江戸城の水濠を優雅に周遊!? 東京湾クルージングで水から考える城めぐり

江戸城は広い! その大きさは、なんと千代田区+中央区約半分ほど。日本一大きな城といわれる江戸城には、江戸幕府の将軍・徳川家の居城がありました。最盛期では100万人以上の人口密集地だったお江戸。実は、江戸城の繁栄は、水と密接に関係していました。今回は、クルーズ船に乗って、江戸城めぐりの旅にでかけてみましょう!



総延長14km! 江戸城の外濠とは

戸城桜田巽櫓、富士見櫓
江戸城桜田巽櫓、奥に富士見櫓も見える。後ろを振り返ると高層ビル群が!  江戸城は都会に佇むオアシスなのだ

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江戸城の内郭と外郭の範囲。麹町も神保町も日比谷も江戸城内だった。隅田川も濠の役割を果たしていた(マップ制作:ウエイド)

慶長8年(1603)以降に拡張を開始した徳川家の居城、江戸城。幕府が諸藩の大名に築城に伴う工事をさせる「天下普請(てんかぶしん)」によって築かれました。外濠は総延長14km! 日本一広大なこの城が完成するまでおおむね30年ほど、初代将軍・徳川家康から3代将軍・家光まで随時普請が行われていました。

実は、江戸城の発展は、水と密接に関係しているので、水の視点からお江戸見物が楽しめる、クルーズ船がおすすめ! 東京の風を感じながら優雅にすすむ、タイムスリップ船旅へ、いざしゅっぱーつ!

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超入門! お城セミナー:第51回【歴史】江戸時代の一大事業「天下普請」って何?(https://shirobito.jp/article/668

五街道の起点の日本橋

日本橋
明治44年(1911年)に完成した現在の日本橋。橋の中央には日本国道路元標がある

日本橋クルーズ®︎ の目玉のひとつは日本橋です! 慶長8年(1603)に最初の木造・日本橋が建設されました。幕府によって、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の「五街道」が制定され、すべての街道の起点がここ日本橋となったのです。その後、何度か架け替えられ、明治44年(1911)に現在の石造りの日本橋が誕生しました! 

ちなみに、橋についている「日本橋」の文字を書いたのは、徳川幕府最後の15代将軍・徳川慶喜。幕末の動乱では明治政府の敵となった旧幕軍ですが、大都市江戸を無血開城で引き渡した立役者、15代将軍・慶喜の功績は大きい……と、彼の文字が残ったのですね。
 
日本橋魚河岸跡
日本橋から北、橋の近くには「日本橋魚河岸跡」の碑がある

江戸時代〜大正時代の間、日本橋周辺(現在の日本橋本町1丁目、日本橋室町1丁目)には魚市場がありました。江戸時代初期に家康が連れて来た漁師たちが、将軍・諸大名へ調達した御肴の残りを売買したことに始まります。当時は、日本川沿いには鮮魚を乗せた船がたくさん集まり、とても活気があったそうですよ!

陸上交通だけではなく、水上交通の利便の良さも江戸を発展させた大きな要因だったのですね。

“今しか見られない”常盤橋門と常磐橋とは?

常盤橋門、常磐橋
常盤橋門と常磐橋
 
常盤橋門、打込接、切込接、石垣
常盤橋門では「打込接(うちこみはぎ)」と「切込接(きりこみはぎ)」、加工の異なる石垣を楽しむことができる

東北へ向かう奥州街道の玄関口として、常盤橋門が築かれたのは慶長年間後半頃。その後、大地震の修復が寛永6年(1629)に行われ、枡形虎口に改修されました。ちなみに、この時の修復では神田橋門や一橋門など複数の門で行われており、普請に招集された大名は徳川御三家をはじめ、なんと70家以上に及んだそうですよ!

現在クルーズ船から見られる石垣は、その常盤橋門の石垣の一部。保存状態もよく、国の史跡に指定されています。
 
常盤橋門

常磐橋は、明治10年(1877)にこれまでの木橋から石橋へと架け替えられました。解体調査では、なんと橋の石材から小石川門の石垣を築いた岡山藩池田家の刻印が見つかり、転用されたことがわかっています。小石川門がなくなってしまったことは残念ですが、こうしてまた再び石に会えたことが嬉しいですね。

橋の特徴は、二連アーチ石橋。アーチが2つ続き、水面に映った橋の姿が眼鏡に見えることから、通称「眼鏡橋」とも呼ばれています!

修復工事、眼鏡橋
修復工事中を見られる貴重なチャンス!

現在は、2011年の東日本大震災で崩落の危険性が生じたため石造アーチ橋の修復工事を実施中! 2019年度中の完了を目処……ということで、修復工事中の様子を見られるのは今だけ。しかも、水の視点から常盤橋門の石垣とアーチ橋を見上げられる、とてもレアな体験ができます。(※2020年修復工事が完了し、2021年5月から開通)

▶︎併せて読みたい記事
お城の現場より〜発掘・復元最前線:第8回 【江戸城】震災被害からの復旧を目指す常盤橋(https://shirobito.jp/article/282

一ツ橋門まで石垣を楽しもう!

