利根川沿日帰り攻城⑨:中島城
(2019/05/27 訪問)
須賀山城から転戦。車で22~23分くらいでした。
中島城跡説明板前(35.750532、140.762329)に路駐し、説明板の写真を撮った後、本丸跡➡琴平神社と移動して攻城しました。
本丸に向かう為に道路脇(35.751508、140.763169)に路駐。
琴平神社鳥居前(35.751009、140.762676)に路駐。
築城年代は定かではないが、1190年〜1199年(建久年間)に千葉六党の東氏の一族、海上与市常衡によって築かれたと云わっています。
海上氏(うなかみ)は平安時代末期に千葉常兼の子が海上与市常衡を名乗り、その子常幹は海上太郎と呼ばれたが一時途絶えました。
鎌倉時代に千葉介常胤の六男東胤頼を祖とする東系海上氏が現れます。
胤頼の子東平太兵衛尉重胤の次男は海上次郎胤方、その三男は海上四郎胤久、四男は海上五郎胤有(森戸城主)と長子東中務尉丞胤行以外は海上を名乗っている。
戦国時代は北条氏に従属していたため、1590年(天正18年)に北条氏の滅亡とともに徳川方によって廃城とされました。
現在城址には琴平神社(金比羅神社)があり、土塁や空堀などの遺構を確認できます。
また、東側にある銚子市三門町青年館の前と、西側の琴平神社前の道を南へ降りていく途中に案内板が建てられています。
説明板は確認できましたが、本丸(耕作地)を散策するが、石碑は発見できませんでした。
琴平神社(金比羅神社)では、石段に沿って竪堀らしきものがありましたが、遺構かどうか不明です。
攻城時間は25分くらいでした。
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