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第10回】凸大垣城 前編~戸田家と大垣~
お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、関ヶ原の戦いで西軍の本拠地に用いられた大垣城(岐阜県大垣市)の前編。大垣駅からお城までの道のりで出会える城下町の注目スポットや、大垣城城主・戸田家の家紋が刻まれた正門の軒丸瓦など、細かくご紹介します。
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。
前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十二年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸大垣城 城郭の魅力度を数値化
4層4階の珍しき天守閣と石垣が見所である!
関ヶ原の戦いの西軍の本拠地!
歴代城主には関白豊臣秀次も連ねる!
【基本情報】
城郭構造:平城
主な築城者:竹腰尚綱
築城年:1500年?1535年?
廃城:1873年(明治6年廃城令の流れ)
指定文化財:大垣市指定史跡
【歴史】
■牛屋城の不透明な築城時代
1500年または1535年に築城されたと伝わる。築城当時は「牛屋城」と呼ばれた。
■改修を重ねていく!
1563年に氏家直元、1583年に池田恒興が拡大工事を行う。1596年、伊藤盛景が4重4階天守閣を築城!
■西軍の本拠地!
1600年、大垣城は水堀を何重にも張り巡らせ堅城として関ヶ原の戦いの西軍本拠地となる!
西軍の指揮を取った石田三成は大垣城から関ヶ原へ進軍した! 歴史的に重要な地である。
■廃城を乗り越えて国宝へ
1873年、廃城令が下され大垣城は廃城。
然し乍(なが)ら天守閣は壊される事無く残されて1936年に国宝指定!
戦国最大級の大戦「関ヶ原の戦い」の重要な拠点となった大垣城。
多くの城あれど、歴史的にここ迄重要な戦に関わる城は少ない。
西軍が選んだ大垣城の魅力とは?
儂自身も見て学び、その魅力を皆々に伝えて参る!
現在の大垣という水の都も気になる。
此度も楽しんで参ろう!いざ出陣!
おうーーーーーーーーー!!!!
【名古屋駅出陣】
我が連載は名古屋駅から出陣致す。行路についても参考にされたし!
して、我が残金は65257円。己の金子を用いて城を巡って参るぞ!
【JR名古屋駅から大垣へ】
名古屋の玄関口はJR名古屋駅から大垣駅まで参る。金子は770円也。
刻も凡(およ)そ40分ばかしで到着するらしい。
安い!早い!安全!
現世の鉄籠(電車)は無双の働きをしてくれる!
【大垣駅着陣】
無事大垣駅に着陣!
整備された駅は清潔感溢れるものであり
美濃斎藤家と尾張織田家が合戦を繰り広げた中心とは思えぬ程!
して。儂は見つけた!
慶次「何じゃこれは?」
駅構内に巨大櫃発見!
現世のロッカーなる収納する櫃であるが、
見ての通り、名を轟かせる有名武将達の名前と家紋が認められておる!
此れは観光する者の士気が上がること間違いなし!!
慶次「儂の名前は…無い!?」
斯様な物は必ず探してしまう儂。
現世で戦働きに励んで掲載されるよう傾いて参ろう!
【案内板を探せ】
先ずは大垣城が何処にあるのか。調べるべく駅にある案内板を探すべし!
大垣駅南口から降りて目の前に御座る!
現世の『縄張り』も確認出来申す!
大垣という町全体が水の都と呼ばれておるが、由縁は大垣城が水城でもあったからじゃ。
改修工事を重ねていく中で新田開発、治水の整備にも力を入れて参ったそうじゃ。
ご覧の通り!
大垣城の周りには川が多く流れておるし、嘗(かつ)ては堀を何重にも張り巡らせておったのが分かる。
城下町もさぞ、綺麗な町並みであったろうな。
※城郭用語
『縄張り』=城の設計。区画、構造を示す
大垣城は南口から南へ進めばあるそうじゃ!
徒歩で参るぞ!!
街道も整備され良き町である。
【大垣城外堀】
何気なく存在する川も嘗ては『堀』であったやもしれん。
そう思いながら見ておると、城巡りの楽しみ方が増えるぞ!
