勝浦城は勝浦湾に突き出した天然の要衝に築かれている海城で、大永元年(1521)に上総武田氏の一族、真里谷信興によって築かれたという説が有るようです。本丸の位地ははっきりしませんが地元の案内板には子供の広場あたりとされており、先端部の展望広場は物見のエリアとされているようです。(ひょっとするとここが本丸かも) なんにせよ陸側から攻められたら逃げ場のない文字通りの背水の陣です。
紀州徳川家の祖・徳川頼宣および水戸徳川家の祖・徳川頼房の母となる養珠院(おまんの方)にまつわる逸話があり、父の正木頼忠が同族の正木憲時の攻撃を受けた時に布を垂らして逃げ延びたとされる「お万の布晒し」の伝承が残っています。
この伝承は豊臣秀吉の北条成敗の時とする説もあるようです。
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