2020/09/30
お城にゆかりの御城印・御朱印・武将印・御城印帳 【関東・甲信越編】六連銭に武田菱、北条鱗!群雄の家紋がまぶしい御城印
近年、登城の記念となる「御城印」が注目を集めています。多数の書籍が刊行されたり、テレビなどでも取り上げられたりすることもしばしば。どのような特徴の「御城印」が、どこで購入できるのかなど、一城ずつ城びと編集部が丁寧にご紹介! 今回は【関東・甲信越編】。真田家や武田家、上杉家、後北条家など、しのぎを削った群雄たちにちなんだ「御城印」が盛りだくさんです!
<栃木県>
<群馬県>
中山城(群馬県吾妻郡)
■真田氏が西上野へ進出「長野原城」
■真田忍者・横谷左近の拠点「雁ヶ沢城」
<千葉県>
<東京都>
■武蔵千葉氏が再起の拠点とした「石浜城」
<神奈川県>
<山梨県>
■武田氏の北信濃進出の拠点「長窪城」
■信玄に反旗を翻した大井信定の最期の地「和田城」
■千曲川の崖から一帯を望む絶景の城「外山城」
御城印って? 関東・甲信越地方ではどこのお城が出しているの? その特徴は?
関東・甲信越地方の御城印の一部
「御城印」とは、 半紙(和紙)に城名やゆかりある城主の家紋や花押などの印を押したもの。お寺や神社でいただける御朱印を参考にして作られ始めて、今では多くのお城で登城の記念として頒布されています。「御城印」以外にも、「登閣記念印章」「登城記念御朱印」「城郭符」「御城朱印」など、呼び方は城によってさまざまです(本記事では「御城印」で統一します)。
真田昌幸・信繁(幸村)親子や武田信玄、上杉謙信など、有名武将たちが競い合った関東・甲信越。続日本100名城の菅谷館や小倉城をはじめとする比企城館跡群や、関東の名将ゆかりの御城印の数々も見逃せません! どんなお城のどんな御城印があるのか、見ていきましょう! ※掲載内容は、令和6年(2024)10月24日現在の情報です。掲載以外でも御城印を領布しているお城をご存知でしたら、編集部までご連絡ください。(城郭名は、100名城、続100名城に続き、北から南、もしくは東から西の順に掲載。掲載の許可を得られなかったお城の御城印はご紹介しておりませんので、ご了承ください)
水戸城/小坂城/岡見城/牛久城/東林寺城/久野城/下小池城/塙城/福田城
<栃木県>
宇都宮城(社参行列版追記)/壬生城(第18回藩校サミット版追記)
<群馬県>
名胡桃城/沼田城/岩櫃城/中山城/前橋城(オンライン限定セット追記)/高崎城/小幡城/国峰城/長野原城/雁ヶ沢城/羽根尾城
<埼玉県>
忍城/杉山城/菅谷館/小倉城/安戸城/松山城/大築城/四ツ山城/腰越城/中城
<千葉県>
佐倉城/本佐倉城/大多喜城(黒金版追記)/小見川城/小見川陣屋/森山城/須賀山城/沼闕城/志摩城/多古城/土橋城/玉造城/並木城/分城/中城/久保城/次浦城/次浦八郎常盛館/松崎城/土やぐら城/多古藩陣屋/神崎城(東の城)(中の城)(西の城)/物見台城/和田城/大友城/岩ヶ崎城/中島城/飯沼陣屋/佐貫城/長部城/見広城/八日市場城/飯高城/飯高砦/松山城/天神砦/堀川館/野手城/宮和田城/横須賀城/椿城/下富谷城/大寺城/鏑木城/網戸城/仲島城/江ヶ崎城/飯野陣屋/花輪城/前ケ崎城/坂田城/成東城/埴谷城/松尾城/東金城/田間城/師戸城/臼井城/宿内砦/謙信一夜城/小篠塚城/下総国府台城/志津城/米本城/吉橋城/猪鼻城(千葉城)/中峠城/松ヶ崎城/坂田城/増尾城/幸谷城/根木内城/小金城/佐是城/上総鶴舞城/池和田城/一宮城/高塔城(高藤山城)/庁南(長南)城/蔵波城/真里谷城/真武根陣屋/小浜城/万喜城/大野城/上総国府台城/久留里城/勝浦城/興津城/佐貫城(富津市)/造海城/金谷城/天羽城/峰上城/天神山城/妙本寺砦/勝山城/宮本城/白浜城/滝田城/平松城/丸城/里見番所/石堂城/稲村城/館山城/大網城
<東京都>
石浜城/石神井城/練馬城/滝野川城/飛鳥山城/稲付城
<神奈川県>
小田原城/小机城(小田原北条氏誕生500年記念版追記)/石垣山城/茅ヶ崎城/寺尾城/榎下城/深見城/浦賀城/衣笠城/怒田城/津久井館/三崎城/河村城/河村新城
<山梨県>
岩殿城(武田信玄生誕500年記念版追記)
<長野県>
松代城/上田城/松本城/高遠城/丸子城/岡城/室賀城/黒丸城(秋バージョン追記)/子檀嶺岳城(秋バージョン追記)/二場城(秋バージョン追記)/長窪城/和田城/外山城/禰津城/政所城/海津城/染屋城/南本城城(座光寺南城)
春日山城/高田城/鮫ヶ尾城
■石垣ではなく土塁と堀のみで高い防御力を誇った水戸徳川家の城「水戸城」
徳川家康の11男である徳川頼房の入城をきっかけに、御三家にふさわしい城に改築された水戸城。御城印は、通常版(左)と大手門復元記念版(右)の2種類あり、水戸徳川家の家紋「三つ葉葵」が存在感を示しています。
通常版では、本丸と二の丸、三の丸が並列に配置された縄張であることを示す連郭式平山城の文字入り。大手門復元記念版には、創建当時の伝統構法で復元された大手門がそびえたちます。
水戸城(茨城県水戸市)
領布場所:水戸観光コンベンション協会事務所、水戸観光案内所、北澤売店
価格:各300円(税込)
▼水戸城に関する記事はこちら
■曲輪や土塁、空堀、櫓台など多彩な遺構が良好に残る「小坂城」
文献により岡見氏の一族が城主であったとされる小坂城。牛久市指定史跡になっており、市内では唯一、保存会が結成されています。御城印には岡見氏の家紋「洲浜」を配置。
小坂城(茨城県牛久市)
領布場所:株式会社 ヤマイチ味噌
価格:330円(税込)
■岡見氏発祥の地「岡見城」
現牛久市域一帯を治めていた岡見氏の居城とされていて、岡見氏発祥の地といわれている岡見城。岡見氏の家紋「洲浜」を配置しています。
岡見城(茨城県牛久市)
領布場所:株式会社 ヤマイチ味噌
価格:330円(税込)
■後北条氏と佐竹氏・多賀谷氏対立の境目に置かれた「牛久城」
天文年間後半(1550年前後)の佐竹氏による南進を契機に築城されたといわれている牛久城。城主は岡見治広で、北条氏に臣従。
御城印は特別な刷毛を用いて、御城印としては全国初の「飛白体」という書体で揮毫されています。題字は「北条・佐竹氏境目の城」。岡見氏の「洲浜」、牛久城最後の城主・由良国繁の「大中黒」を配置。
牛久城(茨城県牛久市)
領布場所:芋千
価格:330円(税込)
■「関東の諸葛孔明」と称された栗林義長ゆかりの城「東林寺城」
牛久城の支城とされています。「関東の諸葛孔明」と称された軍師で岡見氏の重臣・栗林義長にゆかりがあるといわれている東林寺城。御城印中央に配置された家紋は岡見氏の「洲浜」、右上は城主を務めたと史料がある近藤氏の家紋「五七桐」です。
東林寺城(茨城県牛久市)
領布場所:芋千
価格:330円(税込)
令和2年(2020)2月22日に開催された「牛久市城跡めぐり第2弾」にて、東林寺城の別名である「新地城」バージョンの御城印が頒布されました。
■常陸(江戸崎)土岐氏家臣・久野氏の居城「久野城」
常陸(江戸崎)土岐氏の支城と考えられている久野城。中央の家紋は、土岐氏家臣とされる久野城主・野口氏の「丸に五本骨扇」。右上は、土岐氏の「土岐桔梗」です。
久野城(茨城県牛久市)
領布場所:味の老舗いしじま
価格:330円(税込)
令和2年(2020)2月22日に開催された「牛久市城跡めぐり第2弾」にて、久野城の別名である「延命寺城」バージョンの御城印が頒布されました。
■土岐領と岡見領の境目に築かれた常陸(江戸崎)土岐氏の支城「下小池城」
乙戸川北岸のわずか4.6km程の間にほぼ1km間隔で築かれた、常陸(江戸崎)土岐氏の支城とされる5城(上小池城・下小池城・福田城・上久野城・下久野城)。下小池城は土岐領と岡見領の境目に築かれ、佐竹氏や多賀谷氏に対しても睨みを効かせる機能を果たしていたものと考えられています。現在は「小池城址公園」となっており、規模はそれほど大きくはありませんが、堀や土塁、畝堀等も確認できます。
御城印の中央の家紋は、土岐氏の「土岐桔梗」。
下小池城(茨城県稲敷郡)
領布場所:だんごのやまだ
価格:330円(税込)
■常陸(江戸崎)土岐氏家臣・館野氏の居館といわれている「塙城」
常陸(江戸崎)土岐氏の出城と考えられ、土岐氏家臣・館野氏の居館であったとの伝承がある塙城。主郭部は「たて」と呼ばれ、鎌倉期以前の土豪の館があった場所と推定されており「館野氏」との関係もうかがわれますが、明らかになっていません。また、塙城跡から750mほど下った地点に「塙不動堂」があり、かつて塙城主がオロチを退治したのち、この不動堂で供養したという伝説が残っています。
御城印の中央の家紋は、土岐氏の「土岐桔梗」。
塙城(茨城県稲敷郡)
領布場所:だんごのやまだ
価格:330円(税込)
■常陸(江戸崎)土岐氏の支城の1つ「福田城」
乙戸川北岸のわずか4.6km程の間にほぼ1km間隔で築かれた、常陸(江戸崎)土岐氏の支城と考えられる5城(上小池城・下小池城・福田城・上久野城・下久野城)。福田城は室町前期には上杉氏の家臣(知久氏?)が城主であったと考えられており、戦国期になると岡見氏の一族・福田豊後が在城、戦国末期には土岐胤倫(たねとも)が城主になったと伝わっています。下小池城と久野城の中間に位置し、土岐氏の時代には、下小池城や久野城と並び、乙戸川流域における諸勢力との境目を防備する支城として機能しました。城跡の一部は高照寺となっており、高照寺の北西には空堀や土塁を確認することができます。
御城印の中央には土岐氏の家紋である「土岐桔梗紋」が配置されています。
福田城(茨城県稲敷郡)
領布場所:だんごのやまだ
価格:330円(税込)
<栃木県>
■宇都宮仕置の舞台で、後には将軍の宿泊場所も務めた重要拠点「宇都宮城」
平安時代後期に築城され、小田原征伐後、豊臣秀吉により改易されるまで約500年もの間、宇都宮を治めた宇都宮氏の居城。秀吉は宇都宮城で東北や関東の大名の配置を決める宇都宮仕置を行いました。江戸時代には譜代大名が城主を務めます。将軍が日光東照宮にお参りする日光社参(にっこうしゃさん)の際は将軍の宿泊場所となり、本丸には将軍のための御成御殿が建てられました。本多正純の時代に城と城下町の大改造が行われ、今の宇都宮の中心市街地の基となったと言われています。
御城印の右下に配置されているのは、復元された清明台(櫓)。清明台は毎月第3日曜日の11時から14時に2階が特別開放されています。ただし12月と1月の第3日曜日は清明台ではなく、晴れて気象条件が良ければ、富士山が見える富士見櫓2階が8時から11時まで特別開放されます。中央にあるのは主な歴代城主の家紋で、右上から宇都宮氏の「左三つ巴」、奥平氏の「奥平団扇」、本多氏の「本多立ち葵」、左上にいき阿部氏の「阿部鷹の羽」、松平氏の「島原扇」、戸田氏の「六つ星」。
宇都宮城(栃木県宇都宮市)
領布場所:清明館(宇都宮城址公園内)、宇都宮市観光案内所、来らっせ本店、宮カフェ、「よみがえれ!宇都宮城」市民の会事務局(宇都宮市公園管理課内)
価格:300円(税込)
※令和2年10月18日から頒布開始
※「よみがえれ!宇都宮城」市民の会事務局では郵送も対応中。
▼令和6年10月20日(日)、「社参行列」の御城印が発売されます。江戸時代の宇都宮城主・戸田忠恕が徳川家茂の代理で日光東照宮を参詣した「日光社参(にっこうしゃさん)」がモチーフ。社参行列とお城が描かれている非常に珍しいデザインです。
清明館(宇都宮城址公園内の券売機)、宇都宮観光案内所、来らっせ本店、「よみがえれ!宇都宮城」市民の会事務局(宇都宮市役所公園管理課)にて、300円(税込)。
▶令和4年(2022)6月15日(水)から、「よみがえれ!宇都宮城」市民の会の設立20周年を記念して新たな御城印が頒布されます。きらきらと輝く金地に、ホログラムの清明台(櫓)を配置した特別版です。清明館(宇都宮城址公園内)にて、1,000円(税込)。※本御城印は郵送対応なし
▼宇都宮城では「宇都宮御城内外絵図」をモチーフにしたオリジナル御城印帳も頒布中! 詳しくは「続々増加中!お城や城下町で買える御城印帳大特集!」をご覧ください!
▼宇都宮城に関する記事はこちら
明治維新150周年企画「維新の舞台と城」第6回 【宇都宮城】若き城主vs旧幕府軍 意地と誇りの激突
■鳥居家7代の居城であり、将軍家の宿城も担った「壬生城」
文明年間に壬生氏の2代目当主・壬生綱重によって築かれたとされる壬生城。江戸期は城主が頻繁に変わりますが、正徳2年(1712)に入封した鳥居忠英から始まり明治維新まで鳥居家7代が居城としました。鳥居家は、関ヶ原の前哨戦である伏見城攻防戦における功績から徳川方の忠臣として名高い鳥居元忠の子孫。日光道中壬生通りの途上にあり、将軍家の日光東照宮参詣(日光社参)では、宿城という重要な役割を担った城でもあります。
御城印は、江戸期に「雪の降った朝には、 朝日に輝き一入の眺め」と賞された壬生城大手門と丸馬出の情景を、嘉永3年 (1850)の『壬生領史略』掲載の図を参考にデザイン。大手門と大手門前の丸馬出は武田流軍学者である山本菅助による設計。上部には左から「竹に雀紋」「鳥居紋」「鶴の丸紋」と3種の鳥居家の家紋を配置。「竹に雀紋」は鳥居家の正式な家紋で、 左の雀は口を閉じ、右の雀は口を開けるもので阿吽(あうん)を表現するとともに、竹の葉は33 枚と定められていました。中央の「鳥居紋」は、甲冑などの武具に使用。一番右の「鶴の丸紋」は、 寛政年間から衣服類に使われ始めた家紋。鳥居家中興の祖として鳥居元忠が城内の「精忠神社」に祀られていることから、「鳥居元忠公顕彰」の字が入っています。
壬生城(栃木県下都賀郡)
領布場所:壬生町観光協会事務局(町商工観光課観光交流係)、道の駅みぶ(みぶハイウェーパークみらい館)
価格:300円(税込)
▼2021年10月31日(日)に開催される第18回全国藩校サミットのプレイベントで、限定500枚の特別バージョンが発売! 金箔が光る豪華なデザインです。領布場所:壬生町立歴史民俗資料館前 価格:500円(税込)。10:00から発売され、500枚がなくなり次第第販売終了となります。
<群馬県>
■秀吉による小田原攻めのきっかけとなった城「名胡桃城」
室町時代に名胡桃景冬が築いた名胡桃館を真田昌幸が攻略し、沼田城攻めの前線基地として築城した名胡桃城。豊臣秀吉による小田原征伐のきっかけとなったことから、御城印に「歴史を変えた」と入っています。
中央の家紋は、真田氏の「六連銭(六文銭)」。
名胡桃城(群馬県利根郡)
領布場所:名胡桃城址案内所
価格:300 円(税込)
▼名胡桃城に関する記事はこちら
■幻の五重の天守があった「沼田城」
ポストカードに印刷された、桜があしらわれた御城印。真田信幸が建造したという幻の五重の天守が存在感あり!
※沼田市観光協会オンラインショップ(https://www.numata-kankou.jp/)で通販対応中。
▼令和6年度企画展「真田一族ゆかりの城」開催にちなみ、真田一族ゆかりの城限定御城印セットが販売中。九度山・真田ミュージアムにて、1,100円/セット(税込)。
▼沼田城に関する記事はこちら
◆令和元年(2019)4月~6月まで、沼田市観光案内所で500円以上お買い物をするとこの御城印デザインのポストカードがもらえました。
◆令和2年(2020)、緊急事態宣言が発令されて籠城した際は「籠城印」、再開した際は「開門印」が頒布されました。開門印は別名バージョンもあり、とても洒落がきいていますね!
◆沼田市観光案内所では、御城印グッズとして、こんなかわいいものも販売中! ミニ御城印(左)はきれいな和紙の表紙つき! 御城印缶バッジ(右)を身に付けていれば、さり気なく「沼田城愛」を主張できます。
◆武将印も頒布中! 詳しくは「最近気になる「武将印」を勝手に特集しちゃいます!」をご覧ください!
沼田城・岩櫃城・名胡桃城の三名城版も!
■真田幸村など真田家にもゆかりが深い「岩櫃城」
岩櫃城跡登場記念御城印です。岩櫃城・密岩神社・金剛院の3種をセットで販売。和紙仕様の書置きタイプです。
岩櫃城(群馬県吾妻郡)
領布場所:平沢登山口観光案内所、東吾妻町観光協会
価格:1セット500円
▼令和6年度企画展「真田一族ゆかりの城」開催にちなみ、真田一族ゆかりの城限定御城印セットが販売中。九度山・真田ミュージアムにて、1,100円/セット(税込)。
◆真田といえば忘れちゃならないのは真田十勇士! ということで、令和2年(2020)5月に真田十勇士 墨絵シリーズ(七枚組)の御城印が登場!
真田幸村(金箔押し)、霧隠才蔵(銀箔押し)、猿飛佐助(銀箔押し)、筧十蔵・穴山小助(赤箔押し)、望月六郎・海野六郎(赤箔押し)、根津甚八・由利鎌之助(赤箔押し)、三好青海入道・三好伊佐入道(赤箔押し)。墨絵画家・涌井陽一氏がライブペイントした墨絵が元になっています!
ご購入は、東吾妻町観光協会窓口および岩櫃城 忍びの乱の通販サイト(https://ecsp.tsuku2.jp/viewCatalogStore.php?scd=0000053367)から!
◆赤い台紙がかっこいい!!ふるさと納税限定の御城印帳登場! 詳しくは「続々増加中!お城や城下町で買える御城印帳大特集!」をご覧ください!
◆沼田城・岩櫃城・名胡桃城の上州真田三名城でオリジナル御城印帳も頒布中!
