佐是城は5か所の郭とそれを区画する空堀で構成されているとのこと。
確かに堀切や土塁の遺構はすごいのですが、竹ヤブが凄くて移動が困難です。
三の丸、二の丸、主郭周辺と北の丸の一部は散策できたと思うのですが
写真が密状態の竹ばかりでいまいち場所が特定できません。
国立図書館のwebサイトに登録すれば日本城郭体系の内容をダウンロード
出来るので、縄張り図を印刷して再度訪問できれば、もう少し詳しく紹介できると
思います。
康正2年(1456)足利成氏の密命を受けた武田信長が上総国への侵略を開始し
真里谷城・庁南城を攻略し、上総介信高の三子、国信を佐是に配したと
「庁南武田氏系図」に記されているそうです。
「市原郡誌」には、天文年間に国信が佐是に築城したとされているようです。
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