とうがねじょう

東金城

千葉県東金市


旧国名 : 上総

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八鶴湖から城山を望む
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赤い城

まだ入れない (2023/02/11 訪問)

東金駅から徒歩で10分くらい。
八鶴湖から城山を見上げながら陣屋跡の本漸寺へ。
説明板が立っています。
まずは本漸寺をお参りし、奥の墓地に進んで見ました。
竪堀っぽい形の部分もありますが藪でよく分かりません。
ちょっと脇に入ると空堀がありました。
私有地なので奥に進むのは自重しました。
本来は東金高校裏手から登城路がありますが数年前の台風による倒木で立入禁止。
門が閉まっていました。
最後のフォトは数年前に撮影した堀切です。
またいつか見たいです。

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おっちゃん

東金城跡地形測量図、東金御殿古絵図 (2017/10/07 訪問)

現地案内板より抜粋。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅱ④:東金城 (2020/01/23 訪問)

田間城から転戦。車で10分くらいでした。
登城口前の空スペース(35.561010,140.356625)に駐車して攻城しました。

東金城は東金酒井氏の居城として知られていますが、築城説には2説あります。
①酒井定隆によって1521年(大永元年)に築かれた説
②室町時代に千葉氏が築いた鴇ケ峯城を起源とする説
酒井氏による築城が有力だそうです。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に、酒井氏は北条氏についたため、浅野長政によって接収されました。
その後、徳川家康の関東入封後の1613年(慶長18年)、東金は家康の御鷹場となり宿泊施設として東金御殿が建てられました。
1630年(寛永7年)の徳川秀忠を最後に鷹狩りはおこなわれなくなり、1671年(寛文11年)には東金御殿も取り壊されています。
現在、東金御殿跡には千葉県立東金高等学校があり、同校と本漸寺との間に登城口があります。

登城口前の空スペースに駐車して攻城しましたが、台風による倒木の為、門が閉鎖され中に入れず。登城口前の案内板の写真を撮り撤退。
攻城時間は10分くらいでした。

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花見の頃訪問 (2016/04/09 訪問)

既にレポートされているように、登山口が分かりにくい。花見の出店で、ビールを買って、池の西岸〜南岸をうろうろ。
城跡は藪化が進んでいたが、太平洋戦争の際のトーチカ・見張り所に通じる道が確保されていた。東金城も砂岩、砂の山体で切岸がオーバーハングになっているところあり。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 酒井定隆
築城年 大永元年(1521)
主な城主 酒井氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、腰曲輪、土塁、櫓台、横堀(空堀)、堀切、土橋、虎口、鍛冶遺構、小土坑
指定文化財 市史跡(東金城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 千葉県東金市東金字谷台方大門他
問い合わせ先 東金市生涯学習課文化係
問い合わせ先電話番号 0475-50-1187