▼岩櫃城に関する記事はこちら
■北条氏による上野国攻略の拠点となった「中山城」
真田氏に縁の深い「上州真田三名城」として知られている岩櫃城、名胡桃城、沼田城。その岩櫃と沼田、名胡桃を結ぶ街道の要地に小田原北条氏によって築かれた中山城は、北条氏と真田氏の境目の城です。
御城印は、通常版(左)と、銀箔押し版(右)の2種類で、題字の「楔を打ち込む」は、中山城が真田領を二分する楔となったことを指しています。北条氏の替紋「対い蝶」と定紋「三つ鱗」を中央に配置。県立ぐんま天文台があり、「星空の美しい村」と言われている高山村にちなんで作られた銀箔押し版は、満天の星の中にたたずむ往時の中山城を連想させます。
また、真田氏に関連する6城(上田城・松代城・沼田城・名胡桃城・岩櫃城・中山城)すべての御城印を集めると「真田街道六城攻城記念御城印」を無料でいただけます(期間限定)! 詳しくは「イベント等でもらえる御城印」をご覧ください。
領布場所:道の駅「中山盆地」直売所
価格:通常版(白):300円、銀箔押し版(黒):500円(税込)
■関東七名城の一つ「前橋城(厩橋城)」
古くは厩橋城(まやばしじょう)と呼ばれた前橋城は、関東七名城の一つ。15世紀末期に箕輪城主・長野氏によって築かれました。北の越後、西の信濃から関東への入口を抑える要衝のため、群雄割拠の戦国時代は、北条氏、上杉氏、武田氏、織田の滝川氏、徳川の平岩氏など城主がよく替わりました。中でも関東管領の上杉謙信は、13回とも言われる関東出兵の際に在城。
江戸時代には、徳川家の重臣・酒井重忠が、徳川家康より厩橋藩を託され、厩橋城を3層3階の天守を有する近代城郭へと大改修。その後、厩橋の地名は前橋に改名され、前橋藩、前橋城となりました。酒井家が150年治めた後、姫路藩の松平家が転封となり、松平家時代は明治維新まで続きます。
酒井家の代から、前橋城は利根川の浸食の影響による本丸移転など厳しい状況におかれ、松平家時代にはついに本丸崩壊の危機に見舞われます。慶応3年(1867)に再築され、銃や大砲による戦いを想定して砲台を備えた最新式城郭となりました。
酒井家の代から、前橋城は利根川の浸食の影響による本丸移転など厳しい状況におかれ、松平家時代にはついに本丸崩壊の危機に見舞われます。慶応3年(1867)に再築され、銃や大砲による戦いを想定して砲台を備えた最新式城郭となりました。
御城印は「厩橋城」が2種類と、「前橋城」が1種類、「前橋城・厩橋城 縄張図背景セット」が1種類の計4種類。
「雷鳴轟く群雄割拠の城」の題字がある「厩橋城」版には、この地の覇権を争った各武将の家紋がデザイン。右上から下に織田氏の「織田木瓜」、上杉氏の「竹に雀」、北条氏の「三つ鱗」、左上から下に長野氏の「檜扇」、松平氏の「三ッ葉葵」、武田氏の「武田菱」。
「上杉謙信関東幕注文」の題字の「厩橋城」版は、長野氏の「檜扇」と上杉氏の「竹に雀」のほか、謙信の絵入り。
「前橋城」版は、松平氏の「三ッ葉葵」から右回りに、平岩氏の「丸に結び雁金」、酒井氏の「丸に片喰」、松平氏の馬印「輪貫(わぬき)」を配置。
「前橋城・厩橋城 縄張図背景セット」は、約300年前の厩橋城縄張絵図がデザインされた特別版。
前橋城(厩橋城)(群馬県前橋市)
領布場所:前橋物産館ヴェントマエバシ
価格:各300円(税込)、「前橋城・厩橋城 縄張図背景セット」は1,000円/組
※「前橋城・厩橋城 縄張図背景セット」は限定500セット。
▼ほかに「滝川一益」の武将印も頒布されています。詳しくは『最近気になる「武将印」を勝手に特集しちゃいます!』をご覧ください。
▼上杉謙信にゆかりある5城(春日山城・ 猿ヶ京城・ 沼田城・白井城・前橋城)すべての御城印を集めると、無料で「上杉五城訪城記念御城印」を無料でいただけます(期間限定)! 詳しくは「イベント等でもらえる御城印」をご覧ください。
▼新型コロナウイス蔓延下し、緊急事態宣言下で、4枚組御城印セットが数量300セット・オンライン限定で発売されました。内容は前橋城・厩橋城の新たな縄張絵図による2枚セット、豊臣秀頼の母・淀殿生存伝説のある総社城(そうじゃじょう)、戦国時代に長く厩橋城主を務めた北条高広の武将の4枚。全国すべての緊急事態宣言解除後、令和4年5月31日までに前橋物産館に来店し、今回購入の御城印セットを提示すると「前橋城特別印(黒)特別進呈版」がもらえました。価格:2,000円(郵送料込み)
■徳川四天王の一人、井伊直政が築いた「高崎城」
徳川家康の命を受けて、井伊直政が築いた高崎城。「高崎」という地名は直政がつけたと伝わります。乾櫓は群馬県内唯一の現存城郭建築で、県の重要文化財に指定されています。
御城印は4種類。いずれも徳川氏の家紋「三つ葉葵」と、井伊氏の「丸に橘」を配置。
上段左の通常版は、左下には高崎城石垣水路の写真をデザイン。書家・栗原五踊さんによる書。
上段右の直政版は、「井伊の赤鬼」と言われた直政が眼光鋭くこちらを見据えています。三国志や戦国武将のイラストで大人気の長野剛さんによる作画。
下段左の和田城版は、高崎城の前にあった和田城の御城印。和田城は鎌倉時代に侍所別当を務めた和田義盛ゆかりの城といわれています。
下段右は「渋沢栄一の乗っ取り計画記念版」。渋沢栄一が攘夷蜂起を目的に高崎城を乗っ取る計画を立てたことを「記念」するユニークな御城印。
高崎城(群馬県高崎市)
領布場所:文開堂書店(通信販売・郵送販売はなし)
価格:通常版・和田城版・乗っ取り版は各300円(税込)、井伊直政版は500円(直政版は初回300枚限定)
▼令和3年(2021)7月1日から「赤備え版」が発売! 井伊の赤備えを彷彿とさせる赤に金が映える! 武将印と御城印の2枚合わせると、「鬼」が現れます。頒布場所は文開堂書店(通信販売・郵送販売はなし)で、各400円。各300枚限定。
▼令和3年(2021)7月1日から「和田城 上杉謙信版」が発売! 2021年は上杉謙信が関東管領(室町幕府の役職の一つで、鎌倉公方補佐役)を継承してから430年目にあたります。それを記念し、戦国武将のイラストで有名な諏訪原寛幸さんの謙信が迫る雄々しい御城印が数量限定で販売されます。諏訪原さんのイラストが御城印に使われるのは初めて! 関東幕注文とは、関東に進出した謙信に臣従した武将の名前と陣幕紋を衆単位で記した文書。この文書にちなみ、宮野城、沼田城、白井城、厩橋城でも同デザインの御城印を発売しています。頒布場所は文開堂書店(通信販売・郵送販売はなし)で、500円。初回200枚限定。
▼高崎城に関する記事はこちら
■織田宗家ゆかりの城「小幡城」
小幡城がある群馬県甘楽群甘楽町は、織田信長の次男・信雄の織田宗家が小幡藩主として江戸時代に8代152年にわたって統治。その織田氏に代わって入封した松平家の3代忠恵(ただしげ)が、藩主や幕府の奏者番・若年寄の要職を勤めた功績によって嘉永3年(1850)に城主格を拝命されたことから、小幡藩の藩邸だった小幡陣屋が小幡城と呼ばれるようになりました。寛永19年(1642)に建てられた陣屋は雄川の断崖を側面にもつ要害の地に位置し、屋敷に南面して造営された大名庭園「楽山園」が復元整備されています。
御城印は3種類。通常版は、織田宗家ゆかりの城であることから織田氏の家紋「織田木瓜」を中央にデザイン。さらに、築いたのが信長のひ孫・信昌「覇王末裔の城」と銘打たれています。
ほか2種類は、三国志や戦国武将のイラストで有名な長野剛さん版で枚数限定。カラーと白黒があり、白黒は金の箔押し仕様。カラーは限定1000枚、白黒は限定500枚。
※郵送販売は対応していません。
▼令和3年(2021)7月10日より、小幡藩邸の庭園である楽山園の長野剛版も登場! 楽山園は江戸初期に織田氏によって造られました。頒布場所は楽山園 番所(入口受付)、価格(税込)は600円です。販売しているものには左上の「天下布武」印はありません。楽山園入園後に押印できます。
■武田信玄の上州攻略の拠点「国峰城」
国峰城は甘楽地域を領有していた豪族の小幡氏が築いた居城。もともと小幡氏は山内上杉氏の重臣でしたが、甲斐から西上州へ侵攻した武田信玄と通じるようになり、国峰城が信玄の上州攻略の拠点として利用されました。山頂に主郭が置かれ、山域部・丘域部・平域部が南北2.5km、東西2kmの間に展開している大城郭で、曲輪の間を遮断する堀切や竪堀などの遺構が残っています。
御城印は、小幡氏の「軍配団扇に笹」(上)と武田氏の「四つ割菱」(下)とゆかりの家紋がデザインされています。
国峰城(群馬県甘楽郡)
領布場所:道の駅 甘楽
価格:400円(税込)
■真田氏が西上野へ進出「長野原城」
長野原城の築城年・築城主は不明。戦国時代、上野国での勢力拡大を謀る真田氏と上杉方の斎藤氏が群馬県吾妻地域で攻防を繰り広げ、永禄5年(1562)には真田氏が長野原城を守っていたとされます。城跡は長野原街並みの北側の山尾根、東西約700mに細長く位置し、本丸、出丸、箱岩出丸、物見台、水の手、大堀切、虎口が確認されています。箱岩出丸が岸壁に囲まれ目立つため、箱岩城とも呼ばれました。
御城印は「登城記念版」と「真田氏西上野へ進出版」の2種類。登城記念版には、真田氏の家紋「六連銭紋」、真田氏に代わって城を守った湯本氏の家紋「月紋」、長野原町の町章を配置。真田氏西上野へ進出版には、長野原城跡の山イメージと真田信繁のイメージが影絵でデザインされています。
長野原城(群馬県長野原町)
頒布場所:道の駅八ッ場ふるさと館
価格:300円(税込)
■真田忍者・横谷左近の拠点「雁ヶ沢城」
戦国時代、真田昌幸の家臣・横谷左近らの横谷氏が城主を務めた雁ヶ沢城。吾妻川につながる鍛冶屋沢川そばの山尾根に位置し、山頂の曲輪跡は東西に伸び、祠が建っています。旧吾妻線線路沿いの麓には横谷氏館跡もあります。
御城印には横谷氏の家紋「九曜紋」と真田氏の家紋「六連銭紋」を配置。また、左近が真田家の忍びとしても活躍したと伝わっていることにちなみ、「忍」の文字と手裏剣がデザインされたバージョンも。
雁ヶ沢城(群馬県東吾妻町)
頒布場所:道の駅あがつま峡
価格:300円(税込)
■真田氏と斎藤氏のせめぎ合い「羽根尾城」
戦国時代に羽尾幸全入道の本拠地だった羽根尾城。永禄6年(1563)、幸全は長野原城攻めの際に斎藤方の大将として城を落とす活躍を残しましたが、鎌原氏に急襲されて大戸へ逃げ落ち、鎌原方(真田方)についた湯本善太夫に羽根尾城が与えられました。城跡では本郭や腰曲輪跡、堀切などの遺構が見られます。
御城印には、真田氏と羽尾氏の家紋「六連銭紋」、湯本氏の「月紋」、長野原町の町章をデザイン。城跡の写真が印刷されたバージョンも。
羽根尾城(群馬県長野原町)
頒布場所:浅間酒造観光センター
価格:300円(税込)
■真田家の鉄砲砦「横尾八幡城」
尻高三河守が築いたとされる横尾八幡城(八幡山城)。天正16年(1588)頃には真田方の城となっており、天正17年に北条氏邦の軍勢を退けるなど、上野へ侵攻してきた北条軍を抑える役割を果たしました。主郭は台形に近い四方形で、高さ3~4mの土塁で囲まれています。
御城印は、横尾八幡城をめぐって争った真田氏の家紋「六連銭紋」と北条氏の家紋「三つ鱗紋」をデザイン。城に常駐していた真田鉄砲隊をイメージしたイラスト版もあります。
横尾八幡城(群馬県中之条町)
頒布場所:ちぎりいちブックセンター
価格:2種類1セット600円(税込)※セット販売のみ
■伊香保地衆が守った「下小屋(しものこや)城」
現在の群馬県伊香保町の北端、湯中子から沼尾川を越える場所にあった下小屋城。戦国時代、武田方の真田氏と上杉方の長尾氏との間で伊香保地衆をめぐる勢力争いが行われ、元亀3年(1572)に武田勢の侵攻に際して伊香保地衆が築いた“境目城”と考えられています。そのため、土居はほとんどが北面に築かれており、南面の伊香保側にはあまり見られません。また、入口となる西南端を除く全方位に断崖がめぐる天然の要害でした。
御城印は「覇権争い版」と「伊香保地衆版」の2種類。覇権争い版は、白井長尾氏の「九曜巴紋」と上杉氏の「竹に二羽飛び雀紋」に対して、真田氏の「六連銭紋」と武田氏の「武田菱紋」が対峙するデザイン。伊香保地衆版には、集合体だった伊香保地衆の各氏の家紋が配置されています。
下小屋城(群馬県渋川市)
頒布場所:伊香保温泉お宿かつほ
価格:2種類1セット600円(税込)※セット販売のみ
<埼玉県>
■映画「のぼうの城」で一躍有名となった「忍城」
再建された御三階櫓のイラストに、歴代城主の家紋をあしらったデザインです。
家紋は上から順に、成田氏の「丸に三つ引き」、大河内松平氏の「丸に三蝶の内十六菊葉」、阿部氏の「丸に違い鷹の羽」、東条松平氏・奥平松平氏の「丸に三つ葉葵」。日付欄は自分で記入する形式です。
忍城(埼玉県行田市)
領布場所:行田市郷土博物館 受付
価格:200円(税込)
▼忍城に関する記事はこちら
【埼玉県のお城】関東をめぐる激戦地こその戦国の城!
【埼玉県のお城】関東をめぐる激戦地こその戦国の城!
■「築城の教科書」と称される「杉山城」
国指定史跡・比企城館跡群の一つで、扇谷上杉氏に対抗して山内上杉氏が築城したと考えられている杉山城。巧妙な縄張や防御の技法が至るところに施されていることから「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作の一つ」と称されています。
御城印中央に配置されているのは、山内上杉氏の家紋「竹に雀」。
杉山城(埼玉県比企郡)
領布場所:嵐山町ステーションプラザ嵐なび
価格:500円(税込)
※令和3年(2021)4月1日から発売。4月6日から郵送販売受付。
▼杉山城に関する記事はこちら
■はっきりと折れ曲がった高い土塁や深い堀が迫力たっぷり「菅谷館」
畠山重忠の館跡を再興した山内上杉氏の家紋「竹に二羽飛び雀」と、その後支配した後北条氏の家紋「北条鱗」を中央に配置。
台紙として、近隣の埼玉県小川町や東秩父村で生産され、ユネスコ無形文化遺産にも指定されている高級手すき和紙の細川紙を使用。御城印の裏面に「ユネスコの無形文化遺産 掛川紙」と印字されています。
また、御城印に使用した家紋や台紙の説明文の同封あり。
菅谷館(埼玉県比企郡)
領布場所:埼玉県立嵐山史跡の博物館受付
価格:200円(税込)
▼菅谷館に関する記事はこちら
■武蔵七党の豪族・大河原氏の居城「安戸城」
槻川(つきかわ)と安戸宿を眼下に見下ろす標高約240mの丘陵に築かれた安戸城。山頂の主郭周囲に小規模な曲輪が築かれ、主郭の東と北には堀切が見て取れます。武蔵七党の丹党一族でこの地域の豪族だった大河原氏の居城とされ、扇谷上杉氏の家臣・上田左衛門太夫が城主を務めたという記述も残っています。
御殿印には、大河原氏ゆかりの城であることから丹党嫡流の家紋「三つ星」をデザイン。また、上田氏の主筋にあたる扇谷上杉氏の家紋「竹に雀」と、扇谷上杉氏滅亡後に上田氏が仕えた北条氏の家紋「三つ鱗」も配置。さらに、安戸城の地形が分かる地図と縄張図や、東秩父村が細川紙の産地であることから原料の楮をデザインしています。
安戸城(埼玉県秩父郡東秩父村)
領布場所:おいでなせえ小川町駅前店
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)5月27日から頒布開始。
■数々の覇権争いの舞台となった「松山城(武蔵松山城)」
埼玉県を流れる市野川近くの丘陵に築かれた松山城(武蔵松山城)は、広大な湿地帯に囲まれた天然の要害です。本曲輪、二の曲輪、三の曲輪などが一直線に並び、そのまわりに多くの曲輪が配置されているのみならず、それぞれの曲輪を囲むように横矢掛かりをともなう空堀と切岸が巡らされており、高い防御性を誇りました。
扇谷上杉氏、太田氏、北条氏綱・氏康・氏政、武田信玄、上杉謙信などによる激しい覇権争いが繰り広げられましたが、慶長6年(1601)に廃城になります。
御城印は、立地が分かる地図や縄張図、激しい戦が行われたことを示す武者をデザイン。永禄3年(1560)に起きた松山合戦で伝令として活躍した犬も配置。家紋は、扇谷上杉氏、上田氏、太田氏、北条氏、武田信玄、上杉謙信のもの。
松山城(武蔵松山城)(埼玉県比企郡)
領布場所:おいでなせ小川町店、岩窟商店
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:500円(税込)
※令和6年(2024)9月28日発売予定。
■慈光寺攻略のために築かれた「大築(おおづく)城」
小田原北条氏の家臣、松山城主の上田朝直が、関東屈指の大寺院であった天台宗関東別院慈光寺を攻略する拠点として使用したとの伝承がある大築(おおづく)城。御城印には上田家家紋「丸に三つ引き両」と、大築城の実測図を元にしたデザインが配置されています。ときがわ町産武蔵楮(こうぞ)を使用した手漉き和紙使用。
大築城(埼玉県比企郡)
領布場所:ときがわ町の建具会館
価格:800円(税込)
■鎌倉街道上道を押さえる水陸の要衝「四ツ山城」
現在四津山神社(埼玉県比企郡小川町)が鎮座する山陵に築かれた四ツ山城。別名「高見城」。眼下に鎌倉街道上道と、街道と並行するように市野川があることから、水陸交通の要衝だったと考えられています。
築城等の詳細は不明ですが、『新編武蔵国風土記稿』の四ツ山城の項に「増田四郎重富居蹟」との記載があります。「増田家系譜」によると、 増田四郎重富は古河公方の家臣で、上増田(埼玉県深谷市)から移ってきて城を築いたと伝わります。
御城印は四ツ山城眼下の鎌倉街道上道を行き交う軍勢がモチーフ。菅谷、杉山、鉢形と連携していたと考えられているため、狼煙も描かれています。家紋は増田氏の「丸に三階菱」と「丸に抱き沢瀉(おもだか)」、北条氏の「三つ鱗」を配置。
四ツ山城(埼玉県比企郡)
領布場所:おいでなせえ小川町駅前店
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)3月26日発売。歴×トキ(https://www.rekitoki.com/shop)、おがわの御城印屋(https://hiki-gojouin.stores.jp/)にて通販対応。
■松山城の支城「腰越城」
天然の要害を利用し、蛇行する槻川に三方を囲まれた標高216m地点を中心に築かれた山城の腰越城。『関八州古戦録』によると、松山城の支城として松山城主上田氏が築城したとされ、上田氏の重臣山田伊賀守が城主だったといわれています。17を超える郭が残っており、堀切、竪堀、横堀、虎口などの遺構が良好に残っています。
腰越城の本城である松山城主上田氏が、扇谷上杉氏に仕えた後、小田原北条氏に属したことから、御城印には、扇谷上杉氏と小田原北条氏の家紋がデザインされています。上田氏に関連する場所の位置関係や谷を走る街道がわかる地図と、縄張図がモチーフ。
腰越城(埼玉県比企郡)
領布場所:おいでなせえ小川町駅前店
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)8月27日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通販対応。
■戦国時代の遺構が良好に残る「中城」
八幡台と呼ばれる西方から東方の小川盆地に向かって張り出す比高約20mの台地の先端に築かれた中城。詳細は不明ですが、鎌倉時代には猿尾(ましお)太郎種直の居城だったとの土地の伝承があります。また、中城は二重土塁、横堀、横矢掛かり、虎口などの遺構が良好に残っており、発掘調査から15 世紀後半の築城だと考えられています。
扇谷上杉氏の家宰である太田道灌が現在の小川町にあたる「小河」に立ち寄っていることから、小河が扇谷上杉氏と関係の深い地であると考えられます。そのため御城印の家紋は、扇谷上杉氏のものをモチーフに。鎌倉時代の僧である仙覚律師が、この地域で万葉集の研究書である『万葉集注釈』を完成させたと伝わることから、万葉集をイメージしたイラストと、中城に建つ仙覚律師の顕彰碑もデザイン。
中城(埼玉県比企郡)
領布場所:おいでなせえ小川町駅前店
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和6年(2024)5月25日発売
<千葉県>
■江戸幕府の要職を務めた堀田家の居城「佐倉城」
戦国時代に佐倉千葉氏により築城が開始され、江戸期に石垣を用いない近世城郭として完成した佐倉城。城主は代々江戸幕府の要職に就くことが多く、なかでも堀田家は、江戸期の幕政を長きにわたり支えた幕府内の重要な家柄でした。現在、城址には多くの郭や堀の形状が良好に残るとともに、国立歴史民俗博物館建設の際の発掘整備により、空堀と土塁を復元して馬出を再現しています。佐倉市の指定史跡で日本100名城。
御城印の左上にあるのは、堀田家の家紋「堀田木瓜紋」。文化10年(1813)に焼失した御三階櫓(天守閣)を、現在千葉県下有数の桜の名所となっている佐倉城址のイメージにあわせてデザイン化。
佐倉城(千葉県佐倉市)
領布場所:佐倉市観光協会、京成臼井駅前のレイクピアウスイ内のリブロ(書店)、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※佐倉市観光協会公式ネットショップ(https://sakurakankou.thebase.in/)や、順子堂(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも取扱中。
▼佐倉城に関する記事はこちら
■下総守護の千葉氏が100年居城とした「本佐倉(もとさくら)城」
下総守護千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城して以来、約100年間、当主9代が居城とした本佐倉(もとさくら)城。印旛浦に面して位置し、水上・陸上両方の交通の要衝でした。城域は約35万㎡と広大な規模で、内郭と外郭あわせて10もの郭に加え、周囲には城下町が形成されました。現在も大規模な空堀や土塁、櫓台や虎口が明瞭に残っています。
御城印下部に広がるのは、印旛浦を望む風景です。さらに、周辺地域含め、城下町全体が城郭化された難攻不落の城であったことを表すため、御城印上部には、本佐倉城周辺の地形や城郭、寺院、家臣屋敷等がわかる地図もデザインされています。題字の下にあるのは、8代邦胤の龍の朱印。また、上部には千葉氏の家紋「月星」(左)と「九曜」(右)を配置。
本佐倉城(千葉県印旛郡)
領布場所:京成佐倉駅前観光案内所、JR佐倉駅前観光情報センター、ふるさと広場売店「佐蘭花」、まるごとしすい
頒布元:株式会社塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)や、「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)にて通販中。
▼本佐倉城に関する記事はこちら。
■“無敵の武将”本多忠勝が改修!石垣を一切用いず縄張りで構築した「大多喜城」
太平洋に注ぎ込む夷隅川中流域の丘陵部に築かれた大多喜城。蛇行する夷隅川が天然の堀となり、堅固な要害となっていました。大多喜城の築城等の詳細は不明ですが、現在の千葉県立中央博物館大多喜城分館が本丸、千葉県立大多喜高校が二の丸にあたります。
徳川家康の関東移封にともない、生涯57戦を闘いながら傷一つ負わなかったという徳川四天王の一人である本多忠勝が入城、天正18年(1590)に近世城郭に大改修しました。
御城印は2種類。
画像左の御城印上部には本多家の家紋「立葵」、下部には明治維新まで城主であった大河内松平家の家紋「三つ扇」を配しています。中央にあるのは梵字で、右から「地蔵菩薩」「阿弥陀如来」「観音菩薩」。戦国の勇者をたたえながらも来世は戦のない世界を念じた本多忠勝は、所持した日本三大名槍の一つである「蜻蛉切の大槍」の槍先に、この三文字を彫り入れていました。
画像右の御城印(黒金版)中央に配置されているのは、大多喜町にある本多忠勝像です。御城印下部右にデザインされているのは、千葉県立大多喜高校の敷地内に移築された千葉県内唯一の現存城郭建造物である二の丸御殿薬医門。同左は、本丸跡に建てられている三層四階の模擬天守です。
大多喜城(千葉県夷隅郡)
領布場所:大多喜駅前大多喜町観光本陣、まるごとしすい
価格:画像左…300円(税込)、画像右(黒金版)…700円(税込)
※画像右の黒金版は令和5年(2023)6月10日より頒布開始
▼大多喜城では、オリジナル御城印帳も頒布しています! 詳しくは「続々増加中!お城や城下町で買える御城印帳大特集!」をご覧ください。
▼大多喜城に関する記事はこちら
■千葉氏領国の北境の城「小見川城」
中世に「香取の海」と呼ばれた内海に突き出した半島状の標高40mほどの台地の上に築かれた小見川城。千葉一族である粟飯原朝秀(あいはらともひで)によって築かれたと伝わっており、粟飯原氏が代々居城としました。小田原合戦で粟飯原氏が敗北した後は、松平家忠が小見川に入封しました。
御城印は、上から千葉一族の「九曜」、千葉宗家の「月屋」、 松平家の「重ね扇」 そして粟飯原氏の「三本竹」と関連の家紋を配置。
小見川城(千葉県香取市)
領布場所:道の駅水の郷さわら、寺嶋陶苑、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売中。
