きぬがさじょう

衣笠城

神奈川県横須賀市


旧国名 : 相模

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三浦義明 (2023/07/13 訪問)

大善寺より登城しました。遺構は明瞭ではありませんが雰囲気は伝わってきます。

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チェブ

セリフだけだったけど、、、。 (2022/12/25 訪問)

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で登場すると期待していた「衣笠城」。
『衣笠が落ちた』のセリフのみで、ガックリしました。三浦のお爺様も頑張ったのに、、、、。

平安時代後期、『前九年の役』での功績で源 頼義さんから領地を賜り、三浦 為通さんが築城しました。

まずは、「衣笠城」に到着するまでの急坂。
車にパワーがなく、歩いた方が早いのではないかと思うほどの急坂でした。
因みに「衣笠城」には、『馬返しの坂』があります。(通って来た坂かは不明。)
一ノ谷合戦での、鵯越の坂落としでは、
『三浦では、もっと険しい所を日頃、駆け落ちてる』
と言って、難なくクリアしたんだとか。
確かに、すごーい急坂です。
『大善寺』の駐車場をお借りしました。
『大善寺』には、お邪魔しませんでしたが、ドラマの幟がありました。こちらの『大善寺』は「衣笠城」より歴史が古く、奈良時代の頃からあるそうです。
奈良時代、平城京を中心とする貴族、仏教文化の時代です。

階段を上ると、開けた場所に。こんな高い所なのに、更に土塁で守ってます。
奥には、大きな岩がありました。

平家方だった、畠山 重忠さんが攻めた「衣笠城」。
畠山 重忠さん、鵯越の坂落としでは、愛馬をおんぶしました。
「衣笠城」から退陣した時は、愛馬はどうしたんだろう、と、ドラマで描いて欲しかった「衣笠城」でした。

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にのまる

衣笠合戦 (2022/05/29 訪問)

三浦半島城めぐりのラストです。
幹線道路から案内が出ていたのでわりとスムーズに行けましたが一か所悩んでしまった案内がありました。急坂を上へ上へと登っていくのが正解です。帰りに通りがかった際に立ち止まっている方をお見かけしたので声をかけてみたら、やはり同じように悩んでいる方でした。この日は朝から同じ方を別の場所でお見かけしたりしたので、午前中の新井城址一般公開から半島の城めぐりをされた方が多かったのではないかと思います。

城址までの上り坂は長かったですが、「三浦一族ゆかりの地」の幟がゴールフラッグのように迎えてくれて、疲れも吹き飛びました。
階段を上がると平場が現れました。危険を感じずに見学可能な範囲は広くはなかったけれど、曲輪を囲む土塁など充分に雰囲気を感じられましたし、木々に覆われた物見岩が砦感を醸し出していました。只この巨岩自体は物見というより信仰と関わりがあるような気がしました。「遺物発掘處」の石碑の裏には「大正八年發掘陶器貳個銅筒壹個鏡壹面石釼数口於此處古色蒼然不疑爲衣笠城時代物翌年二月獻之宮内省」(←多分)とあり、鎌倉時代にタイムスリップした感じでした。ほかのところでもこんな風に「ここでこんなものが見つかったよ!」という碑があるといいのにと思いました。

説明板に「丘陵状の一番裾が大手口で……」とありますが、帰りに信号待ちをしているときに歩道に「衣笠城追手口遺址」の小さな石碑を見つけました。(写真⑩)この日いちばんテンションが上がったのはココでした(・ω・)ノ

…衣笠と言えば触れずにはいられない鉄人衣笠祥雄氏。同じく京都出身の清川投手も推しでした(^^)/

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赤い城

【城と標柱】

にのまるさんがカープ女子だったとは。
私のHNも・・・。
津田城も大野城もまだ行ったことありませんがここは何度か。
近くには新井城も。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 三浦為通
築城年 康平年間(1058〜1065)
主な城主 三浦氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 市史跡(衣笠城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 神奈川県横須賀市衣笠町
問い合わせ先 横須賀市教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 046-822-8484