日本100名城

にったかなやまじょう

新田金山城

群馬県太田市

別名 : 太田金山城、金山城
旧国名 : 上野

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新田金山城
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HARU

新田金山城 (2018/05/18 訪問)

石造の巨大な山城で、大手虎口や日の池などが復元整備されています。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/04/28 訪問)

※唐沢山城と共に登城
6:58新宿(JR)、7:29,7:43大宮(JR)、8:03,8:12久喜(東武)、8:42,8:55館林(東武)、9:31田沼
(徒歩45分)唐沢山城跡(続百名城スタンプ 唐沢山神社9:00-17:00)
12:15田沼(東武)、12:47,13:09館林(東武)、13:36太田
  ※駅ビル太田市観光案内所でレンタサイクル(17時まで)
(2.7km)史跡金山城跡ガイダンス施設(百名城スタンプ 9:00-16:30)
 太田泊

※唐沢山城は公共交通手段がなく、沼田駅から歩くかタクシーになります
※太田駅から金山城跡へは上りなのでレンタルサイクルは電動アシスト付がおすすめ

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イタさん

主郭部の復元石垣が見事 (2023/09/25 訪問)

 太田市のHPには、文明元年(1469)に新田(岩松)家純の命により築城。その後、岩松氏の重臣であった横瀬氏(後の由良氏)が実質上の城主となる。金山城下は10数回もの攻撃を受けるが、一度も中枢にまで攻め込まれずその堅固さを誇る。天正18年(1590)豊臣秀吉の北条氏討伐により廃城となる。
 築城は四期に分けられると考えられ、第一期は実城・二 ノ丸・三ノ丸程度の規模と考えられる。第二期は山城と日常空間とが一体化し、本城として拡張されていく時期、明応4年(1495)に起こった明応の乱では『松陰私語』の記事に[真城](実城)と[中城]の存在が明記されている。[中城]は馬場曲輪、馬場下周辺と考えられている。この頃の縄張りは、南方に御台所曲輪、南曲輪とその帯曲輪、西方が馬場曲輪・馬場下を含め物見台下堀切まで広がったと考えられる。第三期は有力大名の攻撃を頻繁に受け、修築がしばしば行われ、永禄9年(1566)から天正12年(1584)の北条氏に城を明け渡すまでと考えられています。 第四期は北条氏支配時代と考えられ、西城域西端の見附出丸や八王子山ノ砦から尾根伝いに延びる二重土塁と堀切などに北条氏特有の縄張りが顕著に見られる、等々と載る。
 北城・八王子山ノ砦は行けなかったが、一般の散策コースの駐車場から実城までを見学する。

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AJ

狭間をゆく城 (2023/07/18 訪問)

若干使い古された感が否めない言い回しですが、関東では珍しい石垣造りの中世・戦国山城。太田金山城(群馬県太田市)。そしてこれも同地域の名城とされる城跡ではお決まりの枕詞ですが、上杉や武田との攻防を耐え抜いた難攻不落の要塞。確かにその通りではありますが、それ以上の何かをお伝えできればと思います。

実城(本丸)域で多用された石垣(ではなく「石積み」と呼ぶべきとの意見もあるようです)に関しては、金山自体が岩盤でできていたため、資材調達には困らなかったと思われます。もちろん整形にはかなりの技量を要したでしょうから、大手の厳重な構造は当時から、訪れる人を圧倒したのではないでしょうか。あの太田道灌が「天下の名城」と絶賛したとか。

新田一族の岩松氏によって築城されたのが1469年。標高239mの山頂部から複数の尾根上の広範囲に曲輪群が展開します。実城へ続く道はとりわけ戦闘的で、竪堀・堀切・土塁に加えて木橋や桟道も。重要な通路は絶妙に折り曲げられ、石垣上からの横矢はデフォルト。

さて、これだけ堅固な城に拠りながら、群馬生え抜きの戦国大名に育たなかったと聞くと、若干不思議に思われるかもしれません。そこに、この城を規定した地域要因がありそうです。

いわば紛争地帯の城。大名を志向するよりも、あくまで地域勢力(国衆)としての生き残りを模索したあとがうかがえます。つまり、周辺に台頭した大名(武田、越後長尾、後北条)間の争奪戦の渦中にありながら、彼らのいずれかと結んで命脈を保つという戦略。その強かさに興味をそそられる人は少なくないかもしれません。

主家の地位をおかして金山をおさえた横瀬氏(のちに由良に改姓)は北条に仕えながら越相同盟(1569)の成立に貢献します。同盟はのちに破棄され、金山は上杉に攻め込まれますが、見事にこれを撃退。単なる領境の要塞ではおさまらないポテンシャルを秘めた名城です。そんなストーリーを思い浮かべながら歩いてみてはいかがでしょうか。

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概要

金山山頂の実城(本丸)を中心に、四方に伸びる尾根を削って曲輪を造り、堀切・土塁で守った堅固な山城。石垣や石敷きの通路、さらには石積みされた土塁など、あらゆる所に石を用いた総石造が特徴的だ。通路が石で埋め尽くされた大手虎口や南曲輪などが復元整備されている。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 文明元年(1469)
築城者 岩松家純
主要城主 岩松氏、由良氏、高山氏、宇津木氏
文化財史跡区分 国史跡(金山城跡)
近年の主な復元・整備 後北条氏
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、馬出、井戸
住所 群馬県太田市金山町40-98
問い合わせ先 太田市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0276-20-7090