新田金山城は標高235.8mの金山(かなやま)の上に築かれています。古くは建武3年(1336)に佐野義綱が新田荘の新田城を攻め落としたとする記録が残っています。
応仁3年(1459)には新田一族である岩松家純が入りますが、享禄元年(1528)横瀬泰繁・成繁の父子が岩松氏を殺害し、後に由良氏に改姓、以後豊臣秀吉の小田原攻めで廃城になるまで由良氏によって金山城は支配されます。上杉、武田、北条の争奪戦が行われますが、天正12年に北条氏に降伏したとみられ、天正15年(1587)には今の状態に普請が行われたようです。
唐沢山城を除けば関東では珍しい石垣の城だと思います。高い石垣を築く技術が未発達なためか、どこかの国の遺跡のような段々の石垣が見られます。築城技術の発達した近世の総石垣の城とも雰囲気が異なり、石垣を多用したゴージャスな砦の様な感じです。
+ 続きを読む