■船着き場があった全国的にも珍しい陣屋「小見川(おみがわ)陣屋」
寛永16年(1639)に下総国、常陸国で加増され大名さらに小見川藩主となった内田正信の死後、元禄元年(1688)に置かれた小見川陣屋。現在の小見川中央小学校一帯にあたり、敷地は黒部川河畔まで広がっていました。小見川は古くから水運の要衝で、江戸時代には利根川舟運の河港として栄えており、陣屋にも黒部川から水路を引き込んで船着き場が設けられていました。このような陣屋は全国的にも珍しく、小見川陣屋の特徴といえます。
御城印は、当時の陣屋の絵図をモチーフにし、さらに、小見川中央小学校に飾られていた江戸時代のものと推定される鯱(しゃちほこ)をデザイン。中央の家紋は、内田氏の「内田久留子(くるす)」。
小見川陣屋(千葉県香取市)
領布場所:道の駅水の郷さわら、寺嶋陶苑、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
頒布元:株式会社 塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売中。
■千葉氏領国の北境の城「森山城」
中世に「香取の海」と呼ばれた広大な内海に面する台地に築かれた森山城。千葉宗家当主・千葉昌胤の子の胤富が当主になるまで居館としました。
御城印は、森山城の当時の様子を伝える史料 「原文書」にある胤富の花押(左下)と、 胤富のものと思われる鶴の黒印(右下)を配置。さらに縄張図と千葉氏家紋「月星」(右上)もデザインされています。
森山城(千葉県香取市)
領布場所:道の駅水の郷さわら、寺嶋陶苑、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売中。
■常陸の国境を守った「須賀山城」
中世には「香取の海」と呼ばれた広大な内海に面する標高約50mの台地の上に築かれた須賀山城。源頼朝の旗揚げの際、ともに戦って功を上げた千葉(東・とう)胤頼(たねより)が、東庄と三崎庄(旭市)を拝領して居館を築いたのが須賀山城の始まりと考えられており、代々、東氏の居城として利用されました。城内には戦国期の遺構が良好に残っていることから、千葉氏が小田原北条氏に属したのち、常陸の国境である須賀山城とその西側に築かれた森山城の重要性が増し、須賀山城が森山城の「外郭部」としてさらに改修整備されていったと思われます。
御城印は、城が築かれた台地と、かつて北方に広がっていた「香取の海」がデザインされ、千葉一族である東氏の家紋「九曜」を配置。右下の人物は、東氏のもう一つの所領であった美濃国の篠脇城主・東常縁(とうつねより)。享徳の乱の際に下総で千葉氏の内紛が起きると、室町幕府から東国に派遣され、森山城に入ったとされています。なお、城郭名は、国内外で活躍し、英国王立美術協会の名誉会員でもある岩井颯雪(そうせつ)氏の揮毫。
須賀山城(千葉県香取郡)
領布場所:東庄町役場、東庄町観光会館
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)4月3日から頒布開始。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■椿の海にそびえ立っていた交通の要衝「沼闕(ぬまかけ)城」
沼闕(ぬまかけ)城は、「東庄県民の森」となっている比高20mの台地に築かれ、かつて存在した「椿の海」に向かってそびえ立っていたと考えられています。北方は「香取の海」に面し、陸奥に繋がる交通の要衝でもありました。現在の補陀洛山(ふだらくせん)福聚(ふくじゅ)寺が沼闕城の主郭だったと思われ、周囲には土塁、空堀、腰曲輪などの遺構が残ります。源頼朝の鎌倉幕府設立に尽力した千葉(東・とう)胤頼の3男・盛胤が居館を築いたのが始まりとされ、その後も千葉氏の庶流である東氏が沼闕城主となりました。沼闕城はその地名から、別名「小南城」とも呼ばれています。
御城印のモチーフは、椿の海と、その椿の海に向かって張り出す沼闕城の台地。家紋は、千葉一族である東氏の「九曜」。なお、城郭名は、国内外で活躍し、英国王立美術協会の名誉会員でもある岩井颯雪(そうせつ)氏の揮毫。
沼闕(ぬまかけ)城(千葉県香取郡)
領布場所:東庄町役場、東庄町観光会館
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)4月3日から頒布開始。4月4日より「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■水田の中の“浮城”的な戦国・中世城郭「志摩城」
享徳4年(1455)享徳の乱の際に千葉胤直(たねなお)が籠った志摩城は、嫡子の宣胤(たねのぶ)が籠った多古城ともども、公方側についた千葉氏庶流である馬加康胤(まくわり やすたね)や原胤房らによって攻められ、千葉氏宗家が滅びる現場となった歴史上重要な戦国・中世城郭。現在は、塙台、二ノ台と言われる東西2つの郭や、この2つの郭に挟まれた舟着場と見られる場所、枡型虎口等の遺構が良好に残っています。城跡だけではなく、城下の島集落と一体化した浮城的総構えを有する中世期の防衛遺構と考えられ、地名の「島」は、水田の中に浮かぶ独立丘陵を言い表したものといえます。
御城印は、多古町に伝わる中世期の形態がよくあらわされた江戸期の島全体の古地図をモチーフとし、千葉氏の家紋「月星」を配置。多古城郭保存活用会作成。
<CHECK!>
千葉県多古町のふるさと納税の返礼品に、多古町御城印3種セット(多古城・並木城・志摩城 各1枚)が加わりました。
詳細は⇒ ふるさとチョイス https://www.furusato-tax.jp/product/detail/12347/5046616
志摩城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅 多古 あじさい館、(2022/1/15~)まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉氏宗家終焉の地「多古城」
享徳4年(1455)享徳の乱で千葉氏宗家の嫡子・千葉宣胤(たねのぶ)が籠り奮戦するも自害したことにより、千葉氏宗家が途絶えた地となった多古城。戦国期には、現・多古町内の親社大神に祀られる牛尾胤仲が城主となりました。平成3年(1991)から平成10年(1998)にかけて行われた発掘調査により戦国期の畝堀の存在が明らかになるも、その後の開発により消失。城跡には畝堀の延長上に折れを伴った技巧的な空堀、帯曲輪、物見台跡、虎口等が残っています。
御城印は、発掘当時の畝堀の姿をモチーフとし、千葉氏家紋の「月星」と牛尾氏の「九曜」を配置。多古城郭保存活用会作成。
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千葉県多古町のふるさと納税の返礼品に、多古町御城印3種セット(多古城・並木城・志摩城 各1枚)が加わりました。
詳細は⇒ ふるさとチョイス https://www.furusato-tax.jp/product/detail/12347/5046616
多古城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅 多古 あじさい館、(2022/1/15~)まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■水陸の要に築かれ、千葉氏一族同士の戦いにも関連した「土橋城」
栗山川という水運の幹線と、城下を走る佐原への街道(多古街道)という陸上の幹線を押さえた水陸交通の要衝に築かれた土橋城。千葉氏が一族で分裂し、南朝方の千葉貞胤と北朝方の千葉(千田)胤貞が従兄弟同士でありながら争うことになった南北朝の争乱では、「土橋合戦」といわれる戦いが繰り広げられました。その後も享徳の乱に端を発した千葉宗家滅亡の戦いにも土橋城は関連したと考えられています。
御城印のデザインは、土橋城が築かれた台地の遠景。城下に「船渡」という地名が残っており、中世においては船が行き来できる立地であったことが推測できることから、入江と船が描かれています。地形の分かる地図をモチーフにし、千葉氏の家紋「月星」を配置。
土橋城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅 多古 あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
<CHECK!>
千葉県多古町のふるさと納税の返礼品に、多古町御城印シリーズ第二弾(土橋城・玉造城・分城 各1枚)が加わりました。
詳細は⇒ ふるさとチョイス https://www.furusato-tax.jp/product/detail/12347/5046617?product-detail_recommend
■天然の要害に築かれた「玉造(たまつくり)城」
三方を急峻な崖に囲まれた天然の要害の地にあった玉造城。築城主は不明ですが、弘安年間(1278 ~ 1287)は野平伊賀守常弘が城主であったと伝わっています。
江戸時代に描かれた絵図をモチーフとした御城印で、下部に描かれているのは、櫓台と思われる場所に建てられている八幡神社の景色。
江戸時代に描かれた絵図をモチーフとした御城印で、下部に描かれているのは、櫓台と思われる場所に建てられている八幡神社の景色。
玉造城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅 多古 あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※11月28日より販売開始
「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
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千葉県多古町のふるさと納税の返礼品に、多古町御城印シリーズ第二弾(土橋城・玉造城・分城 各1枚)が加わりました。
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■土塁や空堀など遺構がきれいに残っている戦国・中世城郭「並木城」
築城主などの詳しい資料は残っていないものの、多古町南並木地区の台地の南端に位置し、1330年代から戦国末期まで城郭として利用されていたと言われる並木城。南側の土塁と空堀で囲まれた部分が主郭だったと考えられており、主郭の北側の折れを伴った土塁と空堀の二重構造、南東側の巨大な二重の枡形虎口、南側の帯曲輪等がとても良い状態で残っています。古文書『悟円書状』から、1330年代におこった北朝方と南朝方の争いの際、並木城直下(現・多古光湿原辺り)において「ふないくさ」があったと考えられ、そのため並木城は栗山川や借当川等の水運の要衝にかかわる権利確保の拠点城として機能していたと推測されます。
御城印にある「ふけ」とは湿原、沼沢地のこと。並木城の復元鳥瞰図をモチーフとし、水運、水辺をイメージする青色を主体としてデザインされています。上部の「月星」は、北朝方として並木城と深い関係があったと思われる千葉胤貞(たねさだ)の家紋。多古城郭保存活用会作成。
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並木城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅 多古 あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉氏宗家当主が築いた防衛拠点といわれる「分(わけ)城」
築城年代や城主は定かではありませんが、千葉氏宗家当主・千葉胤貞(たねさだ)が防衛拠点として築いたと伝わる分(わけ)城。栗山川流域を見下ろす舌状台地の先端に立地。御城印は分城の城山の姿と、かつて麓近くまで迫っていたであろう湖沼をデザイン。中央に大きく千葉氏の家紋「月星」を置き、その背後に分城の縄張図を配置。下部に広がるのは、多古の実り豊かで美しい自然の風景。
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分城(千葉県香取郡多古町)
領布場所:道の駅 多古あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■平家と千葉一族にゆかりのある城館「次浦八郎常盛館」
■千葉氏宗家当主・千葉胤貞が築いたといわれる「中城」
多古町南東部の中村地区に位置し、中村小学校の東方、借当川に開けた谷津に突き出た舌状台地に築かれた中城。周辺の台地は「中村の台地」とも呼ばれ、鎌倉時代や南北朝時代に開山された古刹正東山日本寺や正峰山妙興寺、竹林山妙光寺などがあり、まさに多古の中心地ともいえます。千葉氏宗家当主だった千葉胤貞(たねさだ)がこの台地上に「中城」という城を築いたと伝わりますが詳細は不明。御城印は、下部に大きくデザインした縄張図の上に、城を見守るように千葉氏の家紋「月星」を配置。
中城(千葉県香取郡多古町)
領布場所:道の駅多古あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉氏宗家・千葉胤貞の居館「久保城」
千葉氏宗家当主の千葉胤貞が居館として築いたと伝わる久保城。
御城印は、久保城周辺の地図と、千葉氏の家紋「月星」がデザインされています。左下に配置されているのは、佐賀県小城市にある松尾山光勝寺に残る胤貞座像。千葉氏は承久の乱の功で肥前国小城郡を領地とし、松尾山光勝寺は九州千葉氏の菩提寺です。
久保城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅多古あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉一族に連なる次浦八郎常盛の居城と伝わる「次浦(つぎうら)城」
栗山川の支流である沼田川沿いの標高約30mの台地上に築かれた次浦(つぎうら)城。台地の北西側一郭には、土塁と空堀で囲まれた方形の区画が残っています。周辺には城郭に関連する「馬場小屋」「内小屋」「土橋」「馬場道」などの字名も。築城年代や城主は不明ですが、千葉常兼の弟、粟飯原(あいはら)五郎家常の4男である次浦八郎常盛の居城だったと伝わっています。
御城印は、台地の地図をモチーフに、千葉氏の家紋「九曜」を配置。描かれている矢は、次浦八郎常盛の館と伝わる居館跡近くにある「矢指塚」にちなんだもの。矢指塚は、後三年の役で源義家に従い出陣した次浦常盛が勝利をおさめて戻った際に、戦場で使わず残った矢を記念に埋めた、もしくは前九年の役の凱旋の際に源義家が上総の海岸100本の矢を1里ごとに突き刺しながら戻ってくる途中、次浦の地に最後の1本を埋めた記念の塚とも伝わります。
次浦城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅多古あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■平家と千葉一族にゆかりのある城館「次浦八郎常盛館」
源義家に従って後三年の役に出陣し武功を挙げた、千葉一族・次浦八郎常盛の城館だった次浦八郎常盛館。次浦集落から西に外れた次浦字大峰の杉林の中に、周囲の地形を削り出して館を造営したと思われ、雛壇状の平場が現存しています。また、平家政権の中枢を担う人物だったという藤原親政の居館が、次浦八郎常盛館の前身とも指摘されています。
こうした歴史を踏まえ、御城印には平家の家紋と、その後の領主である千葉一族の家紋「月星」「九曜」をデザイン。さらに、平清盛と千葉常胤という次浦にゆかりのある平家・千葉一族の二家を象徴する2人の姿も描かれています。
次浦八郎常盛館(千葉県香取郡多古町)
頒布場所:多古町の道の駅あじさい館、まるごとしすい
頒布元:多古城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)11月26日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■小丘に築かれた要害「松崎(まつさき)城」
多古町の東、常盤地区の東松崎に築かれ、舌状台地全体に広がっていた松崎(まつさき)城。現在、台地の大部分はかなり改変されているため城の構造は不明ですが、比高約20mの台地は切り立ち、周囲には大きな土塁や曲輪、また虎口と思われる遺構が点在しています。
御城印上部には、松崎周辺の地図が広がります。大きく描かれているのは、松崎城の中心に位置する日蓮宗勝栄山能満寺(しょうえいざんのうまんじ)の鐘楼門(町指定有形文化財)。鐘楼門は山門の上に鐘楼を乗せた珍しい造りで、天保9年(1838)村人たちによって建立されました。能満寺を開いた日運上人は正木氏に連なる出自で、松崎城が機能していた当時も能満寺、もしくは能満寺の建つ平場は城の一部として使われていたと思われます。左上には、多古を所領としていた千葉氏の家紋「月星」、右下には能満寺に伝わる正木氏の家紋「三引き両」を配置。
松崎城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅多古あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■監視所的役割を果たした「土やぐら城」
千葉県香取郡多古町の南東部、中村地区のかつて水陸交通の要衝だった借当川流域を望む台地の先端に築かれた土やぐら城。台地の中央を走る「中城坂」を挟んで、北西方向に物見台城(物見台跡)があり、物見台城と連携して中城坂を監視していたと思われます。構造ははっきりとしませんが、櫓台や土塁が今も残っています。
御城印は、多古町に残る江戸時代に描かれた土やぐら城の絵図をデザイン。上部には、多古町中村地区とは特に歴史的かかわりの深い千葉氏の家紋「月星」を配置。土やぐら城が監視所として機能していたと考えられることから、櫓のイメージが描かれています。
土やぐら城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅多古あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■陣屋としては珍しく石垣が築かれていた「多古藩陣屋」
千葉県香取郡多古町にある多古第一小学校周辺に築かれた多古藩陣屋。多古藩廃藩中であった寛永12年(1635)、旗本の松平(久松)勝義が上総国武射郡と下総国香取郡に所領を得て多古に陣屋を構えたのが、多古藩陣屋の始まりです。 延宝8年(1680)に家督を継いだ勝義の9男勝以(かつゆき)が加増を受け、 多古藩が再び立藩。以後、 久松松平氏が領主として存続し明治に至ります。現在は石垣の一部がわずかに残るだけですが、当時は陣屋の敷地は板塀や石垣で囲われていました。
御城印は、昭和8年(1933)に描かれた多古町の鳥諏図をモチーフに、 町の風景が描かれています。下部に広がるのは、 江戸時代に発行された「下総名勝図絵」に描かれた多古藩陣屋の表門遠景をデ ザインしたもの。右上に久松松平家の家紋「星梅鉢J、左下に「六つ葵」を配置。
多古藩陣屋(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅多古あじさい館、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■3城から成る「神崎城」
かつての香取の海、現在の利根川に突き出た丘陵に築かれた「東の城」、「中の城」、「西の城」の3城から成る神崎城。丘陵上に連なるように設けられた東の城、中の城、西の城と周囲の田向城や小松城がすべて連携するように配置された防衛網です。
築城したのは千葉氏隆盛の祖である千葉常胤の曾孫にあたる神崎師時と伝わっています。築城時期は鎌倉時代中期とみられますが、現在の遺構は戦国時代末期のものと推察されます。神崎氏は途中の中絶はあるものの、師時以来、神崎地域の領主として君臨し、戦国時代には千葉氏を介して小田原北条氏に属します。小田原合戦の小田原北条氏の敗退にともない、神崎城も開城落城。東の城は最北端に当たる城であり、東の城、中の城、西の城の3城の中では、もっとも古いものと推定されています。
御城印は、水陸両方の交通の要衝地だった神崎の地図がモチーフ。3城分並べると神崎の美しい風景が現れます。神崎氏は千葉一族の庶流であることから、千葉一族の家紋「月星」と「九曜」を配置。
神崎城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅発酵の里こうざき、千葉ポートタワー、あずの里いちはら、まるごとしすい
頒布元:株式会社塚原緑地研究所
価格:各300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■台地全体を利用して築かれた「物見台城」
千葉県香取郡多古町の鴻巣集落周辺の台地に築かれた物見台城。多古・匝瑳(ふっさ)地域の重要な水上交通路であった借当川は、物見台城の南側を流れていました。そのため、台地の南側を防衛・監視する役割を担っていたのではないかと言われています。築城時期や築城主、全体像は不明ですが、周辺には遺構が良好に残っています。
御城印は、地形を生かして築かれたことがよく分かるように縄張図をデザイン。「物見台」という名前からの着想で物見櫓も描いてあります。また、物見台城がある中村地区には千葉胤貞の伝承等が多く残ることから、千葉氏の家紋「月星」を配置。
物見台城(千葉県香取郡)
領布場所:道の駅多古あじさい館、まるごとしすい
頒布元:多古城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉一族である上代(かじろ)氏の居城「和田城」
椿の海から入り込んだ入江左岸の丘陵に築かれた和田城。築城等の詳細は不明ですが、千葉一族である上代(かじろ)氏の居城だったと伝わっており、城内には千葉神社が鎮座しています。和田城は主要な2つの曲輪で形成され、その曲輪を守るように横堀、土塁、腰曲輪が設けてあり、戦国時代の城郭の姿を良好に残しています。
御城印は、水上交通の要衝地だったと考えられることから、近くを船が行き交う様子をデザイン。さらに、合戦が行われた伝承があることから、奮戦する上代氏とその家臣団をイメージ。千葉氏の家紋「月星」と「九曜」を配置。揮毫は、英国王立美術協会の名誉会員と国内外で活躍の岩井颯雪氏。
和田城(千葉県香取郡)
領布場所:東庄町役場、東庄町観光会館
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)4月23日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■朝廷に反乱を起こした平忠常の本拠「大友城」
大友城は椿の海の最北端に位置する半島状に突き出た標高約50mの舌状台地に築かれ、水上交通の押さえの役目を担っていたと思われます。長元元年(1028)に朝廷に反乱を起こした平忠常の館跡と伝わっていますが、現存する遺構は戦国時代のもので、東氏や海上氏など千葉一族に関連する城館だと推察されます。地形を活かした連郭式の構造で、土塁、空堀、腰曲輪がわずかに残っています。
御城印には、平忠常の乱を題材にした『源頼信平忠常大椎城水攻之図(歌川貞秀)』をモチーフにしたイラストをデザイン。さらに、平家の家紋「揚羽蝶」と、忠常の乱を平定した源頼信にちなんだ源氏の家紋「笹竜胆」、千葉一族の家紋「月星」「九曜」を配置。文字は英国王立美術協会の名誉会員でもある岩井颯雪氏による揮毫です。
大友城(千葉県香取郡東庄町)
領布場所:東庄町観光協会、東庄町役場、東庄町観光会館、まるごとしすい
頒布元:東庄町観光協会
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)5月27日から頒布開始。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉一族国分氏が国境で敵に備えた要害城「岩ヶ崎城」
かつての内海「香取の海(現利根川)」に向かって伸びる、標高約30mの台地の北端に築かれた岩ヶ崎城。下総国と常陸国の国境にあり、水運の抑えのため、また国境の防衛のため千葉一族国分氏が築城したと考えられています。北条氏方の城として機能していましたが、天正18年(1590)の小田原の役で北条氏が滅びると、徳川家康配下の鳥居元忠が入り、大規模な改修を行ったとされています。
こうした歴史を踏まえ、御城印には千葉一族の家紋「九曜」を配置。さらに、天正18年以降に入部した鳥居氏の家紋「竹に雀」「鳥居」、元忠のイラスト、所用兜「鉄錆地椎実形兜」、所用籠手「袖付三本筒籠手」をモチーフにしています。また、海に向かって突き出す城山の地形が分かる地図をデザインし、岩ヶ崎城の要害性の高さを示しています。
岩ヶ崎城(千葉県香取市)
