続日本100名城

もとさくらじょう

本佐倉城

千葉県印旛郡

別名 : 将門山城
旧国名 : 下総

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本佐倉城
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chiroru

もう一度は行かないと (2024/11/08 訪問)

東京から京成本線に乗り、大佐倉駅で下車。「えっ(・_・;)どこ?どっち?」となり駅の地図看板みて冷静に頭の中に入れてきた
進路おもいだしながら、線路の側道を歩きながら直進していくと、もしかしてあれかな?とちょっと安心と嬉しさが。
10分ほどで東山虎口に到着です。

東山虎口入った通路は、人が一人通れるくらいの幅で土塁もいい。東山に登る(階段が足元少し不安定)。
空気気持ちよくて見晴らし良かったです。
京成本線と遠くには順天堂大学が見えるし、空気が澄んでくる冬には男体山も見えるんだよーって案内所の方が教えてくれました。

なんとなく順路に沿うようにして進んで、大堀切に向かう通路はここも狭いし急です。いろいろ考えて当時はつくられていたんだろうな
と思えます。案内の看板が要所ごとにあるので助かります。

各郭を満遍なく見学はできなかったけれど、大堀切の狭いとこ抜けて東山馬場まで降りて案内所で続100名城のスタンプ。

帰りはJR酒々井駅から乗車したかったのでタクシー呼んで、待っている間に案内所の方が「ここは、そのまんま残っているから
すごいところななんだよ、またゆっくり来てね、早い時間に来てもらえるとガイドさんと歩いて怖い思いもしなくていいし、詳しく
教えてもらえるよ!」って。

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天守無しがアツい

城址だけは当時のまま (2024/10/26 訪問)

ガイドに案内してもらう前に案内所で、パンフレットをもらいました。そこに書かれていた地図(1枚目)を元に話をすると…1-9までの場所を今回は巡ったわけです🚶‍♂️

IV郭の坂を上る際、「あなた(私)どこ見てた?地面見てたでしょ?」「上り坂を歩く時、人間はどうしても下を見る…そこを向こうから…守備兵が迎撃する🏹」「そういう人間心理も利用した造りになってるの」とガイドの解説

そこを進むと木々に覆われた道となり…左手に土塁…右手に崖…の狭い道。ここで敵味方戦闘となり、先頭の兵が倒れれば後ろの兵が代わりに進むわけですが、その際倒れてる兵を崖下に蹴飛ばしたそうです😅 そうでもしないと前に進めないから…というのは言うまでもありませんが…なんかシビアな環境ですね🦶

城山に続く道の先は…90度の角度で直角となっており、これも本丸が直接見えない造りにすることで…より敵の侵入を困難にする構造になってる…そうです

城山に到着。ここにはかつて御主殿や池などの屋敷が存在していたそうです(2枚目)。ガイドがそう案内すると…「八王子城にも同じような施設の跡があり、しかもそこは土台が設置されていたので、より分かりやすく紹介されてました」と私は返事。そのガイドもそこに行った事があると話してました

城山の奥の方(2枚目画像の奥に見える小高い場所)に上ってみるようガイドから言われ、木の枝や干し草が途中にあり、トカゲや蜘蛛🦎🕷️も隙間から見えたので…上りづらい部分ありましたが、頑張って上がりました

すると…すぐ下に案内所が…ガイドと出会ったばかりのタイミングで目にした急斜面の場所の…頂上に位置していることに気づきました。ここは崖下の敵軍の様子は一目瞭然…けれど崖下からここは一切見えない。ここからも守備側が圧倒的有利な地形になってるのが伺える

千葉県では石が取れなかった…なので石垣は使わずに土のみを使って…土を掘ったり盛ったりして…防御施設をこのように造った。かつて(城主の)千葉氏は千葉市の辺りにいたが、海沿いだと三浦半島から三浦一族による船での侵攻を受けた事があり、少し離れたこの場所を拠点とすることで…その脅威から逃れた

雨が降った際…雨水が上から下に流れていく☔️…下には井戸があり、雨水を生活水として利用できるようにもなっていた。そこまで考え抜かれて…この城は構築された…事もガイドから教えてもらいました

城山から降りてIV郭の細道を歩く際、ガイドが両手で壁の土を触りながら「この土は500年前からそのまんま…だからここを触る事で当時を感じる事ができる」「地元の小学校の子供達にもガイドする事があるんだけど、その時もこうやって土を触ってる」と語っており、私も両手で壁土を触ってみました

城を取り巻く建物は変わり、周囲の道路はアスファルトで舗装されても…城の造りはあの時のまま…そう言えば城跡の道は舗装されておらず、全て土だった気がします

3枚目の画像はどこで撮影したか忘れてしまいました…ビューポイントもしくは城山かな?その中に写る田んぼエリア…ここは大正時代あたりまで、印旛浦…つまり霞ヶ浦と同様に(海水の入り混じる)湖だったそうです

それを干拓して、現在のような田んぼにした。さらにはこの辺りは縄文時代…海だったそうで、土を掘ると貝殻が見つかる事があると🐚

昔は関東平野の奥にまで海が入り組んでいた(霞ヶ浦はその名残らしい)。それが年月をかけて…地殻変動により隆起して陸地になった場合もあれば人の手で干拓して陸地になったり…して現在に至る

だから…城が現役稼働していた頃は、今よりもずっと水辺に城があり…城主は船で湖を移動していたそうです。城と城を結ぶ橋もそんざいしていたらしい

ガイドの案内が終わり、案内所に戻ったタイミングで…なんとスタッフの方が撤収作業をしていました。てっきり17時までやってるものと思っていたから意外でしたが、だからこそ最初に100名城スタンプと御城印を済ませておいて正解とも思えましたね

