かつうらじょう

勝浦城

千葉県勝浦市


旧国名 : 上総

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八幡岬公園入口
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赤い城

朝市が賑わうその先に (2022/01/09 訪問)

2022年の城初めです。
主郭周辺部分は八幡岬公園になっていて駐車場もあります。
朝日を見たかったが出遅れ見れず、それでも綺麗な太平洋を望めました。
駐車場からすぐに八幡神社があります。
主郭まで進んでいくとお万の方の像が立っています。
この辺りの周辺部分にはこれといった遺構は見られませんがやはり絶景。
やっぱり海は癒やされます。
鳴海神社の下にも駐車場があり、梅園になっていますが鳴海神社脇に岩盤堀切があります。
進んでいくと岩盤を削ったような虎口も見られました。
勝浦正木氏の居城で小田原平定で廃城になりました。
現地城下では朝市が有名、この日も賑わっていました。
朝からやってるお店で勝浦タンタンメンを頂きました。
おいしかった。

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todo94

八幡岬公園 (2021/10/30 訪問)

トンネルの先に駐車場が完備されている八幡岬公園としてきっちりと整備されています。鳥居のちょっと手前脇にある城址碑、危うく見落とすところでした。徳川家康の側室として、紀伊家、水戸家の藩祖を生むことになるお万の方の銅像があり、お万の布さらしの逸話が残ります。そんな断崖からは素晴らしい眺望が得られました。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅲ⑥:勝浦城房総日帰り攻城Ⅲ⑥:勝浦城 (2019/08/21 訪問)

鹿野岡城から転戦。車で35分くらいで着きました。
八幡岬公園の駐車場(35.136939、140.311708)に駐車して攻城しました。

築城経緯・時期などの詳細は不明ですが、1521年(大永元年)に真里谷城の城主だった上総武田氏の一族の真里谷信興(真里谷信清?)が安房の里見義堯による北上阻止のために支城として築城されたという説があります。
その後、真里谷武田家の一族の居城となっていましたが、真里谷武田家が内紛で勢力を弱めると、後北条氏と里見氏が上総に進出するようになりました。
1544年(天文13年)、里見方の正木時茂が大多喜城の真里谷朝信を滅亡させ、朝信の勢力圏を里見氏の傘下に収めたとき、勝浦城も里見方となっています。
以後は正木氏の一族の正木時忠が入り、勝浦正木氏と呼ばれるようになりました。
時忠は後に後北条氏に寝返ったが、里見氏は勝浦城に激しい攻撃を加えこれを取り戻しています。
正木憲時の乱が起きたとき、正木頼忠(お万の父)は里見義頼に味方したため、憲時の攻撃を受け、一時落城したといわれ、のちに「お万の布晒し」の伝承を生みました。
憲時の乱が鎮圧されると、頼忠は勝浦城主に復帰しています。
1590年(天正18年)に徳川家康の家臣、本多忠勝に攻められ落城します。
このときの城主・正木頼忠の娘、お万はのちに家康の側室となり、和歌山城主・徳川頼宣、水戸城主・徳川頼房を産みました。
現在城址は「八幡岬公園」になっており、八幡岬の突端まで遊歩道が整備されています。

八幡岬公園の駐車場から遊具の置かれている2郭、先端の1郭(お万の方の像あり)を回った後、車で北上し鳴海神社方面に向かうと2分位で鳴海神社に出る切通しを見ることができます。
攻城時間は40分くらいでした。

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pascal

婆ちゃんはアドベンチャー (2014/12/06 訪問)

 穏やかな砂浜とダイナミックな海蝕崖が交互に続く外房の海沿いを走り、勝浦に入ると魚港に向かいます。
市で賑わう通りを抜け、トンネルを抜けて八幡岬の突端まで上がって行くと、八幡岬公園(勝浦城址)があります。

 勝浦城は里見氏の北上を阻止すべく真里谷(武田)氏が築いた海城でしたが、真里谷氏が里見重臣の正木時茂に敗れ大多喜城を失うと、勝浦城も正木氏の手中に落ちます。
時茂は弟の時忠に勝浦城を任せ、分家させました。

 次の代に移り、天正6年(1578)、里見義弘が死ぬと、弟:義頼と嫡子:梅王丸の間で後継争いの内紛が起こります。
勝浦の正木頼忠は義頼を支持しますが、大多喜の正木本家の憲時は梅王丸の支持に廻り、勝浦城に攻め寄せて来ました。
多勢に無勢は如何ともし難く、頼忠はここは一旦海から逃げ延びる事にします。
 頼忠の娘“お萬”はこの時14歳。
反物をつなげた布を断崖に垂れ下ろし、果敢にもそれを伝って40mの崖を降りて、無事に船で安房に逃げ延びたと言います。

 後にそれを聞いた徳川家康は、17歳になったお萬を呼び寄せて側室にしました。
寵愛されたお萬は10男:頼宜と11男:頼房を産みます。
成人した二人の子は後に紀伊徳川家と水戸徳川家の藩祖になりました。
つまり、黄門様こと徳川光圀のお婆ちゃんがこのお萬なんですね。

 勝浦城址には、これと言った遺構は遺っていませんが、崖を海に降りて行く細道には海城の名残りがあり、主郭の跡と思われる眺望の良い公園広場には、お萬の銅像が建っています。

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城郭情報

分類・構造 海城
築城主 武田信清
築城年 大永元年(1521)
主な改修者 正木時忠?
主な城主 真里谷武田氏、正木氏、植村氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、堀切、横堀(空堀)、切岸
再建造物 石碑、説明板
住所 千葉県勝浦市勝浦字郭内
問い合わせ先 勝浦市社会教育課社会教育係
問い合わせ先電話番号 0470-73-6665