領布場所:道の駅水の郷さわら、寺嶋陶苑、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
頒布元:㈱塚原緑地研究所
販売価格:300円(税込)
※8月26日(土)販売開始。
■海上氏の居城とされる水運の要衝地「中島城」
利根川に面する標高約40mの台地に築かれた中島城。中世には香取の海に面する水運の要衝地で、千葉一族の海上(うなかみ)氏の居城と考えられており、戦国期には千葉氏の下総統治の拠点の一つだったと考えられています。遺構の空堀の一部には湿地となっている箇所もあり、中世城郭には珍しく台地上の帯曲輪部分に水堀の存在が指摘されています。
御城印には、水運の要衝であったことから中島城と関連する野尻や高田といった湊集落がわかる地図をデザイン。海上氏を継いだ千葉胤富が海上氏の家紋「鶴の丸」に基づいて作成した印判「鶴丸型黒印」(左下)と、千葉一族の家紋「九曜」(右上)を配置。
中島城(千葉県銚子市)
領布場所:銚子観光案内所、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
頒布元:株式会社 塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■高崎藩の出張陣屋「飯沼陣屋」
下総国海上郡飯沼村(現在の銚子市陣屋町)に置かれた上野国高崎藩の陣屋である飯沼陣屋。現在の陣屋公園一帯に相当します。松平(大河内)輝貞が享保 2 年(1717)に高崎に入った際、海上郡の 7 村を与えられ陣屋を築いたとされます。以来、明治まで高崎藩の出張陣屋として存続しました。
御城印は、弘化4年(1847)に描かれた『高崎藩銚子陣屋地図』がモチーフ。さらに、江戸時代に利根水運が江戸に通じるようになり、江戸への中継港として銚子が栄えたことから、船と渡辺崋山が描いた銚子の町もデザイン。右上には大河内氏の家紋「三扇」を配置。
飯沼陣屋(千葉県銚子市)
領布場所:銚子観光案内所、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
頒布元:株式会社 塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■海に消えた幻の城「佐貫城」
現在の刑部岬に築かれた佐貫城は、太平洋の荒波に削られ、今は消失してしまっています。佐貫城が存在したときの台地は、海に向かって今よりもっと張り出していたといわれており、その天然の要害を利用して、海城が築かれたと考えられます。遺構は残っていないものの、『平家物語』や『源平盛衰記』に佐貫城の名が登場し、片岡常春が城主だったと書かれています。常春は「源義経四天王」として浮世絵などにも描かれている人気の高い人物で、義経に同行し戦ったとされています。
御城印には、美しくそびえ立つ断崖とともに、片岡氏が千葉氏と同じ出身とされることから千葉一族の家紋「九曜」を配置。下部には、『平家物語』に常春が壇ノ浦の戦いで武功をあげ、海に落ちた神璽(しんじ)を拾い上げたと描かれていることから、壇ノ浦にて戦う源義経一行の船がデザインされています 。
佐貫城(千葉県旭市)
領布場所:季楽里あさひ、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)3月27日から頒布開始。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■遺構が良好に残る「長部(ながぺ)城」
千葉県旭市北部の長部地区西側台地上で、現在、大原幽学記念館が建っている一帯に築かれた長部(ながぺ)城。築城や廃城年代などの詳細は不明ですが、千葉一族である松澤氏が城主で、天正18年(1590)に千葉氏が属していた小田原北条氏の小田原城が陥落したことに伴い、城としての役目を終えたと考えられています。城内には戦国期と思われる空堀、土塁、櫓台などのほか、幕末に改変されているものの、土塁に囲まれた方形の曲輪なども良好に残っています。
御城印は、大原幽学が長部村の農村改革の指導に当たっていた教導所「改心楼」の絵図がモチーフ。改心楼は長部城当時の要害地形を生かしたまま建てられました。千葉一族の家紋「月星」と、要害性のわかる地図をデザイン。
長部城(千葉県旭市)
領布場所:道の駅季楽里あさひ
頒布元:旭市観光協会
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)9月25日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売。
■椿の海を望む水上交通要衝の地「見広(みびろ)城」
かつて現在の旭市、匝瑳市、東庄町などの一帯にあった湖・椿の海を臨む要害山と呼ばれる段丘上に築かれた見広(みびろ)城。築城主築城年代などの詳細は不明ですが、今に残る遺構は15世紀以降のものと考えられています。櫓台、空堀、土塁が良好に残り、城と関連する堀添、桝形、矢通、新堀込、井堀などの地名も残っています。地元の伝承や『千葉県海上郡誌』などによると、 城主は千葉氏に属する嶋田三河守を名乗った一族とされています。
御城印は、水上交通の要衝であったと推測できる地形のわかる地図がモチーフ。城主と伝わる嶋田三河守の家紋「丸に三割り桜」(左下)と、 主筋にあたる千葉一族の家紋「九曜」(右上)を配置。
見広城(千葉県旭市)
領布場所:道の駅季楽里あさひ
頒布元:旭市観光協会
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)9月25日発売。
■千葉氏宗家・千葉胤貞の居館「八日市場城」
JR八日市場駅の北側にある現・天神山公園の丘陵上に築かれた八日市場城。築城時期等の詳細は不明ですが、千葉氏家臣の押田(おしだ)氏の居城と言われています。
御城印は、押田氏の家紋「丸九曜」(右)と「五三の桐」(左)を配置。さらに、周辺の地図と、現地に立つ櫓のような展望台もデザイン。
八日市場城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉一族・飯高氏の出身地「飯高(いいだか)城」
借当川(かりあてがわ)北岸の標高約36mの丘陵に築かれ、現在の飯高寺(はんこうじ)周辺が城域とされています。南方には飯高城の支城とされる飯高砦や新砦が、東方には天神砦があることから、台地全体を城郭化し、連携して飯高城を防衛していたと考えられています。
築城主などの詳細は不明ですが、鎌倉時代中期から南北朝期は千葉一族である飯高氏の本貫地でした。そのため飯高氏が築城したとの伝承もあり、戦国期には平山刑部少輔が飯高城を居城にしていたと伝わっています。
飯高寺の境内には、空堀、土塁、腰曲輪などの城郭遺構が残り、戦国期の飯高城の構造や規模がわかります。
御城印は、江戸時代に建てられた飯高寺山門がモチーフ。徳川家康の側室であるお万の方が奉納した妙見菩薩が今も残るなど、飯高寺はお万の方とつながりが深いことから、妙見菩薩のイメージもデザイン。家紋は、飯高氏の出自である千葉氏の「月星」、千葉一族の「九曜」、徳川家の「三つ葉葵」。
飯高城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)3月26日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■飯高城城郭群の一つ「飯高(いいだか)砦」
現在の妙福寺裏山に築かれた飯高砦(いいだかとりで)。山頂には飯高神社が鎮座しています。詳細は不明ですが、現在の飯高寺(はんこうじ)周辺が城域とされている飯高城の南方 800mに位置することから、新砦、天神砦などと連携して飯高城防衛を担う城郭群の一つだったと考えられています。麓にある妙福寺は谷戸式居館の様相を呈することから、山麓に屋敷、山頂に防衛施設が築かれていた可能性も指摘されています。
御城印は、飯高砦、天神砦、新砦などの城郭群などが広義の意味での飯高城を形成していたと思われることから、大正時代に描かれた飯高寺の絵図がモチーフ。飯高寺は飯高城があった台地に築かれており、絵図から台地や地形がわかります。家紋は、飯高氏の出自である千葉氏の「月星」、千葉一族の「九曜」。
飯高砦(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)3月26日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■椿海の台地に築かれた「椿城」
現在の千葉県東庄町、旭市、匝瑳市にまたがって東西 12km、南北 4kmもの広さを誇った巨大な湖で、水上交通の要所だった椿海(つばきのうみ)。この南西隅に張り出す台地に築かれたのが椿城です。築城年代や築城主に関する詳細は不明ですが、 『千葉縣誌』には海保三吉(かいほみつよし)の居城と書かれています。しかし、椿城周囲に千葉一族飯塚氏ゆかりの寺社があることから、むしろ飯塚氏との関わりを指摘されています。現在の城跡は広大な畑で、遺構としてはわずかな士塁などを残すのみです。
御城印は、水上交通の要所を望む場所に位置することがわかるように地図がモチーフとなっています。椿海方面から見た城山山容と海を行き交う舟もデザイン。家紋は千葉一族の「九曜」です。なお、「椿海城」と城郭名を表記している場合もありますが、地元では 古くから 「椿城」 と呼ばれていたため、御城印の表記も 「椿城」となっています。
椿城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)10月28日から頒布開始。
■飯高城城郭群の一つ「天神砦」
飯高城の東方 300mほどの台地に築かれた天神砦。飯高城防衛を担う城郭群の一つだったと考えられています。土塁や堀切、竪堀遺構などがよく残っています。
御城印は、飯高城防衛のための城郭であることを示すため、飯高城の築かれた台地や地形がわかる地図をデザイン。また天神砦の主郭には天神社が鎮座することから、梅の花や境内の巨木がモチーフ。家紋は飯高氏の出自である千葉氏の「月星」、千葉一族の家紋「九曜」を配置。
天神砦(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)3月26日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉一族である松山氏の居城「松山城」
千葉常胤の弟・椎名胤光(しいなたねみつ)の子の胤平を祖とする松山氏の居城と伝わる松山城。源頼朝による木曽義仲討伐の際、胤平が頼朝に従って戦っていた功により、椎名氏は南条荘(匝瑳市)を与えられ、胤平は松山に入ったと考えられています。戦国期には松山の台地上に城が築かれました。現在は、台地にある松山神社周辺に曲輪や空堀、土塁らしきものが残ります。
御城印は、古くからの交通の要衝であり、街道を取り込むように築かれたことから、街道と集落をイメージ。また、地域の中心であり、平安時代の創建と伝わる松山神社の光景がモチーフになっています。家紋は、千葉一族の「月星」と、千葉一族を出自とする松山氏の「九曜」。
松山城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、まるごとしすい、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)6月25日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
千葉一族堀川氏の居館「堀川館」
千葉一族の庶流である堀川氏の居館と伝わる堀川館。築城に関する詳細は不明ですが、標高5mほどの砂州上の微高地を利用して築かれ、現在鎮座している星宮神社の境内を囲むように堀と土塁が巡らされていたと考えられています。遺構はほとんど残っていませんが、わずかな土塁と堀の痕跡から方形区画の館跡を想像できます。
堀川氏が千葉一族にゆかりがあることから、御城印には千葉一族の家紋「九曜」を配置。また、微高地を利用した堀川館の地形が分かる地図と、発掘調査で下駄・かわらけなどが出土していることからそれらの完品もデザインしています。
堀川館(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、まるごとしすい、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)3月25日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)にて通販対応。
三重の堀に囲まれた野手氏の堅城「野手城」
九十九里浜の野手浜海岸から約2km離れた内陸の低湿地帯に築かれた野手(のて)城。内堀・中堀・外堀に囲まれた広大かつ堅固な城郭で、内堀に囲まれた正方形の空間が御城(主郭)だったと伝わっています。遺構はほとんど残っていませんが、野手集落のほぼ中央に残っている「御城」などの字名や、宿が形成されていたと思われる街道から、野手城の姿を想像することができます。
御城印には、城下の構成がわかる地図や、天文4年(1535)の野手合戦で野手氏が戦った押田氏の居城・八日市場城と野手城の位置関係が分かる地図をデザイン。さらに、野手氏の出自である千葉一族の家紋「月星」と野手氏の家紋「九曜」を配置。
野手城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)7月22日から頒布開始。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)にて通信販売対応。
■椎名氏と飯高氏の境界河川の付近に築かれた「宮和田城」
飯高一族が領する北条庄と、椎名一族が領する南条庄との境界河川として“境川”と呼ばれていた借当川。そんな緊迫した地域の南側の台地上に築かれたのが宮和田城で、椎名一族・宮和田氏の居城とされています。城下の街道を挟み込むような構造をしていることから、水陸交通の要衝として機能し、同じ丘陵上に築かれた大浦城や長岡城と連携していたと考えられています。
千葉一族椎名氏の系統にあたる宮和田氏の居城とされることから、御城印には千葉一族の家紋「九曜」を配置。さらに、宮和田城の地形や大浦城・長岡城の場所が分かる地図も図示しています。
宮和田城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※2023年12月30日(土)発売。
■千葉氏に仕えた押田氏の支城「横須賀城」
九十九里浜から約6km内陸に入った、野手城や八日市場城とほど近い地に築かれた横須賀城。周辺の低湿地化した浜堤を防御に利用し、また要害性のある沼沢地を水路としても用いていました。築城に関する詳細は不明ですが、天文4年(1535)の野手合戦後、千葉氏の重臣を代々務めた押田氏の支城になったとされています。
御城印には江戸時代に描かれた絵図面をモチーフに、横須賀城と連携していたと考えられる野手城と八日市場城との位置関係が分かる地図をデザイン。さらに押田氏の家紋「九曜」を配しています。
横須賀城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※令和6年(2024)3月23日から頒布開始
■環濠集落が城郭化した「下富谷城」
九十九里浜から約6km内陸に築かれた下富谷城。下富谷城の東約1kmには横須賀城、南東約5kmには野手城、また北約3kmには八日市場城があります。周辺の沼沢地は要害性が優れているだけではなく、水路としても使われました。集落全体を土塁と堀が取り囲む環濠集落だった下富谷城の詳細は不明なものの、八日市場城主押田氏に関連する城だったと推察されています。
下富谷は平安時代には熊野神社神領となっていたとされていることから、御城印には熊野神社の象徴である「八咫烏」を配置。さらに、この地域に城が築かれていたと伝わる貴重な伝承として『下総之国図』をデザイン。家紋は、八日市場城主押田氏の「九曜」がモチーフ。
下富谷城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和6年(2024)4月27日発売
■街道が集まる要所に築かれた「大寺城」
江戸時代初期まで存在した椿の海の西側の台地に築かれた大寺城。詳細は不明ながら、地域の地頭が千葉一族飯高氏であったことから飯高氏につながる勢力がいたと考えられます。また大寺城の西約3kmの位置に戦国時代に平山氏の居城だった飯高城があることから、大寺城も飯高城と連携して機能する戦国時代の城だった可能性もあります。
御城印は、交通の要所だったことが分かるように元和期以前に描かれたと推定される「下総之国絵図」と、輸送されていた当時高級品の蜜柑をデザイン。千葉一族の九曜紋も蜜柑カラー。
大寺城(千葉県匝瑳市)
領布場所:そうさ物産センター匝りの里(めぐりのさと)、飯高檀林跡観光案内所(南駐車場)、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和6年(2024)6月29日発売
■千葉一族に連なる鏑木氏の城「鏑木城」
椿の海を利用した水上交通の要衝である下総台地の北東端に築かれた鏑木城。広義の城域は東西1000m、南北800mに及ぶことが発掘調査によって判明しており、空堀や土塁、櫓台が良好に残っています。鏑木城の詳細は不明ですが、鏑木氏の居城とされています。
御城印は、周辺の地形が分かる地図や、鏑木氏の祖と伝わる鏑木胤定(千葉胤定)の肖像画をデザイン。さらに千葉一族の家紋「九曜」と鏑木氏の家紋「月星」を配置。
鏑木城(千葉県旭市)
領布場所:道の駅 季楽里あさひ、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)2月26日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)、「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■木曽義昌の居城「網戸城」
水上交通の発達した九十九里平野の微高地に築かれた網戸城。網戸城の規模や構造などは明らかになっていないものの、現在の東漸寺(とうぜんじ)周辺一帯が城域とされていて、東漸寺には空堀や土塁などが残っています。築城主や築城年代なども不明ですが、応永年間(1394~1428)頃の築城とも、小田原北条氏の家臣・大橋山城守康忠によって築かれたとも伝わります。
御城印は、天正18 年(1590)の小田原の役後に網戸城を改修し、居城とした木曽義昌の肖像画や兜(伝木曽義昌兜・東漸寺蔵)がデザインされています。また、旭市の市名の元となった「朝日」と、義昌がその後裔と伝わる木曽義仲の銅像もモチーフに。木曽氏の家紋「笹竜胆」を左上に配置。
網戸城(千葉県旭市)
領布場所:道の駅 季楽里あさひ、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)2月26日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)、「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■北条方との激しい戦いの舞台に「仲島城」
正中元年(1324)に千葉一族の大須賀尾張守が築き、大須賀八左衛門が城主となったと伝わる仲島城。かつて存在した椿海という巨大な湖に張り出した台地に築かれ、椿海を水堀代わりとする要害だったと考えられています。戦国時代には東総地域における反小田原北条氏の中核となり、北条方の勢力と激しい戦いが行われたとされています。
御城印には千葉一族の家紋「九曜」を配し、仲島城の地形が分かる地図をモチーフに用いています。また、仲島城は水城の機能を有していたと推察され、舟で攻め寄せる戦いの場面もイメージとして描いています。
仲島城(千葉県旭市)
領布場所:道の駅 季楽里あさひ、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
■椿海と太平洋を結ぶ水運の押さえの城「江ヶ崎城」
千葉県にかつて存在した巨大な湖で、水上交通の大動脈だった椿海。江ヶ崎城は、椿海の南端に位置し、入江を挟んで存在した仲島城と連動して水運を掌握していたと考えられています。築城などの詳細は不明ですが、水堀や土塁が残っています。
御城印は水運の要衝地であることがよくわかる地形と舟をデザイン。千葉一族との関係が考えられるため、千葉一族の家紋「九曜」を配置。
江ヶ崎城(千葉県旭市)
領布場所:道の駅 季楽里あさひ、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和6年(2024)1月27日発売
■日本三陣屋に数えられる上総国飯野藩の陣屋「飯野陣屋」
敦賀陣屋(越前国)、徳山陣屋(周防国)とともに、「日本三陣屋」に数えられている飯野陣屋。慶安元年(1648)、保科正貞が築いた上総国飯野藩の陣屋です。富津古墳群の中に築かれており、周囲にいくつかの古墳があるほか、陣屋内には前方後円墳である三条塚古墳が残っています。陣屋の構造は城郭構えで、横矢が掛かる張り出しを設け、周囲には土塁と水堀を巡らしています。 本丸から三の丸の広さは、東西430m、南北290mに及び、水堀は千葉県の指定史跡「飯野陣屋濠跡」となっています。
御城印は、飯野陣屋絵図の水堀がモチーフで、保科氏の家紋「並九曜」も大きく配置。
飯野陣屋(千葉県富津市)
領布場所:道の駅 あずの里いちはら、飯野ラーメン、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格: 300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■高城氏の支城として使われたといわれる「花輪城 」
築城年代などは不明ですが、戦国期には根木内城や小金城を本拠とする高城氏の支城として使われたと考えられています。花輪城址公園として先端部が整備されており、空堀や土橋、土塁などの遺構を今でも確認できます。
御城印にデザインされているのは、琵琶首観音堂の基壇が描かれている花輪城構造図と出板碑。琵琶首観音堂は、花輪城廃城後、主郭に建てられた西福寺にあったお堂で、その基壇跡が発掘調査により検出されています。板碑は、発掘調査の際に、空堀から出土したもの。
花輪城 (千葉県流山市)
領布場所:流鉄(株) 流山駅、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■3つの谷津に囲まれた特徴的な立地の城「前ケ崎城 」
築城の経緯などは不明ですが、現在は突端の主郭が前ケ崎城址公園として整備されており、土塁や空堀、櫓台を確認することができます。「刑部郭」という地名が残ることから、千葉氏の一族である高城氏の属将、田島刑部少輔が城主だったのではないかなどいくつかの説が伝わります。
御城印のモチーフは、立地の地形。東側に宮士川谷津、西側に名都借谷津、北側に八木谷津と3つの谷津が合流する地点の台地という特徴のある地形です。よく見ると、名都借城、幸田城、中金杉城も描かれています。前ケ崎城で、太田道灌と千葉孝胤が戦った境根原合戦の前哨戦があったと考えられることから、千葉氏の家紋「九曜」と「月星」、太田氏の家紋「丸に細桔梗」が配置されています。
前ケ崎城 (千葉県流山市)
領布場所:流鉄(株) 平和台駅、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■九十九里浜の要害の城「坂田城」
千葉庶流の三谷氏によって九十九里平野に突出した台地上に築かれた坂田城は、古代から水運の要であった栗山川が作り出した低湿地や点在する沼地に囲まれた要害の地です。16世紀半ばに小田原北条氏の息のかかった芝山大台城主井田氏に押領され、改修整備されました。御城印は、今でも城の直下にある坂田池と城山をデザイン。さらに、戦国期の遺構を良好に残す坂田城の縄張図がモチーフになっています。
坂田城(千葉県山武郡)
領布場所:横芝駅前情報交流館「ヨリドコロ」
価格:300円(税込)
※1月30日から販売開始
※歴×トキ(https://www.rekitoki.com/)にて通信販売中。
▼坂田城に関する記事はこちら
■台地全体に築かれた水上交通の要「成東(なるとう)城」
九十九里平野を望む台地全体を利用して、房総の主要城郭に匹敵する規模で築かれた成東(なるとう)城。鎌倉時代以降に印東氏が築城したと伝わりますが、印東氏の後は馬加千葉氏の勢力下となり、千葉勝胤の子である胤定(鳴戸八郎)が城主として成東地域を治めます。しかし、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条方として戦った当時の成東千葉氏当主・将胤が討ち死にし、元和6年(1620)に廃城となりました。現在の遺構は16世紀以降のもので、土塁、空堀、虎口、切岸などが良好な状態で残されています。
御城印は、地図と縄張図がモチーフ。家紋は上から、千葉氏の「月星」と「九曜」、馬加千葉氏の「月星(星が真上)」を配置。