江戸城、水堀。高速道路
江戸城の水堀の上には高速道路がはしっている。昔と今が共演する景色

寛永13年(1636)には、牛込門〜赤坂門間と、雉子門〜虎ノ門間の堀普請、そして外郭門枡形石垣の普請が行われました。

日本橋川を登ると、ずらーっと続く石垣が。その石垣には、石に彫った大名家のマーク「刻印」や、石を割った時の痕跡「矢穴」、石垣の表面を打ち削って細かな模様をつけた「化粧」を見つけることができます! 宝探し気分で石垣をよく観察してみてください。

一ツ橋門跡
一ツ橋門跡。御三卿・一橋家の屋敷が近くにあった

徳川家には尾張藩、水戸藩、紀伊藩からなる「御三家」のほかに、田安家、清水家、一橋家の「御三卿(ごさんきょう)」がいました。御三家は、将軍家の世嗣ぎが途絶えた時に後継者を送り出すべく、初代将軍・家康の子供から独立した大名家です。それに対して、御三卿は、8代将軍・吉宗と9代将軍・家重の子供から分立した家系で、上記と同様に将軍職の後継者問題が起きた時のために設けられました。

一橋家は、一ツ橋門の近くに屋敷があったことが名前の由来になっています。15代将軍・慶喜も一橋家から迎えられました! 

江戸時代にはなかったスポットも

堀留橋
堀留橋から北側の景色

日本橋川を登り、九段下の辺りにある堀留橋から北側は江戸時代にはなかった水路です。「堀留」はここまで堀だった(ここから先は堀ではなかった)ということを意味しています。

しばらく進み、JR中央線・総武線の下を潜り神田川に合流すると、そこからは江戸城の外濠です! かつては、この合流地の辺りに小石川門がありました。

水専門の橋があった「水道橋」

水道橋
水道橋や御茶ノ水の辺りの神田川は、当時の江戸城の外濠にあたる。江戸時代は、ちょうどこの写真の位置に水を通すための懸樋がかかっていた。水道橋の名前も、この懸樋が由来だ

江戸時代に初代将軍・家康、2代将軍・秀忠、3代将軍・家光が力をいれていたものは、江戸城の普請だけではありません! 城下に暮らす人の飲用水の確保にも注力していました。この神田上水も江戸に水を送り届けた上水路の一つです。

江戸の人口が増えたため、井の頭の池を水源とする神田川を開削。上水は、御三家の水戸藩邸を通り、仙台堀(御茶ノ水の辺りの外濠)の上を通過して江戸城内へと流れていました。もちろん、堀の上を水が飛ぶことはできませんので、水専用の橋…当時は木で出来た水道管(「懸樋」という)を設けて送り届けていたのです。

ちなみに、水戸藩邸をわざわざ通したのは毒の混入を防ぐためだったとか? さらには、水番人が置かれ、常時パトロールしていたようです。江戸時代の水道について知りたい方は、水道橋にある東京都水道博物館もおすすめです。

江戸城の西の要、隅田川

隅田川、東京スカイツリー
隅田川と東京スカイツリー。今の東京を代表する景色だ

総延長14kmの外濠が取り囲んでいた江戸城ですが、東に流れる隅田川も江戸城の端っこ。川を利用した天然の要害となっていました。

隅田川といえば花火が有名ですね! 夏には、隅田川の花火大会に90万人以上の人が賑わう夏の風物詩となりましたが、その始まりは江戸時代。一説によると、享保18年(1733)の8代将軍・吉宗の時に、大飢餓や病気で亡くなった人の慰霊のために実施した、水神祭がはじまりだと言われています。

※隅田川花火大会の名称になったのは1978年頃。それ以前は「両国の川開き」という名称でした。

東京湾クルージングでいく「日本橋クルーズ®︎」

日本橋、クルーズ船、エスエスNANO1号
日本橋をくぐるクルーズ船「エスエスNANO1号」(写真提供:東京湾クルージング)

取材にご協力いただいた東京湾クルージングでは、歴史クルーズ・最新の東京・歴史と今という3ジャンル、全6コースが体験できます。「お江戸TOKYO60分クルーズ」で外堀の石垣が楽しめます。(2021年6月現在)

屋根のない開放的なクルーズ船で、水の視点から東京の歴史を知る旅にでかけてみませんか?

▶︎東京湾クルージング 公式HP
株式会社 東京湾クルージングの「日本橋クルーズ」(https://nihonbashi-cruise.jp/index.html

【参考文献】
江戸遺跡研究会編纂『江戸築城石と伊豆石』(株式会社吉川弘文館、2015年)
萩原さちこ著『江戸城の全貌ー世界的巨大城郭の秘密』(株式会社さくら舎、2017年)
菅野俊輔監修『江戸城 天下普請の謎』(株式会社宝島社、2017年)
『『江戸始図』でわかった"家康の城"の全貌 江戸城と大奥』(小学館ムック、2018年)

いなもとかおり
 執筆/いなもと かおり
 お城マニア&観光ライター
 30歳になる城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は450ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。

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