萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第28回 村上城 近世の石垣が圧巻!中世の竪堀に驚愕!

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。28回目の今回は、中世の山城と近世の城郭の特徴が見られる、越後を代表する名城・村上城(新潟県)をピックアップします。

村上城、石垣
本丸の石垣

圧巻の石垣と、本丸からの絶景が魅力

村上城の特徴は、中世の城と近世の城が共存していること。中世には国人領主・本庄氏の山城として機能し、近世には山頂付近を中心に、8メートルもの高い石垣が積まれ天守が建つ城へとリフォームされた歴史があります。

戦国時代の越後北部は、揚北衆と呼ばれる国人領主が割拠し、村上城の本庄氏、大葉沢城(村上市)の鮎川氏、平林城(村上市)の色部氏などが越後守護の上杉氏にも反抗しながら勢力を争っていました。

本庄氏の最盛期を築いたのは、謙信に従い川中島へも出陣した本庄繁長でした。繁長が天正18年(1590)に改易されると、村上城は上杉景勝の支配下に。直江兼続の実弟・大国実頼の預かりとなり、城代が置かれました。慶長3年(1598)に景勝が会津へ転封になると村上頼勝が9万石で入り、その後は堀氏、松平氏、本多氏などが入って、享保5年(1720)以降は内藤氏が明治維新まで治めました。城を近世城郭へと大改修し城下町を整備したのは、元和4年(1618)に入った堀氏のようです。

村上城、本丸
本丸からの眺望

背後に残された、驚愕の竪堀も必見!

登城口から切り開かれた七曲道を20分ほど登ると、山頂の御鐘門跡に到着します。高い石垣に圧倒されながら、三の丸から二の丸、そして本丸へ。天守台からの絶景も、村上城の魅力のひとつです。城下を一望でき、晴れた日には日本海や朝日連峰の山々も望めます。城のある臥牛山は独立した丘陵ですが、南側は瀬波の丘陵、北側は三面川が日本海方面に向かって東西に続いています。日本海、瀬波の丘陵、三面川、そして湿地帯に守られた立地ということでしょう。

東斜面に展開する中世の村上城も見逃せません。改変により西側の構造は定かではありませんが、東側は約700メートルにわたり総構の土塁が裾をめぐっていたと考えられ、山頂と総構はいくつもの竪堀で結ばれていたようです。大きく4つの曲輪が置かれ、雛壇状に小さな曲輪がいくつも並んでいました。

とくに圧巻なのが、東虎口まで一直線に落ちる巨大な竪堀です。「完全なる石垣づくりの城と思いきや、背後にこれほどの竪堀を隠し持っていたとは!」と、驚くはずです。上杉氏の侵攻に備えてか、意識されているのは東南側。東虎口付近の構造もすばらしく、食い違うラインと竪堀のコンビネーション、横堀との融合が楽しめます。中世遺構散策コースとして整備されていますが、足元は悪いためスニーカーで訪れるのがおすすめです。

村上城、竪堀
斜面に残る竪堀

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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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