成東城(千葉県山武市)
領布場所:大髙醤油株式会社、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■上総本一揆の拠点のひとつ「埴谷城」
千葉県山武市内を南北に流れる境川の左岸に広がる台地上に築かれた埴谷城。詳細は不明ですが、上杉禅秀家臣の埴谷氏や千葉一族宍倉氏との関連が指摘されており、犬懸(いぬがけ)上杉氏が上総国守護を務めていたため、埴谷氏がいずれかの段階で上総国埴谷に入ったと考えられています。犬懸上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方足利持氏に対して起こした反乱「上杉禅秀の乱」が鎮圧されたのち、禅秀方の残党が上総本一揆とよばれる一揆を形成し、鎌倉府の軍勢と戦いました。その上総本一揆の拠点のひとつが埴谷城だったと考えられています。
御城印は、築かれた台地の地形が分かる地図と、上総本一揆の拠点のひとつだった埴谷城に集まった埴谷重氏をはじめとする上杉禅秀派の姿をイメージ。家紋は、千葉氏の「月星」、千葉一族宍倉氏の「九曜」、そして埴谷氏の主家である上杉氏の「竹に雀」を配置。
埴谷城(千葉県山武市)
領布場所:山武市観光協会・わが街案内処、まるごとしすい、道の駅あずの里市原
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)4月23日発売。同日から「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)、「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■未完のまま廃城となった「松尾城」
九十九里浜を望む木戸川東岸の台地に築城されたのが明治2年(1869)と比較的新しい松尾城。築城中であった明治4年(1871)に廃藩置県となり、松尾藩が松尾県に組み込まれたため、松尾城は完成しませんでした。当初は四稜郭の予定でしたが、地形等の制約を受けて最終的には三稜郭となりました。日本における唯一の三稜郭の遺跡です。
御城印は、「臨時築法四稜城之図」がモチーフ。また、松尾藩主太田氏が遠江国掛川藩から上総国に国替えとなって松尾藩ができたことから、掛川城の天守もデザイン。家紋は、太田氏の「丸に桔梗」と「違い鏑矢」を配置。
松尾城(千葉県山武市)
領布場所:山武市観光協会・わが街案内処、まるごとしすい、道の駅あずの里市原
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)4月23日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)、「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■東金酒井氏の本城「東金城」
標高約70mの丘陵地に築かれた東金酒井氏の本城・東金城。城域は東西約700m、南北約500mに及び、半独立丘陵全体が城郭化され、南側は断崖となっており、天険の地形を活かした縄張といえます。築城年代など詳細は不明ですが、『関八州諸城覚書(毛利文書)』などの文献から、小田原の役まで東金酒井氏の本城として機能していたことが分かっています。
御城印のモチーフは、「東金古城之図」の東金御殿の絵図。東金御殿は、慶長18年(1613)徳川家康の命により鷹狩りを行うため東金城の跡地に建てられたものなので、御城印にも東金上空を舞う鷹をデザイン。家紋は、東金酒井氏の「右巴」。
東金城(千葉県東金市)
領布場所:道の駅みのりの郷東金、千葉ポートタワー、まるごとしすい、道の駅あずの里市原
頒布元:株式会社塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)1月29日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)、「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
東金城の支城であり防衛施設だった「田間城」
九十九里平野に向かって伸びる標高約50mの丘陵に、酒井定隆が永正6年(1509)に築いたと伝わる田間城。南西約2km先には東金酒井氏の本城・東金城があり、その支城かつ北方の防衛施設として機能していたと考えられています。
御城印には、東金酒井氏の家紋「右巴(右巻の巴)」をデザイン。さらに、東西約500m・南北約240mが城域と考えられる田間城の縄張図、城下を通る街道・宿・東金城との位置関係が分かる地図、街道を見張る城のイメージから門が描かれています。
田間城(千葉県東金市)
領布場所:道の駅みのりの郷東金、千葉ポートタワー、まるごとしすい、道の駅あずの里市原、田間神社
頒布元:株式会社塚原緑地研究所
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)1月28日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)、「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■印旛沼の水上交通の要「師戸城」
印旛沼に突き出た台地を利用して築かれた水上交通の要の城・師戸城。印旛沼を挟んで南方にある臼井城と連携していたと考えられています。鎌倉時代に千葉氏の系統である師戸四郎が築城したとも言われますが、築城年代や築城主は不明です。鎌倉時代からの名族千葉氏がこの地を治め、一族の内紛などを経て、同族の原氏が居城とした可能性が高いとのこと。
師戸城と臼井城は印旛沼を挟んで両立する地形が鍵であり、御城印は印旛沼と師戸城、臼井城が築かれた台地がデザインされています。さらに城山をモチーフにし、小舟を描き、水上交通の重要地点だったことをイメージ。家紋は千葉氏の「九躍」を配置。
師戸城(千葉県印西市)
領布場所:佐倉市観光協会、JR佐倉駅前観光情報センター、佐倉ふるさと広場売店、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※佐倉市観光協会のネットショップ(https://sakurakankou.thebase.in/)や「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■軍神・上杉謙信を退けた城「臼井城」
戦国期の関東におけるいくつかの重要な攻防戦の舞台となった臼井城。一つは関東の戦国期の幕開けとなる享徳の乱。文明11年(1479)武蔵千葉氏に対抗して佐倉千葉氏が7か月間籠城するも敗北しますが、攻城に際して太田道灌の弟(甥という説もあり)の太田資忠が討死を遂げ、現在も土塁上にその墓が残されています。また後世の軍記物では、永禄9年(1566)に上杉謙信、里見義弘の連合軍に攻められ落城寸前となります。しかし、城主・原胤貞(たねさだ)の奮闘、軍師・白井浄三の知謀、そして助勢に駆けつけた北条方の松田康郷らの働きにより勝利。後世、無敗とも言われた謙信の最大の汚点の戦いといわれています。
御城印には歴代城主の家紋を配置。左が臼井氏・原氏の家紋「九曜」、右が徳川家康の関東入封後に城主となった酒井家の「丸に片喰」。下部には縄張図を組み合わせて、謙信でも落とせなかった城の堅城さを表現しています。
臼井城(千葉県佐倉市)
領布場所:佐倉市観光協会、京成臼井駅前のレイクピアウスイ内のリブロ(書店)
価格:300円(税込)
※佐倉市観光協会公式ネットショップ(https://sakurakankou.thebase.in/)でも取扱中。
■臼井城を守った5つの支城の一つ「宿内砦」
臼井城を守る支城群の一つとして、 臼井台地の東南外縁部に築かれた宿内砦(しゅくうちとりで)。地元の方々の保存運動により、支城群で唯一、堀、 土墨、 虎口などの城郭遺構が良好に残っています。
御城印下部に描かれているのが、虎口の土塁です。家紋は、古くからこの地を治めていた千葉一族である臼井氏の「九曜」と、国府台合戦(こうのだいかっせん)以降、 千葉一族を配下においた北条氏の「三つ鱗」。
宿内砦(千葉県佐倉市)
領布場所:佐倉市観光協会京成佐倉駅前事務所、JR佐倉駅前事務所、佐倉ふるさと広場売店道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※佐倉市観光協会公式ネットショップ(https://sakurakankou.thebase.in/)や「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■臼井城を攻めるため上杉謙信が築いたと伝わる「謙信一夜城」
上杉謙信が臼井城攻めの際に築いた陣城と伝わる謙信一夜城は、北方に臼井城を望む高台にあります。開発に伴う発掘調査によると、 城内の曲輪は100m×70mの方形で、 周囲には空堀をめぐらせ、 南西には虎口、土橋が架けられていたと考えられています。
御城印は謙信の陣城との伝承にちなみ、 春日山城の謙信の銅像と、 『成田名所図会(成田名所図絵)』に描かれた謙信の臼井城攻めの場面から着想した戦闘シーンがモチーフ。家紋は上から、上杉氏の「竹に雀」、上杉方として戦った里見氏の「二つ引き両」、国府台合戦(こうのだいかっせん)以降、 千薬氏を配下に置いた北条氏の「三つ鱗」、古くから臼井の地を治めていた千葉氏の「九曜」。
謙信一夜城(千葉県佐倉市)
領布場所:佐倉市観光協会京成佐倉駅前事務所、JR佐倉駅前事務所、佐倉ふるさと広場売店、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※佐倉市観光協会公式ネットショップ(https://sakurakankou.thebase.in/)や「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■古河公方足利政氏・高基親子が移り住んだ「小篠塚(こしのづか)城」
印旛沼へ流れ込む鹿島川に面した半島状の台地先端に築かれた小篠塚(こしのづか)城。築城年代などの詳細は不明ですが、16世紀中頃から末頃と考えられる遺構が良好に残っています。平安から鎌倉時代初め、城の周辺は印東氏の領地でしたが、そのあと、千葉氏の領地となっています。享徳の乱の後、古河公方足利政氏と長男の高基(たかもと)が小篠塚城に移り住みました。
御城印は、上部に足利氏の家紋「二つ引両」(右)と、千葉氏の「月星」(左)を配置。その下には、古河公方足利政氏・高基親子と初代古河公方足利成氏の花押をデザイン。描かれている武将は政氏・高基親子。現在、城内に建つ正慧寺(しょうけいじ)にある絵がモチーフ。
小篠塚城(千葉県佐倉市)
領布場所:京成佐倉駅前観光案内所、JR駅前観光情報センター、佐倉ふるさと広場売店「佐蘭花」、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
頒布元:株式会社 塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※佐倉市観光協会公式ネットショップ(https://sakurakankou.thebase.in/)、「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)、「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■何度も激戦の舞台となった「下総国府台(こうのだい)城」
川の対岸に渡りやすい地点のすぐ上に立地していため、何度も合戦の舞台となった下総国府台(こうのだい)城。現在は里見公園として整備され、堀切や空堀跡のなごりと見られる切通し状の坂道などが残っています。公園整備や戦時中の軍用により当時の姿からかなり改変されたものの、土塁や櫓台と思われる遺構が確認できます。
御城印は、第一次国府台合戦で壮絶な討ち死にを遂げた小弓公方足利義明の雄姿を描いた絵がモチーフ。さらに、第一次国府台合戦で戦った足利氏の家紋「丸に二つ引両」と北条氏の「三つ鱗」を上部に、 第二次国府台合戦で戦った里見氏の「丸に二つ引両」と北条氏の「三つ鱗」を下部に配置することで、動乱の戦国時代をイメージしています。
下総国府台城 (千葉県市川市)
領布場所:いちかわ観光・物産案内所、道の駅いちかわ
価格:300円(税込)
※令和2年10月24日より販売開始。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■白井城の支城「志津城」
印旛沼西側の台地に築かれ、現在の天御中主神社がお城の一部だと伝わっている志津城。千葉一族臼井氏の重要拠点である臼井城の支城とされています。詳細は不明ながら、鎌倉時代末期の人物、志津次郎胤氏の伝承が残ることから、鎌倉時代に臼井氏の庶流、志津氏が納めていたと考えられています。
御城印は、印旛沼や臼井城との位置関係が分かる地図や、中世常滑焼きをイメージした大甕、臼井興胤に攻められ滅びた志津胤氏をイメージした武士の姿をデザイン。家紋は千葉氏の「月星」「九曜」と、志津氏の家紋と伝わる「丸に違い鷹の羽」。
志津城(千葉県佐倉市)
領布場所:まるごとしすい
頒布元:まるごとしすい
価格:300円(税込)
※令和6年(2024)10月26日発売予定。
■原氏家臣・村上氏の城「米本(よなもと)城」
新川の東岸に位置し、街道に面した要衝である舌状台地に築かれた米本(よなもと)城。築城等の詳細は不明ですが、千葉氏の庶流である原氏の家臣・村上氏の城と伝わっています。この地域の中心的な城郭として、西方2kmの距離にある原氏の家臣・高木(高城)氏の吉橋城と連携して機能していたと考えられています。台地先端の郭は原形をとどめていないものの、土塁、土橋、櫓台などの遺構が良好に残っています。
御城印には、千葉一族の家紋「月星」や「九曜」を配置するほか、村上氏が信濃国村上一族を出自とするとも伝わるため、信濃国村上氏の家紋やゆかりの深い飯綱権現をデザイン。米本城と新川を挟んだ対岸にある飯綱神社は、太田道灌が陣を置いたという伝承も。米本城城山の地形が分かる地図もモチーフになっています。
米本城(千葉県八千代市)
領布場所:一般社団法人八千代市観光協会、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)5月27日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■高木(高城)伊勢守胤貞の居城と伝わる「吉橋城」
印旛沼水系である桑納川の南に位置する台地の先端に築かれ、現在、貞福寺がある台地一帯が城域とされている吉橋城。築城年代や城主等の詳細は不明ですが、高木(高城)伊勢守胤貞が城主だったと伝わります。高木(高城)氏は千葉氏庶流である原氏の家臣・小金城主高城氏との繋がりが指摘されており、吉橋城が、原氏の居城・臼井城の西方の防衛の役割を務めたことと推察されています。また、吉橋城は東方2kmにある原氏の家臣・村上氏の米本城と連携しながら、この地域の中心的な城郭として機能していたことが考えられています。
御城印には、吉橋城が築かれた台地の地形が分かる地図をデザイン。また、吉橋城落城の際のたくさんの戦死者を弔うために祀られたという「血流地蔵」の伝説から、お地蔵様をモチーフに。家紋は、千葉一族の「月星」と「九曜」。
吉橋城(千葉県八千代市)
領布場所:一般社団法人八千代市観光協会、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)5月27日発売。「歴×トキ」(しすいノいいモノ(https://tsuku2.jp/shisuinomono)にて通販対応。
■千葉宗家が本拠としていたといわれる「猪鼻城」
康正元年(1455)に千葉宗家が滅びるまで、千葉宗家が本拠としていたといわれるお城。城址のある亥鼻公園内には、今も往時の土塁や堀切、郭の一部が残っていて、公園内の中央付近には、千葉市立郷土博物館が建っています。御城印は、千葉氏の家紋と千葉市立郷土博物館前に立つ千葉常胤公像を背景のモチーフとしたもの。
ちなみに、千葉市では「亥鼻城」は亥鼻公園内に建つ近世のお城の天守を模した城郭風建築物(千葉市立郷土博物館)のことを指し、千葉宗家の本城址部分のお城は「猪鼻城址」と書き記すことにより、明確に区分しているそうです。
猪鼻城(千葉県千葉市)
領布場所:千葉市・亥鼻公園内「いのはな亭」(茶店)、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
▼猪鼻城では、オリジナル御城印帳も頒布しています! 詳しくは「続々増加中!お城や城下町で買える御城印帳大特集!」をご覧ください。
千葉市ふるさと納税の返礼品に限定版の御城印と御城印帳が登場!
令和2年(2020)4月より、千葉市のふるさと納税の返礼品として、「猪鼻城址御城印帳セット(市制100周年記念限定版。100セット限定)」が加わりました! 御城印と御城印帳がセットで返礼品に選ばれるのは、全国で初めてとのこと!! 詳しくはこちらの記事「続々増加中!お城や城下町で買える御城印帳大特集!」をご覧ください。
■千葉一族の河村氏の居城「中峠(なかびょう)城」
利根川と手賀沼に挟まれた標高20mほどの湖北台地に築かれた中峠(なかびょう)城。別名「芝原城」。現在は「古利根公園 自然観察の森」となっており、堀や土塁の痕跡が確認できます。『湖北村誌』によると、中峠城は千葉一族である河村氏の居城で、天文10年(1540)に河村出羽守が古城を改修整備して「中峠城」と命名したとされています。詳細は不明ながらも、河村氏は主家の千葉氏を通して北条氏に属したと考えられ、同じく北条氏に属していた小金城(松戸市)の高城氏の支配下にあったとされています。天正18年(1590)の小田原合戦で河村氏は小田原城に詰め、その留守中に中峠城が落ちたと伝わっています。
御城印は、城下を通る街道や地形が分かる地図をデザイン。家紋は、河村氏の出自とされる千葉一族の「九曜」と、小田原北条氏の「三つ鱗」を配置。
中峠城(千葉県我孫子市)
領布場所:アビシルベ、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)8月27日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通販対応。
■手賀沼の水陸交通の要衝地「松ヶ崎城」
手賀沼(香取の海)の最西端にある大堀川と地金堀が分岐する台地上に築かれた松ヶ崎城。手賀沼の北側には古東海道が通っていたとされ、水陸の要衝地でした。文献などの記録はなく詳細は不明ですが、土器や陶器などの遺物から15世紀後半から16世紀前半にかけての築城とみられています。御城印は手賀沼を臨む松ヶ崎城の城山と、その眼下を流れる河川や、良好に整備され保存されている土塁と空堀が描かれています。中央に配置されているのは、方形単郭の特徴をデザインした縄張図。
松ヶ崎城(千葉県柏市)
領布場所:株式会社道の駅しょうなん、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■水陸両方の交通の要衝「増尾城」
手賀沼に流れ込む大津川の支流や、谷と険しい崖に囲まれた天然の要害、増尾城。築城時期や築城主は不明ですが、千葉県松戸市にある小金城城主・高城氏の家臣である平川若狭守が城主であったとされています。御城印のモチーフは縄張図。南西部に残る大きな櫓台からは幸谷城がよく見える上、幸谷城にも増尾城を望む位置に物見台が残っていることから、幸谷城の御城印と同じ櫓がデザインされておいます。増尾城付近には、千葉一族の氏族の痕跡があるため、千葉一族の家紋「九曜」を配置。さらに千葉一族の相馬氏ゆかりの地であることから、相馬氏の家紋「繋ぎ馬」もデザイン。
増尾城(千葉県柏市)
領布場所:道の駅しょうなん、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■増尾城との連携が想像できる「幸谷(こうや)城」
城山の東と南に谷津がめぐっている小丘に築かれた幸谷(こうや)城。千葉一族相馬氏の居館ともいわれていましたが、 近年の調査から15世紀後半に築かれ、16世紀まで使われていた可能性が指摘、増尾城と同じように小金城城主・高城氏に関連する城とされています。
幸谷城は千葉一族の相馬氏の居館だとする伝承があること、城付近に、千葉氏系の氏族がいたと想像できる一族の信仰のシンボルである妙見さまが今でも祀られていることから、御城印に千葉一族の家紋「九曜」と、相馬氏の家紋「繋ぎ馬」を配置。幸谷城と増尾城は連携していたと考えられることから、両城が築かれた小丘が描かれています。また、お互いを望む位置にそれぞれ物見台(幸谷城)と櫓台(増尾城)が残っていることから、それぞれの御城印に同じ櫓の絵を配置。また、調査で検出された土塁、堀、物見台が分かるよう実測図もモチーフに。
幸谷城(千葉県柏市)
領布場所:株式会社道の駅しょうなん、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■高城氏の支城として使われたといわれる「根木内(ねぎうち)城 」
築城時期等の詳細は不明ですが、高城氏の主筋である原氏が支配した「金(こがね)領」の拠点として機能しており、その後、高城氏が支配領域を引き継いだものと考えられています。
御城印には、根木内城と、周辺に築かれた行人台城や前ヶ崎城、名都借城などの位置関係や地形が分かる地図がデザインされています。上部に配置されているのは、近年の発掘調査で発掘された障子堀。
根木内城 (千葉県松戸市)
領布場所:松戸市観光協会、流鉄(株) 小金城趾駅、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■高城氏の居館「小金城 」
千葉氏の本佐倉城、原氏の臼井城に次ぐ規模を誇る小金城。原氏が「金(こがね)領」支配の拠点としたものを高城氏が引き継いだと考えられています。
御城印は、小金領内の松戸に安房の里見氏が来襲して農作物を荒らし、原氏の本拠の村々に焼き討ちをした状況を表した千葉胤冨書状がモチーフ。黄色の線は、下総西部最大の城域面積を誇る小金城の築かれた台地をイメージした図柄。
小金城 (千葉県松戸市)
領布場所:松戸市観光協会、流鉄(株) 小金城趾駅、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■上総武田氏の中核の城として名を馳せた「佐是城」
鎌倉時代に佐是禅師円阿が館を構えたこところと伝わる、上総武田氏の中核の城。現在、城址には光福禅寺がありますが、寺内にある二重物見台ともいえる連続する大きな物見台の遺構が圧巻です。御城印は、上総武田氏の家紋・武田菱と物見台に建っていたであろう物見櫓と兵士のシルエットをデザインしています。千葉県下のお城において初めて発行される御城印で、令和2年(2020)2月4日から領布。
佐是城(千葉県市原市)
領布場所:佐是城址内 光福禅寺(http://kofukuzenji.sakura.ne.jp/)本堂横、市原市観光案内所(五井駅前)、養老渓谷駅前観光案内所
価格:300円
■最後の城下町を形成した「上総鶴舞城」
明治元年(1868)の徳川家移封に伴い、井上正道が浜松城から転封されて普請に着手した上総鶴舞城。鶴が羽を広げているような地形から、井上正道がこの地を「鶴舞」と名付けました。明治3年(1870)には藩庁、知事邸宅、家臣屋敷などが完成し城下町が形成されましたが、明治4年の廃藩置県によりお城は完成しませんでした。「最後の城下町」といわれ、武家屋敷の区画やそれに付する土塁などが残っています。
シンボルである鶴をモチーフとした御城印の左上部にあるのは、井上家の家紋「鷹の羽」。その右下は旧舞鶴高校の校章をモチーフにデザインされたもの。
上総鶴舞城(千葉県市原市)
領布場所:つるまいホープラザ、道の駅あずの里いちはら 、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■第二次国府台合戦における大激闘の舞台となった「池和田城」
南北朝時代に多賀氏の居城となり、里見氏や上総武田氏の支城として使われた池和田城。永禄7年(1564)に起こった里見氏と後北条氏による第二次国府台合戦において大激闘の舞台となり、勝利した後北条氏の配下として上総武田氏が入城、のちに後北条氏の支城として小田原合戦を迎えます。
御城印の家紋は、右から、多賀氏の「九曜紋」、多賀氏主君である里見氏の「二つ引き両」、後北条氏の「三つ鱗」、上総武田氏の「四つ割菱」。大規模な戦闘があった城であること、天正18年(1590)まで使われていたことから、戦国期の櫓をイメージしたデザインとなっています。
池和田城(千葉県市原市)
領布場所:光福禅寺、市原市観光案内所(五井駅前)
価格:300円(税込)
■何度も里見氏と北条氏の戦いの場となった「一宮城」
