2021/07/16
日本100名城・続日本100名城のお城 【日本100名城・上田城編】天然の要害を利用した長野が誇る不敗の城
NHK大河ドラマ『真田丸』をきっかけに、人気の観光地となった長野県上田市。真田昌幸が築いた「上田城」には、徳川家の大軍を2度も退けたエピソードがあります。現存する櫓が建つ本丸跡は城跡公園として整備され、2016年1月中旬〜2017年1月中旬まで開館していた大河ドラマ館には100万人以上が訪れました! いまだ熱が冷めない、上田城の見どころをご紹介します。(※2018年11月14日初回公開)
まずは「上田城跡公園」となっている本丸を散策しよう
左から南櫓、東虎口櫓門、北櫓。南櫓と北櫓は民間に払い下げられたあと買い戻され、1949年に城内へ移築された。東虎口櫓門と櫓を繋ぐ土塀は1994年に木造復元されている
天正11年(1583)に真田信繁(幸村)の父・真田昌幸によって築かれた上田城は、千曲川の分流、尼ヶ淵(あまがふち)に面した堅固な立地にあります!
上田城といえば、徳川軍を2回も跳ね返した不敗のエピソードが有名です。天正13年(1585)に真田軍2千と徳川軍7千が戦った第一次上田合戦では、圧倒的な兵力差に屈することなく、昌幸の子・真田信之が率いる別働隊が側背から徳川軍を急襲! 城内に敵兵を取り込み上田城周辺を舞台に戦う大胆な作戦で勝利しました。また、慶長5年(1600)の第二次上田合戦では、石田三成率いる西軍についた昌幸と子・信繁(幸村)が2千とも3千ともいわれる少数勢で、徳川家康の子・秀忠が率いる3万8千の大軍を迎え撃ち、関ヶ原の戦いに遅参するという秀忠の失態を生みました。
現在に見る上田城は、徳川方によって徹底的に破壊された後、信州小諸藩より移封となった仙石忠政によって再建された城です。正保城絵図の『信州上田城絵図』によると、かつて本丸には7基の櫓があり、そのなかで西櫓、南櫓、北櫓の3基が現存しています。特に、東虎口櫓門を間にはさむ南櫓と北櫓は、上田城のシンボルのような存在です!
東虎口櫓門には「真田石」と呼ばれる巨石があり、今もなお真田氏の城というイメージが強く残っている
東虎口の櫓門には「鏡石」が置かれています。通称「真田石」と呼ばれる巨石には、真田信之が父・昌幸の形見として赴任先の松代に持って行こうとしたところ、動かすことができなかったという言い伝えがあります。ですが、現在見る上田城の石垣は仙石氏が築いたもの。真田氏が運んできたものではないにも関わらず、このようなエピソードが伝わっている点から「真田の城」というイメージが色濃く残っていることがわかりますね!
本丸の北東部は隅が欠けている。鬼門の方角の角を欠けさせるのは、城でよく見られる「鬼門よけ」のおまじないだ!
本丸の北東部は、鬼門よけのための「隅欠(すみおとし)」がされています。これは、鬼が出入りする北東の方位が忌み嫌われ、災厄を取り除こうとわざと隅を欠けさせたもの。さらには、本丸だけではなく二の丸や、藩主屋形の北東部の土塁も、隅が欠けていた点も見逃せません! 上田城の特徴の一つともいえますが、隅欠は全国各地の城でも見かけるので注目してみてください。
現存する西櫓は、江戸時代には「西川手櫓」と呼ばれていた
本丸には東西2箇所の虎口(出入口)があり、東の虎口同様に西の虎口にも櫓門があったことがわかっています。西櫓は、寛永3~5年(1626~1628)に仙石氏によって築かれてから、民間に売却されたものの解体されることなく城内に残った唯一の遺構です。全国的にも江戸時代初期の櫓が残る例は珍しく、その貴重さから「長野県宝」にも指定されています。
なんといっても、尼ヶ淵から見上げる西櫓が美しい! 天然の要害にもなる断崖は、一方で、河川の浸食で削れるというデメリットもありました。崖が崩れないようにと、享保18年(1733)より松平氏が石垣を築いたそうです。
城の名残を探して周辺を歩いてみよう!
