2021/12/06
前田慶次の自腹でお城めぐり 【第13回】【コラボ回】凸浜松城 前編~前身は曳馬城~
お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、連載初のコラボ回! 城郭ライターの萩原さちこさんと歴史ナビゲーター・れきしクンと共に、“出世城”とも呼ばれる浜松城(静岡県浜松市)へ。まずは浜松城の周辺を、その前身となった曳馬城を中心に攻めていきます。
皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。
此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。
前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。
演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十二年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。
伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。
題して
【前田慶次の自腹でお城めぐり】
他の連載と何が違うのか!?
・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!
全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。
ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。
凸浜松城 城郭の魅力度を数値化
徳川家康様が長らく居城とし、家臣達が城主となってからは出世を果たした者が多く「出世の城」と呼ばれておる。
【基本情報】
城郭構造:平山城
主な築城者:徳川家康
※曳馬城(前身)は今川貞相(さだすけ)?
築城年:1570年(家康入城、改修)
廃城:1873年(明治6年)
指定文化財:浜松城跡(市指定史跡)
【歴史】
■曳馬城時代
1570年、徳川家康が岡崎から本拠を移し大改修!
「浜松」と名を改める。17年間居城とした。
■堀尾吉晴時代
家康は駿府・江戸に移り、浜松城には豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が入城。
■幻の天守!?
1580年、5重の大天守と小天守と共に城を完成させたと言われる!
■近代の活動
江戸時代は徳川家譜代大名が居城とし三の丸の拡張・改修を行う。
歴代城主は老中、大坂城代、京都所司代などの幕府の要職に就く者が多く「出世城」と呼ばれる。
明治の廃城令で払下げとなった。
2017年、続日本100名城に指定される。
【コラボ回 前田慶次×萩原さちこ殿×れきしクン】
此度の連載は第十三回にして特別回。共闘コラボ回である!
我が盟友の萩原さちこ殿とれきしクンの二人と城巡りぞ!
先に伝えておく大事な話
常より尾張の玄関口である「名古屋駅」出陣から始まる我が連載であるが、
此度は特別に鉄籠は自動車にて浜松の地まで参った!
故に!「自腹でお城めぐり」とは申せど、此度だけ金子を使う事が無い!
■二人について
萩原さちこ…城郭ライター・編集者。(公財)日本城郭協会理事。執筆業を中心に、メディア・イベントに出演、講演、講座を行う。連載を多数持つ!
れきしクン…歴史ナビゲーター・歴史作家。数多くのメディアに出演し、元芸人という経験を活かし明るく分かり易いトークで歴史の魅力を発信!
慶次「連載初のコラボ回! 二人とは数多の戦を共にして参ったが、三人で城巡りは初陣故に楽しみぞ!」
(※因みに前日に我が歴史夏祭り(イベント)が御座った!)
【東照宮】
浜松城の前に、前身であった曳馬城(引間城)に参る。
浜松城の目の前だで、皆もまずは曳馬城に登城し浜松城に参ると良い。
曳馬城跡に参ると、先ず目の前にあるのが此方!
浜松東照宮。
慶次「東照宮は徳川家康様を奉った神社である。
全国的にあろう?…此れが天下人の成せる御威光」
れきしクン曰く全国から社長達が参拝に参るそうじゃ。
して、東照宮の隣には気になるものが…。
【徳川家康様×豊臣秀吉様 若かりし頃】
天下人お二方の銅像があり申した。
徳川様は分かるが、何故秀吉様?と思うた其方。
秀吉様は「木下」の時分、松下家(今川家臣)に仕えており、この地におったんじゃ。
二人の天下人が住んでおったちゅうことで、出世神社として名を馳せておる。
故に社長という豪商がよく参るわけじゃ。
して、此処で突然の問答!
れきしクン「この銅像の二人は何歳だと思いますか?」
慶次・萩原「秀吉様は随分幼く見えるけども、徳川様は威厳が天下人のそれだで、50歳くらいか?」
れきしクン「家康様31歳! 秀吉様16歳!」
老けすぎじゃろ!!
31歳の貫禄・威厳を遥かに凌駕しておるぞ!
天下人になる人間の深みは常人では図り知れぬということじゃ。
この銅像と写してSNSなるものに拡散すると幸運があるそうじゃ。
連載とは申せど、皆が目にするで儂も掲載しておこう。
御利益があるのか否か? 楽しみじゃ!
慶次「参拝し記念の写し絵も収めた故に、曳馬城を見て参ろうか」
【曳馬城】
戦国期に小高い丘から見下ろすが為に、此処に曳馬城は築城された。
尾張の斯波(しば)家と駿河の今川家が領土を争った場所故に、戦略の拠点となった重要な土地である!
