てらおじょう

寺尾城

神奈川県横浜市

別名 : 馬場城
旧国名 : 武蔵

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殿山バス停近くの案内板
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天守無しがアツい

住宅地になりすぎて城の遺構が… (2024/09/16 訪問)

(参考URL)https://www.house.jp/areainfo/tsurumi/tsurumi-teraojyoshi-w110-20220228/

JR鶴見駅からバスで20分くらいの場所に殿山というバス停があります🚏 そこから坂道を少し登ると…寺尾城址の案内板(1枚目)があります

ここの案内板が今回見た中で一番詳しく紹介されているのですが…私から見れば逆に分かりづらい案内にも思えてきます。特に右下の地図が…現在地以外、どこを指してるのかがよく分からない…

住宅街の道をひたすら歩きました…矢印の標識も無いため、切り札として地図アプリを活用。「寺尾城址」というキーワードを入力すると…ちゃんとルートが出てきたので坂道を上がる形で向かい…とうとうゴール

しかしそこは…なんと民家の前🏠 寺尾城址の石碑と案内板(2枚目)だけがそこにあると…イメージと違ったというのは正直否めませんでした😅

「寺尾城は領主諏訪三河守五代(約一四〇年間)にわたりこの地にあった。後北条氏に属し、貫高は二百貫文(およそ二千石)で、北条早雲が小田原城主になる以前からすでに居城していた」

「永禄十二年(一五六九)、武田信玄が小田原城を攻めた際に、廃城になったと思われる。数百年を経た今日、その遺構(空堀・土塁跡)の一部が殿山公園などに現存している。」

と案内板には書かれてました…とりあえず…家の中がなるべく写らないように、石碑と案内板を撮影。それから地図アプリを頼りに殿山公園へと向かいました

石碑の場所から坂を下って…徒歩数分の場所にその公園(殿山公園)はありました。親子がサッカーボールで遊んでる中を通らせてもらい、階段を上った先に(3枚目の)案内板がありました。それも読んでみたら…

廃城後、空堀はしばらく放置されており、江戸時代には宝永の大噴火による火山灰が積もった跡が見られた。学術調査により、武蔵国を扱う歴史書に寺尾城として記され伝承されている、戦国時代の城郭の存在の証拠となるものが発見された…という具合に書かれてました

この案内板…平成6年…つまり30年も前に設置されたものだからか、文字や画像がだいぶ薄くなっており、かなり読みづらかった…そして右下の画像に断層…というか土壁のようなものが見えたので、少し階段を降りて来た道を戻る形でそれらしきものを確認することにしました

思い当たるのが…殿山公園の…階段左手にある土の部分(4枚目)。「案内板にあった空堀や土塁跡ってここのことだろうか?」と思いながら眺めてみました…

けれど…そこは至る所草木に覆われていて…それらしき面影を見つけることはできませんでした😅🌱🌲 横浜市内の他の城跡(小机城や茅ヶ崎城)は公園として整備されており、土塁なり空堀なりを素人の眼からもしっかりと見てとる事ができるのですが…

ここは上記のように草木に覆われてそれが伺えない…それ以前にここは家が立ち並びすぎて…開発されすぎて、城の遺構が乏しい。平成6年の調査ではそれらしきものがあったとしても、それから時が流れてこのようになってしまったのか?🏠🏠🏠🏠🏠

おそらくここの住民は…寺尾城の存在自体さえ知らない。もしくは名前くらい…戦国時代あたりにこの辺りに城があった事はギリ知っていても、詳しくは知らない…方が大多数なのではないでしょうか?

案内板を見る限り、この城の廃城は1569年で、しかも割と簡素な説明…「廃城になったと思われる」…よく分かんないけど城は滅んだ的な表現に聞こえるため、研究者でさえよく分からないみたいですね。専門家でその有様なら、城跡に住んでいるだけの一般人は…尚更ですよね

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朝田 辰兵衛

お土産は「横濱ハーバー」で…⛵ (2024/08/10 訪問)

とある煩悩の登城目録さんのアクセス方法を参考にさせていただきました。東横線で菊名駅へ。東口を出たところに,臨港バスのバス停があります。鶴見駅西口行きのバスに乗り,馬場谷バス停下車。バス停からは予想以上に傾斜があったため,キャリーバッグ持ちにはキツかったです。帰りに気がついたのですが,近くのローソン裏からショートカットできます。バスはかなりの本数があったので,あまり時間は気にしなくていいと思います。
竪堀は推測ですが,たぶん間違いないと思います。
横浜土産は毎回悩みどころですが,70周年のロゴが見えたので「横濱ハーバー」で。期間限定の,抹茶黒蜜味は美味でした。

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モト

住宅の横にある城跡の碑に目がハート (2023/01/29 訪問)

住宅の横に城跡の碑が建っておりました。
周辺の公園に土塁などが僅かに残っています。
冒頭の碑ですが、結構な勾配のある丘の上にあります。
徒歩で向かったのですが坂は登るのになかなか疲れました。
碑は住宅の敷地という感じの所にひっそりと建っているのですが、自分の家にこんな碑が建っていたらと考えると、城好きとしては羨ましいなと思ってしまう私でした。

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イタさん

住宅地の城址碑と公園 (2023/01/02 訪問)

 説明板には諏訪氏が5代にわたって、この地にあった。後北条氏に属し二百貫文の貫高があり、北条氏が小田原城主になる前から居城していた。永禄12年(1569)に武田信玄の小田原を攻めた際に廃城になったと思われる、とある。
 城址碑の東に殿山公園があり、堀・土塁の一部が現存している、とも書かれている。他の説明では曲輪も加わる。竪堀跡とあるが公園は施設改良工事で令和5年1月31日まで入れない。柵外から眺めでは、掘らしきものが下に向かっているようだが草木が生い茂り判断しづらい。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 諏訪氏
築城年 永享8年(1436)頃
主な城主 諏訪氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市登録史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 神奈川県横浜市鶴見区馬場3
問い合わせ先 横浜市教育委員会事務局総務部生涯学習文化財課
問い合わせ先電話番号 045-671-3284