2020/03/19
萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第28回 村上城 近世の石垣が圧巻!中世の竪堀に驚愕!
城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。28回目の今回は、中世の山城と近世の城郭の特徴が見られる、越後を代表する名城・村上城(新潟県)をピックアップします。
本丸の石垣
圧巻の石垣と、本丸からの絶景が魅力
村上城の特徴は、中世の城と近世の城が共存していること。中世には国人領主・本庄氏の山城として機能し、近世には山頂付近を中心に、8メートルもの高い石垣が積まれ天守が建つ城へとリフォームされた歴史があります。
本庄氏の最盛期を築いたのは、謙信に従い川中島へも出陣した本庄繁長でした。繁長が天正18年(1590)に改易されると、村上城は上杉景勝の支配下に。直江兼続の実弟・大国実頼の預かりとなり、城代が置かれました。慶長3年(1598)に景勝が会津へ転封になると村上頼勝が9万石で入り、その後は堀氏、松平氏、本多氏などが入って、享保5年(1720)以降は内藤氏が明治維新まで治めました。城を近世城郭へと大改修し城下町を整備したのは、元和4年(1618)に入った堀氏のようです。
本丸からの眺望
背後に残された、驚愕の竪堀も必見!
登城口から切り開かれた七曲道を20分ほど登ると、山頂の御鐘門跡に到着します。高い石垣に圧倒されながら、三の丸から二の丸、そして本丸へ。天守台からの絶景も、村上城の魅力のひとつです。城下を一望でき、晴れた日には日本海や朝日連峰の山々も望めます。城のある臥牛山は独立した丘陵ですが、南側は瀬波の丘陵、北側は三面川が日本海方面に向かって東西に続いています。日本海、瀬波の丘陵、三面川、そして湿地帯に守られた立地ということでしょう。
東斜面に展開する中世の村上城も見逃せません。改変により西側の構造は定かではありませんが、東側は約700メートルにわたり総構の土塁が裾をめぐっていたと考えられ、山頂と総構はいくつもの竪堀で結ばれていたようです。大きく4つの曲輪が置かれ、雛壇状に小さな曲輪がいくつも並んでいました。
とくに圧巻なのが、東虎口まで一直線に落ちる巨大な竪堀です。「完全なる石垣づくりの城と思いきや、背後にこれほどの竪堀を隠し持っていたとは!」と、驚くはずです。上杉氏の侵攻に備えてか、意識されているのは東南側。東虎口付近の構造もすばらしく、食い違うラインと竪堀のコンビネーション、横堀との融合が楽しめます。中世遺構散策コースとして整備されていますが、足元は悪いためスニーカーで訪れるのがおすすめです。
斜面に残る竪堀
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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。