そんな時代に秀吉様はこの地に住んでおったわけだで、幼い時から激戦の土地であったが為、
生き残る術を身に付けるべく、人との交流(コミュニケーション能力)を高めたのかもしれぬな。
【徳川家康様が最初に拠点を置いた】
萩原殿も熱量も凄まじく! 沢山教えてくれ申したぞ!
慶次「現・浜松城本丸側に家康様は城を構えたのではなく、此の曳馬城の小高い丘に城を置いたそうじゃ」
故に古城と記されておる!
矢印に向かって城を拡張していき、
今の縄張り近くまで広げて浜松城へ進化したというわけじゃ。
して、その時に一緒に町作りをしており今の浜松の基盤を造り上げた!
此処からは今は無いが、堀の段差等を感じるべく周りをそぞろ歩くぞ。
【道路=街道から城があったか分かる】
浜松東照宮(曳馬城跡)を出ると目の前が下っており、嘗(かつ)て城が存在したことが分かる。
浜松城だけでなく、全国の城どこでも使える知識故に皆も覚えておくと良いぞ!
地形を活かして町が残っておるのが我等にとっては嬉しいのう。
何気に隣の石垣は落とし積み(谷積み)になっており、現世の石垣技術を代表する!
【玄黙口!三方ヶ原の戦い】
徳川家康様敗戦で有名な合戦が、天下の武田軍と戦い敗れた「三方ヶ原の戦い」。
浜松城北門にあたるこの玄黙口(げんもくぐち)の城門に退却したそうじゃ!
古城なれど、重要な曲輪であったことが伺える!
ほいで、曳馬城周りをぐるっと回り再び東照宮に。
浜松城天守が見えるそうじゃ!
【浜松城天守】
古城である曳馬城から浜松城天守が見え申す!
紅葉の時期じゃとどえりゃー綺麗だそうじゃ。
此処からは浜松城へ進軍して参る。
然(しか)し乍(なが)ら、此度はここまで。浜松城は次回の記事を待て!
【曳馬城から学ぶ】
現在は浜松東照宮として機能しておるが、
嘗て家康様も入城したての頃は曳馬城を拠点に町を拡張整備されていかれた。
三方ヶ原の戦いでも重要な曲輪になっておったのは意外であった!
曳馬は馬を引く。即ち戦の敗北!とも捉える事が出来る故に縁起が悪い。
ちゅうことで「浜松」と名を改めた!
曳馬時代と浜松時代では、まるで違う流れ。
今となっては出世の町となっておるわけだで、
名前に込める意味が如何に大事か分かるのう。
皆も己の名前を大事にし、何か名前を付ける際は慎重に名を付けよ!
此度の記事は此処迄じゃ!
次回、浜松城は実質名古屋城?共通点はなに?
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益
凸伝令
その他の連載もお楽しみください!
▶「【第1回】凸名古屋城」前編(https://shirobito.jp/article/944)・後編(https://shirobito.jp/article/946)
▶「【第2回】凸犬山城」前編(https://shirobito.jp/article/966)・後編(https://shirobito.jp/article/982)
▶「【第3回】凸岐阜城」前編(https://shirobito.jp/article/996)・中編(https://shirobito.jp/article/997)・後編(https://shirobito.jp/article/1009)
▶「【第4回】凸小牧山城」前編(https://shirobito.jp/article/1040)・中編(https://shirobito.jp/article/1054)・後編(https://shirobito.jp/article/1059)
▶「【第5回】凸大高城と鷲津砦と丸根砦【桶狭間の要】」(https://shirobito.jp/article/1095)
▶「【第7回】凸彦根城」前編(https://shirobito.jp/article/1194)・中編(https://shirobito.jp/article/1214)・後編(https://shirobito.jp/article/1275)
▶「【第8回】凸清洲城」前編(https://shirobito.jp/article/1286)・後編(https://shirobito.jp/article/1301)
▶「【第9回】凸岩崎城」前編(https://shirobito.jp/article/1312)・後編(https://shirobito.jp/article/1335)
▶「【第10回】凸大垣城 前編(https://shirobito.jp/article//1335)・中編(https://shirobito.jp/article//1349)・後編(https://shirobito.jp/article//1359)
▶「【第11回】凸岡崎城」前編(https://shirobito.jp/article/1385)・後編(https://shirobito.jp/article/1404)
▶「【第12回】凸津城」前編(https://shirobito.jp/article/1438)・後編(https://shirobito.jp/article/1445)
執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)