【日本100名城・名護屋城編】 破却された石垣が伝える「幻の名城」栄枯盛衰

現在の佐賀県北端部に立てられた名護屋(なごや)城は、豊臣秀吉が大陸への侵攻を目指し、わずか数カ月の間に築かれました。このお城の周囲には130以上もの諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったといわれる「幻の名城」。豊臣秀吉の死後に破壊され、今も壊された石垣が残っています。最近は、タブレットを使って楽しめる「バーチャル登城」も人気があります。

名護屋城、玄界灘、名護屋城本丸
玄界灘に面する名護屋城本丸跡。天気が良ければ壱岐や対馬も見える

豊臣秀吉が築いた「幻の名城」名護屋城

肥前名護屋城図屏風、名護屋城
『肥前名護屋城図屏風』に描かれた五重七層の天守(名護屋城内案内板より)

佐賀県の北端、東松浦半島に玄界灘を望むようにそびえた名護屋城。慶長19年(1591)より始まった文禄・慶長の役の拠点として、また、玄界灘の先に広がる大陸侵攻を目指し、朝鮮半島へ兵を送る拠点として築かれました。「築城の名手」とよばれる加藤清正を始め、九州各地の大名を動員した「割普請」(分担工事)によって、5カ月という短期間で主要部の大部分が完成しました。

城域は17万平方メートルにも及び、金箔瓦を用いた五重七層の天守が建てられました。名護屋城を中心とした半径3km圏内には、全国から参集した大名たちの陣跡が130余も確認されています。城下町には約20万人が集まり「京をもしのぐ」といわれる賑わいでした。豊臣秀吉の居城・大坂城に次ぐ規模だったといわれています。

名護屋城、天守台跡、天守台
五層七階(地上六階、地下一階)の天守が立っていた天守台跡

慶長3年(1598)、志半ばにして豊臣秀吉が亡くなると戦いは終結。朝鮮半島から兵は撤退し、名護屋城も廃城となってしまいます。築城から約7年の短期間しか使われなかった、まさに豊臣秀吉が築いた「幻の名城」といえます。

島原の乱後に行われた徹底的な破壊

名護屋城、本丸跡
本丸跡の破却された盛土部分は、赤色舗装によって示されている

江戸時代に入ると、名護屋城が唐津藩に領有されるにともない、初代唐津藩主・寺沢広高によって、名護屋城天守は破却(はきゃく)されました。さらに、天守台の石垣も江戸時代初期に寺沢広高により破壊されたと推定されています。江戸時代には唐津藩によって「古城番」が置かれ、管理されていました。使われなくなった名護屋城の用材は、唐津城(佐賀県唐津市)の築城時に転用されたと考えられています。唐津城は、九州諸大名の加勢を受け、唐津城は慶長7年 (1602)から7年かけて完成。その後、唐津藩の中心は、名護屋城から唐津城へと移ります。

名護屋城も、寛永14年(1637)に起きた島原の乱の後、石垣が徹底的に壊されてしまいます。それは、廃城であった名護屋城が、原城のように利用されることを防ぐためだったと考えられています。
天草四郎を盟主とする一揆軍は、廃城だった原城(長崎県南島原市)に籠城し、幕府軍は攻略に大苦戦しました。一揆鎮圧後、原城は、一揆軍や反乱軍に二度と使われないように徹底的に破壊されました。

壊された石垣跡にみる破却の手順には理由が

名護屋城、石垣、三の丸
隅部分が破壊された状態で残る名護屋城三ノ丸石垣

名護屋城の破却された跡からは破却の手順がうかがえます。まずは石垣の隅部分と天端石(てんばいし)(石垣の最も上部に積まれた石)が破壊されました。これは、隅部分や天端石を失うと、塀や櫓を建てることができず、石垣の役割を果たさなくなるためです。このほか、名護屋城には、隅部分を破壊した跡や、天端石を壊したためV字型に石垣が崩れている箇所が残っています。破壊された石垣をもとのように復元するだけでなく、破壊された状態でも整備しているのは、名護屋城の置かれた特異な歴史を伝えるためです。

無料タブレットでバーチャル登城

名護屋城
タブレットを両手に足取り軽く名護屋城を歩く子ども

とはいえ、往時の名護屋城の姿を見たいという方も多いと思います。そんな方におすすめなのが、城郭の様子を再現したアプリケーションソフト「バーチャル名護屋城」です。「バーチャル名護屋城」では、安土桃山時代を代表する絵師・狩野光信(かのうみつのぶ)が描いた『肥前名護屋城図屏風』を基に綿密な時代考証を経て、城郭の様子を再現。VR(コンピューターで作り出す仮想現実)で復元された名護屋城の姿が楽しめます。

「バーチャル名護屋城」を楽しみたい人は、名護屋城に隣接する佐賀県立名護屋城博物館へ。佐賀県立名護屋城博物館では、アプリケーションが入ったタブレットを貸し出しています。レンタル料は無料です。このタブレットを名護屋城内でかざせば、420年前の名護屋城の姿が甦ります。タブレットに夢中になる子どもの姿も。大人から子どもまで楽しむことができます。

佐賀県立名護屋博物館、名護屋城
名護屋城見学前に立ち寄りたい佐賀県立名護屋博物館

名護屋城博物館、武将たちの陣跡、ひと足のばして唐津城も楽しみたい

名護屋城、案内板
陣跡を示す案内板には大名の名前がずらりと並ぶ

佐賀県立名護屋城博物館では、名護屋城に関する展示の見学もおすすめ。『肥前名護屋城図屏風(複製)』や、復元された日本の軍船「安宅船(あたけぶね)」、朝鮮の軍船「亀甲船(きっこうせん)」などの資料のほか、桃山文化や出兵を通じて日本にもたらされた文化に関する展示が揃います。また、朝鮮半島に築かれた「倭城」に関する展示も見逃せません。

名護屋城の周囲には、名護屋城博物館以外にもぜひ訪ねたいみどころが点在。伊達政宗、徳川家康を筆頭に、布陣した大名たちの陣の跡も多数整備されていますが、タブレットを借りれば、かつて敷かれた陣の様子を見ることができます。お城だけでなく、陣の跡も合わせてチェックしてみては?

名護屋城と合わせて見学したいのが、続日本100名城の唐津城(佐賀県唐津市)。名護屋城への起点となる「JR唐津駅」からは、唐津城まで約2km、「昭和バス唐津大手口」からは約1.5kmの距離です。こちらも訪ねてみてはいかがでしょうか?

名護屋城、唐津城
唐津城築城の際には名護屋城から用材を転用したといわれている

住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋
電話番号:0955-82-4905(佐賀県立名護屋博物館)
入城時間:なし
入城料:100円(歴史遺産維持協力金)
アクセス:JR筑肥線「唐津」駅から徒歩約7分(600m)、昭和バス唐津大手口発「名護屋城博物館方面」行きで約40分「名護屋城博物館入口」下車、徒歩約5分

佐賀県立名護屋博物館
住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
電話番号:0955-82-4905
入館時間:9~17時
入館料:無料(特別展示は有料)
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)
アクセス: JR筑肥線「唐津」駅から徒歩約7分(600m)、昭和バス唐津大手口発「名護屋城博物館方面」行きで約40分「名護屋城博物館入口」下車、徒歩すぐ

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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