「一宮城址」として千葉県長生郡一宮町の町指定史跡になっている一宮城。築城主、築城時期などは不明ですが、水陸の要衝地にある一宮城は戦国期には何度も戦乱の舞台となりました。
一宮城下に上総国一宮玉前(たまさき)神社が鎮座していることから、御城印には玉前神社の祭神「玉依姫」が上陸したと伝わる釣ヶ崎海岸の鳥居がデザインされています。また、この一帯を治めていた上総広常が源頼朝と源氏の繁栄を祈り玉前神社に鎧を奉納したとの故事にならい、一宮藩主・加納久徴(ひさあきら)が神社に奉納した町指定文化財の鎧も配置。家紋は上から、上総国を治めた上総氏の「九曜」と、戦国時代の城主・正木氏の「三つ引き両」、何度も北条氏とこの地を争った里見氏の家紋「二つ引き両」。
一宮城(千葉県長生郡)
領布場所:一宮駅前観光物産直売所、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■千葉県を代表する大規模城郭「庁南(ちょうなん・長南)城」
築城年代や築城主などは不明ですが、上総武田氏が長南の地に入ってきてから築城もしくは整備したと言われています。長南武田氏の最後の当主・豊信は長南と池和田(市原)までを領国化し、衰退した真里谷武田氏にかわって戦国大名となりました。しかし、最後は小田原北条氏に属し、小田原落城の際、豊信は自害したとも地方に逃れたとも伝わっています。徳川家康の関東入部に伴い、天正18年(1590)6月~7月、本多忠勝が長南城に滞在したとされています。
御城印は、広大な規模がよく伝わるように地図がモチーフになっています。有事には太鼓を鳴らして伝令や警告を伝えたという伝承から、太鼓も描かれています。右上の武将は武田豊信で、肖像画と花押、武田氏の家紋「四つ菱」をデザイン。
庁南(長南)城(千葉県長生郡)
領布場所:セブンイレブン上総長南店、千葉ポートタワー、まるごとしすい、道の駅あずの里市原、まるごとしすい
頒布元:株式会社塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)や「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■上総広常の居城と伝わる「高塔城(高藤山城)」
標高約80mの険しい崖などの自然の地形を生かして作られた高塔城(高藤山城)は、「高藤山城址」として、千葉県長生郡一宮町の町指定史跡になっている山城。頂上からは一宮城や勝見城など、周辺の重要拠点を眼下に見下ろすことができます。正木氏が一宮城に入ったあと、なんらかの形で要害化され、城郭として取り立てられたと考えられています。
御城印は、鎌倉時代の雄である上総広常の居城との伝承にちなんで、上総広常がモチーフ。城の麓に広がる水田のイメージから、黄緑色が使われています。家紋は、平安時代から上総国を治めた上総氏の「九曜」と、戦国時代の一宮城主・正木氏の「三つ引き両」。
高塔城(高藤山城)(千葉県長生郡)
領布場所:一宮駅前観光物産直売所、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)でも通信販売対応。
■里見水軍の前線基地「蔵波城」
東京湾に面した丘陵に築かれた蔵波城。西側は海、南側に蔵波川が流れており、椎津から木更津に通じる海岸沿いの街道を押え、さらに北側には長南、真里谷に通じるルートが存在する重要な場所でした。築城年代や築城主などの詳細は不明ですが、近接する久保田城とともに、椎津(しいづ)城の支城だったといわれています。のちに里見氏の城となり、久保田城が北条氏の支配下となった後は、対北条氏の前線基地の役割を持っていたと考えられています。
御城印上部には袖ケ浦の美しい風景を浮世絵風にデザイン。右下には、蔵波城と久保田城の位置関係がわかるように地図を配置。里見氏の家紋「二つ引両」が中央に浮かびます。
蔵波城(千葉県袖ケ浦市)
領布場所:(一社)袖ケ浦市観光協会、FARM COURT袖ケ浦、袖ケ浦公園 レストハウス菖蒲、Yショップつるや
頒布元:(一社)袖ケ浦市観光協会
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)8月1日発売。
※新型コロナウィルス感染拡大のため、郵送販売対応予定。詳しくは袖ケ浦NAVI(https://sodegaurakanko.org/news/archives/211)をご覧ください。
■武田氏の上総進出の足掛かりとなった「真里谷(まりやつ)城」
東京湾に注ぐ小櫃(おびつ)川の支流である武田川の上流部に位置する丘陵に築かれた真里谷(まりやつ)城。城下には市原に通じる街道も通り、そこから小櫃川の水運を利用すれば久留里、亀山方面へと通じ、さらに木更津方面に出れば江戸湾の水運も利用できる交通の要衝地。享徳の乱に際し、古河公方足利成氏によって房総半島に送り込まれた武田氏が上総に進出するための重要な足がかりとして築いた山城です。
御城印は武田氏の家紋「四菱」や、地元に伝わる「武田三河守」座像、真里谷城の鳥瞰図がモチーフ。下部左の鈴は、市内にある前方後円墳「金鈴塚古墳」から出土した「金鈴(国重要文化財)」。
真里谷城(千葉県木更津市)
領布場所:木更津市観光案内所
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)3月27日から頒布開始。
■徳川の祖の窮地を救った林家の陣屋「真武根陣屋」
真武根陣屋は、嘉永3年(1850)に築かれた請西(じょうざい)藩の陣屋で、近世の木更津湊から約2㎞南東に入った標高約50mの台地上に築かれました。請西藩の陣屋はもともと1.5km北西の貝渕にありましたが、林忠旭(ただあきら)が藩主のときに間舟台に移し、「真武根陣屋」と呼ばれるようになりました。
御城印は、林家の家紋「三つ巴下に一文字」(左上)と「三階菱」(右中央)を配置。下部にあるのは「献兎賜盃」を描いた絵。「献兎賜盃」とは、徳川家に対する林家の献身とそれを称える儀式のこと。永享の乱に敗れて諸国を流浪していた松平家(のちの徳川家)の祖・松平有親・親氏父子を、旧知の武士である林光政が匿い、自身も食に窮する中、雪中に兎を捕らえて父子に振る舞ったと伝わります。先祖に対する恩に感謝した徳川家康は、毎年正月に林家が将軍に兎の吸い物を献上、将軍から新年一番の酒を賜るという「献兎賜盃」を徳川幕府として儀式化しました。
真武根陣屋(千葉県木更津市)
領布場所:木更津市観光案内所
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)3月27日から頒布開始。
■重要な水軍拠点「小浜(こばま)城」
太平洋に向かって突き出した八幡岬に築かれた小浜(こばま)城。現・小浜八幡神社が鎮座している平場から海に向かって曲輪が連なり、その先端が主郭だったと考えられています。城山は海を臨む断崖絶壁の要害で、麓には湊があり、西南の湾は軍船の船繋ぎ場だったと思われます。城下にかつての夷隅川の河口があったといわれ、水運の要である夷隅川を押さえ、万喜(まんぎ)城、小田喜城(現在の大多喜城)と繋がるまさに水路の玄関口でした。小浜城の詳細は不明ですが、万喜城の支城と思われ、土岐氏の家臣・鑓田(やりた)美濃守勝定が築いたとも伝わります。
御城印には、万喜城の支城であったと思われることから土岐氏の家紋「水色桔梗」を配置。断崖絶壁の城山の遠景に重なる迫力の大波は、小浜城が面していた太平洋の荒波。いすみ市が「波の伊八」の異名を取る彫師・武志伊八郎信由(たけいしはちろうのぶよし)ゆかりの地であることから、伊八が彫った波をイメージ。
小浜城(千葉県いすみ市)
領布場所:海の直売所 アルファ、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「しすいノいいモノ」(https://tsuku2.jp/shisuinomono)でも通信販売中。
■県下有数の規模を誇る「万喜(まんぎ)城」
夷隅川中流域の丘陵を利用して築かれた万喜(まんぎ)城。城山を取り巻くように蛇行して流れる夷隅川を天然の水堀とするなど、城郭を築くのに最適な丘陵地に占地し、千葉県内でも有数の規模を誇っています。城内には、堀や切岸、堀切、曲輪などの遺構が良好に残ります。上総土岐氏の居城として有名ですが、土岐氏が入る以前に長南武田氏が居城としていたことが西麓の上行寺の過去帳から分かります。
御城印には、武田氏の家紋「四つ菱」(上)と、土岐氏の家紋「水色桔梗」(下)を配置。ぱっと目を引く鷹は、土岐氏の当主が代々好んで絵を描いたとされる「土岐の鷹」がモチーフ。さらに、いすみ市郷土資料館に展示されている万喜城のジオラマをデザイン。堅固で大規模な姿が伝わってきます。
万喜城(千葉県いすみ市)
領布場所:海の直売所 アルファ、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「しすいノいいモノ」(https://tsuku2.jp/shisuinomono)でも通信販売中。
■天然の要害「大野城」
大野城は、北を夷隅川、東を大野川、西と南を谷津に囲まれた丘陵に築かれた天然の要害。15世紀には狩野氏の居城で、その後は大野地域を挟む小田喜城(現在の大多喜城)の正木氏と万喜(まんぎ)城の土岐氏のどちらかの勢力が大野城を支城としていたと考えられています。さらに戦国時代末期には、小田喜正木氏の勢力下にあって小田喜城の支城として使われていたとされます。
御城印は、城郭名を挟んで正木氏の家紋「三引き両」(左)と土岐氏の家紋「水色桔梗」(右)を配置。下部左には、要害となった地形がわかる地図をデザイン。また大野が狩野派の祖である狩野正信生誕地ともいわれていることから、山水画をイメージした夷隅川沿いの美しい景色が描かれています。
大野城(千葉県いすみ市)
領布場所:海の直売所 アルファ、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「しすいノいいモノ」(https://tsuku2.jp/shisuinomono)でも通信販売中。
■断崖に築かれた要害「上総国府台(こうのだい)城」
夷隅川に面した台地に築かれた天然の要害の上総国府台(こうのだい)城。築城主、築城年代など詳細は不明ですが、土岐氏の本城・万喜城から南西約1.5kmに位置していることから、万喜城の南方を抑えるための支城と考えられています。上総国府台城は大多喜方面からの水運を抑えるとともに、さらには伊北と伊南を結ぶ街道に隣接し陸上交通を監視する役目も担っていたと推察されます。
御城印は、夷隅川に削られた断崖に築かれた要害堅固な様子をイメージ。さらに「国府台」という地名の由来の一つである「こうのとりが飛来する地だった」という説から、こうのとりが夷隅川に飛来した美しい景観もデザイン。万喜城の支城だったと考えられているため、土岐氏の家紋「水色桔梗」を配置。
上総国府台城(千葉県いすみ市)
領布場所:海の直売所アルファー、千葉ポートタワー、まるごとしすい、道の駅あずの里市原
頒布元:塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※令和4年(2022)1月29日発売。しすいノいいモノ(https://tsuku2.jp/shisuinomono)にて通販対応予定。
■房総半島の近世城郭の代表格「久留里城」
小櫃(おびつ)川流域に開けた交通の要衝地に築かれた久留里城。北条氏との戦いにおいて里見義堯(よしたか)の拠点となり、永禄3年(1560)には北条軍に包囲されますが、長尾景虎(上杉謙信)に援軍を頼んだ義堯は窮地を脱します。徳川家康が関東に入ってからは、大須賀氏、土屋氏、黒田氏と城主を変えながら近世城郭として整備され、 幕未まで存続しました。
御城印のモチーフは、久留里城に建つ模擬天守と、天守台跡の基壇。ほかに里見氏の家紋「二つ引き両」と、正源寺所蔵の里見義堯座像も配置。
久留里城(千葉県君津市)
領布場所:君津市久留里観光交流センター
価格: 300円(税込)
※令和2年(2020)9月12日より頒布開始
■勝浦正木氏の居城「勝浦城」
勝浦港東側丘陵づたいに築かれた南北約1 . 5km、東西約0 . 6kmに及ぶ広大な勝浦城。勝浦正木氏の本城で、正木氏以前は上総武田氏の城だったとも伝わりますが、詳細は不明です。御城印は、勝浦の地形と正木氏の家紋「三つ引両」をデザイン。左下には勝浦城にある正木頼忠の娘「お万の方」の像を配置。徳川家康の側室で、紀州徳川家初代頼宣や水戸徳川家初代頼房の生母となったお万の方は、勝浦城で生まれたと伝わります。
勝浦城(千葉県勝浦市)
領布場所:ONE勝浦企業組合、遠見岬神社、一般社団法人勝浦市観光協会、かつうら商店
価格:300円(税込)
※1月30日から販売開始
※かつうら商店(https://katsuura-kankou.stores.jp/)にて通信販売中。
■正木氏の反乱に際し攻められた「興津城」
興津湊から北側の丘陵上に築かれた興津城。鎌倉時代からこの地にゆかりのあった佐久間氏が城を築いたのが始まりとされ、詳細は不明ですが、その後、戦国期になると上総武田氏や正木氏が城として取り立てたとされます。天正8年(1580)に正木憲時が里見義頼に対して反乱を起こし、興津城は城郭部分以外落とされるほど攻められます。このときの様子は妙本寺に残る文書「里見義頼書状」に「興津巣城計(おきつすじろばかり)」と記されています。御城印は縄張図と地形図をモチーフとし、正木氏の家紋「三つ引両」を配置。
興津城(千葉県勝浦市)
領布場所:ONE勝浦企業組合、御門商店、一般社団法人勝浦市観光協会、かつうら商店、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※1月30日から販売開始
※かつうら商店(https://katsuura-kankou.stores.jp/)、「しすいノいいモノ」(https://tsuku2.jp/shisuinomono)でも通信販売中。
■何度も争いの舞台となった「佐貫城」
16世紀前半には上総武田氏の拠点の一つだったと考えられている佐貫城は、染川と北上川に囲まれた丘陵に築かれました。武田氏の内紛に介入した里見氏と小田原北条氏の争いの舞台となり、天文14年(1545)頃には里見義堯(よしたか)が居城としますが、天文年間の終わり頃には城が落とされ、 のちに北条氏が擁立した古河公方足利義氏が入りました。これ以降も里見氏と北条氏の争いは続き、再び里見氏の城となるも、天正18年(1590)の小田原合戦以降は徳川譜代の内藤家長が入城します。その後は松平氏や天領時期を経て宝永7年(1710)阿部氏が入封、明治まで続きました。
御城印上部には武田氏の「四つ菱」、 足利氏と里見氏の「二つ引両」、 北条氏の「三つ鱗」、右下には阿部氏の「丸に違い鷹の羽」とゆかりの家紋を配置。江戸時代に描かれた絵図がモチーフ。
佐貫城(千葉県富津市)
領布場所:有限会社 宮醤油店、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「しすいノいいモノ」(https://tsuku2.jp/shisuinomono)でも通信販売中。
■重要な海防拠点「造海(つくろうみ)城 」
江戸湾を臨む立地に築かれた造海(つくろうみ)城。「造海」は中世の郷名に由来していますが、「百首の要害」「百首の湊」としても文献に散見されるため、「百首城」とも呼ばれています。築城時期などの詳細は不明ですが、真里谷武田氏が上総国に勢力を広げていく過程の中で城として取り立てられ、後に里見家臣である正木氏が入ったと考えられています。
幕末に造海城の曲輪などを利用して竹ヶ岡砲台が築かれたことから、御城印には、江戸時代に書かれた砲台の絵図をモチーフとして、要害である造海城の断崖と地形を描かれています。右上の家紋は里見氏の「二つ引両」、左は正木氏の「三つ引両」。
造海城 (千葉県富津市)
領布場所:清藍荘、栄寿司
価格:300円(税込)
※令和2年11月28日から販売開始
■上総国と安房国の境に当たる要衝の地「金谷城」
金谷城が築かれた鋸山から北に伸びる丘陵は、眼前には浦賀水道が広がり、上総国と安房国の境に当たる要衝の地でした。築城主や築城年代は不明ですが、天文年間(1532~1555)初頭は里見実堯(さねたか)の居城であったと考えられています。のちに内房正木氏の管理下に置かれ、正木氏が小田原北条氏に属していた時期は北条方の城となりました。正木氏が再度里見氏に属すようになると、金谷城は里見方の城として機能したと思われます。
御城印は鋸山がモチーフで、開発の際の発掘調査時に検出された石積みや虎口がデザインされています。
金谷城(千葉県富津市)
領布場所:公益財団法人 鋸山美術館
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)6月26日から頒布開始。
■水陸の要衝地に築かれた「天羽城」
標高約120mの丘陵に築かれた天羽城(あもうじょう)。この地域は水上交通が発達していた上、陸上交通の要衝地でもありました。築城等の詳細は一切不明なものの、地元には古くから「天羽城(あもうじろ)」という字名があります。室町期以降に築かれ、真里谷武田氏の峰上城と連携して機能していたと考えられています。城跡としては井戸、土橋、堀切、石積みなどのほか、山頂部に綺麗に削平された主郭が残っています。
御城印は、陸路と水路の結節点である立地の重要性が分かるように地図がモチーフになっています。さらに山や谷の景色をイメージ。また関連する上総氏の家紋「九曜」、真里谷武田氏の家紋「四つ菱」、正木氏の家紋「三つ引両」を配置。
天羽城(千葉県富津市)
領布場所:高梨商店、まるごとしすい
頒布元:株式会社 塚原緑地研究所
価格:300円(税込)
※令和5年(2023)2月25日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)にて通販対応。
■里見氏に反乱した吉原玄蕃助の拠点「峰上城」
真里谷武田氏が築いたとされる峰上城。富津市上後にある標高130mの丘陵上に位置し、湊川流域の谷を押さえる要の城でした。主郭部から枝状に伸びた尾根を25ヵ所もの堀切で切断しているのが特徴で、南東の尾根に残る「七つ堀切(七連続堀切)」が名物です。中城と呼ばれる郭西側の尾崎曲輪には、後北条氏から虎印判状を受けて里見氏への従属を拒み、房州逆乱を引き起こした吉原玄蕃助ら二十二人衆が拠地にしていたと考えられています。
御城印にはこれらのゆかりを表すため、吉原玄蕃助着用と伝わる甲冑と、遺物とされる鰐口を描き、七つ堀切をデザイン。さらに真里谷武田氏の家紋「割菱」も配置しています。ちなみに今回の峰上城が、千葉県の御城印の記念すべき100枚目!
峰上城(千葉県富津市)
領布場所:高梨商店、千葉ポートタワー、道の駅 あずの里いちはら、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)4月29日発売。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)にて通販対応。
■水上交通の要所に築かれた「天神山城」
上総湊へ注ぎ込む湊川の河口を見下ろす丘陵に築かれた天神山城。丘陵部は天然の要害となっていて、所々に堀切も設けられていることから、水上交通の要所であると同時に防衛上重要な位置付けであったことが伺えます。築城に関する詳細は不明ですが、真里谷武田氏が文明年間(1469~1487)に築いたとされ、その後、里見氏、正木氏、小田原北条氏の勢力下に置かれました。
この天神山城を活用した「まちの活性化」を目指して地元の有志が「海良ふるさと保存会」を結成し、城址の整備が一定完了したことを受け、御城印が発行されました。地形の分かる地図をデザインし、武田氏の「四ツ菱」、里見氏の「二つ引き両」、正木氏の「三つ引き両」、小田原北条氏の「三つ鱗」とそれぞれの家紋を配置。さらに、弘治3年(1557)に北条氏が天神山に兵糧を運んだという史料にちなみ、兵糧を積んだ舟が天神山城へ向かう絵も加えています。
天神山城(千葉県富津市)
領布場所:高梨商店、和風料理宮島、グランドーム千葉富津、千葉ポートタワー、道の駅 あずの里いちはら、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)9月23日から頒布開始
■有事に里見氏の要害となった「妙本寺砦」
房総半島の中でも屈指の日蓮宗の古刹である中谷山妙本寺は、14世紀前半の創建。永正11年 (1514)に里見義通が陣所として以来、有事の際には里見氏の要害として使われたため、「妙本寺要害」「妙本寺砦」などと呼ばれています。岡本城と金谷城の間にあり、2城の連携を担っていたと考えられます。海に面した丘陵地にあり、本堂を囲むように尾根がめぐっており、自然地形を使って要害化したとみられ、太鼓打場と呼ばれる平場や堀切などが残っています。
御城印は、現在の山門に柵を描いて砦をイメージ。里見氏の家紋「二つ引き両」と、境内にある里見氏の家紋と波をあしらったモチーフがデザインされています。
妙本寺砦(千葉県安房郡)
領布場所:鋸南町観光協会 保田駅前観光案内所
価格:300円(税込)
※令和2年(2020)8月29日から販売開始。
■里見水軍の対北条氏用基地「勝山城」
標高80mの八幡山に築かれ、 眼下に勝山湊を臨むことができる勝山城。険しい独立丘陵を利用し、岩盤を削り残して士塁や石塁を設け、尾根上に堀切を入れて城塞化されました。 南西山麓の「水浦」には船溜まりがあったとされ、その水浦に向かって削平した曲輪がいくつか見られます。天正期は内房を支配していた内房正木氏の城で、北条氏に対抗するため、里見氏に取り立てられたと考えられます。岡本城と金谷城との連携を考えた上での好立地に加え、湊の前面に防波堤にも目隠しにもなる浮島をもつ理想的な水軍基地でした。
御城印は、勝山湊の遠景がモチーフ。城山の山容と勝山湊や小舟に、里見氏の家紋「二つ引き両」と正木氏の家紋「三つ引き両」がデザインされています。
勝山城(千葉県安房郡)
領布場所:鋸南町観光協会 保田駅前観光案内所
価格:300円(税込)
※令和2年(2020)8月29日から販売開始。
■里見義豊が幼少時を過ごした「宮本城」
稲村城の支城として築かれたとされている宮本城は、南房総市富浦町大津の標高188メートルの山上を中心に占地する中世戦国期の山城。天文2年(1533)天文の内訌(ないこう)の一方の主役であった里見義豊が幼少時育った城ともいわれています。北側の防御に力が注がれており、上総方面を意識した山城であったことがうかがえます。地形に対して竪堀、土橋、堀切等を組み合わせ、大規模な山城としての要害化が図られており、石積み遺構が残っていることが大きな特徴。遺構の状況から、戦国時代末期まで使用されていたと考えられているとともに、一時期は里見家当主である里見義堯(よしたか)の居城であった可能性もあるといわれています。南房総市の指定史跡。
御城印は、山城全体の山容をモチーフに、里見家の家紋「二つ引き両」が配置されています。
宮本城(千葉県南房総市)
領布場所:南房総市道の駅とみうら「枇杷倶楽部」、南房総市道の駅三芳村「鄙の里」
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■房総にある中世の城のなかで最大級の規模を誇る「白浜城」
里見氏初代の里見義実が本拠にしたと考えられている白浜城。房総半島の南端に位置した白浜は、中世・太平洋の海上交通を抑える要衝でした。関東地方の戦国時代の幕開けとなる享徳の乱(享徳3年(1454)~文明14年(1483))において、鎌倉公方足利氏から当時関東管領の上杉氏派が統治していた安房地域を奪うために里見氏が送り込まれたといわれています。城跡は太平洋を一望に見渡せる標高140メートルの山頂を中心に占地し、東西 1キロメートル、南北400メートルにわたる広大な城域を有します。物見台、堀切などのほか、尾根に小さな平場を作ることで曲輪を配した房総戦国時代初期の遺構が残る城郭です。南房総市指定史跡。
御城印は、太平洋を眺望するために物見台に建っていたと思われる望楼を考証を踏まえてイメージ。さらに加えて望楼前に作られていたであろう木柵、そして太平洋からの海風にはためく里見氏の幟もデザイン。中央上部には里見氏の家紋「二つ引き両」を配置。
白浜城(千葉県南房総市)
領布場所:南房総市道の駅とみうら「枇杷倶楽部」、南房総市道の駅三芳村「鄙の里」
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■『南総里見八犬伝』の舞台となった「滝田城」
『南総里見八犬伝』で里見義実の居城とされ、八犬伝発祥の城といわれている滝田城。南房総市上滝田区・下滝田区根小屋西方の丘陵上に占地する山城です。築城時期は定かではありませんが、天文2年(1533)におこった天文の内訌(ないこう)時は里見義豊派の一色氏の居城であり、里見義堯(よしたか)派に攻められ落城したという歴史があります。落城後しばらくの間、里見義堯が居城としていたのではないかともいわれています。城跡の主郭部と考えられているのは、八幡台と呼ばれる標高140メートルの最高所。これを囲む形で、曲輪と思われる数か所の平場が認められる構造となっており、曲輪、櫓台跡、竪堀などの遺構が良好に残ります。南房総市の指定史跡。
