調べ直している中で、東に進めば沼田、北に進めば名胡桃という空恐ろしい立地に今頃気付いた。後北条氏による完成度の高い純軍事要塞は対真田用ではなかったはずだが真田にはそうは見えなかっただろうと思う。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/04/02 18:44
2024/01/07 23:58
中山城 (2023/11/25 訪問)
【中山城】
<駐車場他>中山城址碑案内板が国道145号線の待避スペースになっています。
<交通手段>車
<見所>空堀
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅3日目11城目。現地説明板によると中山城の築城は1582年と推定されています。本能寺の変後に滝川一益が撤退し真田氏と北条氏が覇権を争いの中で北条氏によって築城したとされます。
私の考えではこの中山城は沼田・名胡桃城と岩櫃城を結ぶ街道の中間地点にあり争いの中で真田領土に築城するのは難しいと思います。築城年が確かであれば1582年の7月から僅かの期間、真田昌幸は北条氏に従属していたので従属する代償の1つとして北条氏が真田領の楔として築城したとのかと考えます。
城跡は南北に長い梯郭式の縄張りで西側・南側からの防備に強いように感じます。真田領を分断するにしては東側からは川はありますが主郭が丸出しなので築城された時代の情勢がそうだったのか、東麓は当時湿地・沼地だったのかとも色々思いを巡らせる構造になっています。国道の待避スペースから城跡丘陵地の東麓に周りこみ、東麓から登ります。主郭にすぐたどり着きます。主郭を囲む深い空堀はダイナミックで北条の築城らしさが分かります。主郭以外の曲輪は田畑だったり藪化で入れそうにはありませんでした。一応主郭堀底に降りて堀底を堪能しましたが靴が泥だらけに。後から分かって買いそびれたのですが、道の駅中山盆地に御城印販売しています。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2023/08/10 01:05
ほろ酔い投稿 真田攻めの為の攻撃的な城 (2017/08/14 訪問)
500mlのビール缶2本空けてちょっとほろ酔い気分なのですが
消失したと思っていた中山城のデータがでてきたので登録させて
いただきます。ウィッ‥(失礼)
中山城は織田信長横死で空き家状態になった上野国への進出を狙って
北条が築いた城です。
南に向かって伸びる舌状台地の上に築かれた城で比高は高くありませんが
比較的多数の兵員を収納できるので、防御のための城というよりは
攻撃のための城ですね。北条氏の鼻息が伝わって来るようです。
織田も武田もいないわけですからね、火事場泥棒も超本気モードです。
そんな中山城ですが、本丸周辺のガードは厳重です。
写真だとヤブ化してますが本丸周辺の堀はすごいですね。
ちなみに登城道からすぐ本丸に行くことが出来るので
非常に手短にこの城のおいしいところを、ご賞味いただけます。
しかし、崖端城や舌状台地の上に築かれた城って、なんとなく船に似てますね。
かつて日本が保有していた巨大戦艦や空母も海に浮かぶ城ってイメージがあります。
さしづめ艦橋は天守閣ですか。人の本質は時代が経ってもそんなに
変わらないってことですかね‥ いいかんじに酔いが回って来てますね。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2021/10/26 21:44
北条の城に真田街道の旗がなびく (2021/10/10 訪問)
国道145号線の広くなったスペースに駐車。
ここに石碑と説明板が立っています。
案内板にに沿って進むと登城口に。
北条氏の城なのに真田街道の幟がはためいていました。
少し登るとすぐに主郭、下草が覆っています。
祠があり、その先の土塁から深い空堀を見下ろすことができました。
となると降りてみるしかない。
主郭周りは三方が堀に囲まれていてその外側にも細い郭が設置されています。
北側はさらにその外側にも堀が残っていました。
畑になっている曲輪もありますがなかなか良好な遺構が残る城でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 丘城 |
|---|---|
| 築城主 | 北条氏 |
| 築城年 | 天正10年(1582)頃 |
| 主な城主 | 赤見山城守(北条氏家臣) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 村史跡(中山城址) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 群馬県吾妻郡高山村中山3607 |