河越城は関東管領扇谷上杉氏が古河公方足利成氏に対抗するために太田道真・道灌父子に命じて長禄元年に築いたとされています。扇谷上杉氏はこの河越城を6代、80年に渡って居城としていました。大永4年(1524)北条氏綱は江戸城を攻め落とし、同6年には河越城を攻め、まだ若い上杉家当主の朝定は松山城に逃れ、ついに北条氏は河越城を手中に納めました。
扇谷・山内両上杉氏と古河公方足利晴氏は北条氏康に対抗し連合軍を結成し、大軍を以て川越城を包囲しますが、相手が少数と油断している隙を突いて北条軍は夜襲をかけて敵を撤退に追い込みました。
豊臣秀吉の小田原征伐の後、徳川家康が関東に移封になると酒井重忠が1万石で川越に入り、江戸時代には川越藩の政庁として存続し、現在は本丸御殿の一部が残っています。
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