御城印は、城跡内の遊歩道にある「伏姫八房翔天の像」をイメージしたものに、里見氏の家紋「二つ引き両」を配置 。
滝田城(千葉県南房総市)
領布場所:南房総市道の駅とみうら「枇杷倶楽部」、南房総市道の駅三芳村「鄙の里」
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■海上交通の要衝を押さえる水軍・安西氏の居城「平松城」
太平洋航路の交通の要である鏡ケ浦(現館山湾) に注ぐ山名川と平久里川に挟まれた丘陵上に築かれ、安房の豪族・安西氏の居城として知られている平松城。安西氏は海上交通の要衝を押さえる水軍だったと考えられています。戦国期には里見氏や北条氏の家臣として取り立てられたとされており、現在の城の遺構は戦国期のものと思われています。主郭と見られる平場や、 腰曲輪、そして櫓台のような人工的に削平されたものが残っています。
御城印は、船で太平洋を行き来する安西氏をイメージ。安西氏は対岸の三浦半島の三浦一族とも関係が深かったとされていることから、三浦一族の家紋「三つ引両」を配置しています。
平松城(千薬県南房総市)
領布場所:道の駅「とみうら枇杷倶楽部」、道の駅「三芳村鄙の里」、道の駅「ちくら潮風王国」、道の駅「富楽里とみやま」、道の駅「和田浦WA・O!」、道の駅「ローズマリー公園」
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)5月29日から頒布開始。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■『吾妻鏡』にその名を残す丸氏の居城「丸(まる)城」
天台宗安楽寺背後の丘陵に築かれた丸城。築城年や築城主は不明ですが、平安時代からの豪族・丸氏の居城とされています。城山社のある山項部が主郭だったと思われ、この主郭が物見台の役目を担い、街道や平野部を監視していたと考えられています。この一帯は、前九年の役の功により、源頼義が朝廷から恩賞として与えられた源氏ゆかりの地。丸氏は、保元の乱で源義朝軍として戦い、『吾妻鏡』にもその名が記されているほどの一族です。
御城印は、丸氏の家紋「丸に釘抜き(丸に隅立角とも伝わります)」と、戦国期に丸氏が属したと思われる里見氏の家紋「二つ引両」を配置。上部に描かれているのは、享徳元年(1452)に建てられたと言われている安楽寺の山門です。御城印下部には、丸城城山の山容が広がり、街道を見張る櫓から当時の情景を想像させられます。
丸城(千薬県南房総市)
領布場所:道の駅「とみうら枇杷倶楽部」、道の駅「三芳村鄙の里」、道の駅「ちくら潮風王国」、道の駅「富楽里とみやま」、道の駅「和田浦WA・O!」、道の駅「ローズマリー公園」
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)5月29日から頒布開始。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売。
■街道を見張る監視所「里見番所」
平久里川と長藤川の合流点北側にあたる丘陵に築かれた里見番所。別名「不寝見川(ねずみがわ)番所」とも呼ばれ、横堀、切岸、堀切などの城郭遺構が残っています。歴史的な詳細は不明ですが、 南北に走る平久里街道を直下に望む立地に位置することから、 街道を見張る監視所の役目を担っていたと考えられます。 里見氏のお家騒動「天文の内紅」の際に、 滝田城にいた里見義豊の勢力が一時的に築いた可能性も指摘されています。
御城印には里見氏の家紋「二つ引両」を配置。日本城郭史学会委員の大竹正芳氏による里見番所の縄張図と復元鳥諏図がモチーフ。
里見番所(千薬県南房総市)
領布場所:道の駅「とみうら枇杷倶楽部」、道の駅「三芳村鄙の里」、道の駅「ちくら潮風王国」、道の駅「富楽里とみやま」、道の駅「和田浦WA・O!」、道の駅「ローズマリー公園」
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)5月29日から頒布開始。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■寺院を取り込んで築かれた「石堂(いしどう)城」
天台宗寺院である石堂寺の背後の山に築かれた石堂(いしどう)城。火災で焼失し丸氏の援助で現在の地に再建された際、寺と一体を成すように石堂城が築かれたと言われています。石堂寺の本堂を取り囲む尾根上には、堀切や土橋などの城郭遺構が残り、平場や櫓台のような痕跡も見て取れます。丸氏の居城である丸城が近くにあることからも、丸氏やその主筋である里見氏の城として機能していたと考えられています。
御城印には丸氏の家紋「丸に釘抜き(丸に隅立角とも伝わります)」と、戦国期に丸氏が属した里見氏の家紋「二つ引両」を配置。奈良時代からの古刹石堂寺を取り込んで築かれた石堂城の、険峻な山容をイメージしたものがモチーフに。
石堂城(千薬県南房総市)
領布場所:道の駅「とみうら枇杷倶楽部」、道の駅「三芳村鄙の里」、道の駅「ちくら潮風王国」、道の駅「富楽里とみやま」、道の駅「和田浦WA・O!」、道の駅「ローズマリー公園」
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)5月29日から頒布開始。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■戦国前期の姿が良好に残っている前期里見氏の城「稲村城」
内紛「天文の内訌(ないこう)」が起こるまで約80年間、前期里見氏の本城だった稲村城。安房の国府を見下ろす丘陵に位置し、前期里見氏による安房支配を確立した重要な拠点でした。主郭部は国の指定史跡。
御城印は、里見氏の家紋「二つ引き両」と、稲村城跡の鳥瞰図をデザイン。
稲村城(千葉県館山市)
領布場所:館山市立博物館(館山城・本館)受付、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「しすいノいいモノ」(https://tsuku2.jp/shisuinomono)でも通信販売中。
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千葉県館山市のふるさと納税の返礼品に、「南総里見八犬伝」ゆかりの地 館山城 御城印セットが加わりました。
詳細は⇒ ふるさとチョイス https://www.furusato-tax.jp/product/detail/12205/4871555
■戦国末期・里見義頼の時代の岡本城の支城「館山城」
戦国末期の里見義頼の時代に、岡本城の支城としての役割を果たした城。8代当主里見義康の代に、豊臣秀吉から 戦国大名同士の私闘を禁じた「惣無事令」違反を咎められ、里見家の上総領が没収されたことに伴い、安房国の新たな中心の城郭として積極的な拡張工事が行われました。しかし、義康の後を継いだ忠義の時代の慶長19年 (1614)に、徳川幕府から突然国替えを言い渡され、館山城は幕府軍により破却され、ほとんどの堀は埋め立てられました。後年、太平洋戦争中に海軍の陣地となったため、約10m山頂が削り 取られ破壊が進みました。現在は、千畳敷という曲輪や切岸・堀切などが城内に残っています。
御城印は、里見家の家紋「二引き両」と、昭和57年(1982)に城地に建設された模擬天守の館山市立博物館 (八犬伝博物館)の絵柄をモチーフにしたもの。館山城と御城印デザインの説明書きが同封されているのも嬉しい! 館山市立博物館 では、里見八犬伝に関する展示を行っています。
▼オリジナルのポケットタイプの御城印帳も発売中! 詳しくはこちら「続々増加中!お城や城下町で買える御城印帳大特集!」をご覧ください。
館山城(千葉県館山市)
領布場所:館山市立博物館(館山城・本館)受付、道の駅 あずの里いちはら、千葉ポートタワー、まるごとしすい
価格:300円(税込)
※「しすいノいいモノ」(https://tsuku2.jp/shisuinomono)でも通信販売中。
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天然の要害に築かれた土気城の支城「大網城」
土気城(千葉県千葉市)城主・酒井氏の重臣板倉氏の居城と伝わる大網城。斜面が切り立ち「要害山」と呼ばれる標高約40mの城山に築かれ、その地形に沿って曲輪が連なるよう配置され、それぞれ堀で分断されています。小田原の役まで土気酒井氏の支城として機能していたと考えられています。
御殿印には土気酒井氏の家紋「三つ巴」を配し、土気城との位置関係が分かるよう、城下の街道や地形を示す地図と縄張図をデザイン。さらに、松井天山が描いた「千葉縣大網俯瞰図」もモチーフにしています。
大網城(千葉県大網白里市)
領布場所:ファミリーマート大網白里駒込店、マリンの土産店、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
販売価格:300円(税込)
※令和5年(2023)6月24日から頒布開始。「順子堂」(https://rakuichi2019.thebase.in/)にて通信販売対応。
<東京都>
■武蔵千葉氏が再起の拠点とした「石浜城」
隅田川(古利根川)沿いの水上交通の発達した地域に築かれた石浜城。築城年代や築城主などは不明ですが、場所は現在の石濱神社(荒川区南千住3丁目)が有力です。千葉一族に内紛が起きて千葉氏宗家が多古(千葉県香取郡多古町)で滅んだ後、宗家の甥・自胤(これたね)が石浜城を拠点に千葉家再興を目指し、武蔵千葉氏として下総千葉氏と戦ったと伝わっています。
御城印は、『江戸名所図会』に描かれた石濱神社の境内俯瞰図と、石浜城付近にあった「橋場の渡し」を利用して源頼朝が隅田川を渡ったという言い伝えにちなんだ錦絵『江戸名所古跡伝』をモチーフにしています。千葉宗家と武蔵千葉氏の家紋「月星紋」もあわせて配置。石濱神社職員の書家・鈴木明空(めいくう)氏による揮毫。
石浜城(東京都荒川区)
領布場所:石濱神社、まるごとしすい
頒布元:千葉城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※2022年8月27日(土)販売開始
■秩父平氏の一族である豊島氏の居城「石神井城」
豊島氏の居城だった石神井城は、鎌倉時代中期~末期ごろに築かれたと考えられています。関東管領・山内上杉氏の家宰を務める長尾氏の後継争いから始まった文明8年(1476)の長尾景春の乱において、時の城主・豊嶋泰経(豊島勘解由左衛門尉 としまかげゆさえもんのじょう)が景春側に味方したため、扇谷上杉氏の家宰・太田道灌により攻め落とされ、以降廃城となりました。
御城印は、地元の有志の方々によるもので、訪城記念版(左)と太田道灌版(右)の2種類。訪城記念版は豊島氏の家紋「九曜」を中央に配置し、下部に中心内郭跡の写真をデザイン。
太田道灌版は、豊島氏の家紋のほかに、太田道灌の「丸に細桔梗」紋を配置。「豊嶋」の「嶋」の表記は『石神井郷相伝系図』(内閣文庫蔵)を参照しています。
石神井城(東京都練馬区)
領布場所:パティスリーカシュカシュ
頒布元:パティスリーカシュカシュ
価格:各300円(税込)
■石神井川を天然の外堀とした「練馬城」
現在のとしまえん跡地(東京都練馬区)にあったとされる練馬城。北側が崖で石神井川が自然の防御となり、他の三方角には空堀が作られ、南側には出丸もありました。また、本郭の周囲は推定3m高さの土塁で囲まれていました。城主の豊嶋勘解由左衛門尉泰経(としまかげゆさえもんのじょうやすつね)は、江戸城(東京都千代田区)を拠点とする太田道灌と対立。文明9年(1477)に勃発した戦に破れ、その前後に練馬城も陥落したとされています。
御城印は、豊嶋氏家紋の「九曜紋」に、石神井川とその奥に城があった地のコラージュ写真をデザイン。石神井川を自然の防御とする当時の姿を再現したイラスト版もあります。
練馬城(東京都練馬区)
頒布場所:リンクスフォーヘア練馬
価格:300円(税込)
■太田道灌に滅ぼされた「滝野川城」
豊島一族の滝野川氏が築いたとされる滝野川城。文明9年(1477)太田道灌と戦い、豊島氏、滝野川氏もろとも敗れて廃城となりました。御城印中央には滝野川氏の家紋「九曜」を配置。右下には、現在の社会状況からアマビエをデザイン。
滝野川城(東京都北区)
領布場所:渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館
頒布元:至誠堂
価格:440円(税込)
■日本最初の公園・飛鳥山公園となっている「飛鳥山城」
豊島一族の滝野川氏が築いたと言われている飛鳥山城。遺構はほぼなく、今は桜の名所の公園として有名。御城印は中央に豊島氏の家紋「三つ柏」を配置。右下は、昭和31年(1956)から始まった東京都北区最大級のお祭り「赤羽馬鹿まつり」のモチーフ。
飛鳥山城(東京都北区)
領布場所:渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館
頒布元:至誠堂
価格:440円(税込)
■太田道灌が築いた「稲付城」
太田道灌が江戸城と岩槻城を中継するために築いたと言われる稲付城。現在は静勝寺となっています。道灌死後は孫の資高(すけたか)が居城としました。御城印中央には太田道灌の家紋「丸に桔梗」を配置。右下には、城跡がある東京都北区の花火大会をデザイン。
稲付城(東京都北区)
領布場所:渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館
頒布元:至誠堂
価格:440円(税込)
<神奈川県>
■平成の大改修を終えた「小田原城」
「江戸時代版」として、後期大久保氏の家紋と、歴代から崇敬された「摩利支天」と梵字があしらわれています。平成30年(2018)12月から頒布開始。
北条氏の家紋「三つ鱗」を中央に置いた「戦国時代版」も!
令和2年(2020)は小田原城天守閣が復興されて60年目になる年。それを記念した「天守閣復興60周年記念版」の御城印が発売! 中央の城郭名に、前期大久保氏の「那須藤」(左上)、稲葉氏の「折敷に三文字」、後期大久保氏の「上り藤に大文字」(左下)、北条氏の「三つ鱗」(右下)、そして徳川氏の「三つ葉葵」(中央)と歴代城主の家紋をあしらうことで、「歴代城主×小田原城」を強く表しています。令和2年(2020)11月21日~令和3年(2021)2月28日までの期間限定です!
※小田原城では御城印発行との連動企画「小田原城天守閣復興60周年記念特別展「復興 小田原城天守閣-昭和から平成・令和へ‐」を開催中です。詳細は小田原城のHP(https://odawaracastle.com/event/modern-odawara-castle-ikusa-copy-copy.html)をご覧ください。
■風情ある竹林の中で大空堀を満喫できる「小机城」
小机城が文献資料に初めて現れるのは、文明10年(1478)に扇谷上杉氏の家宰・太田道灌によって攻撃された時なので、それ以前より横浜市域北部一帯および川崎市域をふくむ「小机庄」の支配拠点として機能していたと考えられています。小田原北条氏の関東侵攻後は城主に北条一門が配され、支城として小机領を治めました。確認されている城主は、初代北条三郎、2代北条氏堯、3代北条氏信、4代北条氏光。現在は「小机城址市民の森」として開放されており、西郭・東郭・帯郭のほか、空堀や土橋などの往時をしのぶ遺構を楽しむことができます。
御城印は、 小机城の壮大な空堀に映える竹林をイメージして、両サイドに淡い朱色の竹の図案があしらわれています。中央の家紋は、北条氏の「三つ鱗」と城代を務めた笠原氏の「丸に三つ柏」。
小机城(神奈川県横浜市)
領布場所:横浜市歴史博物館
価格:300円(税込)
▶令和5年(2023)12月16日(土)から、小田原北条氏誕生500年を記念して、新しいデザインの御城印が数量限定で発売。迫力の龍は、小机城代・笠原信為の菩提寺である雲松院に伝承される臥龍伝承にちなんでデザインされました。笠原信為は初代・小田原北条氏である伊勢宗瑞の旧臣だったと思われることから、雨や水を司る龍が北条氏と笠原氏を守護する形となっています。城郭名は品よく高級感が漂う銀箔。解説書入り。横浜市歴史博物館オンラインショップにて販売。2月3日(土)から横浜市歴史博物館ショップでも発売予定(博物館は現在工事休館中)。
▶【完売】令和2年(2021年)12月4日に開催された発掘調査現場説明会を記念して、1000枚限定の御城印が登場! 城主を務めた笠原氏の菩提寺「雲松院」の伝説に因む龍をデザイン。2021年12月18日(土)発売。価格:600円(税込)、頒布元:横浜市歴史博物館、頒布場所:お城EXPO 2021「横浜の中世城郭」ブース(2021年12月18日~19日のみ)・横浜市歴史博物館売店・横浜市歴史博物館ミュージアムショップ。
発売によせて、横浜市歴史博物館 主任学芸員 阿諏訪青美さんからコメントをいただきました。
2021年秋、小机城で初めて横浜市による発掘調査が行われました。これを記念して、新デザインの小机城御城印を、各売り場あわせて限定1000枚販売します。重厚感のある黒地に金字で城名を記し、北条氏の三鱗紋と小机城代・笠原氏の三柏紋を配置、その間を小机の古刹・雲松院に伝わる臥龍がつなぐデザインです。
また、発掘調査で確認された曲輪や空堀の遺構写真と出土遺物1点は、2022年1月10日まで横浜市歴史博物館で展示中です。博物館では御城印の売り上げの一部を、今後の小机城の調査研究や普及に活かしていきます。
▼小机城に関する記事はこちら
■関東初の総石垣の城「石垣山城 」
豊臣秀吉が天正18年(1590)の小田原合戦の際に築いた陣城・石垣山城。その築城期間の短さから「石垣山一夜城」とも呼ばれています。御城印には秀吉が用いた家紋「太閤桐」があしらわれています。
石垣山城(神奈川県小田原市)
領布場所:一夜城Yoroizuka Farm マルシェ
価格:300円(税込)
▼石垣山城に関する記事はこちら
■住宅街にありながら良好な状態の遺構がのこる「茅ヶ崎城」
15世紀後半~16世紀前半にかけて築城された茅ヶ崎城。中郭・西郭・東郭・北郭・腰郭などの郭を中心とし、周辺に複数の平場が配されています。中郭には、形状から倉庫として使用されたと思われる建物跡の遺構があります。北郭には堀にかかる土橋と木戸跡があり、城の大手口が北側にあった可能性がうかがえます。特徴的な遺物は、見込み部分に渦巻き紋のあるカワラケ(素焼きの皿)。これらは南関東の城郭に分布するところから、扇谷上杉氏にかかわるとする説もあります。城に関わる文献資料はありませんが、城の南側の天台宗正覚寺には「千ケ崎郷」の地名を記す豊臣秀吉禁制が伝わります。平成21年(2009)に横浜市の史跡に指定。
御城印は、城跡より出土した渦巻き紋のあるカワラケに由来する渦巻き紋をデザイン。
茅ヶ崎城(神奈川県横浜市)
領布場所:横浜市歴史博物館
価格:300円(税込)
▼茅ヶ崎城に関する記事はこちら
■後北条氏に仕えた諏訪三河守五代にわたる城「寺尾城」
寺尾城は、戦国当時の竪堀、土塁の遺構が一部残る、横浜市内における貴重な中世戦国城郭遺構。横浜市内の城郭において初めて発行される御城印で、諏訪家の家紋である「諏訪梶」がモチーフ。令和2年(2020)2月11日に開催された寺尾城をテーマとした「鶴見れきぶん祭」の会場で販売開始し、諏訪氏菩提寺の徳雄山建功寺にて継続販売中。
寺尾城(神奈川県横浜市)
領布場所:徳雄山建功寺 総受付
価格:300円
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■宅間上杉氏の城といわれる「榎下(えのした)城 」
神奈川県横浜市緑区にあった丘城で、恩田川の南の舌状台地上に位置します。現在は旧城寺の境内で本堂裏手の高まりを本丸とし、南側の虎口の土塁と東側・西側にそれぞれ空堀跡があります。近世の軍記物などでは上杉憲直を武州榎下城主と記載。憲直は永享10年(1438)の永享の乱で鎌倉公方足利持氏に味方して称名寺(横浜市金沢区)で自害したといわれています。戦国期には北条氏家臣の山田右京進が居城したと伝わっていますが、詳細は不明です。
御城印の家紋は、宅間上杉氏の「竹に雀」。両側の緑は、榎下城址がある旧城寺境内のシンボル的存在・カヤの木(横浜市の名木に指定)をモチーフにしたもの。
榎下城 (神奈川県横浜市)
領布場所:横浜市歴史博物館ミュージアムショップ
価格:300円(税込)
※12月19日から販売開始
※令和3年(2021)1月5日より通信販売開始
■馬出に北条氏の特徴が見られる「深見城」
神奈川県大和市と横浜市瀬谷区との境にある急な崖の上に築かれた深見城。詳細は不明ですが、ほぼ直角の曲がり角を多用し横矢が掛かる複雑な構造となっている遺構から、15世紀から16世紀後半にかけて機能していたと考えられています。また北条氏照、氏康らが、相模国を手中に収めようとした北条早雲(伊勢宗瑞)の遺志を継ぎ、扇谷上杉氏と抗争する中で、深見城が小田原北条氏の陣城、駐屯用などの繋ぎの城として取り立てられたとも推察されています。虎口の前面に配置された馬出が、北条氏特有の角馬出になっていることからも北条氏との関連が伺えます。
御城印は、上部に縄張図、下部に櫓を描き加えたジオラマをデザインしています。全面に散るのは、発掘調査で検出された風炉に描かれていた花びらのような模様。北条氏の家紋「三つ鱗」を配置。
深見城(神奈川県大和市)
領布場所:松代印刷株式会社 カウンター
頒布元:中近世城郭保存活用会
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)8月27日発売。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売対応中。
■後北条氏が江戸湾防衛の為に整備した海城「浦賀城」
史料や伝承が乏しいものの、築城は三浦氏の時代に遡るとみられる浦賀城。後北条氏の「小田原衆所領役帳」には「浦賀定 海賊」と記載があり、海賊衆(水軍)の拠点として使われていたことが裏付けられます。現在も堀切、腰曲輪、枡形虎口等の城郭遺構がしっかり残っており、戦国期の城の姿がうかがえます。戦国時代、浦賀城の主な目的は、頻繁に軍事行動を仕掛けてくる房総半島の里見氏を牽制することでした。当時、後北条氏の水軍の拠点は三崎城でしたが、三崎城は前面に城ケ島がある奥湾タイプの城のため、攻撃用の拠点として浦賀城が使用されたと考えられています。
御城印には三浦氏の家紋「三つ引き両」と、後北条氏の家紋「三つ鱗」、北条水軍のシンボルともいえる安宅船(あたけぶね)を配置。海城同士で連携していたと考えられる三崎城の御城印と合わせると…安宅船の全身が表れます!
浦賀城(神奈川県横須賀市)
発行元:三浦一族城郭保存活用会
領布場所:Cool Clan URAGA
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■相模国の名族、三浦氏の本城「衣笠城」
古久里浜湾からの水運ルートの一番突き当りにあった衣笠城。前九年の役の戦功により、三浦為通が源頼義から三浦の地を与えられて築城して以来、三浦氏は一族の聖地ともいえる当城を拠点に勢力を拡大していきました。衣笠城の尾根には堀切などの城郭遺構が今でも 認められ、鎌倉時代以降も戦国時代まで何らかの形で利用されていたものと思われます。
御城印には三浦氏の家紋「三つ引き両」、治承4年(1180)の衣笠合戦で名誉の死を遂げた棟梁・三浦大介義明、 その菩提を弔うために源頼朝が建立した菩提寺満昌寺に安置される三浦義明座像、そして朝廷から頼まれて義明が退治したと伝わる「九尾の狐」が配されています。一見「切れてる?」と思ってしまう家紋ですが、怒田城の御城印と合わせると・・・完全な「三つ引き両」になるようにデザインされているのです!
衣笠城(神奈川県横須賀市)
発行元:三浦一族城郭保存活用会
領布場所:Cool Clan URAGA
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■鎌倉幕府成立に尽力した三浦一族の海城「怒田(ぬた)城」
江戸時代まで存在した古久里浜湾に面した海城で、三浦一族の水軍基地だった怒田城。 三浦氏の領地がある房総半島と三浦半島を繋ぐ役目をしていたと考えられています。築城年代等は不明ですが、平安時代末期に三浦一族の岡崎氏や杉本氏の城だったと伝わっています。治承4年(1180)の 衣笠合戦では、畠山重忠軍に衣笠城を囲まれ怒田城に逃れた三浦一族が麓の湊から船で房総に渡り、源頼朝と合流を果たしました。
御城印は三浦氏の家紋「三つ引き両」と、幕府成立後に政権の中枢で活躍する三浦一族の棟梁・三浦義澄、そして怒田城から房総へと向かう舟をデザイン。一見「切れてる?」と思ってしまう家紋ですが、実は衣笠城の御城印と合わせると…完全な「三つ引き両」になるのです!
