二郭・外城は梅と梨が、外城北から高速道路辺りまでは梅の栽培が行われている。坂田城跡梅林は千葉県内で最大級とあり、毎年梅祭りが実施される。
説明板に拠れば中世に千葉氏が築城し、家臣の三谷氏の時に周辺の支城も整備され、弘治元年(1555)に井田氏に取って変わられる。天正18年(1590)の秀吉による小田原攻め時に落城と載っている。
ふれあい坂田池公園に駐車可能で主郭西の道路から散策路が付けられている。主郭西下の帯郭と思われる細い削平地(散策路整備時の改変かも)に出る。左は直接二郭へ、右が主郭に。主郭入口の左右には土塁があり平虎口でだが、縄張図では枡形に思える。設置標識に名称の違いがあり、主郭は本丸・無城、先の見台(みだいとルビあり)は馬出郭・二の丸、二郭は登城・三の丸など。
主郭・馬出郭の散策路以外は下草・篠竹・杉が密生し、郭の形など分からない。馬出郭への土橋左右の土塁・空堀は見応えがありそうだが、よく分からず。画像では尚更伝わりにくい。馬出から二郭への土橋・空堀は主郭ほどではなく、遺構の見当が付きやすい。二郭北の虎口は高い土塁で、左右に櫓台とあり、土橋に横矢がかかる。外城北虎口は複雑で、枡形を形成していたようだが、中央を農道が通り、草木が多く遺構がよく分からなかった。
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