続日本100名城

しろいしじょう

白石城

宮城県白石市

別名 : 益岡城、枡岡城
旧国名 : 陸奥

投稿する
白石城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

カルビン

少し早いですが (2015/10/24 訪問)

明日今年最後の投稿しようと思っておりましたが、腰痛の為PC作業が長時間出来ない為、やっつけとなり申し訳御座いませんが今年最後の更新とさせて頂きます。

以前白石城訪問した際にレンタサイクルで回った「白石城」「片倉家廟所」「喜多墓」(伊達政宗乳母&片倉小十郎景綱の姉)「田村家墓所」(伊達政宗正室・愛姫実家)「傑山寺」(片倉景綱墓所)「武家屋敷」「伊達政宗陣場」「延命寺」(白石城移築門)「当信寺」(白石城移築門&真田信繁子・阿梅と大八墓所)の写真掲載しました。

説明省略ですいません。。。


本年は新型コロナの影響で制限多く満足行くお城巡りが出来なかった分、来年に期待こめて今暫くは大人しく充電しようと思います。

今年も御拝聴、有難う御座いましたm(_ _)m

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

大櫓 (2020/10/03 訪問)

2年半ぶりの訪問です。
今回は、見上げたり見下ろしたり覗いたりをたくさんしてきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぎりょう

関ヶ原の前哨戦 白石合戦の舞台 (2020/11/08 訪問)

立冬も過ぎた8日、「古文書を読む会」の仲間たちと白石城に登城しました。この城は元和の一国一城令の後も仙台城以外に仙台藩の城として認められ、幕末まで片倉小十郎家(御一家18,000石)の居城として続きます。城は明治7年に解体され、野づら積みの石垣までも売りに出されたということです。平成7年に三階櫓(天守)と大手一ノ門、二ノ門、土塀、石垣が復元され往時の面影を残す。初冬のこの日も多くの人々が訪れていました。現状を見るだけで十分楽しめるのですが、今回私の関心は、現在学習中の文書「記録抜書」(高祖父輝宗曾祖父政宗祖父忠宗記録抜書)に記載された、白石合戦です。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の前哨戦として、政宗は当時上杉景勝方の白石城を攻めます。文書には「・・・七月廿一日政宗人数を引連北目を出陣、名取郡岩沼江陣を構、廿三日柴田郡四保ニ着陣、翌朝刈田郡白石之川向平山ニ致着陣候処・・・」とあります。家康の命により上杉対策として京より戻され、現在の仙台市外れに有った北目城(当時未だ仙台城は無く、岩出山城が本拠地)から、岩沼、四保(現柴田町船岡)を経て白石川を挟んだ対岸、現在の陣場山に陳をしき激戦の末に白石城を落城させます。
私のこの日の目的は白石城と陣場山との距離や方角を確認することでした。それぞれの地点からの画像も投稿していますが、その距離わずか1.5kmといったところです。当時と片倉氏改修後では縄張も大手の位置も違い、三階櫓も無かったのかも知れません。
この時政宗33歳、秀吉亡き後家康に組みしてはいたが、刈田・伊達・信夫郡などの旧領回復はもちろん、天下びとへの野望を捨ててしまっていたとは思えない。
車での訪問の場合、白石城は市役所隣の城下広場駐車場に、陣場山は南蔵王白石線の路側帯への駐車となります。 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

週末パス東北遠征・続100名城制覇 (2019/07/13 訪問)

船岡駅からJR東北本線で白石駅に行き、そこから徒歩15分(約1.1Km)で白石城に着きました。続100名城スタンプは天守(大櫓)1Fで押しました。一国一城令が出る中、特例として存続が認められたお城です。
遺構として石垣、門(移築)、蔵(移築)が残っています。
自分は城址内見学後、武家屋敷➡東口門(当信寺)➡厩口門(延命寺)➡宿泊ホテル(パシフイックホテル白石)と廻りました。攻城時間は延命寺見学までで1時間25分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 鎌倉時代
築城者 白石氏
主要城主 白石氏、蒲生氏、上杉氏、片倉氏
近年の主な復元・整備 蒲生郷成
天守の現況・形態 複合式層塔型大櫓[3重3階/1602年築/焼失(火災)]、複合式層塔型大櫓[3重3階/1823年再/破却]、複合式層塔型大櫓[3重3階/1995年再/木造復元]
主な関連施設 櫓、門、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、移築門、移築蔵
住所 宮城県白石市益岡町
問い合わせ先 白石市企画情報課
問い合わせ先電話番号 0224-22-1324