日本100名城

かすがやまじょう

春日山城

新潟県上越市

別名 : 蜂ヶ峰城
旧国名 : 越後

投稿する
春日山城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

Pylori

麓から見上げる迫力は圧巻 (2023/10/29 訪問)

曲輪が素晴らしい。さすが謙信公

+ 続きを読む

ヒロケン

春日山城2 (2023/10/07 訪問)

春日山城は、1548年上杉謙信公が長尾家の家督を継いだ頃から城域の拡大・改修が大規模に行われ春日山全体に大小200とも云われる曲輪を配し、その周辺の尾根を城砦化、さらに、近接する山々には多くの支城を配しています。
春日山城は大規模な山城でありながら、堀切や土塁が少なく、他の日本三大山城・戦国期の日本五大山城に見られる石垣はありませんが、軍神上杉謙信公の居城であること、城の規模、御館の乱などの歴史的背景等で十分に想像を膨らませることが出来ます。
もし、御館の乱で上杉景勝公が勝利せず、上杉景虎公が勝利していたならば、豊臣秀吉の小田原征伐はあったのでしょうか?もっと言うならば、徳川家康公が江戸に幕府を開くことが出来たのでしょうか?もしの話ですが、本丸から景虎公が籠った御館方面を眺めると、そのように思えてしょうがありません。(こんな近くで謙信公の養子2人が家督を争ったのかと)

上杉謙信公を祀る春日山神社の鳥居をくぐり参拝すると、その時代の空気間というか、凛とした空気間につつまれ、自身の生活態度を考えさせられます"(-""-)"

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

上杉謙信公 (2023/10/07 訪問)

春日山城は、新潟県上越市標高182mの春日山にある連郭式山城で、別名蜂ヶ峰城と呼ばれています。春日山城の名前の由来は、長尾景虎公(上杉謙信公)が上杉家を相続した際、上杉家の氏神である奈良の春日明神を勧請したことから春日山と言われるようになったとの事です。
春日山尾根の北先端に本丸を中心にした「実城」と呼ばれる主郭部を置き、主郭部周辺から春日山神社にかけて多くの曲輪を階段状に配置、南三の丸と呼ばれる本丸の南側に広がる曲輪、周辺の山々の尾根には支城・砦を巡らし、山の裾野に延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁で総構えが造られています。

春日山城は、戦国時代の名将上杉謙信公の居城として知られていますが、国の指定史跡・日本100名城・日本五大山城としても有名です。

春日山城へは、10年振り2度目の訪問で、早朝1時30分に豊橋を出発し、片道400km約6時間かけ訪問してきました。今回の目的は、高田城跡跡・鮫ヶ尾城跡の続100名城のスタンプ目的でどちらの城も訪問したことはありましたが、スタンプを頂いていなかったので、今回そのついでに春日山城を訪問しました。
この城跡に軍神上杉謙信公・直江兼続公・歴史に名を遺す数々の名将が居られたかと思うと、想像で胸が弾む(*^▽^*)。家に帰り、10年前の画像を見て、各曲輪の杉の木が伐採されているものの、ほぼ変わっておらず安心しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

tp.etsu

ナイト登山 (2023/09/10 訪問)

駅に着いたのがすでに日が暮れかけていたので、ほぼナイト登山でした。
次は明るい時に行きたい!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

越後守護代・長尾為景が改修し、跡を継いだ上杉謙信が難攻不落の城へと大規模に整備。「実城」と呼ばれる山頂の本丸を守るように、山全体に多数の曲輪や家臣団屋敷が置かれた。土塁や空堀が巡らされ、さらに山城全体が総構の監物堀で防御されている。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 南北朝時代
築城者 上杉氏
主要城主 長尾氏、上杉氏、堀氏
文化財史跡区分 国史跡(春日山城跡)
近年の主な復元・整備 上杉房定、長尾為景
主な関連施設 毘沙門堂、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
住所 新潟県上越市中屋敷字春日山
問い合わせ先 上越市役所観光振興課
問い合わせ先電話番号 025-526-5111