日本100名城・続日本100名城のお城 【日本100名城・金山城(群馬)】落城知らず!大部分を石垣が覆う巨大な山城

上野国(現在の群馬県)に築かれた金山城(太田金山城/新田金山城)は、土造りのお城が多い関東では珍しい、石垣造りのお城。かつて10回以上攻められた歴史がありますが、落城したことがない堅固な城でした。関東で初めて総石垣の城が築かれたのは、天正18年(1590)の「小田原攻め」で豊臣方が築いた石垣山城(神奈川県)ですが、それよりも以前に築かれた太田金山城も、城域の大部分を石垣で覆う石垣造りの山城だったのです。太田金山城の見どころや、楽しみ方、併せて立ち寄りたい金山城跡ガイダンス施設など、見学前に知っておきたいポイントをご紹介します!(※2019年3月22日初回公開)


上杉氏、武田氏…名だたる武将たちが欲した領境の城

太田金山城
太田金山城は標高239mに築かれた山城。関東七名城(※)のひとつに称されるほどの名城だった

太田金山城は、文明元年(1469)に新田氏の一族、岩松家純(いわまついえずみ)によって築城されました。由良氏が城主になった頃には、越後の上杉氏や甲斐の武田氏など名だたる武将たちに攻められましたが、落城することが一度もなかった堅固なお城だったといいます! しかし、北条氏が城主の時、豊臣秀吉が北条氏を攻めた「小田原攻め」がおこり、太田金山城は開城。役目を終え、廃城となりました。

なお、太田金山城の石は「石垣」か「石積み」かで、意見が分かれることもありますが、本記事では「石垣」の表記で統一させていただきます。


 
金山城の全体図
金山城の全体図(提供:太田市教育委員会)

太田金山城の全域は300haにも及び、端から端まで巡ると丸1日以上かかってしまうほど。定番の見学ルートは、駐車場のある「西城」エリアから尾根を登り中心部分の「実城」へ。所要2〜3時間ほどでめぐれます。体力のある方・時間に余裕のある方は、実城より北側にある「北城」エリアや、尾根違いの「八王子山ノ砦」エリアにも行ってみてくださいね!

攻める気持ちで登って、太田金山城の堅固な守りを実感

西矢倉台下、堀切
西矢倉台下の堀切。堀底はV字型の薬研堀ではなく堀底が平らな箱堀であった。深さは西側が3.4m、東側は7.4mもある

西城から実城方面へと尾根を登っていくと、堀切にぶつかります。「堀切」とは、尾根を切ることで攻め手の兵が攻めにくいようにした工夫です。

「城の守り」を感じたい時は、罠にハマるつもりで攻め手の兵の気持ちになって妄想しながら見学してみましょう! これから自分が堀切を乗り越えて進まなければならない……なんて妄想すると、堀切の威力が実感できるわけです。堀の深さに戸惑っている間に、上から弓矢が降ってくる。イメージしただけで、戦意喪失ですね。

土橋、石垣
土橋の先には守り手の兵がいるのだろうが、石垣が邪魔で見えないようになっている

さて、妄想はまだまだ続きますよ。堀切を2本越えると難関門の物見台下虎口にぶち当たります。まず、目の前にある土橋を渡ろうとすると、前方からの弓矢が飛んでくる。なんとかそれを避けて土橋を渡っていると、ここが岩盤でできた大きな堀切にかけられた土橋だったことに気づきます! 「また堀切か。土橋を避ける方法はないか!?」なんてウジウジしていると、上方向から弓矢が飛んでくる。堀切の上には物見台があり、土橋を渡ろうとしていた兵を狙っているのです。も、もうダメだ……攻められぬ。

……と、妄想しただけでも、物見台下虎口はとてもヤバい。虎口(出入口)を突破したい気持ちと、きっと突破できずに守り手の兵に射られてしまうんだろうなという絶望感が押し寄せる、興奮ポイントです!

こんな風に攻め手の気持ちで妄想をしながら歩くと、必要な箇所に、敵を殺めるために必要な防御施設が築かれていたことに気がつきます。

堀切
土橋より左側の視界。岩盤を深くうがった見事な堀切が待っている
 
物見台基壇
堀切の上には物見台基壇がある。上毛三山をはじめとする群馬の景色が見渡せるが、土橋がよく狙えるポイントであることも確認しておきたい。なお、石段はオリジナルの石を使った復元であるが、物見については復元ではない。しかし、柱穴が4つ確認されているため物見施設があったことが窺える

石垣がしゃくれている「アゴ止め石」って!?

大手虎口
実城の大手虎口。発掘調査を元に、1995年から石垣・石畳の通路を復元した。道に排水施設を設けている

関東の城に多いのが土の城! 火山灰でできた関東ローム層(赤土)は、水はけが悪くツルツルと滑りやすい地質です。そのため、関東ローム層でできた城は攻めにくく、土塁や堀を巧みに築いて守っていました。

戦国時代に関東で築かれた城のなかでも、太田金山城のように石垣を有する城は珍しく、この城の一番の見どころとなっています!  岩盤でできた金山は、山から大量の石を採掘できるため石垣造りの城となったのでしょう。石を切り出し、整形して積む作業は、土の城を築くよりも労力がかかります。大部分を石垣に覆われた城をはじめて見た人達は、「なんて力のある城主なんだ」と、きっと腰を抜かしたことでしょうね!

