こうのだいじょう

国府台城

千葉県市川市

別名 : 市川城、市河城、鴻之台城
旧国名 : 下総

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里見公園 (2024/04/27 訪問)

 北条氏と里見氏などが争った国府台合戦の舞台となった城です。里見公園として整備されていてどこまで当時の地形を反映しているかわかりません。土塁が残っています。
 JR市川駅よりバスに乗り国府台病院バス停下車。バス停から徒歩約5分で里見公園へ行くことができます。

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チェブ

標高30,1m地点から江戸をにらむ。 (2023/02/04 訪問)

どーも、お城の裏側から お邪魔するクセがあるようで、しばし江戸川を眺めてから近くの階段を使って入城しました。
散歩されている方々が多い「国府台城」です。
どの辺にいるのかわからないけど、高い方に向かって歩きました。

太田 道灌さんの弟、資忠さんが築城しました。
その後、里見氏VS北条氏の第一次・二次国府台合戦では戦場の舞台になってます。2回とも北条氏が勝利しましたが、「国府台城」のあるこちらの公園は『里見公園』というお名前。
里見氏は千葉県のヒーローです。
「国府台城」は家康さんが関東に入った時に廃城になったようです。
、、、江戸を一望できてしまうから。が理由のようです。
大きな石がゴロゴロしてるな~と思って歩いていると『よなきいし』の案内。先に「国府台城」のお名前が入った説明板や碑を見つけようと後まわしに。
先に言ってしまえば、見逃しました。きっと姫の悲しい物語があったにちがいありません。

土塁だな、と思い先端部まで歩くと古墳でした。堀だな、と思うと小さな滝。「国府台城」の遺構を更に何かに使った感じがしました。
あれ、古墳は逆ですね。土塁の為に土をいじったら、石棺が出たんだとか。
高い所に標柱があり、行けば『市川市最高標高』の地点標柱。
はたして、この場所から江戸は一望できたのか?

家族連れが遊ぶ広場方面に行く途中に詩人 北原白秋さんの離れがありました。
そして、『里見公園』の正面入口があり、「国府台城」の説明板を見つけました。
江戸川方面に、外側を歩くと『羅漢の井』があります。合戦中には飲料水に使用したそうです。

現在は「国府台城」から富士山やスカイツリーも見える事を、家康さんに教えてあげたい城攻めでした。

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モト

里見公園になってます (2021/06/28 訪問)

歴史的にも北条氏と里見氏が戦った際にも重要な城跡です。
公園は土塁や井戸が残っています。
特別、はきりとした遺構がガッツリ残っているわけではないですが公園内に入ると城跡の雰囲気がプンプンします。
今は里見公園となっていて昼間は憩いの場になっております。
夜は怖い◯◯スポットにの話題にもあがる公園です。
それも歴史上、激しい戦の舞台になったからではないでしょうか。

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赤い城

里見と北条の激戦の城 (2021/10/02 訪問)

京成の国府台駅から徒歩で15分。
里見公園が城跡となります。
古墳を利用した土塁や櫓台が残っていますが遺構としては微妙かな。
市民の憩いの場となっている公園もかつては里見と北条の激戦の舞台。
北条が勝ち、関東進出の元となりました。
元は太田道灌がかりの陣城として築いたとされていますください
側に江戸川が流れ、要衝でもあったようです。
結構近場の城ですが近いと逆に足が遠のきますね。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 太田資忠
築城年 文明11年(1479)
主な城主 太田氏、千葉氏、里見氏、北条氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 堀、土塁、井戸
再建造物 石碑、説明板
住所 千葉県市川市国府台3-3-1他