日本100名城

かわごえじょう

川越城

埼玉県川越市

別名 : 初雁城、霧隠城
旧国名 : 武蔵

投稿する
川越城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

河越城の戦い (2013/12/25 訪問)

河越城は関東管領扇谷上杉氏が古河公方足利成氏に対抗するために太田道真・道灌父子に命じて長禄元年に築いたとされています。扇谷上杉氏はこの河越城を6代、80年に渡って居城としていました。大永4年(1524)北条氏綱は江戸城を攻め落とし、同6年には河越城を攻め、まだ若い上杉家当主の朝定は松山城に逃れ、ついに北条氏は河越城を手中に納めました。
扇谷・山内両上杉氏と古河公方足利晴氏は北条氏康に対抗し連合軍を結成し、大軍を以て川越城を包囲しますが、相手が少数と油断している隙を突いて北条軍は夜襲をかけて敵を撤退に追い込みました。

豊臣秀吉の小田原征伐の後、徳川家康が関東に移封になると酒井重忠が1万石で川越に入り、江戸時代には川越藩の政庁として存続し、現在は本丸御殿の一部が残っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

tomo

久々に妻と一緒に (2025/03/15 訪問)

早朝から電車で埼玉県の川越に行きました。
氷川神社と本丸御殿、三芳野神社を経由して時の鐘に行きました。最近は城よりも城下の街並みを歩くのが楽しみになってきました。

+ 続きを読む

シャンシャン

現存本丸御殿 (2025/01/08 訪問)

二条城とともに貴重な本丸御殿が残る川越城。
御殿内の各部屋や庭もよく整備されており、現存天守ともまた違った雰囲気が味わえる。
本丸御殿以外に残っている遺構は少ないが、中ノ門堀跡は当時の堀の深さや規模が感じられる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

川越城 (2024/09/14 訪問)

【百名城70城目】
<駐車場他>本丸御殿前に無料駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>本丸御殿
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅2城目。7:30前に到着、本丸御殿見学者の駐車場が空いていなかったので初雁公園駐車場に駐車し周辺散策を先にしました。蓮池門跡石碑⇒虎櫓跡⇒三芳野神社と土塁⇒富士見櫓跡は高土塁上にある櫓跡で天守の代わりだったそうで礎石の残る曲輪はなかなか。周辺遺構はあまり無いのですぐに見終わる。9:00まで車で待機しましたが本丸御殿が開館しないので、博物館を先に見学し⇒そのあと本丸御殿、本丸御殿も現存するのは一部だそうですが、修復時のVTRが流れていて大がかりな工事だった様子がよく分かる。唐破風の玄関を入って大広間にある襖絵は見応えがあります。
 本丸御殿見学後に⇒中の門堀跡⇒西にある小江戸の通りを通り(すごい人の数)時の鐘を見て終了しました。期待した現存本丸御殿は良かったですが、その他の遺構の見所が少なかった。また御城印が販売終了となっていて残念‥‥百名城なのに‥‥。
 老中を多く輩出している川越藩の天守代用の富士見櫓台でさえ石垣造りではなく土塁盛とは、幕府に遠慮してか、はたまた藩主は江戸住まいがほとんどでお城は気にしてなかったか。

<満足度>★★☆☆☆
<グルメ>小江戸の街の飲食店が開店前だったので名物太麺やきそばを本丸御殿前の小峰商店にていただきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

扇谷上杉氏の家宰である太田道真・道灌父子が築城。江戸の背後を守る役割として川越城を重視した徳川家康は譜代の家臣を入城させ、近世城郭として大規模な拡張整備を施した。豪壮な大唐破風屋根の車寄が目を引く本丸御殿が現存し、その棟続きに家老詰所が移築復元されている。

城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 長禄元年(1457)
築城者 太田道真、太田道灌
主要城主 扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、長沢松平氏
文化財史跡区分 県有形文化財(川越城本丸御殿)、県史跡
近年の主な復元・整備 松平(長沢)信綱
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 堀、土塁、御殿、移築物3棟
住所 埼玉県川越市郭町2他
問い合わせ先 川越市産業観光部観光課観光推進担当
問い合わせ先電話番号 049-224-5940