滝山城の経緯は諸説ありますが永禄10年(1567)までには改修、もしくは新たに築城されたかのいずれかで北条氏照の居城になっています。永禄12年(1569)には小田原攻撃に向かう武田信玄の軍勢の攻撃を受け、何らかの被害を受けているようです(これも諸説あり)。天正15年(1587)前後に氏照は、より守りの強固な八王子城に本拠を写しますが、豊臣秀吉が小田原征伐の際に作成した城と軍勢にかかわる覚書の中に、北条氏照の管轄する6つの城の中の一つ(竹中の城)として記載が有るようで、この頃までは城郭として機能していたようです。
広大な城域と技巧的な縄張りを持っており、私は関東でも屈指の土の城だと思います。土塁や堀切はもちろん馬出しや、横矢のかかる屈折した土橋もあり、本丸には桝形も備えていて、土の城の要素がすべて詰まっているといっても過言ではないと思います。自然の豊かな八王子市とはいえ、これほどの名城が東京に残っていることに感心しきりであります。
+ 続きを読む