二条城とともに貴重な本丸御殿が残る川越城。
御殿内の各部屋や庭もよく整備されており、現存天守ともまた違った雰囲気が味わえる。
本丸御殿以外に残っている遺構は少ないが、中ノ門堀跡は当時の堀の深さや規模が感じられる。
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2025/01/11 18:23
2024/09/24 19:32
川越城 (2024/09/14 訪問)
【百名城70城目】
<駐車場他>本丸御殿前に無料駐車場あり。
<交通手段>車
<見所>本丸御殿
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅2城目。7:30前に到着、本丸御殿見学者の駐車場が空いていなかったので初雁公園駐車場に駐車し周辺散策を先にしました。蓮池門跡石碑⇒虎櫓跡⇒三芳野神社と土塁⇒富士見櫓跡は高土塁上にある櫓跡で天守の代わりだったそうで礎石の残る曲輪はなかなか。周辺遺構はあまり無いのですぐに見終わる。9:00まで車で待機しましたが本丸御殿が開館しないので、博物館を先に見学し⇒そのあと本丸御殿、本丸御殿も現存するのは一部だそうですが、修復時のVTRが流れていて大がかりな工事だった様子がよく分かる。唐破風の玄関を入って大広間にある襖絵は見応えがあります。
本丸御殿見学後に⇒中の門堀跡⇒西にある小江戸の通りを通り(すごい人の数)時の鐘を見て終了しました。期待した現存本丸御殿は良かったですが、その他の遺構の見所が少なかった。また御城印が販売終了となっていて残念‥‥百名城なのに‥‥。
老中を多く輩出している川越藩の天守代用の富士見櫓台でさえ石垣造りではなく土塁盛とは、幕府に遠慮してか、はたまた藩主は江戸住まいがほとんどでお城は気にしてなかったか。
<満足度>★★☆☆☆
<グルメ>小江戸の街の飲食店が開店前だったので名物太麺やきそばを本丸御殿前の小峰商店にていただきました。
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2024/09/08 21:01
川越城訪問 (2006/05/05 訪問)
過去の城郭巡りの振り返り第24弾は、埼玉県川越市の川越城。
入間川の南、武蔵野台地の北端の縁に築かれた城。
1457年に古河公方に対抗するため太田道真・道灌父子が築いたと伝わる、その主君扇谷上杉氏の居城。
1537年、北条氏綱により攻め落とされ、1576年には北条家臣の大道寺政繁が改修。
家康の関東移封後は酒井重忠などの酒井氏、近代城郭に整備した松平信綱からの大河内松平氏3代、秋元氏4代、結城松平氏7代などが城主となり幕末を迎えました。
現在は本丸付近が初雁公園となり、土塁と希少な本丸御殿の一部が残る城。
しかし城域の多くは学校や博物館、住宅地で、要所に標柱が立てられているものの城感は薄い状態。
最初の訪問時は、秋元氏の時代に先祖がこの周辺にいたのかと考えた以外、あまり記憶になし。
ところが改めて縄張図を見ると魅力的な城郭で、大手門と中曲輪の南門に丸馬出を備え、他の虎口には喰違虎口を採用。最終関門の本丸北門は甘い平虎口だが、東側にその目隠しなのか横矢を掛ける目的なのか本丸からの突出部を設置していた模様。
そんな構造を少しでも感じることができないかと2年前に再訪問すると、初雁公園は城址公園としての整備が進行中とのこと。
要塞らしい虎口の復元を期待したい川越城です。
※写真1~6,9,10は2022年9月の撮影
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扇谷上杉氏の家宰である太田道真・道灌父子が築城。江戸の背後を守る役割として川越城を重視した徳川家康は譜代の家臣を入城させ、近世城郭として大規模な拡張整備を施した。豪壮な大唐破風屋根の車寄が目を引く本丸御殿が現存し、その棟続きに家老詰所が移築復元されている。
城地種類 | 連郭式平山城 |
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築城年代 | 長禄元年(1457) |
築城者 | 太田道真、太田道灌 |
主要城主 | 扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、長沢松平氏 |
文化財史跡区分 | 県有形文化財(川越城本丸御殿)、県史跡 |
近年の主な復元・整備 | 松平(長沢)信綱 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 堀、土塁、御殿、移築物3棟 |
住所 | 埼玉県川越市郭町2他 |
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問い合わせ先 | 川越市産業観光部観光課観光推進担当 |
問い合わせ先電話番号 | 049-224-5940 |