2019/04/15
【続日本100名城・苗木城編】清水寺と同じ「懸造」で岩山の頂に要塞を築く!
「天空の城」や「岐阜のマチュピチュ」ともよばれ、メディアで取り上げられることが増えている苗木城。岩山の巨岩を生かしながら、美しい石垣が積みあげられている独特なデザインは異彩を放っています。象徴的存在である「大矢倉跡」と「天守台(天守展望台)」を中心に、みどころや建築技術のひとつ「懸造」をご紹介します。
まるで古代遺跡を思わせる「大矢倉跡」
足軽長屋跡から苗木城天守台を望む
2019年4月から11月にかけて、中津川駅から苗木城跡へ直行バス「苗木城線」が期間限定で運行されるという、うれしいニュース。終点の「苗木城」停留所から徒歩約5分、「足軽長屋跡」から前方を見上げると、頂上に築かれた天守台と巨岩の迫力に圧倒されます。目を凝らしてみると、他の城では見かけない足場のようなものが組まれており、天守台への期待がぐっと高まります。岩山のものものしい姿に足がすくんでしまいますが、実は天守台まで「苗木城」停留所から約30分、駐車場からは約20分で気楽に登ることができるのです。
自然の巨石を基盤にしながら人口の石垣を積んでいる大矢倉跡
三の丸にたどり着くと、目に飛び込んでくるのは何やら古代遺跡を思わせるような石垣群。これは、苗木城のハイライトのひとつ大矢倉(おおやぐら)跡。17世紀半ば、3階建ての倉庫として新造された大矢倉は苗木城内最大の建物でした。
“懸造の工夫”と“抜群の眺望”を体感できる「天守台」
巨岩が見えてくれば天守台は目前
三の丸を後にし、いよいよ天守台がある本丸を目指します。次第に現れるとてつもない大きさの巨岩と、高く積み上げられた石垣の揃い踏み。その迫力に飲み込まれそうになります。頂上で待ち受けるのは、むき出しの岩盤に独特の工法で組まれた「懸造(かけづくり)」とよばれる足場。懸造とは、柱と貫で崖の上に建物を固定し、床下を支える建築方法。京都の清水寺でも用いられています。
近づくにつれて明らかになる天守台の正体
苗木城は、岩山の上の限られた土地を最大限に活用するために、露頭する岩盤と石垣を組み合わせ、天守や櫓などの建物が崖から斜面に突き出すように造られています。さらに各曲輪が大量の石垣で積み上げられているのが特徴。むき出しの岩盤の巨石群に石垣を積むことで、平面を確保して曲輪を造っているのです。その象徴的な場所が山頂の天守台であり、他の城では見かけない特異な姿を見せています。
天守台からの眺めも壮観で、周囲の地形がよく分かります。苗木城は、中津川市内を東西に流れる木曽川を天然の水堀として、突出した急峻な高森山(標高432m)に築かれました。木曽川から山頂の天守台跡までの標高差は約170mあります。
天守台からの眺望。堀代わりに利用した木曽川が雄大に流れている
当時から残る25ヵ所の柱穴を利用して柱を組み合わせた。再現に要したのは約2年間
織田信長と武田信玄に挟まれた苗木城主・遠山家
苗木城は代々、遠山(とおやま)氏が治め、1520年代(大永6年(1526)説もあり)に、遠山一雲入道昌利(とおやまいちうんにゅうどうまさとし)が築いたとされます。その後、苗木城が立つ東美濃は武田信玄と織田信長が争い、両雄の間に挟まれて遠山直廉(なおかど)が城主でした。しかし、戦国の動乱の中で遠山氏は苗木城を追われることになります。関ヶ原の戦いの直前に遠山友政(ともまさ)が徳川家康の命で苗木城を奪還し、1万石の大名となり、以後江戸時代を通じ12代にわたり遠山氏が城主として治めることになりました。
また、残存する絵図から17世紀の中頃には近世城郭としての苗木城の姿が完成していたと考えられており、本丸、二の丸、三の丸を中心に区分されています。明治4年(1871)に建物が取り壊され、現在は石垣のみが残存。城門のひとつは苗木遠山史料館に保存展示されています。
天守台から見た三の丸方面に視線を下ろすと、大矢倉跡がはっきり見える
起点となる中津川宿と「いだてん」ゆかりの地
苗木城への起点となるのは、JR中央本線の中津川(なかつがわ)駅。中山道で江戸から45番目の宿場町「中津川宿」として栄えました。古い造り酒屋の屋根には、立派な「うだつ」が見られます。「うだつ」は、裕福な家にしか設けられない身分の象徴とも、防火用とも考えられています。東濃地方を代表する商業の町だった名残が、今も感じられるのです。
中津川宿の町並み。商業で栄えた名残りや、桝形のつくりが確認できる
城好きにはおなじみの枡形(ますがた)もはっきり残っています。鍵の手に曲がっている中津川宿内の道のつくりは、軍事上の必要性からとも客止めのためとも考えられています。
ちなみに中津川は、現在放送中のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」ゆかりの地でもあります。古舘寛治(ふるたちかんじ)さん演じる可児徳(かにいさお)の出身地(当時は岐阜県恵那郡苗木町)なのです。可児徳は、役所広司さん演じる嘉納治五郎(かのうじごろう)の下で大日本体育協会の立ち上げや、オリンピック初参加の準備に奔走した人物です。
名古屋駅から中津川駅までは快速列車で約1時間15分
迫力満点の巨岩と石垣の組合せは苗木城ならではです。自然豊かな山中に築かれた要塞を満喫してみてください!
苗木城(中津川市苗木遠山史料館)
住所:岐阜県中津川市苗木
電話番号:0573-66-8181
入館時間:史料館は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、苗木城は自由
入館料:史料館は320円、苗木城は無料
休館日:史料館は月曜(祝日の場合は翌日)、12月26日~1月5日 、苗木城は自由
アクセス:JR中央本線「中津川」駅から北恵那交通バス「付知峡倉屋温泉」行きまたは「加子母総合事務所」行きで約15分「苗木」下車徒歩約20分
執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。異業種とコラボした城を楽しむ体験プログラムを実施。旅行雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)などを編集。
※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています