いつも元日のテレビで見ていたので一度行きたいと思っていた山城の名城
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2025/08/12 19:13
2025/04/24 20:03
本丸残存石垣 スタンプあるある (2025/03/16 訪問)
金山城主要部は、日の池の北側に二の丸があり、西手に一段下がって三の丸、東の最高所が本丸で新田神社が祭ってあります。本丸石段下を西手から北側に回り込んでいくと天主曲輪裏馬場があり(この城は天主表記)、本丸の残存石垣を見ることが出来ます。金山城の石垣がどこまで当時の物かは解りませんが、それでもかなりの物であったと思います。北条氏がなぜ、ここに石垣の城を築こうとしたのかも良く解らないんですね。
そういえば百名城・続百名城の二冊目のスタンプ帳で箕輪城のスタンプを押す際に間違って金山城の所に押していました。この場合、箕輪城を空けておいて、テレコにして両矢印を書き加えておくのがスマートなやり方だったんだけど、分かんないから両方に箕輪城のスタンプを押してあります。しょうがないので、箕輪城の上から金山城を押しました・・。
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2025/04/24 18:39
月の池、日の池 (2025/03/16 訪問)
金山城は応仁3年(1469)に築かれたとされ、戦国期には由良氏の城となり、現代残っている普請は北条氏の指示の下、天正15年頃に整備されたもののようです。豊臣秀吉の小田原攻めの頃には北条氏の城になっていたようですが、北条の城にしては珍しい石垣の城です。
大堀切の近くに月の池があり、大手虎口の先に城の主要部が広がっているのですが、いかつい石垣の城と言うより、アンデスあたりに有る山岳部の石の集落の様な雰囲気です。なんとなくマチュピチュ感ありますね・・。
月の池、日の池もインパクトあるし、なんとなく某アプリの築城を思い出してしまう、こっちがオリジナルなんだけど。
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2025/03/29 07:01
不思議な世界が広がる。 (2025/03/16 訪問)
新田金山城は標高235.8mの金山(かなやま)の上に築かれています。古くは建武3年(1336)に佐野義綱が新田荘の新田城を攻め落としたとする記録が残っています。
応仁3年(1459)には新田一族である岩松家純が入りますが、享禄元年(1528)横瀬泰繁・成繁の父子が岩松氏を殺害し、後に由良氏に改姓、以後豊臣秀吉の小田原攻めで廃城になるまで由良氏によって金山城は支配されます。上杉、武田、北条の争奪戦が行われますが、天正12年に北条氏に降伏したとみられ、天正15年(1587)には今の状態に普請が行われたようです。
唐沢山城を除けば関東では珍しい石垣の城だと思います。高い石垣を築く技術が未発達なためか、どこかの国の遺跡のような段々の石垣が見られます。築城技術の発達した近世の総石垣の城とも雰囲気が異なり、石垣を多用したゴージャスな砦の様な感じです。
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金山山頂の実城(本丸)を中心に、四方に伸びる尾根を削って曲輪を造り、堀切・土塁で守った堅固な山城。石垣や石敷きの通路、さらには石積みされた土塁など、あらゆる所に石を用いた総石造が特徴的だ。通路が石で埋め尽くされた大手虎口や南曲輪などが復元整備されている。
城地種類 | 連郭式山城 |
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築城年代 | 文明元年(1469) |
築城者 | 岩松家純 |
主要城主 | 岩松氏、由良氏、高山氏、宇津木氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(金山城跡) |
近年の主な復元・整備 | 後北条氏 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、馬出、井戸 |
住所 | 群馬県太田市金山町40-98 |
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問い合わせ先 | 太田市教育委員会文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0276-20-7090 |