怒田城(神奈川県横須賀市)
発行元:三浦一族城郭保存活用会
領布場所:Cool Clan URAGA
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
■三浦一族津久井氏の居館「津久井館」
三浦一族津久井氏の居館跡である津久井館。津久井氏は打倒平家を掲げて挙兵した源頼朝と一緒に戦いますが、のちに承久の乱で津久井高重は朝廷方につきます。高重は討ち死にしますが、その武勇は後鳥羽上皇も認めたほどでした。
御城印は、馬上で弓を射る武者を描いて高重の武勇を表現。三浦一族の家紋「三つ引両」を配置するとともに、津久井の北側にそびえる武山や美しい海岸線がモチーフに。津久井氏が祈願所とした東光寺薬師如来の光をイメージし、薬師如来の光の色である瑠璃色の雲もデザインされています。
東光寺の田村住職は、「承久の乱から800年のこの年。知る人ぞ知る津久井氏の居城、津久井館の御城印が出来上がりました。三浦一族の中でも謎の多い津久井氏の菩提寺が当山です。是非足をお運びいただき、歴史を肌で感じていただきたいです」とメッセージを発信されています。
津久井館(神奈川県横須賀市)
領布場所:東光寺
価格:300円(税込)
※令和3年(2021)5月29日から頒布開始。「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売予定。
■後北条水軍が拠点とした海城「三崎城」
後北条氏が房総侵攻の足掛かりとして三浦半島の最南端である江戸湾と太平洋を繋ぐ位置に築き、後には里見氏への備えとして整備していったと考えられている三崎城。現在、城跡のほとんどは三浦市役所の敷地となり遺構の大部分は壊されましたが、土塁、堀切などは目にすることができます。
また、三浦一族と古くからゆかりが深い城で、三浦氏時代の三崎城は不明ながらも、新井城(三崎要害)と連携する何らかの施設があったと考えられています。三浦一族が源頼朝をもてなした三崎山荘もこのあたりにありました。三浦氏滅亡後、三浦海賊衆たちは三崎十人衆として北条水軍に組み込まれ、里見氏との攻防に臨むこととなります。
御城印は三浦氏の家紋「三つ引き両」と、後北条氏の家紋「三つ鱗」を配置。記録にはありませんが、外海と直接つながる三崎城下に安宅船(あたけぶね)を係留していた可能性は十分考えられ、北条水軍のシンボルともいえる安宅船もデザインされています。三崎城と連携していたであろう浦賀城の御城印と合わせると、安宅船の全身が見られます!
三崎城(神奈川県三浦市)
発行元:三浦一族城郭保存活用会
領布場所:Cool Clan URAGA
価格:300円(税込)
※「歴×トキ」(https://www.rekitoki.com/shop)にて通信販売中。
▼三崎城に関する記事はこちら
■神奈川県最大級の障子堀を誇る山城「河村城」
平安時代末に河村秀高により築城されたと言われている河村城。南北朝時代、河村氏は南朝方につき、南朝方の有力武将である新田義興、脇屋義治とともに河村城に籠城し北朝方と戦火を交えますが、翌年新田軍は河村城から退却。その後、戦国時代に入ると後北条氏の支配に入り、武田氏に備えた小田原城の出城として今に見られる障子堀がつくられました。天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに際し廃城になったと考えられています。神奈川県下で唯一、地元自治体が戦国期の史跡整備の中で障子堀の復原をおこなっている山城。
御城印は河村城址保存会が発行しており、河村氏の家紋「直違(すじか)い」を背景に配置。
河村城(神奈川県足柄上郡)
領布場所:山北町観光協会、ともしびショップさくら1階売店(山北町健康福祉センター内)
価格:300円(税込)
■高速道路建設にともなう発掘が進む「河村新城」
河村新城は相模、甲斐、駿河の3国の境に築かれた小田原北条氏最前線の城。三方をそれぞれ河内川、鮎沢川、塩沢川に囲まれた要害の地で、城内には小山へ続く御厨古道が通り、まさに街道を取り込んだ城といえます。河村新城と約5kmの距離にある河村城は連携して小田原防衛の境目の城として機能していたと考えられ、両城周囲の山々にはたくさんの城や砦が築かれました。
御城印は発掘調査で明らかになった障子堀をモチーフにするともに、北条氏の家紋「三つ鱗」を配置。また「衷門」「櫓台跡」などの記述が遺構と合致することから、江戸時代に書かれた「新編相模国風土記稿」の古絵図もデザイン。
河村新城(神奈川県足柄上郡)
領布場所:道の駅山北、山北観光協会、ともしびショップさくら1階売店
価格:300円(税込)
※1月30日から販売開始
※歴×トキ(https://www.rekitoki.com/)にて通信販売中。
▼河村新城に関する記事はこちら
<山梨県>
■武田軍に関東三名城の一つと称された「岩殿城(岩殿山城)」
居城とした小山田氏の家紋「丸内に抱き沢潟」の手彫印を一枚一枚に押印。御城印の封筒には、郡内領主・小山田信茂の出陣之図と小山田氏の説明文が同封されています。
武田氏の軍書『甲陽軍鑑』にて、岩櫃城と久能山城とともに「関東三名城」と称えられていることから、「関東三名城」と記載。和紙A6サイズ。
岩殿城(岩殿山城)(山梨県大月市)
領布場所:大月駅前観光案内所
価格:300円(税込)
※発行されている方のご意向に添い、記事中のお城名を「岩殿城(岩殿山城)」と表記しております。
◆令和2年(2020)3月3日~4月12日限定頒布された桜バージョン。
通常版に桜の花びらと岩殿山を配置。岩殿山はなんと手彫りの印です。淡くて優しい雰囲気が素敵ですね!
◆令和3年(2021)は武田信玄生誕500年にあたり、誕生月の11月まで山梨県内各地で関連イベントが開催されます。岩殿城(岩殿山城)の御城印にも生誕記念版が誕生です! 「丸内に抱き沢潟(おもだか)」の家紋は一枚一枚手で押印されています。頒布場所:大月市観光協会駅前観光案内所、価格:300円(税込)。
同時に城主である小山田信茂の武将印も頒布されました! 詳しくは「最近気になる「武将印」を勝手に特集しちゃいます!」をご覧ください。
<長野県>
■真田信之が松代藩の基礎を築いた拠点「松代城」
初代松代藩主・真田信之の家紋「州浜」を右上に、「結び雁金」を左下に配置。州浜紋の横にあるのは信之の花押。下部にデザインされた松代城外観の色違いで2種類選べます。中央の家紋「六連銭(六文銭)」は2バージョンあり、左は斜めになったもので、右は松代オリジナル。選んだほうのスタンプを押してもらえます。
▼令和6年度企画展「真田一族ゆかりの城」開催にちなみ、真田一族ゆかりの城限定御城印セットが販売中。九度山・真田ミュージアムにて、1,100円/セット(税込)。
▶令和4年(2022)は、真田信之が松代に入部して400年目にあたります。それを記念して、令和5年(2023)3月31日までの期間限定で特別版御城印が頒布されました。城郭名は、第14代当主・眞田幸俊氏の直筆。信州松代観光協会にて、300円(税込)。
▶令和2年(2020)3~5月限定で、春色の御城印も頒布されました。
▼松代城では、オリジナル御城印帳も頒布しています! 詳しくは「続々増加中!お城や城下町で買える御城印帳大特集!」をご覧ください。
▼松代城に関する記事はこちら
■御城印発祥の国宝天守「松本城」
上に最後の松本城城主・戸田光則(みつひさ)、下に戸田光行の花押が印字されています。
松本城(長野県松本市)
領布場所:松本城管理事務所
価格:300円
▼松本城に関する記事はこちら
■大河ドラマ「真田丸」で有名な「上田城」
徳川の軍勢を2度も撃退した落ちない城、上田城。御城印は歴代城主の家紋と「不落城」の印、そして下部には東虎口櫓門の印が配置されています。家紋は真田氏の「六連銭(六文銭)」(上)、松平氏の「五三の桐」(下左)そして仙石氏の「永楽通宝」(下右)。眞田神社が1枚ずつ手作りしており、季節ごとにデザインが変わります。画像は令和2年(2020)の夏バージョンで、右下には十文字槍を手に立つ真田信繁(幸村)のシルエットが。同じ季節でも年ごとにデザインが変わり、下の画像は令和元年(2019)の御城印です。
上田城(長野県上田市)
領布場所:上田市観光会館2階、眞田神社(上田城跡公園内)
価格:300円(税込)
また、真田氏に関連する4城(上田城・沼田城・名胡桃城・岩櫃城)すべての御城印を集めると「真田領四城攻略記念御城印」、さらに、四城に松代城・中山城を加えた6城の御城印を集めると、「真田街道六城攻城記念御城印」を無料でいただけます(期間限定)! 詳しくは「イベント等でもらえる御城印」をご覧ください。
▼上田城に関する記事はこちら
■「天下第一の桜」と名高いタカトオコヒガンザクラの名所「高遠城」
御城印は「高遠閣版」(左)と「美しい村版」(右)の2種類があります。「高遠閣版」は、「天下第一の桜」と言われる桜の名所にある高遠閣と桜をデザイン。「美しい村版」は、伊那市高遠町がNPO法人「日本で一番美しい村」連合に加盟していることが由来。全国で活躍し、「美しい村」の選定理由でもある「高遠石工(いしく)」による石仏とタカトオコヒガンザクラを印にしています。
高遠城(長野県伊那市)
領布場所:高遠町歴史博物館、高遠なつかし館
価格:各300円(税込)、2枚セット500円(税込)
▼高遠城に関する記事はこちら
■第一次上田合戦で徳川軍を退けた「丸子城」
天正11年(1583)丸子に攻め入った真田昌幸の説得により、城主・丸子三右衛門が真田氏に降った丸子城。天正13年(1585)、第一次上田合戦の丸子表の戦いで徳川軍に攻められますが、丸子三右衛門は城を守り抜きました。御城印の中央に丸子氏の家紋「丸に橘」を配置。
丸子城(長野県上田市)
領布場所:道の駅あおき
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
■武田信玄による川中島進出の拠点「岡城」
武田信玄の川中島進軍のための拠点として、武田家家臣・馬場美濃守信房が築いた岡城。当時は甲州流築城術の特徴である丸馬出しと三日月堀を備えていました。御城印中央には馬場氏の家紋「花菱」を配置。
岡城(長野県上田市)
領布場所:道の駅あおき
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
■信濃国衆・室賀氏の居城「室賀城(むろがじょう)」
原畑城と笹洞城の2城を総称したのが室賀城(むろがじょう)。原畑城は「居館」、笹洞城は「詰の城」だったと言われています。有力な信濃国衆で武田氏に従っていた室賀氏の居城です。御城印中央には室賀氏の家紋「丸に上の字」を配置。
室賀城(長野県上田市)
領布場所:道の駅あおき
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
■越前朝倉氏の一族ゆかりの城「黒丸城」
飯縄山(いいずなやま)から南西に連なる尾根に築かれた山城で、別名「朝倉但馬守城」。本郭の背後に大堀切を設け、尾根に沿って階段状に郭が配置されていました。御城印には、別名にもなっているように城主を務めた朝倉氏(越前朝倉氏と縁の深い一族とされる)の家紋「三ツ盛木瓜」が描かれています。また、夏の限定版(右)として、家紋ではなくアユが描かれたバージョンを令和3年(2021)9月30日まで領布。
黒丸城(長野県小県郡)
領布場所:道の駅あおき
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
▼2021年10月1日から、道の駅あおきで秋限定バージョンの3枚組が発売! 青木村のオリジナルブランド蕎麦であるタチアカネのそば畑が広がる風景に、銀杏と紅葉があしらわれています。3枚セットで990円(税込)。
■徳川軍の猛攻をしのいだ難攻不落の城「子壇嶺岳(こまゆみだけ)城」
信州百名山の子壇嶺岳(こまゆみだけ)の険しい頂上一帯に位置する天然の要害。空堀が広範囲に続く「伏勢堀(ふせぜいぼり)」と呼ばれる珍しい遺構が見られます。第一次上田合戦で真田氏に反旗を翻した塩田衆が攻略されてからは真田氏の城となり、第二次上田合戦では徳川秀忠の別働隊による攻撃をしのぎました。
御城印には、徳川軍から城を守ったとされる小山田壱岐守の家紋「巻内に向い沢瀉(おもだか)」が描かれています。また、夏の限定版(右)として、家紋ではなくヤマメが描かれたバージョンを令和3年(2021)9月30日まで領布。
子壇嶺岳城(長野県小県郡)
領布場所:道の駅あおき
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
▼2021年10月1日から、道の駅あおきで秋限定バージョンの3枚組が発売! 青木村のオリジナルブランド蕎麦であるタチアカネのそば畑が広がる風景に、銀杏と紅葉があしらわれています。3枚セットで990円(税込)。
■監視の役割を果たした黒丸城の出城「二場(せいば)城」
二場(せいば)城は飯縄山(いいずなやま)の南麓の支尾根に築かれた山城で、北の尾根にある黒丸城の出城として物見砦(監視)の役割を果たしていたと考えられています。御城印には、本城とされる黒丸城の城主・朝倉但馬守の家紋「三ツ盛木瓜」が描かれています。また、夏の限定版(右)として、家紋ではなくイワナが描かれたバージョンを令和3年(2021)9月30日まで領布。
二場城(長野県小県郡)
領布場所:道の駅あおき
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
▼2021年10月1日から、道の駅あおきで秋限定バージョンの3枚組が発売! 青木村のオリジナルブランド蕎麦であるタチアカネのそば畑が広がる風景に、銀杏と紅葉があしらわれています。3枚セットで990円(税込)。
■武田氏の北信濃進出の拠点「長窪城」
室町時代の応永年間に、大井氏または芦田氏(依田氏)によって築かれたといわれている長窪城。武田信玄に攻められた城主の大井貞隆が降伏し、その後は信玄の北信濃攻略の拠点として使用されました。御城印は手漉きで作った立岩和紙が用いられ、大井貞隆の名と家紋である「松葉菱」が描かれています。
長窪城(長野県小県郡)
領布場所:信州立岩和紙の里、マルシェ黒曜
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
■信玄に反旗を翻した大井信定の最期の地「和田城」
大井氏から分かれた和田大井氏が築いて居城にしたとされる和田城。天文22年(1553)に城主の大井信定が武田家から離反したため武田軍の攻撃を受け、信定をはじめ全員が討死し和田城は陥落しました。比高70~80mほどの山稜に城跡があり、今も土塁や堀切が残っています。
今回領布される御城印には手漉きで作った立岩和紙が用いられ、大井信定の名と家紋である「松葉菱」が描かれています。
和田城(長野県小県郡)
領布場所:信州立岩和紙の里、マルシェ黒曜
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
■千曲川の崖から一帯を望む絶景の城「外山城」
千曲川南側の台地から突き出した崖尾根の先端に築かれた山城。海野平の合戦や武田氏の村上攻めなど、天文年間(1532~1555)に戦乱の舞台となった地域を一望できる立地から、軍事的な情報・連絡の重要な拠点として活用されたと考えられています。御城印には、武田氏滅亡後に城主を務めて外山城を守った依田十良左衛門の家紋「三ツ蝶」が描かれています。
外山城(長野県東御市)
領布場所:東御市観光情報ステーション
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
■滋野三家・禰津氏の居城「禰津(ねつ)城」
海野氏、望月氏と並んで滋野三家に数えられる禰津(ねつ)氏が居城とした山城。禰津城には上の城と下の城があり、下の城が本城、上の城は詰城と考えられています。下の城の主郭は標高826mの城山の山頂に広がり、背後に現存する連続堀切と長大な竪堀が見どころです。御城印には禰津(根津)氏の家紋である「丸に月」が描かれています。
禰津城(長野県東御市)
領布場所:東御市観光情報ステーション
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
■断崖を利用して築かれた要害の城「政所(まんどころ)城」
鹿曲川に面した断崖の上に築かれた政所(まんどころ)城(別名「机の城」)。築城年代や城主などの詳細は不明ですが、この一帯を支配していた望月氏が領有した城だと考えられています。御城印には、望月氏の家紋である「九曜」が描かれています。
政所城(長野県東御市)
領布場所:東御市観光情報ステーション
頒布元:至誠堂
価格:330円(税込)
■上杉謙信の攻撃に備えて武田信玄が築城を命じた「海津城」
上杉謙信との川中島の戦いに際して、北からの攻撃に対抗する軍事拠点として武田信玄が築城を命じた海津城。三方を山に囲まれ、北には千曲川が流れる天然の要害で、永禄3年(1560)頃に完成したとされています。高坂(香坂)弾正昌信(春日虎綱)が初代城将を務め、その後多くの城主が入れ替わり、幾度もの改築を経て松代城に変化しました。
御城印は、昌信をイメージした面具(下頬)と家紋の「九曜紋」をデザインした「高坂弾正昌信版」と、上杉氏の家紋「竹に雀紋」と武田氏の「四つ割菱紋」を配置した「川中島の戦い版」の2種類です。
海津城(長野県長野市)
頒布場所:川中島古戦場合戦茶屋 龍虎
価格:2種類1セット600円(税込)※セット販売のみ
■真田氏が上田城を守るために重臣を置いた「染屋城」
戦国時代、真田氏が上田一帯を支配した頃に真田家臣の大熊氏が城主を務めた染屋城。慶長5年(1600)、徳川軍と真田軍が激突した第二次上田合戦では、徳川秀忠が染屋城周辺に本陣を置いたとされています。城跡は舌状の台地突端に位置し、現在の豊染英神社の地が主郭でした。境内に向かって左側には土塁跡が残り、土塁北側が空堀跡となっています。
御城印は、大熊氏の家紋「丸に籠目紋」が配置された「大熊氏城館版」と、真田氏の家紋「六連銭紋」と徳川氏の家紋「三つ葉葵紋」がデザインされた「第二次上田合戦版」の2種類です。
染屋城(長野県上田市)
頒布場所:西澤書店
価格:2種類1セット600円(税込)※セット販売のみ
■多くの遺構が残る「南本城城(座光寺南城)」
長野県飯田市座光寺地区の段丘先端、並木沢川を挟んで北に位置する城跡は「北本城城跡」、南に位置する城跡は「南本城城跡」と呼ばれ、古来両者を合わせて「上野城」または「本城」と呼ばれています。南本城の築城者と築城年など詳細は不明ですが、在地の領主である座光寺氏が築いたと推定されています。しかし、遺構の規模や複雑な縄張から座光寺氏単独の普請とは考えにくく、熾烈な戦国大名どうし争いの中で、より大きな勢力の手が加わっていた可能性が指摘されています。
御城印は、「南本城」をはじめ御城印の文字の揮毫は、地元在住の書家・金田成仁さん。また「信州飯田座光寺麻績之里」の落款も金田成仁さんの篆書です。座光寺地域にゆかりのある在地の領主・座光寺氏の家紋「丸に違い鷹の羽」。
<新潟県>
■山ごとお城!軍神・上杉謙信はスケールも規格外!?「春日山城」
軍神と名高い上杉謙信の居城。上杉軍総攻撃を命じる時にのみ本陣に立てたとされる「懸り乱れ龍の旗」から、「龍」の一文字を中央に配置。上越市長による揮毫で美濃和紙を使用。
春日山城(新潟県上越市)
領布場所:上越市埋蔵文化財センター受付
価格:300円(税込)
▼高田城が完成したとされる慶長19年(1614)7月5日にちなんで、令和2年(2020)7月5日に、高田城と春日山城の特別版御城印が限定頒布されました。特別版は揮毫が金色です!
▼上杉謙信にゆかりある5城(春日山城・ 猿ヶ京城・ 沼田城・白井城・前橋城)すべての御城印を集めると、無料で「上杉五城訪城記念御城印」を無料でいただけます(期間限定)! 詳しくは「イベント等でもらえる御城印」をご覧ください。
▼春日山城に関する記事はこちら
■「日本三大夜城」に選ばれた「高田城」
歴代城主の家紋を時代順に配置。右上から順に、松平忠輝が陣羽織に用いた「丸に三葵紋」、酒井家次の「丸に酢漿草(かたばみ)紋」、松平忠昌「丸に三葵紋」、松平光長「丸に三葵紋」、左上にいき稲葉正通の「隅切り角に三の字紋」、戸田忠昌「星梅鉢紋」、久松松平家である松平定重・定逵(さだみち)・定輝・定儀(さだのり)・定賢(さだよし)の「六曜紋」、榊原家の榊原政永(まさなが)・政敦(まさあつ)・政令(まさのり)・政養(まさきよ)・政愛(まさちか)・政敬(まさたか)「源氏車紋」。上越市長による揮毫で美濃和紙を使用。
高田城(新潟県上越市)
領布場所:上越市立歴史博物館受付
価格:300円(税込)
高田城が完成したとされる慶長19年(1614)7月5日にちなんで、令和2年(2020)7月5日に、高田城と春日山城の特別版御城印が限定頒布されました。特別版は揮毫が金色!
高田城は徳川家康の6男・松平忠輝の居城として、天下普請により築城されました。築城にあたっては、仙台城主・伊達政宗をはじめとした有力大名13名が総力を挙げて取り組み、わずか4ヵ月足らずで越後一国と北信濃の一部をも治める巨大城郭を築きました。
▼高田城に関する記事はこちら
■上杉謙信没後におこった家督争いの最終決戦場「鮫ヶ尾城」
上杉家の家督争い「御館(おたて)の乱」の舞台となった鮫ヶ尾城。御城印中央に大きく上杉軍軍旗の「毘」の文字があしらわれており、右に敗れた「上杉景虎公終焉の地」と入っています。そのまま貼れるシールタイプ。
鮫ヶ尾城(新潟県妙高市)
領布場所:斐太歴史の里総合案内所(4月初旬頃~11月末頃)、神の宮温泉 かわら亭フロント(11月末頃~3月末頃)
価格:300円(税込)
※転売防止のため1人1枚の限定販売
▼鮫ヶ尾城に関する記事はこちら
いかがでしたか? 登城の記念に、はたまたちょっとしたお土産にも最適!な御城印、ぜひコレクションしてみてはいかがでしょうか。
もちろん、ほかのエリアにも各お城のシンボルや城下のこだわりなどが活かされた御城印が多数!
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・執筆写真/かみゆ(「歴史(はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。)&城びと編集部
協力:若狭国吉城歴史資料館館長 大野康弘さん