川越市立博物館前の無料駐車場を利用しました。博物館の川越城下復元模型で全体像を掴むことができます。
川越の蔵造りの街並みや有名な「時の鐘」からもさほど遠くなく徒歩で行けます。
川越城中ノの門堀跡の堀の深さは圧巻ですので、お見逃しなく。
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2026/01/17 10:21
2025/12/06 00:51
喧騒を離れて (2023/03/24 訪問)
小江戸として、和服を着せられた外国人観光客が溢れる通りから離れた位置にあるので、静かに御殿の様子を見られます。
駐車場も広く、天然の堀とされた川を望める位置にあります。
御殿横に休憩所があるので、「街中で慌ただしく食事をするのは」、とお考えの方はこちらでお弁当を広げるのもいいと思います。
川越グルメは色々ありますが、時間とお財布に余裕が有ればぜひとも「江戸裏の鰻」を。
「とおりゃんせ」発祥の地と伝えられている天神様には色々お参りのしきたりがありますので、きちんとルールを守りましょう。
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2025/07/22 20:11
河越城の戦い (2013/12/25 訪問)
河越城は関東管領扇谷上杉氏が古河公方足利成氏に対抗するために太田道真・道灌父子に命じて長禄元年に築いたとされています。扇谷上杉氏はこの河越城を6代、80年に渡って居城としていました。大永4年(1524)北条氏綱は江戸城を攻め落とし、同6年には河越城を攻め、まだ若い上杉家当主の朝定は松山城に逃れ、ついに北条氏は河越城を手中に納めました。
扇谷・山内両上杉氏と古河公方足利晴氏は北条氏康に対抗し連合軍を結成し、大軍を以て川越城を包囲しますが、相手が少数と油断している隙を突いて北条軍は夜襲をかけて敵を撤退に追い込みました。
豊臣秀吉の小田原征伐の後、徳川家康が関東に移封になると酒井重忠が1万石で川越に入り、江戸時代には川越藩の政庁として存続し、現在は本丸御殿の一部が残っています。
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扇谷上杉氏の家宰である太田道真・道灌父子が築城。江戸の背後を守る役割として川越城を重視した徳川家康は譜代の家臣を入城させ、近世城郭として大規模な拡張整備を施した。豪壮な大唐破風屋根の車寄が目を引く本丸御殿が現存し、その棟続きに家老詰所が移築復元されている。
| 城地種類 | 連郭式平山城 |
|---|---|
| 築城年代 | 長禄元年(1457) |
| 築城者 | 太田道真、太田道灌 |
| 主要城主 | 扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、長沢松平氏 |
| 文化財史跡区分 | 県有形文化財(川越城本丸御殿)、県史跡 |
| 近年の主な復元・整備 | 松平(長沢)信綱 |
| 主な関連施設 | 石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 堀、土塁、御殿、移築物3棟 |
| 住所 | 埼玉県川越市郭町2他 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 川越市産業観光部観光課観光推進担当 |
| 問い合わせ先電話番号 | 049-224-5940 |