ちょうなんじょう

庁南城

千葉県長生郡

別名 : 長南城、長南町中城
旧国名 : 上総

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まーやん

武田氏の居城 (2022/12/18 訪問)

ここも雨模様で怪しい雰囲気。
ナビに惑わされようやく見つけた侵入路。比高はたいしてないがブッシュとぬかるみであまり見れなかった。
武田氏の居城は複雑な曲輪が多いようで、期待していたがまたも関東ローム層に阻まれた。

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赤い城

城域は広いが・・・ (2022/02/20 訪問)

太鼓森への案内板があるもののそれに従って進んでも駐車場がなく引き返し、県道沿いの広いスペースに路駐しました。
太鼓森の説明板手前に堀切があります。
道を進んで行くと主郭部にあたる妙見社に着きます。
結構な雨で少し霞んだ感じでした。
妙見社のある郭には岩盤を削った切岸があり、堀切状になった部分がありました。
背後の土塁上を登ると切通状の動線があり、物見台と思われる郭も。
縄張図を見ると城域はかなり広いですが詳細は不明です。
次の予定もあったのでここで撤退しました。
庁南武田氏の城ですが小田原平定により廃城となりました。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅲ⑫:庁南城 (2019/08/21 訪問)

勝見城から転戦。車で20分くらいで庁南城付近に着きました。
ナビの指示は籔の斜面を上がれ。ちょっと無理なので断念。一応、付近まで行ったので攻城とさせて頂きました。
跡で再調査したところ、ケアハウス「びおとうーふ共生会」の駐車場(35.399468、140.237194)に駐車して妙見神社を目指すようです。
ナビに従うと、自分のように籔の斜面上がれになるので無視してケアハウスから山を目指すようです。
トーダイさんの城メモを参考にしてください。(攻城時の自分は城びと入会前だったので、参考にできませんでした。残念です。)

庁南城は武田信長が真里谷城とともに上総支配の拠点として1456年(康正2年)に築いた城です。
上総国武田氏の武田信長は1456年(康正2年)下総国市河合戦のときに庁南城と真里谷城を築き、庁南城には信長の嫡子武田信高が入り、その子武田道信が庁南武田氏の祖となりました。
庁南武田氏はその後代々続き、真里谷武田氏が衰退した後は池和田城や勝見城を支城として、上総国を代表する勢力となりました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」で北条氏とともに滅亡しました。
最後の当主、武田豊信は武田信玄の三男といわれていますが不明だそうです。

城趾は「長南城太鼓森」として町史跡に指定されており、上総武田氏の菩提寺である大林寺には武田氏累代の墓があるそうです。
攻城時間は15分くらいでした。(投稿できる写真はありません)

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トーダイ

城域は広いが、全体像は良く分からない (2019/05/18 訪問)

築城時期など詳細不明ですが、康生2年(1456)甲斐武田氏の一族である
武田信長により修築、以来、天正18年(1590)に落城するまで戦国時代
約140年間、庁南武田氏累世の居城でした。(案内板より)

老人ホーム裏の空地(30台)<35.399378,140.237263>に駐車、登城口
<35.398499,140.236214>に案内板と堀切・竪堀跡、妙見社(本郭跡)に
虎口跡を確認する。余湖さんの概略図によると、城域は広そうだが、全体像は
つかめない。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 武田信長
築城年 康正2年(1456)
主な城主 長南武田氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、腰曲輪、堀切、横堀(空堀)、溝跡、土坑
指定文化財 町史跡(庁南城跡太鼓森)
再建造物 説明板
住所 千葉県長生郡長南町長南
問い合わせ先 長南町教育委員会社会教育課文化振興係
問い合わせ先電話番号 0475-46-1194