「新井城」、薄暗くなってから攻めました。
築城時期は分かりません。
相模国の中央部を本拠地にしていた、三浦 道寸さん・義意さん父子。勢力拡大をする北条 早雲さんに追い込まれます。
最後、「新井城」に籠城し戦い滅亡しました。
地名の『油壷』の由来を、戦いで流れた血が油のようだった事を知った時は、ゾッとしました。
、、、なので、薄暗くなってからの「新井城」は駆け足です。
旧油壷マリンパーク、今は油壷温泉キャンプパークの駐車場を利用しました。
海岸に下りる道があります。
途中に道寸さんのお墓がありました。昼間なら木漏れ日が注ぐのでしょうが、『キー、キー』と、鳥かおサルが鳴いて不気味でした。
説明板だけパチリ。
海岸に出てパチリ。岩場がライオンの横顔に見えてきます。
この場に血が流れたかと思うと怖くなり、引き返しました。
駐車場近くに「新井城」の石碑と、義意さんのお墓があります。
遺構等々、見る余裕がありませんでした。
車で、周辺を調べたら『横堀海水浴場』があり、「新井城」の堀から名付けられたようです。
そして、もう一つ『胴網海水浴場』がありました。
首の無い胴が漁師の網にかかったんだとか。
心穏やかに遊べそうにない『油壷』の「新井城」でした。
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