大垣城は水城でもある。此の水門川が嘗ての外堀であったそうじゃ!
また、外堀だけでなく大垣と桑名宿を結ぶ大事な運河。
現在も水門川の一部を『大垣運河』と呼ぶと聞く!
漫画『聲(こえ)の形』という作品の舞台にもなっており
聖地巡礼としても人気の場所であるぞ!
【天守閣】
大垣駅から南へ南へ。商店街なるものを通りその間に大垣城天守閣を発見!
慶次「商店街の中に大垣城天守閣? 本丸? どこだて。ってここかぁーー!!」
見つけにくい細道故に、未だに城として城下町として機能しておるのか?と
疑ってしまった儂。
では、いざ参る!
大垣城大手門?らしき門の目の前に『大垣城史跡』の碑が御座る!
皆も並んで撮ってみてちょ!
慶次「恥ずかしがるなよ!?」
【正門であり東門】
斯様な壮大な櫓門だで大手門かと勝手に思っておったらば
此れは東門であった!
正門として現在は機能しておる故に実質大手門といっても過言ではないが
本来此処に門は無かった!
この正門は移築してきたそうじゃ。
大垣城には嘗て7つの門が存在したが、
同じ場所に門は無く『清水御門』と『本丸乾門』が唯一残っておるそうじゃ。
然し乍ら、清水御門も本丸乾門も民間の方に移築され大垣城で目にする事は叶わぬ。
慶次「儂は見れなんだが、機会があれば見に行ってみると良いぞ!」
【九曜紋といえば】
正門の軒丸瓦に注目じゃ!! 九曜紋が見られる。
慶次「九曜紋といえば、ほそかわ…」
儂の歌、茶飲み仲間である名門細川家が有名であるが、大垣城の藩主に細川家は名を連ねておらぬ。
大垣城城主戸田家の家紋が九曜紋であった!
【大垣を発展させた男】
大垣城だけでなく大垣という町を発展させたのが、城主戸田氏鉄である!
1635年は江戸時代、戸田氏鉄が城主となって以降明治時代まで
大垣藩大垣城は戸田家が藩主、城主を務めた!
中でも氏鉄の活躍は見事なもので、町の新田開発や治水工事に力を注ぎ
今の大垣の原型、基盤を作った!
故に大垣城には戸田氏鉄の銅像が建っておるのじゃ!
多くの領民に愛された証であるな。
えりゃーどや顔して我が居城みたいな写し絵が撮れた!
ちゅうことで此度はここまで!
次回も楽しみにしてちょ!
また会おう城びと!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
<住所>
岐阜県大垣市郭町2-52
<アクセス>
JR「大垣駅」南口から徒歩7分
凸伝令
前田慶次Twitter https://twitter.com/keiji_bushotai?lang=ja
公式ホームページ https://busho-tai.jp/
その他の連載もお楽しみください!
▶「【第1回】凸名古屋城」前編(https://shirobito.jp/article/944)・後編(https://shirobito.jp/article/946)
▶「【第2回】凸犬山城」前編(https://shirobito.jp/article/966)・後編(https://shirobito.jp/article/982)
▶「【第3回】凸岐阜城」前編(https://shirobito.jp/article/996)・中編(https://shirobito.jp/article/997)・後編(https://shirobito.jp/article/1009)
▶「【第4回】凸小牧山城」前編(https://shirobito.jp/article/1040)・中編(https://shirobito.jp/article/1054)・後編(https://shirobito.jp/article/1059)
▶「【第5回】凸大高城と鷲津砦と丸根砦【桶狭間の要】」(https://shirobito.jp/article/1095)
▶「【第7回】凸彦根城」前編(https://shirobito.jp/article/1194)・中編(https://shirobito.jp/article/1214)・後編(https://shirobito.jp/article/1275)
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▶「【第9回】凸岩崎城」前編(https://shirobito.jp/article/1312)・後編(https://shirobito.jp/article/1335)
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)