【日本100名城・明石城(兵庫県)】西国の抑えとして築かれた、現存三重櫓が煌めく城

2019年に、築城400周年を迎える明石城!この城の魅力は、なんといっても現存する2基の三重櫓。そして、五重天守を構えられるほどの大きさを誇る天守台や、350mも続く高さ20mの石垣。剣豪・宮本武蔵が町割りをしたと記録が残る城下町など、明石城の魅力をたっぷりご紹介します!



西国の抑えとして築かれた明石城

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2基の櫓は明石城のシンボル!木々が伐採され見やすくなった(写真提供:一般社団法人 明石観光協会)

明石に城が築かれたのは、平和な世となった元和5年(1619)、時の将軍は2代徳川秀忠の頃です。明石城は、外様大名が多い西国の抑えとしての役を担いました。初代藩主となった小笠原忠政(のちに忠真)は、転封(幕府の命令で領地を移すこと)する前、長野県にある松本城の城主だった人物。大坂の陣で大活躍をし、徳川家にとって頼れる人材だったようですね。

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明石・魚の棚商店街。すでに享保21年・元文元年(1736)〜元文6年・寛保元年(1741)には生ものを取扱う魚屋が56件、干物店が50件もあった

新城築城と共に整備されたのが城下町! 西国街道、明石海峡と水陸交通の要所にあり、今の明石の街に通じる礎となっています。一説によると城下の町割りを行ったのは、剣豪・宮本武蔵だったとか!? 武蔵は、明石城の縄張指導を担当した姫路藩主・本多家に召し抱えられていたため、ご縁があったのかもしれませんね。しかし、武蔵が城下を整備したという記録は『播磨鑑』や『明石記』に記されていますが、築城より100年経ってから記録された史料のため、信憑性にはいささか欠けます。

ちなみに、明石駅南口より徒歩5分の場所にある「魚の棚商店街」は、城下町にあった「東魚町」が原型となっているそうです!

明石城を支えた2基の櫓 

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駅の方向からみて左手にある坤櫓。京都・伏見城の櫓より移築と伝わり、天守代用としても使われた
 
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駅の方向からみて右手にある巽櫓。船上城の櫓が移築されたと伝わるが、寛永7年(1630)頃の火災で焼失し再建された

明石城のシンボルといえば、現存する2基の三重櫓「坤櫓(ひつじさるやぐら)」と「巽櫓(たつみやぐら)」です。正面から見て、櫓の入母屋破風(一番上の屋根)の方向や、千鳥破風、唐破風が非対称に設けられているところに注目です! しかも、巽櫓のみ内側(本丸側)に窓がありません。

急ピッチの築城となった明石城では、一国一城令で廃城になった周辺の船上城、三木城、高砂城の材料が再利用されているそうです! 中心部だけでも4基の三重櫓、6基の二重櫓、10基の平櫓が建っていたため、威厳の高い立派な城だったことが想像できます。

そんな明石城ですが、明治のはじめに取り壊しの危機が訪れました! 旧藩士によって坤櫓と巽櫓はなんとか守られましたが、本丸艮櫓は解体。さらには、明治の大修理で乾櫓も解体されてしまいました。そして、昭和の修理、阪神淡路大震災(1995年)の修復工事を経て、今の姿があるのですね。

天守はなくとも、カッコイイ天守台・高石垣が誇り

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坤櫓の背後にある張り出しは、横矢掛かりのためではなく天守台だった

坤櫓を横目に階段を登って行くと、目の前には天守台がそびえます。その高さは15m!広さは、南北20m、東西25mと五重の天守が建築可能なほどの大きさです。実際には天守は築かれませんでしたが、それ相応の天守台を築いたことに、明石藩主の力を誇示する意図があったようですね。

 
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二の丸南面の高石垣。「うわっ」と思わず声をもらすほどの美しさだ

曲輪が一直線上に並ぶ連郭式の縄張をもつ明石城には、高さ20mほどの高石垣が約350mに渡って続いています。見る者への威圧さを与え、一方で心を掴むような美しさを兼ね備える……圧巻です!

また、石垣には刻印が見られます。京都や大坂にいる町民に石垣や堀の普請を幕府が請け負わせた「町人請負」だったため、大名ごとに識別する刻印ではなく町人の間で区別していた刻印だったようです。調査では、1445個・86種類の刻印が確認されているそうですよ。

大きな枡形口と小さな枡形虎口

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木橋を渡って正面にある高麗門を「定ノ門」、枡形を通り抜けた先にある櫓門を「能ノ門」という

駅を降りてすぐの正面入口は、西国街道に面した大手口にあたります。かつては長さ20mほどの木橋がかかり、橋を渡ると高麗門にぶつかりました。門を通り枡形空間(囲まれた四角い空間)を抜けると次に櫓門にあたります。この櫓門には時を知らせる太鼓が備え付けられていたことから2つの門を含む虎口(入口)全体を「太鼓門」と呼んでいました。

現在は石垣のみが残されていますが、大きな規模の立派な枡形だったことがわかります。

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コンパクトだが、敵が侵入してきたら一網打尽だ!

一方で、小さな枡形もあります。こちらは、三の丸に入るための虎口! 大手門から内堀沿いに東へと進んだ場所にあります。大手門に比べるとコンパクトな三の丸東虎口は「東不明門」とも呼ばれ、普段は閉じられておりました。

北側も必見!ぐるっと一周してみよう

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桜堀は隠れた名所!幅約45m、長さは約250mもある巨大な水堀

明石城には、城下町を囲む外堀、明石公園となっている中心エリアを囲む中堀、下屋敷を囲っていた内堀といったいくつかの水堀で区画されていました。

坤櫓や巽櫓のある本丸の裏側にも桜堀があり、正面と同じような高石垣がズラっと続いています。明石城を訪れたら本丸や二の丸だけではなく、石垣を眺めながら中心部をぐるっと一周してみましょう!

築城400年を迎える明石城。2019年はベスト訪問Year!

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明石城・武蔵の庭園。宮本武蔵の庭園造りの才能を知ってもらうため、平成15年に開園した

2019年に、築城400周年を迎える明石城! 記念すべき一年に、明石市はたくさんのイベントを企画しています。明石城に行くならば、2019年はベストイヤーかもしれませんよ!? 詳細は、明石城の公式ウェブサイト(https://www.akashijo.jp/)にてご確認ください。

また、3月〜11月の期間中、2基の櫓は交互に内部公開をしているので貴重なチャンスをお見逃しなく!
・坤櫓……3月、5月、9月、11月の土日祝10:00〜16:00
・巽櫓……4月、10月の土日祝10:00〜16:00

明石城公園の基本情報
住所:兵庫県明石市明石公園1-27
電話番号
 ・史跡について:078-918-5629(明石市 文化振興課 文化財係)
 ・公園について:078-912-7600((公財)兵庫県園芸・公園協会)
開館時間・休館日:公園内は散策自由。なお、両櫓は特定日のみ一般公開
アクセス:JR「明石駅」、山陽電鉄本線「山陽明石駅」より徒歩5分

いなもとかおり
 執筆/いなもと かおり
 お城マニア&観光ライター
 年間120城を巡る城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。※2021年9月プロフィール更新

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