発掘調査を元におこなった復元では、当時の石をできるだけ保護、または利用し積み直しが行われています。当時の石と新しい石の間には、鉛板を挟み目印としているので見分けるポイントにしましょう!
 
アゴ止め石
石積み一番下、15cm〜20cmほど出っ張っている石が「アゴ止め石」だ

特に注目は、なんだか石垣がしゃくれているようにも見える「アゴ止め石」です! 太田金山城は、何度も修復が行われてきたことが発掘調査でわかっています。特に大手虎口は谷に位置しているため水が溜まり、地盤の緩さに悩んでいたようです。このアゴ止め石は、石垣を補強するためのものと考えられており、先人達が苦労して考えた痕跡が窺えますね!

ちなみに、大手口から続く石畳みに排水路を設けたのも、水はけをよくするための工夫と考えられています。

山頂に水が湧く神秘的な「日ノ池」とは?

月の池
石垣・石敷きでぐるっと囲まれた月の池。直径7m、深さは2mもある

さらには、「月ノ池」「日ノ池」と呼ばれる2つの池も見逃してはいけないスポットです!

大手虎口の手前にある「月ノ池」は、2つあるうちの小さい方の池です。発掘調査では池から石材や柱、陶器などの生活用品が多量に引き揚げられました。また、古い時期の石垣も見つかっていることから、改修も行われていたようです。かつては一段の石垣だったところ、谷地形にあるため水の貯水量が多く、溢れ防止のために現在のような二段の石垣に改修したようです!
 
日ノ池
日ノ池は直径17m! 月ノ池と同じように石垣、石敷きで囲われている

もう一方の大きい池「日ノ池」は、大手虎口を進んだ先の三ノ丸の下にあります。山頂付近にこれほど大きな池があり、一年中水を蓄えているなんて珍しいです!

不思議なことに、池の両端から2ヶ所の井戸が見つかりました。なぜでしょうか? 発掘調査では池の底から、10世紀頃に作られた土馬が確認されています。土馬は雨乞いの祭祀で使用されていたことから、日の池は神聖な儀式を行う場所だったと考えられています。日常の暮らしでは、井戸と池を使い分けていたのかもしれませんね!

富士山も見える! 関東一円を望む圧巻の大パノラマ

西城、眺望スペース
写真は西城の眺望スペース。もちろん、実城からの眺めも抜群だ!

平野に飛び出たような場所にある独立峰の金山は、見晴らしも抜群。山の南に視界を遮る山がないことから、関東平野を一望でき、天候に恵まれた日には富士山や東京スカイツリーも見えますよ!

隈研吾氏デザインのガイダンス施設は先に訪れるのがオススメ

太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設
太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設は、無料で金山城のことが学べる施設だ! 建築デザインは、有名な建築家・隈研吾氏
 
大手虎口模型
大手虎口の模型で、当時の様子をイメージできる

金山の中腹にあるガイダンス施設には、太田金山城の解説や発掘調査でわかったことをまとめたテーマ展示や、文献記録から再現したジオラマ、そして太田金山城の歴史を5分の映像で紹介する「戦国シアター」など、工夫を凝らした紹介があります。

特にオススメは、職員さん手作りの大手虎口模型! 現在は石垣が復元されていますが、かつては立派な櫓門がありました。櫓門は復元されなくても、模型で可視化されることによってかつての様子が理解しやすくなりますね。入館無料と、お財布にも優しい施設になっておりますので、併せて立ち寄ってみてください。城の見学より前に訪問しておくと、遺構を見逃すことなく巡れますよ!

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太田金山城の基本情報
住所:群馬県太田市金山町40-106、ほか
アクセス:東武伊勢崎線「太田駅」より史跡金山城跡ガイダンス施設まで徒歩50分。さらに史跡金山城跡ガイダンス施設から実城まで徒歩30分。または、東武伊勢崎線「太田駅」よりモータープール(山上の駐車場)までタクシーで15分ほど(距離は4.6km)。
★日本100名城スタンプは、日ノ池南側上段の南曲輪休憩所内にあります。(スタンプの設置場所は変更になる場合があります。事前にご確認ください)

太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設+太田市金山地域交流センター
 電話番号:0276-25-1067
 開館時間:9:00〜17:00(最終入館は16:30)
 休館日:月曜日(月曜休日の場合は翌日)、12/29〜1/3
 入館料:無料

太田市教育委員会文化財課
 電話番号:史跡についての問い合わせ 0276-20-7090
 開庁時間:平日、8:30~17:15

いなもとかおり
 執筆/いなもと かおり
 お城マニア&観光ライター
 年間120城巡る城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。※2021年9月プロフィール更新