ガイドの御好意で駅まで送ってもらえました🚗 途中、城付近にある縄文時代の貝塚…城主の命で建立されたお寺も紹介してもらえました。「たとえ2年後3年後になってもいいから…よければまた来てください」と言われ、「チャンスがあれば😅」と返事しておきました

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天守無しがアツい

ガイドさんの面倒見がよい (2024/10/26 訪問)

ここは続100名城に選ばれた山城てあり、千葉県印旛郡酒々井町(しすいまち)に存在するのですが、JR酒々井駅で下車した私はそこから30分くらい歩きました🚶

途中から民家が点在するだけの、田んぼだらけの景色に…京成線と思われる線路が遠くに見える…いい感じの光景が目の前に見えて…直感で1枚撮りたくなったので(1枚目を)撮影しました

そして城に到着。城跡案内所にまず赴き、お約束の100名城スタンプをスタンプ帳に押印。それから御城印の購入。買ってからすぐに御城印帳にしまいました(2枚目)

ボランティアガイドのおすすめにつられる形で、案内所の中でビデオを見ました。この城は今から500年ほど前に千葉氏一族により造られた城…約100年間で9代の城主により治められ、城の至る所に門と敵を迎撃するための設備が備わっていた。しかし豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条氏側に味方してしまったがために、その滅亡と共に千葉氏も滅び、城はそのままの姿で残されて現在に至る…と

ビデオ閲覧後に、「お時間に余裕ありますか?」と聞かれたので「1時間くらいなら」と私が答えると、別のガイドさんを紹介され、その人に案内される形で城巡りが始まりました

案内所の側に角度の急な斜面があり…「この斜面は元からあったものではなく、城主の命により人為的に造られたもの」「当時は重機もシャベルも無い時代だから、鉄製の鍬でひたすら土を掘ってこっから向こうまで削っていった」

「こんな急な斜面では敵は思うように登れない。そこを上から弓を放ったり槍で突いたり…と迎撃🏹」したそうです。それから東山という場所に向かい、狭い階段を上ってビューポイントへ。(1枚目のような)京成線まで見渡せるロケーションがそこにはありました

それから階段を降りて虎口へ…つまり城の入口…そこへ向かう通路は人一人通るのがやっとなくらい狭く、その両側は小高い丘で挟まれてました

「どんなに敵が大軍でも、この通路の中では少人数ずつ進まざるを得ない」「そこを左右そして奥から一斉射撃🏹」「ここからも城の堅固な守りが伺える」という具合の解説をガイドが歩きながら話してくれました

虎口から少し進んだところに盾が幾つも並んでいる場所(3枚目)があり、しかもそれは2段か3段の坂となってました。ガイド曰く、ここの造りは映画館の劇場じみた配置となっており、こうする事で放った矢が味方に当たる事なく…しかも虎口から迫る敵を見渡しながら放てる…そうです🏹

そのために段差が人の高さより少し高い造りになってる…それは放った矢が、前にいる味方に当たらないようにするため…この場所は100名城の本の本佐倉城の紹介ページにも画像付き…しかもその画像に選ばれていた事を思い出したので、逃さずにスマホに収める事にしました

この辺りはIV郭という場所…「よんかく」と読むそうですが、何故「よん」を4や四ではなく、アラビア数字のIVで表記するのか…ガイドはそこまで教えてはくれませんでした4️⃣

ちなみにここの城跡の面積は…何と東京ドーム8個分もあるそうです。なので1回で全て周るのはほぼ不可能…というかここにくる前から「一回で全ては巡れないかもしれない」と予想していたので、今回は案内所からほど近い所のみを案内してもらう形になりました

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たか

今日は山の日! (2024/08/11 訪問)

今日は山の日という事で御城印&スタンプを入手しにGO!
まずは本佐倉城へ。

車でナビ通りに行くと、どんどん道が狭くなり不安になったが案内板が出ており、拓けたところに出ました。
行ってみると駐車場は意外と大きく案内所がありました。
早速御城印を購入してスタンプは?ってなったらなんとトイレの前(笑)
これならいつでも押せますね!

案内所の素敵なおじさまにいろいろとジオラマを見ながらレクチャーを受けていざ出陣。
東山虎口→南奥虎口→セッテイ虎口→セッテイ山(倒木の為通行止め…)→東山→Ⅳ郭虎口→倉祉→奥ノ山(妙見宮跡)→城山
う~ん…おじさんの言ってたのと違う(笑)
でも遺構がいっぱい綺麗な形で残っておりしっかりと見ごたえがある山城でした。
東山から印旛沼への景色は絶景。
説明文で昔は鉄道部分まで沼で手前側は湿地帯となっていました。
攻めづらいところだったろうなと思いをはせることができました。

いろいろと説明板の設置や除草及び伐採管理など大変であるでしょうが、今後とも未来へ残して頂くためによろしくお願い致します。
最後に案内所のおじさま、丁寧な案内と親切な対応に感謝です。
ありがとうございました。

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城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 文明年間(1469〜1487)?
築城者 千葉輔胤
主要城主 千葉氏、小笠原氏、土井氏
文化財史跡区分 国史跡(本佐倉城跡)
近年の主な復元・整備 千葉氏
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉字根古谷他/佐倉市
問い合わせ先 酒々井町教育委員会
問い合わせ先電話番号 043-496-1171