2018/11/29
都道府県のお城シリーズ 【茨城県のお城】徳川御三家の城や貴重な石垣の城。個性ある城めぐりを楽しむ
「城びと」サイトにはたくさんのお城の情報をお寄せいただいています。お城初心者の方から「どこのお城にまず行けばいいの?」という声をいただく機会が増えてきました。そこでこの連載では、日本100名城、続日本100名城を中心に、各都道府県を代表するお城を分かりやすく紹介していきます。今回は茨城県編。茨城県の日本100名城には、水戸城(水戸市)、そして続日本100名には笠間城(笠間市)、土浦城(土浦市)が名を連ねています。納豆や干しいもなどで有名な茨城県ですが、お城にフォーカスを当てると実に魅力的な名所が沢山あります。それでは、茨城を代表する3つのお城を紹介します!
茨城県にあるお城は?
茨城県のお城といえば、日本100名城に選ばれている水戸城が思い浮かびますね。水戸城は徳川御三家の城として有名です。また、水戸城で唯一現存している「薬医門」は歴史的にとても貴重な城門です。笠間市にある佐白山に築かれた天険の山城・笠間城。関東のお城では珍しい石垣の天守曲輪や、現存の二重櫓(真浄寺に移築)まであります。そして、土浦市にある土浦城には「亀城」と呼ばれる由縁となった水堀があります。現在、周辺は亀城公園として整備され、芝生広場などもありのんびり散策が楽しめます。
■関東地方では珍しい石垣の城・笠間城(続日本100名城)
天守台の上に鎮座している佐志能神社社殿(提供元:発見!ニッポン城めぐり)
笠間城は、鎌倉時代に築城されました。佐白山の自然の険しさを利用した、関東では珍しい石垣の山城で、約370年にわたって笠間氏が本拠としていました。天正18年(1590)、小田原攻めの際笠間綱家が宇都宮氏の命に逆らい、北条氏 の味方についたことが原因となり、宇都宮氏勢に攻め込まれてしまいます。笠間城は落城、宇都宮家家臣の玉生高宗が城主となりました。慶長3年(1598)には、蒲生秀行の所領になり、その後は蒲生郷成の手により中世城郭から近世城郭へ改修されました。
本丸跡、土塁、塀など数々の遺構がありますが、みどころは山頂付近にある天守曲輪の石垣。千人溜駐車場から20~40分ほどかかり、階段の上り下りが少しきつめですが、高さ約4mの石垣は見ごたえありです。また、天守は失われたものの山麓の真浄寺では、本丸の八幡台にあった二重櫓が移築され見学できまので、こちらにもお立ち寄りください。現在は七面堂として使用され、往時の姿をとどめています。
笠間城周辺には、かさま歴史交流館井筒屋(9〜22時、月曜休館(祝日の場合は翌日))があり、続日本100名城のスタンプや、笠間の歴史を紹介する展示コーナーもあるので、登城の前にのぞいてみるのもいいでしょう。
※東日本大震災の影響で天守曲輪の石垣と石段が崩壊する被害を受けました。一部仮修復を行ったものの、天守付近は依然として「立入禁止区域」が設けられています。
所在地 :茨城県笠間市笠間3616
アクセス:JR水戸線「笠間」駅から徒歩約50分/JR常磐線・水戸線「友部」駅からかさま周遊バスで約15分「笠間日動美術館」下車、徒歩約20分
楽しみ方:大手門跡裏手や天守曲輪などの石垣 大土塁の残る本丸跡 笠間つつじ公園
■徳川御三家の居城として有名な水戸城(日本100名城)
復原された薬医門(提供元:発見!ニッポン城めぐり)
名古屋城・和歌山城に次ぐ、徳川御三家の城の一つです。水戸城は、那珂川と千波湖にはさまれた台地の先端に、連郭式の縄張で築かれました。鎌倉時代に、常陸大掾の馬場資幹(ばばすけもと)が最初の館を築き、天正18年(1590)には佐竹義宣によって近世城郭へ改修されました。その後佐竹氏が秋田へ移ると、徳川家康の11男である頼房が入り、この地を徳川家御三家の居城にするべく大幅な手を加えました。まず台地を掘削して掘をつくり、石垣を使用せずに土塁で城を築きました。縄張は二の丸を中心とし、そこに御三階櫓・御殿を設けました。
江戸時代には、水戸徳川家の拠点として栄えていましたが、幕末の藩内抗争や、明治の廃城令及び昭和20年(1945)の空襲によって大きく損失してしまいます。土塁や堀は残ったものの、建築物として唯一現存しているのは「薬医門」のみです。2006年に土塁と堀は改めて整備され、現在大手門や二の丸角櫓の整備も進められています。また、段丘に造られた三の丸の空堀も、規模が大きく見どころの一つです。
三の丸にある弘道館(9〜17時、冬期は〜16時30分)は、天保12年(1841)に開設された日本有数の藩校。国指定特別史跡となっており日本遺産にも認定された貴重な建物です。正門、正庁、至善堂が現存し、国指定重要文化財に指定。『西郷どん』に登場する15代将軍徳川慶喜は、大政奉還後にこの弘道館で謹慎していたと言われています。
水戸城見学の後は、ぜひ偕楽園にも足をのばしてみてください。天保13年(1842)、徳川斉昭が造った庭園で、現在も梅の名所として知られます。近くには水戸徳川家のまとまった史料を有する徳川ミュージアムもありますよ。
所在地 :茨城県水戸市三の丸
アクセス:JR常磐線「水戸」駅から徒歩約8分
入館料 :弘道館400円、徳川ミュージアム2500円
楽しみ方:三の丸西辺の空堀 偕楽園 徳川ミュージアム 弘道館
■自然の水系と共存するお城・土浦城(続日本100名城)
関東の城で唯一現存する太鼓門(提供元:発見!ニッポン城めぐり)
土浦城は、室町時代中期に小田氏の家臣である菅谷氏によって築城。その後、小田氏の支城として小田氏治が入城しました。天正18年(1590)には、徳川家康の二男である結城秀康の所領となり、関ヶ原の戦いの後には、譜代小藩の藩庁となりました。そして貞享2年(1685)、松平信興の時代に改修され、現在の縄張が完成。城内に設置してある江戸時代の縄張図(案内板)を見ると、その名残を垣間見ることができます。
土浦城の本丸は、三重四重に巡らされた水堀の中心にあります。この姿が水に浮かぶ亀の姿に見えることから、別名「亀城」と呼ばれています。本丸の内堀は「亀城公園」として整備され、土塁も改変され現在は石垣になっています。
本丸の中心には御殿があり、2基の二重櫓が東西を固めていました。みどころは、本丸正面の大手門となる櫓門。明暦2年(1656)に改築され、現存する櫓門としては関東地方唯一の貴重なものです。内部に太鼓を置き、時を告げていたことから太鼓門ともよばれていました。また、二の丸跡に土浦市博物館(9時〜16時30分、月曜、祝日の翌日休館(翌日が土・日の場合は開館))があり、東櫓の内部や、土浦の歴史を紹介する展示物を見学できます。
所在地 :茨城県土浦市中央1(亀城公園内)
アクセス:JR常磐線「土浦」駅西口から徒歩約15分/JR常磐線「土浦」駅から関東鉄道バスで約3分「亀城公園前」下車すぐ
入館料 :土浦市立博物館200円
楽しみ方:太鼓門(櫓門) 水堀
執筆/城びと編集部