萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜 第25回 新発田城 しゃちほこが3つ載る、世にも珍しい三重櫓

城郭ライターの萩原さちこさんが、日本100名城と続日本100名城から毎回1城を取り上げ、散策を楽しくするワンポイントをお届けする「萩原さちこの城さんぽ~日本100名城と続日本100名城編~」。25回目の今回は、新発田城(新潟県)をピックアップします。



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新発田城。新発田氏の後、溝口秀勝により築かれた

上杉景勝を窮地に追いやった、新発田重家ゆかりの城

佐々木加地氏の系統をひく新発田氏の城です。戦国時代に上杉謙信に従った揚北衆のひとり、新発田長敦は、御館の乱で上杉景勝に味方し活躍するも十分な恩賞が与えられず、失意のまま急逝。五十公野氏の養子となっていた弟の五十公野治長が新発田重家と改名して後継すると、天正9年(1581)に上杉景勝に謀叛を起こし、織田信長と手を組みました。反乱は長期化し、やがて信長勢が景勝の居城である春日山城(新潟県)を包囲するまで追い詰めましたが、本能寺の変の勃発により状況は一変し、重家はやがて自刃して果てました。

現在の新発田城は、新発田氏の後、1598(慶長3)年に6万石で入った溝口秀勝により築城された城です。新発田氏の城を取り囲む形で築かれた城で、3代・溝口宣直のときに完成したとみられます。

新発田城は、新発田川が形成した砂礫土層の三角洲の上にあります。北には加治川が流れ深い沼沢に挟まれた低湿地で近づきにくい立地です。別名・菖蒲城の由来は、周囲に湿地が多く菖蒲がたくさん咲いていたという説から。浮舟城という別名も、加治川の堤防を破壊すれば城を水浸しにして防御できるよう設計されていたとされるためです。本丸を二の丸が取り囲み、南に三の丸を置く構造です。

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現存する、本丸の表門

3つのしゃちほこが載る、不思議な形の三重櫓

本丸の北側半分と二の丸の2/3ほどが陸上自衛隊新発田駐屯地となっているため、残念ながら本丸は半分ほどしか見学できません。本丸の表門と、本丸鉄砲櫓跡に移築された二重二階の二の丸隅櫓が現存しています。二の丸隅櫓は1668年の大火後に再建され、1959(昭和34)年から解体修理された後に移築されたもの。金沢城(石川県)にも見られる、海鼠壁が印象的です。表門は本丸の玄関となる櫓門で、2階の格子窓から覗くと門前を見下ろせ、床下には石落としが設けられて攻撃できるようになっています。

新発田城のシンボルとなっているのは、2004(平成16)年に本丸南東の辰巳櫓とともに復元された三階櫓です。最上階の屋根が丁字型で、棟上にはなんと、3つのしゃちほこが載った珍しい櫓です。1668(寛文8)年の大火災で、城内の建物は鉄砲櫓・丑寅櫓を除いて焼失。翌年の大地震で石垣は崩壊しました。復旧工事により、辰巳櫓からいぬい櫓(現在の三階櫓)までの間がすべて切込接の石垣となり、1679(延宝7)年に、いぬい櫓があった場所に三階櫓が建てられました。

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3つのしゃちほこが載る、珍しい形状の三重櫓


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執筆・写真/萩原さちこ
城郭ライター、編集者。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演など行う。著書に「わくわく城めぐり」(山と渓谷社)、「お城へ行こう!」(岩波書店)、「日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)、「戦う城の科学」(SBクリエイティブ)、「江戸城の全貌」(さくら舎)、「城の科学〜個性豊かな天守の「超」技術〜」(講談社)、「地形と立地から読み解く戦国の城」(マイナビ出版)、「続日本100名城めぐりの旅」(学研プラス)など。ほか、新聞や雑誌、WEBサイトでの連載多数。公益財団法人日本城郭協会理事兼学術委員会学術委員。

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