現存12天守に登閣しよう 【宇和島城】築城名人藤堂高虎の海城

歴史研究家の小和田泰経先生が、現存12天守を一城ずつ解説する連載「現存12天守に登閣しよう」。今回は、愛媛県の宇和島に築かれ、かつては板島城と呼ばれ、水軍の拠点となっていた宇和島城。築城名人といわれる藤堂高虎が改修した城について、その歴史とともに見ていきましょう。




宇和島、宇和島城、海城
遠くに見える海岸線

水軍の拠点となった海城

宇和島は、もとは板島といい、ここに築かれた城は、板島城とよばれていました。なお、宇和島には、ほかにも板島城とよばれた城があるため、宇和島城の前身となった城は、板島丸串城、あるいは丸串城とよばれることもあります。かつては海に面する海城として水軍の拠点にもなっていたほどですが、現在は埋め立てが進んでいるため、海城としての面影はありません。

戦国時代の板島城は、伊予国宇和郡を支配下におく西園寺氏の支城でした。しかし、天正12年(1584)、西園寺氏は伊予に侵攻してきた土佐の長宗我部元親に破れ、降伏します。こうして板島城は、長宗我部元親の属城となりましたが、その長宗我部元親も、天正13年(1585)、豊臣秀吉による四国攻めを受けて降伏します。その結果、伊予国の宇和郡は、小早川隆景、続いて戸田勝隆に与えられ、戸田氏の断絶後、藤堂高虎が7万石で板島城に入り、自らの居城とすべく大規模な改修を施します。

藤堂高虎による大改修

藤堂高虎は、このあと、自らの居城である津城のほか、伊賀上野城などを築いただけでなく、徳川家康の命によって江戸城や二条城の築城にも関わるなど、築城名人として評価されるようになりました。この高虎の時代に、板島城には天守も建てられています。なお、この間、高虎自身が朝鮮出兵に出陣したことで工事は中座しており、完成したのは関ヶ原の戦い後、慶長6年(1601)のことでした。この関ヶ原の戦いで戦功をたてた高虎は、伊予今治20万石に加増されます。ただ、宇和島城の完成だけは、見届けたかったのでしょう。完成した慶長6年、高虎自身は今治へ居城を移し、今治城の築城にとりかかっています。

慶長19年(1614)になって、板島には仙台藩主伊達政宗の長子である伊達秀宗が入ってきました。秀宗は、政宗の長子ではありましたが、実母が政宗の側室であったため、宇和島藩主としての独立を認められたものです。この伊達氏による入封後、板島という地名は宇和島へと改められ、城も宇和島城とよばれるようになりました。

宇和島城、伊達宗利、天守
伊達宗利によって建て替えられた現存の天守

伊達氏の時代に建て替えられた天守

宇和島城は、秀宗の子宗利の代になり、大幅に改修されることになりました。このとき、藤堂高虎が建てた天守は、老朽化により倒壊寸前だったようです。そのため、高虎の天守は解体され、寛文年間(1661~73)に再建されました。高虎の天守は、岩盤にそのまま建てられていましたが、このときの改修によって、岩盤の上に築かれた石垣の上に建てられるようになっています。これが現存の天守ということになります。

宇和島城、破風
装飾のためにつけられている破風

この天守は、飾りの破風を多用していることもあり、外観は優美です。また、天守が天守台石垣から1mほど内側に建てられていることから、実戦を想定していないとみられることもあります。天守台の石垣の内側に設けられた細い通路を犬走といいますが、有事の際には敵が天守に侵入する足がかりを与えてしまうことになるのは確かです。ただ、石垣の内側は藤堂高虎が天守を建てたときの岩盤になっており、あえて石垣に負担をかけない構造にしていたとも考えられます。

宇和島城天守の最大の特徴は、なんといっても、単独で建てられていることです。戦国時代の天守であれば、敵に侵入されにくいよう、直接、天守に入ることができないようになっていました。しかし、宇和島城の天守は、ほかの建物につながっていないため、敵に侵入されやすいのは確かです。ただ、その反面、類焼しにくいという利点がありました。

たしかに軍事的には不利な部分もありますが、政治的にみれば、最良の判断だったかもしれません。泰平の時代にあっては、天守は権威の象徴としての意味合いが強く、その天守が存在し続けたことの意味は大きなものがあります。昭和20年(1945)の宇和島空襲で、天守とともに旧国宝に指定されていた追手門は、惜しくも焼失してしまいました。しかし、天守だけは、江戸時代のままの姿を今に残しています。


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小和田泰経(おわだやすつね)
静岡英和学院大学講師
歴史研究家
1972年生。國學院大學大学院 文学研究科博士課程後期退学。専門は日本中世史。

著書『家康と茶屋四郎次郎』(静岡新聞社、2007年)
  『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』(新紀元社、2010年)
  『兵法 勝ち残るための戦略と戦術』(新紀元社、2011年)
  『別冊太陽 歴史ムック〈徹底的に歩く〉織田信長天下布武の足跡』(小和田哲男共著、平凡社、2012年)ほか多数。

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