日本100名城

かわごえじょう

川越城

埼玉県川越市

別名 : 初雁城、霧隠城
旧国名 : 武蔵

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川越城
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宗春

う〜ん (2023/09/17 訪問)

家からさほど遠くないのに、何故か今まで来る事がありませんでした。今年は(大河ドラマ絡みで)全国の東照宮巡りをしているので、川越の仙波東照宮と併せ技でやっと来る事が出来ました。(最近登場した御城印も目当て)

ところが!百名城スタンプ帳を忘れてしまいました。お城によっては、スタンプのインクを拭う(スタンプ帳を閉じた時に向かい側にインクが付かない)ための紙が置いてあるので、一応係の人に聞いてみました。そしたら「無いですね」と冷たく突き放されてしまいました。ちょっと困っていたら、「ソレの裏でいいんじゃない?」と指差した先には入場券が。入場券やパンフ等も保存したいので、何とか財布の中からレシートを探し出してその裏に押しました。

なんかもー本丸御殿とかどーでもよくなりました。

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AJ

Coedo (2016/07/24 訪問)

江戸の衛星城下だった川越(埼玉県川越市)。徳川治世も家光の頃になると出世に必要なのは武功よりもむしろ官僚としての民政能力(とりわけ治水事業)だったとか。5代藩主・松平信綱はその代表格とされる人物で、舟運整備や新田開発で幕領発展のモデルケースを示したそうです。

官職「伊豆守」にかけて「知恵伊豆」(知恵出ず)と呼ばれた老中。一方で、茶の湯、歌、碁のすべてを好まない真面目な性格のためか「才あれど徳なし」のレッテルを貼られたというから少し驚きます。もちろん、こういったオーソドックスな官僚こそが2世紀以上にわたる「パクス・トクガワーナ」の時代を支えたという側面はあるのかもしれません。

川越城は19世紀中ごろに建てられた本丸御殿の一部が現存。かつての城域の大半は博物館や美術館、高校などになっています。もとは15世紀後半、扇谷上杉氏が古河公方に対抗するために築城したと伝わります。一方、先日紹介した鉢形城(埼玉県寄居町。こちらも100名城)に拠った山内上杉氏との抗争も有名で、双方をセットで訪れるとその距離感や事の実相が掴みやすくなりそうです。

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チャッピー

現存御殿の川越城 (2022/07/09 訪問)

現存御殿のある「川越城」に行きました。建物は、学校に使われていたこともあり、天井にバレーボールらしき球体が当たった跡がありました。
また、城内の三芳野神社は、わらべ歌「通りゃんせ」ゆかりの神社です。

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にのまる

【かるた】川越城の読み札

・小江戸川越 散策コースに 川越城

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概要

扇谷上杉氏の家宰である太田道真・道灌父子が築城。江戸の背後を守る役割として川越城を重視した徳川家康は譜代の家臣を入城させ、近世城郭として大規模な拡張整備を施した。豪壮な大唐破風屋根の車寄が目を引く本丸御殿が現存し、その棟続きに家老詰所が移築復元されている。

城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 長禄元年(1457)
築城者 太田道真、太田道灌
主要城主 扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、長沢松平氏
文化財史跡区分 県有形文化財(川越城本丸御殿)、県史跡
近年の主な復元・整備 松平(長沢)信綱
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 堀、土塁、御殿、移築物3棟
住所 埼玉県川越市郭町2他
問い合わせ先 川越市産業観光部観光課観光推進担当
問い合わせ先電話番号 049-224-5940