続日本100名城

たきやまじょう

滝山城

東京都八王子市


旧国名 : 武蔵

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滝山城
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じゅんじん

8年ぶり2回目 (2023/01/04 訪問)

土木技術の高さがわかります。よきお城。土の城代表格です。

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AJ

戦国インフルエンサー (2022/12/27 訪問)

「滝山城なう。2万で攻めてもまだ落ちない。てか、こっち兵力10倍なんですけど。この城マジやばくね」。例えば信玄がこんなつぶやきを残していたら、、、。

関東の山城を歩くと、ある程度定型化された枕詞を耳にします。曰く「武田の猛攻に耐えた」、「謙信が落とせなかった」、「道灌が絶賛した」などなど。中には誇張表現もあるため、耳にするたびに「またか」との思いがもたげますが、実際に木々に分け入り、空堀に降り立ち、枡形で横矢を浴び(妄想)、小ぶりでも丁寧に保存された馬出を目の当たりにしたりすると、多くの場合、それなりに満足して家路につけます。彼ら戦国インフルエンサーの“お墨付き”は評価基準になり得るものと考えます。

というわけで、滝山城(東京都八王子市)。枕詞をそのまま借りると、北条が「武田を撃退した堅城」。1569年、信玄は2万の軍勢を率いて関東に侵攻。このとき城には北条氏照率いる2千の兵が籠もり、辛うじて落城を免れたといいます。

多摩川が形成した河岸段丘上に位置し、高さは約80メートル。大小の曲輪群を横堀が取り巻くTHE北条流と呼べる城でした。氏照は二の丸をメインに改修し、3カ所の虎口それぞれの前面に角馬出を設けます。どうやら武田軍はここを抜けなかったようです。加えて、迷路のような縄張と、高低差を活かした防御システムは今でも十分堪能できます。

その後、氏照はさらなる要害堅固の地を求めて八王子城(同市)に居城を移します。関東屈指の山城ですが、秀吉の小田原攻めに際し、主力不在で陥落。見せしめで婦女子の血が多く流れたと伝わる悲劇の城でもあります。

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モト

名城には何度行っても (2022/09/17 訪問)

何度訪れても深い堀や高い土塁、見事な遺構に大満足の滝山城です。
何度か訪れた事のある滝山城でしたが、いつ来てもほんと心踊る遺構たちです。
何回来てもまた違う見え方もする事もありますし、城巡りは辞められませんね。

実はこの日は払沢の滝を見に行くという事でこの地を通りました。
目的地に向かっている最中にに携帯のナビを見ながらまさか横を通る事に気がつきました。
たとえ別の目的があって近くに来たとしてもこんな素晴らしい城跡に寄らないなんて選択肢はありませんでした。

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シェル

東京に残る土作りの名城 (2022/11/16 訪問)

京王八王子駅の4番バス停から西東京バスに乗車し、滝山城址下バス停で下車。(30分程度)
バス停付近に、案内板が設置されており、パンフレットが用意されています。
バス停近くの入口から入り、大手口(天野坂)から登城
空堀や土塁、馬出、虎口などの遺構が多く残り、案内板も多く設置されていて分かりやすいです。
スタンプは中の丸にて押印
中の丸のトイレには、バス停の時刻表が掲示されています。

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城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 大永元年(1521)
築城者 大石定重
主要城主 大石氏、北条氏照
文化財史跡区分 国史跡(滝山城跡)
近年の主な復元・整備 北条氏照
主な関連施設 橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸、馬出、虎口
住所 東京都八王子市丹木町
問い合わせ先 八王子市生涯学習スポーツ部文化財課
問い合わせ先電話番号 042-620-7265