日本100名城

にったかなやまじょう

新田金山城

群馬県太田市

別名 : 太田金山城、金山城
旧国名 : 上野

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新田金山城
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しんちゃん

不思議な世界が広がる。 (2025/03/16 訪問)

新田金山城は標高235.8mの金山(かなやま)の上に築かれています。古くは建武3年(1336)に佐野義綱が新田荘の新田城を攻め落としたとする記録が残っています。
応仁3年(1459)には新田一族である岩松家純が入りますが、享禄元年(1528)横瀬泰繁・成繁の父子が岩松氏を殺害し、後に由良氏に改姓、以後豊臣秀吉の小田原攻めで廃城になるまで由良氏によって金山城は支配されます。上杉、武田、北条の争奪戦が行われますが、天正12年に北条氏に降伏したとみられ、天正15年(1587)には今の状態に普請が行われたようです。
唐沢山城を除けば関東では珍しい石垣の城だと思います。高い石垣を築く技術が未発達なためか、どこかの国の遺跡のような段々の石垣が見られます。築城技術の発達した近世の総石垣の城とも雰囲気が異なり、石垣を多用したゴージャスな砦の様な感じです。

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しんちゃん

スルー出来ないでしょう (2025/03/16 訪問)

二日ほど某アプリを控えていたら年間ランキングが26→29に下がっている。う~ん・・油断がならないな。途中参加とはいえ30位以内はキープしておきたいので、来週また走りましょう(シュラシュシュシュ)。
某アプリで攻城数を稼ぎながら移動中、新田金山城の標示をみて吸い込まれるように、そっち方面へ。ああ、抗えない・・抗えない。この日は雨ですが、道は比較的整備されているので傘をさして散策できます(多少は濡れる)。
なんといってもオリジナルの石畳が良い。再現されている部分もあるかも知れないけど、足元がコンクリートで補強されていると悲しいので、これは嬉しい。以前訪問しなかった見附出丸・南土塁を見た後は西矢倉台西堀切→馬場下通路を通って先を目指します。今回は天気が悪いので物見台はパスします。

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ぴーかる

新田金山城 (2024/01/12 訪問)

【百名城73城目】
<駐車場他>金山展望台駐車場数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切・虎口
<感想>1泊2日栃木・群馬旅3城目。最初に展望台にて眺望を堪能して、見附出丸と南端の堀切⇒西城⇒西櫓台・堀切⇒物見台下虎口・馬場下通路⇒物見台⇒馬場曲輪跡⇒鍛冶曲輪跡⇒月ノ池・大手虎口⇒南曲輪⇒南木戸残存石垣⇒日ノ池・御台所曲輪⇒本丸⇒北へ降りて実城北端堀切⇒北城跡⇒坂中城跡⇒天神山山頂の順で巡りました。圧巻の見応えはやはり復元はされていますが大手虎口跡の石畳のある石垣段と珍しい石組みの巨大な池で見応えがありました。また発掘調査されていなさそうな鍛冶曲輪や崩落した南木戸残存石垣は生の遺構が残り、興奮し斜面にへばりついて「すげー」とつぶやきながらたっぷり3時間散策を堪能しました。これにて群馬県の百・続百名城制覇。

<満足度>★★★★★

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小城小次郎

見附出丸の見どころ (2024/01/14 訪問)

広大過ぎて一度に全部は見切れないお城なのだが訪れる人が少ない見附出丸を敢えてご紹介。本来の城道を辿るだけでなく旧城道と無関係の遊歩道がいかに虎口っぽく見えるかというだけでも勉強になると思う。

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概要

金山山頂の実城(本丸)を中心に、四方に伸びる尾根を削って曲輪を造り、堀切・土塁で守った堅固な山城。石垣や石敷きの通路、さらには石積みされた土塁など、あらゆる所に石を用いた総石造が特徴的だ。通路が石で埋め尽くされた大手虎口や南曲輪などが復元整備されている。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 文明元年(1469)
築城者 岩松家純
主要城主 岩松氏、由良氏、高山氏、宇津木氏
文化財史跡区分 国史跡(金山城跡)
近年の主な復元・整備 後北条氏
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、馬出、井戸
住所 群馬県太田市金山町40-98
問い合わせ先 太田市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0276-20-7090