戦国武将と城|小和田哲男 <織田信長と城>第3回 岐阜城信長居館のルーツは小牧山城か

永禄10年(1567)8月15日、織田信長は稲葉山城の斎藤龍興を逐うとともに、それまでの居城だった尾張小牧山城から移り、名を岐阜城と変えている。美濃の禅僧たちの間で、岐山・岐陽・岐阜といった雅名がよく使われていたからである。その岐阜城は、金華山々頂の標高336m(比高308m)の山城部分と麓の居館部分に分かれていて、2007年から居館部分の本格的な発掘調査が進められている。そこは槻谷(けやきだに)とよばれる谷合を流れる川の両側に段下りに展開しており、注目されるのは発掘調査の結果、これまでに5ヵ所の庭園跡がみつかっていることである。

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