あらいじょう

新井城

神奈川県三浦市


旧国名 : 相模

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三浦道寸の墓
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しんちゃん

油壺湾のいわれ (2025/12/21 訪問)

新井城は相模湾に突出した断崖丘陵地に築かれていて北を小網代湾 東を油壷湾に挟まれており三方を海に囲まれた要害の地にあります。
三浦一族の本拠になりますが永正13年(1516)北条早雲(伊勢宗瑞)の大軍に攻められ、三年に渡って奮戦するものの一族の将 三浦道寸義同を始めその子荒次郎義意は自刃、他の将兵たちも討死もしくは油壷湾へ投身したとされ湾一帯が油を流したように血で染まったため後世「油壺」と呼ばれるようになったそうです(案内板による)。
城址は某施設の敷地内にあるため立ち入りはできずフェンス越しに遺構を眺めるだけです。土塁や空堀らしいものは見えるのだけど。
堅城ゆえに長きにわたって籠城出来たものの、その最期は壮絶であったようです。

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朝田 辰兵衛

三崎マグロ駅から路線バスにて…🚌 (2025/04/27 訪問)

京急久里浜線の終着駅「三崎口駅」が「三崎マグロ駅」にいじられておりました。
また,油壺温泉が全館営業を終了させたことにより,「油壺温泉」バス停は「油壺」バス停に名称変更。運行便数も激減。
よって,「三41」系統で「シーボニア入口」バス停から歩きました。「油壺」バス停の1つ手前になります。「三41」系統のバスは,「油壺」への進路を避け,西海岸線を進んで行きました。
駅局舎内にある観光案内所からレンタサイクルという選択もアリだと思います。レンタサイクル利用者はかなり見受けました。

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チェブ

ライオンとサル。 (2022/12/25 訪問)

「新井城」、薄暗くなってから攻めました。

築城時期は分かりません。
相模国の中央部を本拠地にしていた、三浦 道寸さん・義意さん父子。勢力拡大をする北条 早雲さんに追い込まれます。
最後、「新井城」に籠城し戦い滅亡しました。
地名の『油壷』の由来を、戦いで流れた血が油のようだった事を知った時は、ゾッとしました。

、、、なので、薄暗くなってからの「新井城」は駆け足です。
旧油壷マリンパーク、今は油壷温泉キャンプパークの駐車場を利用しました。
海岸に下りる道があります。
途中に道寸さんのお墓がありました。昼間なら木漏れ日が注ぐのでしょうが、『キー、キー』と、鳥かおサルが鳴いて不気味でした。
説明板だけパチリ。
海岸に出てパチリ。岩場がライオンの横顔に見えてきます。
この場に血が流れたかと思うと怖くなり、引き返しました。
駐車場近くに「新井城」の石碑と、義意さんのお墓があります。
遺構等々、見る余裕がありませんでした。
車で、周辺を調べたら『横堀海水浴場』があり、「新井城」の堀から名付けられたようです。
そして、もう一つ『胴網海水浴場』がありました。
首の無い胴が漁師の網にかかったんだとか。

心穏やかに遊べそうにない『油壷』の「新井城」でした。

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赤い城

和田城 神奈川県三浦市 (2022/09/23 訪問)

鎌倉殿の13人、和田義盛の居城です。
遺構は残っておらず三浦初声高校和田キャンパスの前に石碑と説明板が立っています。
少し東側に和田義盛の碑も立っています。
和田義盛は和田合戦において由比ヶ浜で北条義時に討たれてしまいました。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 佐原(三浦)氏
築城年 鎌倉時代後期
主な城主 三浦氏、後北条氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、堀切、虎口、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 神奈川県三浦市三崎町小網代
問い合わせ先 三浦市教育部文化スポーツ課
問い合わせ先電話番号 046-882-1111