夏の18きっぷの5回目です。
2018年春に訪れた際に県警本部まわりの土塁で満足してしまっていたので再訪しました。
まずは群馬県庁舎32階の展望フロアへ。
前回訪問時に見た夕焼けが忘れられず、真っ昼間だったけれど上がってみました。
が、何やら大きなイベントの真っ最中。眺望はおあずけのようでしたので、26階のふれあいテラスへ下りてみました。するとそこには群馬県の大きなジオラマが!陶器製で上を歩いても平気。群馬県にはなんだかんだで10回近く足を踏み入れているのではないかと思うのですが、訪れた場所の記憶はあっても県全体の地理や地形はまるでわかっていなかったので、これはとても勉強になりました。
地上に下りて、周囲の土塁をまわります。
一帯は本丸御殿跡。幕末から明治維新後までのわずかな期間存在した「再築前橋城」の記憶を今に伝える残存土塁は今もがっちりと県の本丸を守っています。樹木のせいか孕みのようなところがあったのが気にかかります。
続いて、北側の道路を渡ったところにある前橋公園へ行きました。楫取素彦らの銅像に「花燃ゆ」を思い出します。
この公園内にとても大きな土塁が残されていました。鮮やかな緑に覆われた土塁は桜並木の遊歩道を備えており、登って歩くことができます。「再築前橋城復元図」と比べてみると、土塁の端あたりに砲台が設置され、右へカーブして天守台跡の方へ続いていたようです。さちの池の向こう側から眺めるとより土塁らしさを感じられました。
一旦公園から離れ、前橋護国神社、東照宮、臨江閣をまわってから天守台跡である虎姫観音堂へ行ってみました。県庁舎の真裏(西側)で、利根川をはさんだ対岸は石倉城跡になります。
天守があったのは酒井氏の時代で、現在の県庁舎は当時は三の丸だったようです。「前橋城絵図」に描かれているのは三層の天守。現地にも「前橋城天守閣推定復原図」が掲示されていました。栄枯盛衰、利根川と共にあったこの地の歴史を感じられる場所でした。
続いて向かったのは車橋門です。再築後の遺構でさえ少ない中で、酒井氏時代の城の姿を伝える大変貴重な門跡だそうです。
区画整理事業により片方の台石が移動され間隔が狭くなっているそうですが、表通りから裏の通りまで抜けられるように整備されているので門の雰囲気を味わうことができました。
最後に、駅へ戻りつつ大手門跡へ行ってみました。
2年前、工事現場で酒井氏時代の大手門の石垣が発見されたと話題になったところです。埋め戻されていることは承知のうえで本町1丁目交差点へ。“大手門”のつく新しめのビルがあったのでこのあたりかなと。車橋門との位置関係も把握できたので、何もなくてもその場所を押さえておくのは大事だなと思いました。
かつて家康に“関東の華”と言わしめた「厩橋城(4代藩主酒井忠清の時に前橋城と改称)」と、住民らの100年の悲願が咲かせた“最後の華”「再築前橋城」。
重なり合う二つの華を背景に成長してきた町なかを2時間ほど歩いてみて、少ない遺構を繋ぎ合わせて自分の頭の中で城をよみがえらせる楽しさを味わいました。
※現地解説板のほか、
「関東の華前橋城・ときめきの県庁前史」(群馬県埋蔵文化財調査事業団)
「江戸東京博物館地域展-前橋遺跡―」チラシ
「前橋まちなか&新前橋駅周辺マップ」
を参考にしました。
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