百間堀跡には、現在、市営野球場や陸上競技場がある
上田城跡公園となっている本丸エリアの外側にも、かつての上田城を偲ぶ見どころスポットがあります。 二の丸の北側には、かつて「百間堀」と呼ばれたとても幅広い外堀がありました。現在ある市営野球場や陸上競技場がすっぽりと入ってしまう、このサイズ! 今もなお広大な堀を彷彿とさせる規模には驚かされます。機械のない時代に人の手によって整備されたなんて……信じられません!
小泉曲輪のあった場所には、現在上田城跡公園体育館が建っている。この断崖絶壁は絶対に登れまい
本丸の西側に位置する小泉曲輪があった場所は、石垣のない状態の上田城の断崖が見てとれるポイントです。ほぼ垂直に立ち上がる壁は絶望的! 絶対に登ることはできません。もし、自分が攻め手の足軽だったら……と想像するだけで身体がゾクゾクします。
『信州上田城絵図』によると小泉曲輪は直接河川と接していなかったようですが、真田氏時代の上田城が、いかに断崖絶壁の上に築かれていたか想像するには絶好の場所となっています。
オススメの時間帯は夕方!真っ赤に染まった上田城に会える
尼ヶ淵より見上げる夕陽をあびた南櫓。感動的な景色に悶絶すること間違いなし!
大河ドラマの影響もあり、人気の熱が冷めない上田城。どの時間も混雑が予想されますが、オススメの時間帯はずばり夕方です! 真っ赤に染まる上田城は、息を呑む……どころか、息をすることを忘れてしまうほどの美しさ。妖艶で、でもどこか戦への憂いを含んだような表情が、私たちを魅了させます。
さらに、上田城は城下町散策も面白い! 1日中楽しめる上田城めぐりをたっぷり満喫してくださいね。
上田城へのアクセスは…
<バス>
上田城へは、JR上田駅から上田市街地循環バス(赤バス)に乗車、「公園市役所前」バス停下車すぐ。月〜土曜運行(日曜・祝日・12月31日〜1月3日は運休)なので、事前に確認しておきましょう!
<車>
上田菅平ICから車で約15分ほど。
・駐車場
…上田城跡北観光駐車場(一般車)……224台収容 / 1時間以上利用で有料
…上田城跡駐車場(一般車) ……88台収容 / 無料 / イベント時に利用できない場合もあり
<徒歩>
JR上田駅お城口より徒歩約12分ほど
<上田城跡公園の基本情報>
住所: 長野県上田市二の丸6263番地イ
電話: 0268-23-6362(生涯学習・文化財課) / 0268-22-1274(上田市立博物館)
・上田市立博物館・上田城櫓
開館時間: 8:30〜17:00(入館は16:30まで)※12〜3月は午前9時開館
休館日: 水曜日、祝日の翌日。なお、上田城櫓は冬期(12月~翌3月)休館、ただし3月は20、21、27〜30日のみ開館。
※臨時に休館、開館する場合がありますので、事前にご確認ください。
入館料:
・上田市立博物館 … 一般300円、高校以上の学生200円、小中学生100円
・上田城櫓 … 一般300円、高校以上の学生200円、小中学生100円
・博物館・櫓共通 … 一般500円、高校以上の学生300円、小中学生150円
執筆/いなもと かおり <お城情報WEBメディア 城びと>
お城マニア&観光ライター
年間120城を巡る城マニア。國學院大學文学部史学科古代史専攻卒。19歳の時に、会津若松城に一目惚れしてから城の虜となる。訪城数は600ほど。国内旅行業務取扱管理者、日本城郭検定1級、温泉ソムリエ、夜景鑑賞士2級の資格をもつ。城めぐりの楽しみ方を伝えるべく、テレビやラジオにも出演中。※2021年9月プロフィール更新